文字数の関係上、分割しました。
後編です。
ガタタタン、ガタタタン。
継続的に音が鳴り、その度に体が僅かに揺れる。
オカルンは微睡みながら、この違和感の正体に気が付こうと
いつもと違う柔軟剤の香りがふわりと鼻をくすぐる。
さっきまで聞こえなかった音だ。
寝足りない頭でぼんやりとそう思う。
無理やり眠ろうとして…布団の中で目を閉じて…。
寝ぼけて回らない頭が、どうしてか起きなければと焦燥感を持って足掻いていた。
寝ようとしたのに、どうして起きなきゃいけないんだっけ。
あの後、焦って酸欠になりかけて、大きく深呼吸しようとしたら、それが欠伸の代わりになったのか…ドッと疲れが押し寄せて──自分は布団で寝たはずだ。
体勢が変わっている。
椅子に座らされている事に気がつき、オカルンはガバリと跳ね起きた。
一気に目が覚める。
目に飛び込んできたのは、青いソファの背面。そこには折り畳みのテーブルとネットが備え付けられていた。どこかで見たような…?
中途半端に立ち上がったせいで足元の揺れにバランスを崩し、オカルンは慌てて背もたれを掴む。
顔を上げれば青い椅子が並び、つり革がぶら下がった通路に窓がズラリと列を作っていた。
既視感の正体に気が付き、息を飲む。
ターボババアに鬼ごっこを仕掛けに行く時に、綾瀬さんと乗った電車の中だ。
彼は借りたパジャマに裸足のまま、電車の座席にへっぴり腰で掴まっていた。
クリオネさんが言ってた通りだ。
呪われた途端に、悪夢の電車の中に連れてこられた。
他に誰かいないか車内をぐるりと見渡して、通路を挟んだ反対側の座席へ目を移し──その視線の先に見えたものに、彼の心臓は凍りつく。
綾瀬さん…!?
座席に横たわる姿、あの服は間違いなく綾瀬さんだ。
起きる気配もなく電車の振動で力なく揺れる足に、顔の見えない彼女に、嫌な予感ばかりが過ぎる。
まさか、もう…!?
座席に肘や腰をぶつけた。
それでもなりふり構わず駆け寄り、彼女の肩を掴む。
「綾瀬さん! 起きてください綾瀬さん!」
「ん、ん゙ん゙…」
苦しげに呻く声。
オカルンが必死に揺さぶると、桃は座席に顔を埋めた。
「あんだよぉ婆ちゃん……まだ目覚まし鳴ってないってぇ……」
「寝ぼけてないで起きてください! ここは猿夢のいる夢の中です!!」
「………っは!! 危ねー! 普通に寝てたわ」
桃は何事もなくパチリと目を覚まし、勢いよく起き上がった。
それに心底ホッとして彼は胸を撫で下ろす。
桃もまたパジャマに素足の状態だった。
胸元には電車と「
桃は座席からひょいと立ち上がり、オカルンと一緒に通路に出た。2人の素足がリノリウムの床でペタペタと音を立てる。
彼女はうんと伸びをして、そうして軽く辺りを見回し眉をひそめた。
オカルンも眼鏡の縁を持ち、自分たちがいる電車の中を今度はじっくり観察する。
本当に夢の中かと疑うほどにリアルだ。
今の格好がパジャマ姿に裸足じゃなければ、ついさっき布団の中で寝たことを忘れそうなくらいに。
車内は電気がついているというのに、生暖かい空気が滞留しどこか薄気味悪かった。
この車両は最後尾らしく、トンネルの中を走っているのか、窓の外には壁とレールの続く暗がり以外に何も見えない。
トンネルに付いた紫色の照明が窓を怪しく照らしては通り過ぎていった。
「オカルン、ウチよだれ垂らしてない?」
「大丈夫っす。よくぐーすか寝れますね、こんな状況で」
「いや普通に寝てるとこ引っ張ってくる方が悪いっしょ。バカ女とクリオネは?」
「いやジブンも今起きたところで」
「この列車をご利用くださいまして 誠にありがとうございまぁす」
会話を、低音質のアナウンスが遮った。
スピーカーから聞こえる、悪意と嘲笑を帯びた感謝の言葉。その放送がワンワンと窓を揺らし、耳を打つ。
