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前編です。
轟音。
およそ人と拳がぶつかったとは思えない音がして、オカルンの姿が車両から弾き出される。
「オカルン!!」
別車両に殴り飛ばされ扉向こうへと消えたその姿に、桃は駆け出そうと足を踏み出し。
ブツリ、と視界が途切れた。
平衡感覚を失ってふらつき、足が咄嗟にブレーキをかける。
一面の黒と目蓋のぬるい熱が、今まで目を閉じていたことを彼女にありありと思い出させた。
何も見えない。
文字通り切れた頼みの綱に、桃は「ヤバ」と背にドッと汗をかいた。
オカルンと一緒にクリオネまでウチらと離されてんじゃん! 愛羅も吹っ飛ばされてどっか行ったし、このままお先真っ暗なんてじょーだんじゃない!
汗を滲ませながらも、桃はすぐに意識を研ぎ澄まさせる。
そうして己に目覚めた超能力の一端。万物に宿る
目を閉じた闇の中に、ボウ! と炎が燃え上がる。
「ヒヒヒ、ヒ!?」
「猿が物騒なもん振り回してんじゃねえぞ、こらあ!!」
獲物が動けなくなったと思い込んだ猿に、ガラスが雨あられと突き刺さった。
桃は床のガラス片を超能力で掴み取り、振り回した。しかしそれも毛皮を持つ猿には虚仮威しでしかない。
後ろから小猿に胴を危うく刺されかけ、桃は乾いた唇から息を漏らした。
これじゃダメだ。あいつら毛深すぎ、全身防刃チョッキかよ。ズルだわ、ズル!
クリオネ星人が共有する視界ほど、桃の炎を視る力は解像度が高くない。彼女は鈍く痛む頭を働かせた。
あっちが高性能360度カメラなら、こっちは視野の狭いサーモグラフィーだ。それを補うには──。
「そうだ、吊り革!」
襲い来る猿から桃は身を翻す。
愛羅が空中ブランコのように空を駆けた姿に倣い、桃は吊り革を掴もうと超能力を飛ばした。
だが手の形をした念動力は吊り革の手前でピタリと止まる。
「うげ、マジか。あんま伸びなくなってるし!」
さっきまで餅みたく伸びてたのが嘘みたいに、腹の底から気張ってもそれ以上が出てこない。
前に相撲宇宙人にバリアをタコ殴りさせた時はその後バッタリ倒れる羽目になったが。今のでよくわかった、超能力はダメージを受けまくると消耗するんだ。
でもまだ出ないわけじゃない!
「ふん!」
両手を前に出せば、桃の背丈より大きな手が正面の猿を押し退け道を作る。
「オラオラオラーッ!!!」
小猿の猛攻を張り倒しながら猿もビックリな速さで彼女は座席を登り、ポールを登った。超能力で掴み昇れば気分はさながら蜘蛛のヒーロー。
「おっるぁああああ!!」
その天辺で、彼女はポールを足蹴に大ジャンプした。
巨人サイズの吊り革が車体と一緒に揺れている。落ちたら一溜りもない高さのそれを、桃の超能力はしっかと掴んだ。
ぶら下がった反動で体が振り回され、激しい運動に息が上がる。だが達成感に浸る時間はない。
「はぁ、はぁ、ガチで、しんどいんですけど。てかあのバカ女、どこまで飛ばされたし」
桃の暗い視界には、炎の群れがポールの上へ上へと登って来るのが見えていた。
まるでこれから火あぶりにでもするように炎が桃へと迫って来ている。
高い場所から探せば、動きはないものの愛羅の炎が遠くで小さく燃えていた。それに桃はほんの少し安堵する。
猿はこっちで引き付けれたみたいだ、よかった。てか手汗がマジでヤバイ、超能力あって助かったわ。
超能力の有難みを感じる一方で、彼女には焦りが募っていた。手がじっとりと濡れているのは、何も汗だけのせいじゃない。
どうにかして、オカルンたちの無事を確かめたかった。
血がポタリと滴り落ちる。
猿夢は桃から滴る血を眺め、ボリボリ尻を掻いた。
傷を付けてこそいるが、どいつもこいつも盲の小娘相手にどういう了見だ。
猿夢は加減が下手、というよりシンプル面倒でやりたくなかった。
生意気に妖怪の力を使う連中ならまだしも、生身の人間(しかも女)というものは柔く直ぐに死ぬ。
