私は宇宙人   作:蒲鉾三田

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原作のテンポ感重視vs描写盛りたい星人

  \\\\FIGHT!////

そんな感じで没を量産させていました


第十五話 非日常が日常

 

 神社を囲む木々の合間を涼やかな風が通り抜け、まだ薄淡い木漏れ日がさわさわと揺れる。

 眠りから覚めた鳥たちが朝の挨拶を交わし合い、生き物がにわかに活気づき始める早朝。

 

 赤茶色の髪がぱっと靡く。

 自室の扉を開け放ち駆け出した少女の顔の横で、翡翠色の耳飾りがキラリと光った。

 

 学生服に着替えた彼女は丈の短いスカートが捲れるのもお構いなしに、階段をドタバタ降って埃をたてる。

 昨晩の大わらわの最中にやられたらしい、畳や襖に大きな()()のついた広間を駆け抜ければ、傷んだ畳にくつろぎ寝そべる招き猫が迷惑そうに耳を揺らした。

 

 ターボババアめ、朝飯食ってすぐ二度寝たあまったく優雅なもんだぜ。

 桃は通りすがり様、妖怪居候ババアのつるりとした後頭部にメンチを切る。そのうち牛の招き猫になるか、招き猫柄の牛になんぞ!

 

 筋肉痛の体は動く度に軋んで痛みを訴えたが、ゆっくりなんてしてられない。

 可愛い孫がミッションインポッシブった次の日くらいガッコを休ませてくれたっていーのに、婆ちゃんはそこんとこケチくせえぜ。彼女は内心ぶーたれる。

 宇宙人に狙われようと、妖怪に襲われようと、その翌日が平日なら非日常から日常へ強引に戻さなくてはならなかった。

 

 あっそうだ、着替えるついでに持ってくるって言ったんだった。

 彼女は行き先を変えた。カチャカチャと生活音を鳴らすキッチンに飛び込めば、フローリングで靴下が滑る。うおっとっと。

 滑った体を持ち直し、桃は白髪の背中に声をかけた。

 

「婆ちゃん、歯ブラシ! 新しいやつどこ!」

「その辺に入ってんだろ」

 

『食器棚の左から2番目の引き出しですね』

「おー、サンキュー!」

 

 引き出しから歯ブラシを引っ掴み、婆ちゃんの隣に浮かんだクリオネへ礼を言う。

 

 クリオネは振り返らないままヒレをこっちにパタパタ動かした。あの透き通るぐるりとした視界であっちこっち見てるんだろう。

 シンクの中で泡立つ水が、魔法のように独りでに皿を洗っている。こいつめっちゃ便利だな、食洗機じゃん。

 

 焦げついたトースターの内側まで洗い始めた宇宙人と霊媒師は、何だか仲が良さそうだった。綺麗好きっぽいし、細かいこと言う婆ちゃんと気が合うのかもな。

 宇宙人と暮らすのも悪くないじゃん。桃はそう思い始めていた。

 

 キッチンを後にして、歯ブラシ片手に脱衣場へ急ぐ。

 そして廊下を曲がった桃は、その太眉をキュッと吊り上げた。勝気な女が眉を吊り上げるだけで怖いのに、その眉の間には深い皺が寄り、目はこれでもかとカッ開かれている。

 誰がどう見てもキレていた。カチキレていた。

 

 朝の冷たい廊下にダッシュ音が響き渡る。

 怒りのこもった足音は廊下を激しく地鳴らして、「床に穴があくだろーが!」とキッチンからデカい声が飛んだ。

 だが桃は聞いちゃいなかった。

 

「高倉くんと2人で洗面台を共有するのってぇ、なんだか照れちゃうな〜」

「ここ綾瀬さん家ですけどね」

 

 桃の足は止まらない。

 そして彼女は、オカルンにベタつく愛羅に「ジェアッ!!」とフライングクロスチョップを決めた。

 その完璧なフォームに、キッチンの宇宙人が心の中で拍手した。

 

 忙しい朝の、騒がしい時間の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

「そうだ、クリオネさん。名前とか聞いてませんでしたよね」

「そうじゃん! なんて名前?」

 