車掌アナウンスの上辺だけ真似た、鼻にかかった声だった。
「こっちは客だぜ、馬鹿にしてると痛い目みんぞコラ!」
桃がスピーカーに喧嘩を売る。
「──モモちゃん、気を付けろぉ。クリオネちゃんが言ってたアナウンスだぜえ」
その横でオカルンは桃に警戒を促しながら、ターボババアの姿へ変身した。
黒髪が燃え上がるように白髪に変わり、歯型のマスクがメキメキと音を立てて口元を覆う。
老人のように背が曲がり、皮膚は筋張り、漲る力と共に彼のテンションは地に落ちた。
ヘドロに沈んだゴミの気分で首と瞼をどうにか持ち上げる。
「お客サマにお願いいたしまぁす」
スピーカーが空気を震わせ、不快にガビガビと音を立てた。
「この列車は乗務員が空腹の為 座席をお立ちのお客サマは大人しく席にお戻りくださぁい」
オカルンは不穏なアナウンスに身を低く構え、ふと目の隅に何かが見えた。
座席の隙間から覗く真っ黒な──目。
「次は活けづくりぃ 活けづくりです」
「うぐっ!!」
隣から桃が消える。
座席の隙間に気を取られていたオカルンは、桃の悲鳴にハッと我に返った。
「モモちゃ──!?」
振り向いた先の光景にゾッとする。
猿だ。
小さな猿が座席の上に。
荷物置きに。
吊り革に。
異様に大きな目をした毛深い小猿が、至る所で歯を剥き出し、嗤っている。
真っ黒な目と嗤う黄色い歯の明暗が、電車の中でギトギトと光って目立つ。
「ヒヒヒヒ」
「ヒヒ、ヒヒヒッ」
「ヒヒヒッ!」
小猿たちは壊れた玩具のようにカクカクと首を傾げ、座席の上で手を叩く。吊り革に逆さにぶら下がり、耳障りに嗤う。
敵が現れ、桃は攻撃を受けた。
だというのにオカルンは動かない。
否、動けない。
目が見ていた。
目が、彼の目を見ていた。
どろりとした底のない深淵に通じる沢山の、目が。
「離せ! 鉄臭えんだよてめぇら、猿なら温泉にでも入って綺麗にしてろや!!」
桃は突如沸いた小猿に蹴り飛ばされ、座席に逆戻りさせられていた。
挙句、両手首を頭の上で掴まれてシートに転がされ、大暴れしてもちっとも身動きが取れやしない。
小猿の大きさは30cmほどで、それは小型犬くらいのサイズだったが。桃が暴れてもビクともしない恐ろしい怪力を持っていた。
その猿が何匹もいるのだ。
桃の膝の上にひょいと降りてきた別の小猿が、両手に持った包丁同士を滑らせ、シィンと研いだ。
トンネルの照明が反射し、刃が紫にぎらりと光る。
桃ちゃんが危ない。
そう分かっているのに、オカルンはピクリとも動けなかった。
注がれる視線から目を離せない。
夢の中で走ろうとしても走れないように、体が重く、動かない。
肉体は乖離し、現実が遠のいていく。
喉がカラカラに乾いて張り付き、滲んでいた汗が鼻先から滴る。キンと耳が遠くなる。
桃の抵抗の声も、猿たちの嗤い声も、どこかへ通り過ぎたように聞こえなくなっていく。
オカルンはただ猿に凝視され、呆然と立ち竦んだ。
まるで悪夢の中のように、ただ見ていることしか───。
『苦戦しているようですね。もう少々お待ちを』
霧がかったオカルンの頭の中に、ハッキリとした声が届いた。
その針のような真っ直ぐとした声はオカルンの脳を貫き、ぶわり、と思考の霧を払う。
オカルンは一気に正気を取り戻した。
肩を揺らし、足掻く。バランスを崩した彼は硬い床にドスンと尻もちをついて、強かに尾てい骨を打ちつけた。
彼を足止めしていた小猿が、ザワリと動揺する。
体から力が抜けていて、変身もいつの間にか解けてしまっている。
しっかりしろ! 高倉 健!!
オカルンは自分に喝を入れ、不甲斐なさで手のひらに爪を立てた。握った拳で太ももを殴りつける。
手足に血の気はなく、冷えきって感覚がなかい。
もう少々ってどのくらいだ。
今すぐに動けるのは自分だけだ。
早く、早く! 綾瀬さんを助けないと!!
