下層にいたワームが吹き飛んだ。
巨体がぶつかれば積み重なった家は壊れ、土壁が削れて轟音を立てる。
ワームの電撃を間近で浴び、感電して上に1人取り残されていたオカルンにもその光景は見えていた。
ぐわらと家が横に揺れ、屋根に張り付く耳に木材のくぐもった悲鳴が響く。瓦がパラパラ滑り落ちて、雨粒のように奈落じみた底へ吸い込まれていった。
「下が、なんかヤベェ。モモちゃんとジジを、助けねぇと…!!」
痺れの残る体を引き摺り、屋根から転がり落ちる。
四肢を突っ張って着地した彼は、桃たちを探すべく駆け出した。
桃とジジが向かった下へ。ワームを吹き飛ばした
そうして走った先、足裏にべちゃりとした感触がした。暗闇に溶け込む粘着質なソレに足を取られ、つんのめって転びそうになる。
「…萎えるぜ」
目を凝らせば、下層に続く最短の道をドロドロがこれでもかと覆っていた。螺旋の廊下を見上げれば、流れ落ちるワームの粘液は膨大な量であった。
というのも。ワームの頭だけを吹き飛ばすならまだしも、オカルンは先ほど食べられた際に
腹を突き破られたワームはそれ相応の長さを失い、そして落とされた頭付きの胴はそれ相応の体液を垂れ流し続けていた。
回り道するしかない。
下へ向かうべくして、粘液のない奥まった家中へ彼は飛び込み走った。
扉を開ける。横向きの古びた台所だ。駆け抜け暖簾を潜る。反転した廊下だ。駆け抜け逆さの扉を開ける。上階段だ。戻り別のを開ける。埃っぽい物置だ。床下の戸を開ける。上から見たトイレだ。
やべえ、道が分からねえ。
オカルンは迷子になっていた。
急がば回れと人は言うが、常識外れの人外魔境では悪手だったらしい。
泥沼のような有様に勝手に肩は落ち、自己嫌悪と現実逃避に沈む心と裏腹に息を荒らげてオカルンは焦って視線を巡らせる。
暗がりの万華鏡の中は目が回りそうで。走ることしか出来ないくせに、どうしてこんなに不器用なんだと自分を呪いたくなる。
迷ってる場合なんかじゃないのに──!
『此方へどうぞ』
「!」
キンとした頭痛に似た感覚と共に視界がダブる。
思わず目を瞑ればガラリと見えるものが変わった。まるで幽体離脱でもしたように自分を下から見上げる視界の中で、瞼の裏にくっきりと下層へ繋がる道筋が淡く光を帯びている。
オカルンは迷わず走り出した。
「ヒロちゃん、モモちゃんたちは!」
『最下層です。通過可能な道を示します、迅速に救援を』
「無事!?」
『多少は』
距離感を掴めず壁や物にぶつかりながら、オカルンは無秩序の中を駆け抜け降る。
不意に視界が拡がり、家の外部にまで届いた。体勢を立て直したワームが、頭部に筋が浮くほど力を込めるのがオカルンにも見える。
『現在、邪視がジジの肉体を奪い敵対化。目的は人間の殺戮です』
「マジか」
咄嗟に漆塗りの箪笥に隠れれば視界が白光りした。
雷撃が収まればすぐに駆け出し、下り坂の畳を土に汚れた足で踏み荒らす。首の取れたこけしが片隅に転がっていた。
「ヒロちゃんは大丈夫なの」
『お構いなく。危険視すべきは邪視です』
姿の見えないクールな声は端的に物事を告げる。
きっと安全な場所で脱出のための準備をしてくれているんだろう。脱出さえ出来れば太陽光が弱点のワームは地上には追って来られない。
でも、ジジは。
不意にワームの頭が弾けた。
ボオン! と遅れて花火のような音がして、この穴蔵の中を轟音が反響して轟く。
変身で動体視力の底上げされた彼は気づいた。ワームの頭を抉ったのは、サッカーボール程の球だった。
岩壁に跳弾した球がワームへ滅茶苦茶に穴を開け、家を貫通する。球は下に戻る度に勢いを取り戻し、あらゆるものを風穴だらけに変えていく。
穴が増える度ワームの体は大きく仰け反って、まるで四方八方から砲撃されているような、一方的な蹂躙だった。
これが桃ちゃんに当たったら。オカルンはゾッとした。
『急いで』
「最短距離は!?」
『OK.跳びましょう』
視界の端でパッと窓ガラスが光る。
家の外ではワームが体を再生しきれず、岩壁の中に潜って逃げた。次はジジの、邪視のそばに居るだろう桃ちゃんが危ない!