 身支度を終えたオカルンが肩に鞄を引っ掛けながらそう言えば、靴に片足を突っ込んだ桃が振り返る。

 星子と共に見送りにやって来たクリオネ星人は、愛羅に熱烈にハグされてテディベアのようになっていた。

 

 注目されたクリオネ星人は、腕の中でぺこりと触角を揺らす。

 

『大変申し遅れました。私はヒ・ロネクォリィミ と申します』

 

 皆の頭の中に複雑怪奇な音が鳴った。

 

 オカルンは「ほおお!」と顔を上気させ、感情の高ぶりで髪をうねらせる。

 何度か言語を聞いていても、彼は聞くたび新鮮に感動していた。独自言語はロマンである。

 

 反対に桃と愛羅は形容できない音の羅列に面食らい、もにゃりと口を動かした。

 

「ぴぽぺぷ?」

「ぴゅお…何とかじゃね?」

「人間では出せない声域と言いますかそもそもテレパシー主体の言語のようですからね! ジブンたち地球人には発音できないのかもしれません!」

 

 オカルンは眼鏡をカチャつかせる。

 彼のナード(オカルトオタク)な脳みそがドパドパ汁を出していた。

 

「でもそれじゃ私たち、名前を呼べないわ」

 

 愛羅は困った顔で手の中の触角をうりうりこねくり回す。

 玄関に居座る子供らを急かすでもなく、星子は腹巻に手を突っ込んだ。

 

「無理に呼ぶ必要はねえだろ、あだ名でも付けりゃいい」

 

『声帯式言語的には、“ヒ・ロネクォリィミ” の発音で通じます』

(なげ)え! じゃ、 “ヒロ” で」

『それで構いません』

 

 桃の一存にクリオネ改めヒロは頷いて、不意にピタリと動きを止めた。

 

「どうしたの? ヒロ」

『では、くれぐれもライムズ星人の情報を外部に漏らさぬよう』

「なんだなんだ」

 

 愛羅の腕からヒロがぐんにゃり流れ落ちて抜け出す。

 

 元の姿に戻った途端。

 唐突に、半透明なクリオネの体がケミカルな色に歪んだ。

 構造色がマーブル模様に揺らめいて、背景と同化するように色が急速に配置される。馴染んで見えなくなる。

 シャボンが割れるように輪郭がぷつりと途切れれば、皆の前から跡形もなくヒロの姿が消えた。あっという間の事だった。

 

 そしてちょっとの間もないタイミングで玄関チャイムが鳴り響く。

 全員が玄関の磨りガラスに写る人影を見て、ヒロが隠れた理由を察した。

 

「おいモモ、玄関開けろ」

「ほーい」

「こんな朝早くに人?」

「来客ですか?」

 

 桃は横着して足先に靴をつっかけ、玄関扉を開け放つ。

 どうせ婆ちゃん目当ての客だろ、と高を括っていた桃はギョッとして目を剥いた。

 

「ジジ!?」

「モモ!」

 

 桃の前には嬉しそうに笑う見知った顔があった。

 

 前髪の跳ねた栗色の短髪。

 すっと通った鼻筋に、柔らかな垂れ目。

 随分と抜かされた背丈の分、彼女は顎を上げてジジを見上げた。

 

「え!? なんでジジが、てかその服うちの学校の制服じゃん!?」

 

 上から下まで何往復も忙しなく目を動かし、桃は仰天して目の前に聳える制服を指さす。

 桃がわちゃわちゃと慌てる様子に、ジジと呼ばれた青年は嬉しい時のゴールデンレトリバーみたいなペカペカの笑顔を浮かべた。

 

「よお、来たか。お()えの母親からは聞いてるぜ」

 

 星子が気安げに声をかける。

 オカルンは何故かざわつく胸を抑えた。ブレザーにぐしゃりと皺が寄る。

 何だろう、嫌な予感がする。

 

 目の前の人はとびきりのイケメンで、綾瀬さんと親しそうで。

 オカルンは急速に乾いていく口からか細く息を吸い、肩を丸めて星子を見上げた。

 

「どちら様ですか?」

「あいつはな、モモの()()()で──」

 

 

()()()()だ」

 