逃げまどう羽虫を叩き殺さず生け捕るより、小猿の捕物が終わるまで待った方が余程いいのだ。生身の人間へ直に手を出すとどうも簡単に潰れてしまう。
それじゃダメだ。
あのババアのガキが一撃でくたばるのは、いくらなんでも癪に障る。腹の虫が収まらない。
ぐちゃぐちゃにして泣き喚かせ、許しを乞わせて死を願うまで楽しまなきゃ大損だ。ペテンだ。ボッタクリだ。
猿夢はこれを、
さもありなん。
ここは猿夢の創る異界であり、術師すら道具を持ち込めないのだから。
人間が異能を持つより、異形が持つ方が余程数多い。まかり通らぬ事象は常に物怪
床に叩きつければ死ぬようなナマモノのクセして、殴りつけるだけではダメらしい。別車両からまあ随分しぶといものだと、猿夢はポケットからマイクを引っ張り出した。
そんな中。
猿夢に殴り飛ばされた愛羅は、電車の外に落ちかけながらも命からがら生きていた。
歪んだ窓枠に辛うじてしがみつき、割れたガラスに手を食い込ませて。死に物狂いで体を持ち上げた彼女が息も絶え絶えに車内へ転がり込む。
アクロバティックさらさらの仮面は砕け散り、手入れされた手も肌も傷だらけ。美しかった艶髪はザンバラになって乱れきっていた。
だが。
誰より身なりを気にする彼女は、
体を起こす腕が床のガラスを砕く。
腸が煮えくり返る想いでいっぱいだった。
ドブみたいな根性の猿に。
守れなかった自分に激怒していた。
可愛いちっちゃな宇宙のお友達も、甘酸っぱい乙女の想いも。暴力を振るわれ遠くに取り上げられた。
繋がっていた視界が消えた時。最悪の状況が頭をよぎると共に、彼女は淡い希望に訳もなく縋った。どうか、どうにか生きていてほしかった。
きっと天から光が降ってきて、みんな生きて帰れる、大団円のハッピーエンドで終わるのだと信じていたかった。
目を開いた視界の中に、マイクを掴む猿夢の背が見える。
淡いその芽すら──あの猿は摘もうというのか。
愛羅は可愛いものが好きだ。
それが例え命のないぬいぐるみだろうと、自分の赤ん坊のように大切に扱ってしまうぐらいに。
腕の中に収まる柔らかな命が、自分へ無防備に身を任せる姿を慈しみ、心から幸せを感じるほどに。
彼女は元より母性本能の強い少女であり、子を奪われ殺された悪霊の
その想いは───推して知るべし。
修羅に堕ちた女の面がメキメキと音を立て、少女の顔を覆い尽くす。
愛の色をした髪がざわめき、傷だらけの足がドウ! と強く床を蹴った。
猿夢の背だけを睨み、疾風のように突き進む。
髪が愛羅を守るように逆巻き、余計なものを見ぬよう視界をただ一点に絞った。
座席に刺さった包丁を髪の先が掠め取り、猿夢の背後へ高く跳んだ。
「次は八つ裂きぃ 八つ裂きで───」
「おてめえは!」
愛羅の髪が猿夢の顔を封じ込める。
「おいい加減」
猿夢の、マイクを持つ手の親指。
その肉と爪の境目に、鋭く刃が突き刺さった。
「お黙りあそばせ!!」
「──ゥギッ!?」
愛羅の脚がしなり、猿夢の手を蹴り抜く。
カァン! と小気味よい音がして、アナウンスマイクが天高く蹴り飛ばされた。
ざまあみなさい。カチカチの筋肉ダルマ相手に急所を狙うなんて、シャコの時に高倉様とのダンスで実践済なのよ。
だが、愛羅が目を開けていられたのはそこまでだった。
猿夢が漏らした僅かな声。
桃に気を取られていたくせに、耳聡い小猿らが一斉にこちらを向く。
黒い目。
目、目。
景色から色が急速に失せ、黒い無数の目が闇夜に浮かぶ満月の顔をしてぽっかり浮かんでいる。
怖気の走る光景に目を奪われる。
愛羅はズタズタの手のひらに爪を食い込ませ、無理やり強く瞳を閉ざした。
ただの一瞬。髪で狭めた視界の中、目が合いかけただけで。この光景を暫く夢に見そうだった。あの底のない目が瞼の裏側でフラッシュバックする。
恐怖で強ばった体に愛羅は鋭く舌打ちした。
マイクを奪おうと思ってたのに、これじゃ取り戻されちゃう。