窓ガラスを蹴破り、ガラス片と共に宙を舞う。
光る足場目掛けて落ちれば、落下の勢いは多少の体の痛みだけで済んだ。
視界の共有が解かれ、目を開いた瞬間。
『あの扉内です』
扉の向こうで翡翠色が煌めいた。
壁に叩きつけられる煤けた赤茶色と、それを殴り飛ばした白が目に飛び込む。
みしりと
ワームにすら大穴を開けた呪弾。それを蹴飛ばす間際の邪視と、矢のような加速で飛び込んだオカルンの足と足がカチ合い、鍔迫り合う。
「オカルン!!」
庇った背の後ろで、自分を呼ぶ桃ちゃんの声がした。
それは上擦り震え、今にも泣きそうな声色で。
「てめえ、モモちゃん殴ったな」
目の前の真っ白なジジを、邪視を睨みつける。
「ゆるさねえぜ」
オカルンは数段悪くなった目付きで邪視を眼光鋭く射すくめた。
突然の乱入者に邪視は、急に蝶が体に止まった時のような無垢な顔をして、這い蹲る女を殺すのに目の前の奴が邪魔だと気が付いた。
邪視の器である
オカルトオタクで元は喧嘩もしたことが無い
衝突した足が呪弾と共に唸りを上げて解き放たれ、力負けしたオカルンは背中から床に吹き飛ばされる。
「オカルン!! うわ!!」
「このノロマ! 来るのが遅ぇんだよクソだらあ!!」
浮いた呪弾を邪視が蹴り放つ。
桃とターボババアを抱え、オカルンは壁を走った。邪視と視線が交錯する。
「貴様も人間をかばうか!! 妖怪のくせにのお!!」
「許さねぇぜ、テメェはよぉ」
互いを敵と見なし、睨み合う両者。
「だが逃げる」
しかしオカルンは邪視へ背を向け、逃げ出した。
既に下層は粘液の滝が雪崩込んでしとどに濡れ、正常な足の踏み場も無くなっている。
「やばっ、道なくない!?」
「ヒロちゃん!」
『はい』
視界がダブり、強く目を瞑ると同時に行くべき道が淡く光る。
「そういうことか!」
目を閉じた桃が粘膜の滝に超能力で傘を作り、オカルンはそのトンネルの奥にある道へ走り幅跳びのように一足飛びで飛び込んだ。
逃げた彼らを邪視は目で追った。
怨嗟の声を上げる呪弾がリフティングされ、古代彫刻のような白い肉体がその場で躍動する。そしてワームを貫通する威力のそれが蹴り放たれた。
呪弾は凄まじい威力と速度で四方八方跳弾し、人を殺そうと飛び回った。
オカルンは壁を透視する視界に、ターボババアの身体能力と動体視力で見切り、躱しながら床を蹴立てる。
視界の隅にはワームの頭頂部が刺さっていたであろう場所、粘液の終わりが見えていた。
そして岩壁からちょんと出たワームから噴き出る、この場に降り注ぐ粉雪じみた何かも。
「なにあれ!!」
「毒液だ! このままじゃ毒で全員くたばるぞ!!」
「ヤバいヤバい、早く脱出しないと! ヒロはどこ!?」
しんしんと雪のように音もなく降り注ぎ、この地下空間を漂う物質。それはワームが臀部から吐き出す毒だ。
地中の壁に身を隠したワームは、この空間を脅威たる生物が死に絶える毒液で満たすつもりでいた。
『皆様、こちらです』
「よかった、いた! ねえどーしよ、ジジが───あっ!?」
『あ』
桃が柱の片隅に隠れていたヒロを見つけたその時。
オカルンが床を踏み抜いた。
先ほど呪弾が開けた穴に粘液が覆いかぶさり、その隠れた穴へオカルンがピンポイントに足を乗せたのである。
穴に落ちたオカルンたちは、漁網に捕まった魚のように粘液の中で団子になった。
ターボババアは粘液に塗れて暴れ、こっちに飛んできたヒロが粘液を外から引っ張っている。
「ヤベエぜ」
「何やってんだ、このすっとこどっこい! クソが! ネバネバしやがる!!」
オカルンはターボババアに顔を足蹴にされつつ足をばたつかせた。まるで納豆の池にでも落ちたよう。
「2人とも暴れんなし! いま隙間開けるから!」
桃はオカルンの腹筋に顔を圧迫されながら超能力で粘液の網に手をかけようとして。
妙な異音に、桃は顔を上げた。
「ちょ、なんか建物軋んでね!?」
怒涛の勢いで風穴を開ける呪弾のせいか、ワームがそこら中に開けた大穴のせいか、或いはそのどちらもか。
ミシミシという嫌な音を立て、漆喰にヒビが入り、梁と柱は割れ──そしてその支柱を呪弾が完膚なきまでに破壊した。
塊になって下に落下した彼らの目前にドゴンと天井が落ちる。ギョッと目を見開くその合間にも、あちこちから瓦礫の塊と砂埃が夕立ちのように降り注いだ。