 

 オカルンはとてつもない脳の衝撃に固まって、動けなくなった。

 そっと盗み見れば、目の前の人を見上げる彼女の顔は嬉しそうに笑っている。

 

 そんな、まさか。と思うと同時にやっぱり、という思いがあった。

 だって見るからにスポーツマンで、背も高くて、誠実そうなイケメンで。

 女の人はきっとああいう人を好きになる。男のオカルンですらそう思ってしまうような好青年。

 

 愛羅がイケメンに見向きもせず、隣でじぃっ、と熱っぽくオカルンを見つめているのにも彼は気がつかない。気がつけない。

 

 綾瀬さんの初恋相手。

 綾瀬さんの好みの男性。

 オカルンはズキズキとする胸をぐっと抑え、眉を寄せた。

 綾瀬さんの好きなタイプは俳優の高倉 健だ。あの人はきっと、綾瀬さんがときめくような、硬派な男───!

 

「久しぶりじゃん、モモ〜! 驚いた顔もキャワウィ〜ね〜! とりあえず、ハグしとく?」

「ウザってえ、なにこいつ」

 

 じゃ、ない…。

 

「ウザってえいただきましたフゥ〜!!」

 

 顔の良いイケメンが奇声を上げる。

 

 シュババババ、と風を切る動きすらうるさい。どこに運動神経を使ってるんだ。

 オカルンは目を白黒させ、ハイテンションな奇行を繰り出す優男を信じられない思いでガン見した。

 

 こ、こんな軟派な人に…綾瀬さんが、恋を…?

 

「ジジ、悪かったな。本当なら昨日の晩に来てもらうつもりだったんだが。急な仕事が入っちまってよ」

 

 桃がうっ、と顔を引き攣らせる。

 その急な仕事とやらの原因、昨日の騒動の元凶は彼女であった。

 

「いえいえ、オレも押しかけちゃってますんで! 相変わらずおばちゃん美人っすねー! 学校行く前に荷物先置いちゃっていいすか!」

「おいおい天才かよ。ここに置いとけ、後で運んどいてやる」

「え。ちょっと、どゆこと!?」

 

 小学生ぶりの幼馴染が急に家に訪れ、いきなり荷物を置いていく。

 説明をすっ飛ばされたそれに桃は理解が追いつかず、混乱に声を上げた。

 

「あ? 決まってんだろ」

 

 星子は夕飯のレシピを告げるような、なんてことのない声で言う。

 

「今日から一緒に暮らすんだよ」

 

 オカルンの脳を2度目の衝撃が襲った。

 嵐のようにやって来たジジは今日から綾瀬家の新たな一員になるらしい。

 

 一難去ってまた一難。

 波乱万丈というものは、休むということをどうやら知らないようだった。

 

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 

 玄関口でいつまでもクダを巻き騒ぐ子らをサッサと送り出し、ジジの荷物を運び終えた星子はようやく一息ついた。

 激しい夜更かしの休息がてらタバコ片手にぶらりと廊下を歩き、窓辺に赴く。

 

 庭に直通の掃き出し窓へ手をかけた彼女は、ふと窓の外に気配を感じた。

 

 視線を上げれば、ずんぐりむっくりのミミズクじみた半透明が庭にぽっかり浮いている。

 そこらの人間なら悲鳴を上げるだろう奇っ怪な光景を眺め、星子は犬猫にでも言うようにそいつに声をかけた。

 

「おいヒロ、居ねえと思ったら外に出てやがったのか。無闇にぶらつくと危ねーぞ」

『星子様。ご心配下さりありがとうございます』

 

 星子は窓を開けつつ、その無防備に日光浴でもするような様子に心配になった。浅瀬に迷い込んで腹をぺちぺちしてるアザラシだかスナメリでも見てる気分だ。

 ヒロは目もないくせしてこちらを見上げるよう律儀に頭を持ち上げた。

 

『ですがご安心を、それは私の分体です』

『星子様の言う私はあなたの後ろにおります』

 

 外にいるヒロがちょいとヒレで後ろを指さす。

 振り返れば、廊下にヒロがいた。

 