先の二の舞を避けるため猿夢に繋がる髪を包丁で切り落とせば、もう自分がどこにいるかすら分からない。
暗闇に1人放り出された心地で、汗が顎を伝った。
「オーライ!! 後はウチに任せろアイラ!!」
その闇を威勢のいい声が切り開く。
桃がマイクを追いかけ吊り革から飛んだ。
「てめェら、そのマイクに触らせんなァ!!」
顔を念入りに覆われた猿夢が、口元にまとわりつく髪を毟り吼える。
毛玉が一塊となって動き出し、小猿の群れは床に落ちたマイクに向かって殺到した。
おばちゃんのバーゲンセールかよ。
下の光景に心中で独り言ちて、落ちる最中に桃は両手を高々と掲げた。パジャマがバタバタ波打って、お腹に生温い風が吹き込む。
超能力製の巨大な手が上空に浮かんだ。
悪夢に来てからの道中、愛羅が小猿を散々蹴っ飛ばして気絶させてた。だからこの小猿共が
巨大な手が振り下ろされる。
床に叩きつけられた猿たちは、頭や顎を強かに打って煎餅のように圧し潰された。
彼女が潰れた小猿の上に着地すれば、一生洗って無さそうなゴワつく毛並みが裸足の足にチクつく。
質の悪い絨毯だぜ。
桃は素早くマイクを拾い、そして床に転がるポールを掴んだ。
愛羅の髪を解いた猿夢がこっちを向く。
この無駄にデカい電車は通路も広けりゃ窓も高い。だから
「待ちやが」
「っしゃ! ホームランじゃボケェ!!」
確かな “当たり” の音がした。
窓ガラスが砕け、アナウンスマイクが外に飛び出す。気分は爽快、これで厄介物はお払い箱だ。
「ふはは、どんなもんじゃい!」
「やったの!?」
「やったったわい!!」
「よくやったと褒めてあげるわ!!」
桃が高らかと声を上げれば、目を使えない愛羅にも事態の好転が伝わった。
彼女は長い髪を全方位へ逆立たせ、猫のヒゲのような微細な空間認識で小猿と無理やり戦っていたのだ。
愛羅は血と傷を増やし息を大きく荒らげながらも、喜色の滲む声を桃に叩きつけた。
「ザケンじゃねえぞ、クソアマどもが!!」
だが
地獄の底から響くような低音が列車をビリビリと震わせる。
その怒気に硬直した猿たちが、剣山のような歯と真っ赤な歯茎をぐわらと剥き出しにした。
黒い毛がゴウと膨む。
そして耳を劈くような、怪音の大合唱が始まった。
「キキィイイイ!」
「ヒィヒヒホホホホ!」
「クァカカカカココココ!」
「ギュイキュイヒィイイイイ!」
さながら電車の警笛。
それが一斉に鳴らされたような耳を
音の圧が鼓膜を劈き、耳を塞ごうともトンネルに木霊し、音だけで内臓と空気が震え上がる。
「うるっさ!」
「アンタ、目が見えてるなら高倉様の所に行って!」
「は!? なんてったアイラ!!」
「何度も言わせんじゃないわよ!! なんで私がアンタを高倉様のとこに行かせなきゃいけないわけ!?」
「ちょ、マジで猿うるせえ! なんて!?」
猿夢が本気になった。
桃は耳を抑えながらそう確信した。
今まで舐めプしてたアイツが本気で殺しにかかってくる。これ以上はクリオネの視界がなきゃヤバいし、オカルンの無事も確かめないと。
桃は電車の端へなりふり構わぬ全力で走り、大きな扉に手をついた。
「オカルン! ってウソ、この扉開かないんですけど!! さっきまで開きまくってたじゃん!」
巨大な貫通扉は押しても、引いてもビクともしない。
背後に迫るけたたましい鳴き声と
「おいクリオネ! 視界消えたぞ、死んだか!?」
「ねえ、お願いだから何か言ってちょうだい! 聞こえてるんでしょ、高倉様もご無事なの!?」
シャコが学校で倒れてた時も、ライスだかライムだかの宇宙人の話をしてた時も、アイツは地獄耳だった。
だから扉で塞がれていても、騒音の中でも、呼べばきっと応えるはず。
そう思っていた。
しかし聞こえるのは耳障りな猿の吼え声と、電車がトンネルを走る反響音ばかり。
桃は押し寄せる炎の群れと開かない扉を背に、猿にも負けない声で喚きたくなった。
悪夢にも限度ってもんがあるだろ!!