動くオカルンに、小猿が残忍に刃物を構える。
「このままじゃウチが刺身にされる!! くそ、超能力が、上手く使えねえ…!」
「ぁ、やせ、さん…!」
桃が超能力で小猿の刃物を白刃取って、どうにか押し返そうとする。しかし生身の両手が塞がれたせいか、なにか別の理由か、思うように動かせない。
小猿たちの目がトンネルの明かりで紫色にてらてらと光り。
薄紅がサラサラ揺れた。
長い髪がその目を塞ぎ、縛り上げる。
『こんばんは、猿夢の方々。お招きいただきまして誠にありがとうございます』
静かな淡々とした声が不快な嗤い声のノイズを割いて響く。
『ご存知の通り、ライムズ星人と地球人です』
髪の襲撃から逃れた小猿が、どこからともなく聞こえる声にてんでバラバラな方向に目を向け、歯を剥き出して威嚇した。
──呪縛は解かれた。
「う、おおお!!」
「オラァ!! くたばれクソだらぁ!」
次の瞬間。
オカルンは変身しながら強ばった体を転げるように動かす。
注意が逸れた猿を相手に、桃も白刃取りしていた刃物ごと猿を床に叩きつけた。
手すりを踏みつけ、桃を拘束する猿に頭から突っ込む。
桃は飛び込んできたオカルンを自由になった手で抱き寄せると、2匹の猿を超能力で掴み「ゥラァ!」と窓に投げつけた。
窓が破片を撒き散らし、悲鳴が遠のき消えていく。
『あなた方へ報復に参りました』
「ええ、徹底的にね!!」
割れた窓から生温い風が押し寄せる。
轟々唸る車内を、後部座席から現れたピンクの旋風がかき乱し吹き荒れた。
「私のアクロバティックは、お暴風なのよ!!」
「ギャッ!!」「ギッ!?」「ギッ」
顔に隙間なく巻き付いた髪は、まるで竜巻のように凄まじい速度で回転した。
遠心力のまま壁に叩き付けられた猿たちが、あっという間に鎮圧される。
「高倉様、ご無事ですか!!」
桃のタンスを容赦なくひっくり返し、パジャマの中でも一等可愛いものを着た白鳥 愛羅が、靱やかなバレエの仕草でピタリと静止した。
「ちょっと! 最初からおやられそうになってんじゃねえですわよ、綾瀬 モモ!!」
彼女は固く目を閉ざしながら、座席からクリオネ星人を抱き上げ、肩に乗せる。
そしてまるで見えているかのようにズビシ! と桃を指さした。
「クリオネ! アイラ!! 来るの遅えし!」
アクロバティックさらさらに変身した愛羅は髪を靡かせ、高慢に顎を上げる。
「とっくに来てたに決まってるでしょう。妙なお力をお使いになるようだったから、あなたでお様子見させてもらったわ」
「は? ウチは囮かよ」
「アイラちゃん、ナイスな判断力だぜえ」
オカルンはグッと親指を立てた。
あの拘束は厄介だった。もしかするとここで終わっていたかもしれない。
「てか、なんなんだこの猿共。超能力使おうとしたら、いつもより力が入んなかったんですけど」
『猿夢の目を見た者は怖気にやられ、動けなくなるものと思われます』
愛羅は目を閉じながら、失神している小猿を髪で縛り上げ窓からポイポイ放り捨てる。
オカルンはその様子を見てメガネの縁を摘んだ。興味ある物を見る時の癖だ。
愛羅ちゃんはいつの間に目を閉じたまま周りが分かるようになったんだろう。
「目を見んなだぁ!? この狭い電車の中でこいつら大量に出んだぞ!」
『問題ありません。対策がございます』
文句を言う桃に対し、クリオネ星人が答えようとして。
「次はささがきぃ ささがきです」
ガビガビのアナウンスがワン、と響く。
オカルンと桃は弾かれたように顔を上げた。
瞬きもしていないのに、気づけば小猿はそこにいた。
車内の至る所で意味もなく叫び、笑っている。
包丁がかち合い、甲高い叫びと笑い声、窓から入る風の音が混ざりあい、不協和音をかき鳴らす。
『目を閉じ、受け入れてください』
目を閉じたままの愛羅が顎を引き、戦闘態勢を取った。
その肩にピッタリくっついたクリオネ星人が、オカルンと桃へ触角を揺らす。
飛びかかる猿の群れ。
迫り来る目の恐怖と振り回される刃物。
それを前にして、2人は死に物狂いで目を閉じた。