 前にも海坊主、後ろにも海坊主。

 首を動かせば同じ顔が揃いも揃って話しかけてくる。彼女の頭の中で同じ声が響き、どっちがどっちを喋ってるんだか。

 

今朝方(けさがた)生みました、仕事用の分体です。先程この家に到着致しました』

「おう」

 

 星子はとりあえず頷いた。

 いきなりのことにちょっとばかしビビったが、まあ、よくある事だ。妖怪ってのはポコポコ増える。彼女は自分で納得した。

 ワカメみたいに増えられたら流石に文句も言うだろうが、仕事用ってんなら大丈夫だろ。

 そうして開けたテラス窓の前でよっこらせとあぐらをかく。

 

 ヒロたちはそんな星子の近くに浮くのをやめて降りてくると、渡り廊下にそっくり同じ動きでちょんと腰掛けた。

 なんともこじんまりした、土産物屋みたいな面白おかしい光景に星子は目を細める。

 

 歳食ったババアとしては、人が隣にいるだけでジンと沁みるものがあった。

 二人暮らしの綾瀬家で星子は長らく一人だったのだ。

 

 桃の長い反抗期が終わってから、随分と家が賑やかになった。

 家の住人も客人も増え、寒々しかった広い家に人の気配がする喜びは、朝の日差しでじんわりと暖を取るような心地になる。

 風変わりな妖怪たちを星子は気に入っていた。

 

 だが仕事用と言っていた通り、ツンケンした同居人と違ってこいつは働きたいのだと言う。

 しかしのっぺらぼうの顔にペラペラのヒレじゃ、人の営みには混ざりにくかろう。

 そこん所どうなのか、ちょっとばかし彼女の老婆心(ババゴコロ)が騒いでいた。ババアはお節介焼きなのである。

 

「流石に人間の格好じゃねえと働けねえが、お()えらどうすんだ」

 

『その通り。ですので』

『こうします』

 

 目の前のヒロたちがバシャリと音を立てて崩れた。

 そうして半透明の体が、油膜のように鮮やかに色を変える。

 

 優れた陶芸家が瞬く間に壺を作るように、まず胴体が、次に頭が形を成す。

 すらりと腕が伸び、指ができて、裸足の足が膝を曲げる。

 こんこんと湧き出る泉のように髪がぶわりと波打った。

 

 ニチアサ、いやゴールデンタイムだな。

 変身する様子を見守る星子は思う。ピカピカしてんのがまさにそんな感じだ。

 体の出来上がったヒロはぎこちなく瞼を上げ、ゆっくりと星子を見上げた。

 

 青い瞳は湧き水みたいに透明で。

 波のようにうねる癖毛に、暗い深海を映した髪色。

 日に焼けたことのなさそうな生っ白(なまっちろ)い肌は、まるで蒼ざめた病気の月だ。

 

 どちらも小学校高学年辺りのこじんまりとした背丈で、性差の区別もつかないような体は細く薄く、その上にそっくり同じ顔が乗っている。

 片方の奴だけ前髪が長く、目元を隠しているのは見た目で区別が付きやすいようにだろうか。

 

 表情がピクリとも動かない様子は愛嬌がないとか、人形のような硬さというより、表情を動かしたことがない赤ん坊みたいな顔つきだった。

 ボールが飛んでこればぼけらと見つめてぶつかってそうな、そんな抜けた面だ。

 おっとりと垂れた大きな目に、アーチ型の頼りなさそうな下がり眉がそれを一際増長させる。

 

 そうして朝露みたく無垢な瞳が星子を見上げ、もたもたと瞬きした。

 

 星子の老婆心は撃ち抜かれた。

 キャッチャーミットに庇護欲と書かれたボールがスパァンと収まり、「ストライク!!」とザルを顔につけた審判が叫ぶ。

 なんてすっとろそうなんだ。

 

『これで問題ありません』

 

 ヒロたちは無表情のまま、自信満々に胸を張った。

 星子は上から下まで出来栄えを眺め、それから眉を盛大に寄せる。

 

「なんでエアロビみてえなピチピチの服着てやがる」

 

 ハイレグだ。

 股から腹までガッと行ってるあの服である。

 肩も腿も剥き出しで、青白い肌が余計に寒そうだった。風邪引くぞ。

 

『いえ、これは服を再現した模様ですね』

 

「すっぽんぽんじゃねーか!!」

『そうとも言います』

『元よりそうです』

 

 安心できないそのスタイルに裸族2名を小脇に抱え、星子は奥に引っ込んだ。履いてないままうろつくんじゃねぇ!

 

 ヒロたちを物置部屋にしょっぴいて、仕舞いこんでいた服を引っ張り出す。

 

「働くには見た目が若すぎやしねえか」

 

『星子様もとてもお若く見えますが』

「なにぃ? じゃあ仕方ねえな」

 

 桃のお下がりTシャツをバンザイさせたヒロたちに着せてやる。

 履かせてやった短パンが床にストンと落ちる様を見て、星子は近所の古着屋に行く事を決めた。あと食材も買ってこよう。

 抱えた時の腹の薄さよ。実家のババアは食わせてナンボだ、太らせねば。

 

『身長は可変が可能です』

『仕事用の私の身長を上げましょう』

 

 ヒロたちがおもむろに手を繋いだ。

 繋いだ手から中身が片方に押しやられ、双子のシルエットはぐんと歳の離れたものになる。

 それでも仕事用だという目の隠れたヒロの身長は精々が中学生程度でしかなかった。縮んだ方はもはや10かそこらの歳にしか見えない。

 

 星子は少ない表情筋で顔をグッと引き締めた。真顔だった。

 小さいのが更に小さくなって、内に溜め込んだ “()い” が心の内で暴れる。産まれたての子猫みたいなぽやガキに孫持ちのババアは弱かった。

 

「あんま変わってねーぞ」

 

 それでも心を鬼にして正当な評価を(一応)下せるのは、精神力の賜物だろうか。

 

『人間には低身長の成体も存在します』

『つまり私もまかり通ります』

 

 じぃと真摯に星子を見上げ、ヒロはやる気に満ち溢れている。

 別に名前を取って働かせようなんて湯屋のババアじゃないってのに、ヒロはどこまでもピンと背を伸ばし真面目な声で言った。

 

 まあとやかく言いつつも、星子は働くのを止める気はない。職も紹介してやるつもりだし、本人がやりたいならしっかりやらせてやるのが彼女の信条だった。

 働く理由がお祓いの報酬を稼ぎたいということなのだけはどうにも納得いかないが。

 

 あんなに弱り果て困っていた妖怪、それも文無しに金を強請る? ダサいにも程があるし、あまりに無粋だろう。

 

 ところが強情なヒロは、星子が報酬の支払いを突っぱねても払うと言って聞かなかった。

 どれだけ星子が拒んでも払わせて下さいの一点張り。埒が明かず、畳の部屋の修理代だけでいいと星子は譲ってやったのだ。

 

 だがこいつと来たら、星子は思い出して軽くため息を吐いた。

 正当な報酬を受け取らねばその残りを桃たちに渡すと言ってきた。脅しだった。

 後先考えない学生に大金なんか持たせられるか!

 

 ヒロに曲げる気はない。

 こいつは本気で稼いで、恩を押し付けてでも返そうとしてやがる。

 だから渋々、本当に仕方なく、星子は報酬を受け取ってやることにした。金を稼いでヒロに損はないだろうし、その分目一杯食わせてやるつもりで。

 

「思ってる感情が素直に伝わるってのも厄介なもんだ」

 

『はい。あなた方のおかげで、我々はこうして生きております』

『星子様にはお世話になります。できる限りの恩をお返し致します』

 

 星子の頭に響く言葉。

 そこには水中から水面を見上げるように、眩い感情に溢れていた。

 カタツムリのツノをつついて遊ぶような純真。

 素晴らしいものを見た幼子のキラキラしい眼差しじみた、あまりに一途なそれ。

 

「背中が痒くなってきたぜ」

『慣れてください』

 

 温度のない声色と淡白な言葉と裏腹に、頭の中に届く感情はじわりと暖かく、コロコロ思いの波を変える。

 その全てが真っ直ぐな好意と感謝に溢れているものだから、星子はどうにもむず痒くなって、うなじを指の腹で掻いた。

 

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 

 爆走する人体模型を追いかける。

 そんな経験した奴って、この世に何人いるんだろうか。

 少なくとも今日で3人増えたのは確かだった。

 

 桃は小脇にトルソー型の人体模型(女)を抱え、オカルンとジジを引き連れて、家へ向かう田んぼ道を3人でダラダラ歩いていた。

 夕焼けの光が眩しくて、あぜ道にくっきりと歩く影が落ちる。

 靴が地面に擦れて巻き上がる土煙にすら影がつきそうなくらいだった。

 

「へー、花ってご飯食べないんだ。うちん家今めっちゃ人数多いから助かるわ〜」

「いや〜、お邪魔してまーす」

「や、ジジもそうだけどさ。今うちに猫とクリオネもいんだよね」

「え!? モモ、クリオネ飼ってんの!?」

 

 金の玉を引っ提げた人体模型。

 そいつを捕まえるべく、学校を抜け出した先のゴミ捨て場で人体模型の太郎と花に事情を聞いた桃たちは、その経緯にまあ可哀想だと同情した。

 

 古くなったせいで粗大ゴミに出された花と、居ても立ってもいられず真昼間の学校を飛び出した太郎。

 心ある人形が捨てられ、ゴミ山で行き場をなくしている。それを黙って見過ごせるんなら、そいつこそ人の心がないってもんだ。

 あと太郎の金玉はオカルンのじゃなくて、ただのクリスマスオーナメントだった。クソが。

 

 ともかく。

 桃は帰ってきた我が家の玄関を睨みつけ、鳥居の下でむんと気合を入れた。

 花のため、そして学校に戻った太郎のため。家にどれだけ居候が居ようと絶対婆ちゃんを説得してみせる!

 

 そんな意気込む彼女の隣にオカルンがコソコソ寄ってきて、小声で桃を咎めた。

 

「ちょっと、綾瀬さん! ヒロさんの事を教えるのはマズイですって…!」

「大丈夫だって、ジジが見ても妖怪だと思うくらいだろうし。てか、ジジもヒロもうちん家にいるんだからどっかで顔合わすでしょ」

 

「そ、そうだとしても! ジジさんが言いふらさないとは限りません!」

 

 桃の言葉は正論だ。

 黙り込みかけ、いや、とオカルンは奮起する。彼はジジに宇宙人の話を知ってほしくなかったのだ。

 オカルトの話題まで取られたら綾瀬さんの隣にいるのは自分じゃなくて()()()になってしまう…!

 

 オカルンは焦っていた。

 桃とジジが今日から一緒に暮らすのだと聞いてから、朝から彼の胸の内はずっと心のモヤとズキズキする痛みばかりが募っている。

 ()()()が話して、綾瀬さんが笑う。

 それがどうしようもなく耐えられず、見るのも辛くて、彼女に会うことすら止めようとした。

 

 でも。

 これが恋だと気づいてから、オカルンは目を逸らすことをやめた。

 太郎の言葉が頭の中で木霊する。

 

 

 ──自分が好きになった女性(ひと)だ、なにがなんでもはなさない!!

 

 

 昼間から動く危険をおかし、心臓を握り潰されかけながらもゴミの山に埋もれた花の元に駆けつけた太郎。

 命すら顧みない愛の言葉がオカルンの、綾瀬 桃への恋を自覚させた。

 

 彼女が好きだ。

 苦しいばかりの灰色の世界に、溢れんばかりの色をくれた綾瀬さんが好きだ。

 

 だから、絶対に諦めない…!

 

 そんな彼の気も知らず、桃とジジ、2人は幼なじみの距離感で仲睦まじくじゃれ合う。

 夕焼けに照らされる彼女の顔は綺麗で、その顔をさせるのが自分じゃないことが悔しくて仕方がなかった。腹の中がグズついて、自分の情けなさに腹が立つ。

 

 対抗心を顕にジジを見るオカルンは、体の横で拳を握りしめた。

 綾瀬さんと()()()が仲良くするのをどうにか止めさせないと…!!

 …でも、どうやって?

 

 そんなオカルンの前で、ジジは心の底から楽しそうに桃に話しかける。

 

「ねー、モモ〜! 俺、クリオネめっちゃ見たい!!」

「隠れてなきゃそのうち見れんじゃね?」

 

 桃が玄関を開けようとしたその時。

 横開きの扉がガラリと音を立てた。

 

 勝手に開いた玄関にギョッとして桃が手を引けば、開いた扉の縁に小さな白い手がひたりとかかる。

 それがまるで幽霊みたいで、桃は思わず後退りした。彼女がクラッチバッグみたく抱えてるのも妖怪なのだけれども。

 

「おかえり」

 

 ぽつりとした声は寝起きなのか内気なのか、掠れながら小さく響いた。

 座敷わらしのように顔を出したのは、蛍光灯みたいに青白い子供だった。

 

 ちっちゃい背丈を見下ろせば、海藻のようにうねる髪は枝毛なんて無さそうで艶やかに光って潤っている。シャンプーのCMかよ。

 ビー玉みたいな青い目が桃を見ていた。

 やけに真っ直ぐでブレのないその瞳と桃が互いに見つめ合い、気まずい沈黙を天使が通る。

 

「え、誰この子」

 

 しまった。

 桃は見知らぬ子供に引き攣った笑みを向けた。やっちまった、脊髄が喋った。

 

 オカルンみたいに気の弱そうな子にギャルが挨拶無視すんのは違うじゃん、怖がらせたかも。「ただいま」って返せばよかった。

 え、でもマジで誰。記憶にないんですけど。初対面に出迎えられても「ただいま、お前誰?」だろ!!

 

「綾瀬さんも知らないんですか?」

 

 不意の遭遇に毒気を抜かれ、オカルンはメガネをかけ直す。

 

 扉の影に隠れた少年…少女? は、幽霊のようにじっと佇み、等身大の人形みたいに微動だにしない。

 そうして桃の言葉を受けて竦むでもなく、何を考えているか分からない顔でこちらを見ていた。いや、ただぼーっとしてるだけかもしれない。

 オカルンは、それにしても変わった子だな、と思った。

 

 初対面なのに、()()()()()()()()()()()()に真っ先に挨拶するなんて。

 

「オレとオカルン以外にもモモんちに来てる子がいるー! 初めまして!」

 

 ジジがフレンドリーにしゃがむと、子供はそんなジジから途端に目を逸らした。

 恥ずかしいのか人見知りか、扉を盾にほんの少し身を隠す。

 

「ありゃ、怖がらせちゃったかな」

 

 子供が気にしないよう軽い調子で言うジジを見て、桃は内心で大焦りした。

 

 桃に懐くチビッ子は大抵が怖いもの知らずでハナッタレの砂利ガキだ。こんな毛艶の良いおチビちゃんに桃はとんと覚えがない。

 しかしコミュ力の高いジジがダメなら、この大人しそうなチビッ子と桃はやっぱり会ったことがあるはずだった。

 やべえ、全然覚えてねえ。記憶喪失か?

 

 

『桃、オカルン、おかえりなさい。その人体模型はなんですか』

 

 

 桃がうんうん唸っていると、身に覚えのある声がした。扉の影からチラリと目が覗く。

 

「えっ」

「まさか…!」

 

 顔を再び覗かせた子へ何にも知らないジジが柔らかな目尻でニコニコ笑い、人懐っこい丸い声で話しかけた。

 

「なになに? やっぱ知ってる子だった? 君のおなまえなんてーの? オレはジジと申しまぁーす!」

 

「……ヒロ」

『私へのお土産ですか』

 

 小さな声とテレパシーが同時に鼓膜と脳を揺らす。

 

 桃が目を白黒させる横で、オカルンは鼻息荒くメガネをカチャつかせ、興奮で目をグルグルさせた。

 宇宙人が人間に擬態して社会に紛れ込んでいる確たる証拠だ!!

 

 人の姿をしたヒロがゆっくりと瞬きした。





綾瀬家での星子さんとヒロの擬態のやり取りは、原作単行本おまけページ意識。

話の順番的には、桃たち視点でヒロの擬態姿をお披露目後におまけページが入る(妄想)。
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