逃げ道を探そうと目まぐるしく視点を変えていたヒロが、淑やかにそっとヒレを畳む。
『墓穴もシェアハウスとは新しいですね』
「このクソ饅頭!! 諦めてんじゃねえぞボケええ!!」
「ヤバいヤバいヤバいって、ぎゃあああ!」
今倒壊した家は上に乗った家々の土台でもある。
土台が崩れればどうなるか? 火を見るよりも明らかだ。
オカルト違法建築により積み重なったタワーは、怒涛の勢いで轟音と土煙を巻き上げ───沈み込むように崩壊した。
□
もうもうと立ち込める土煙が風のない地下を滞留し、山となった瓦礫の破片が不意にカラリと落ちて音を立てる。
そして、瓦礫の山が内側から爆散した。
瓦礫と毒が振る中、ゆらりと立ち上がったのは邪視である。
崩落では怨念の籠った呪いの家は決して破れなかったのだ。
追っていた人間と妖怪は瓦礫の山に埋もれ生死も不明。探し出して殺すよりも、直情的な邪視の殺意は外に移った。
200年の間囚われ続けた地下から飛び出し、全ての人間を殺し尽くさんという衝動が邪視を突き動かす。
家の塔が崩れたことで更に遠くなった天井を邪視は見上げ、足を踏み出そうとして。
『お待ちください、邪視の方』
頭の中に響く、煩わしい声に呼び止められた。
「なんじゃあ、どこじゃ貴様。邪魔立てするならぶち殺すぞ」
邪視の目に映るのは瓦礫の山と、雨の如く降る毒液により収まりつつありながら、未だ立ち込める土煙。
殺気立つ邪視の脳内に、無機質な声は淡々と語りかける。
『ワームによる空気汚染。この液体はあなたにも有害のようですね』
「だからなんだと言うんじゃあ。さっさとここを出ればいいだけのこと」
土煙に紛れながらも、ワームから出た毒液は小雨のようにサァサァと振り続ける。
毒が空気に溶け込んで、声が指摘する最中にも邪視の鼻から血が流れた。
真っ白な邪視の胸に点々と赤が散る。
『ジジの体に悪影響です』
「人間に肩入れするか貴様。今は我の器じゃあ」
邪視は瓦礫を恐ろしいまでの怪力で蹴り飛ばし、殴りつけて吹き飛ばす。声の元を探し出そうとしているのだ。
『その通り。そしてあなたはその希少な器が死んでしまっては困る。そうでしょう』
そんな邪視の脳内へ、知ったような口を利く声は相も変わらず退屈な一本調子だ。
しかしその声に確かな畏怖と焦りが混ざり込んでいることを、邪視は感じ取っていた。
『我々はこの毒が致命的であるか判別できません。器の不調は排除すべき、そう思いませんか』
「グダグダしゃべりおって、イライラするのお。皆殺しにすればどれかは貴様じゃ、まずはこの町の──」
『私が治療しましょう』
毒液の雨を遮る家の塔が崩れたせいか、建物が崩れた勢いで毒と空気が殊更に混ざったのか。一呼吸毎に悪くなる器と、思い通りにならない事を指摘する長ったらしい話。
不機嫌に眦を吊り上げ口をひん曲げていた邪視はその言葉に暴れるのを止め、きょとんと幼子のような顔をした。
『私は地球人へ清浄な酸素を供給することが可能であることも申告します』
『私はあなたにとって有用で、あなたは私を容易に殺害可能です。違いますか』
「違わんのう。なんじゃ命乞いか」
『私はあなたを脅威と認めます』
身の程をわきまえた弱者が媚びへつらって擦り寄るようなそれに気を良くし、邪視は嘲笑う。
声の主はそれを否定するでもなく、粛として肯定した。
瓦礫の隙間から湧き出る水のように溢れ出した青い光と、半透明の液体が渦を巻いて形を成す。
落ちた水が逆戻りするかのようなそれを、邪視は口を半開きにして眺めた。
簡単に握り潰せそうな半透明の珍妙な生物が、愚鈍な鬼火のように邪視の前に浮かぶ。
「
矮小なそれを冷酷に見下し、警告を口にしておきながら。
邪視は目の前のコレを生かしておくつもりは毛頭なかった。
“山の怪” の中へ入るということが命取りであることを、この矮小な生物は知らないのだろう。憐れな自己犠牲の精神だと邪視は腹の内で嘲笑した。
並の人間に邪視が取り憑けば気が触れて体が内側から腐り、溶け落ちて死ぬ。生きたまま腹に入れば同様にタダでは済まない。
邪視の憑依に難なく耐えるこの器が死ぬのは確かに避けたいことで、毒を吸い出せば後は用済みだ。
腹の中に閉じ込めた暁にどれ程
簡単に殺してしまう事もできたが、残虐な邪視はその選択肢を捨てた。
無垢な子どもが虫の両端を指で摘み、ゆっくりと引きちぎりながら虫が足掻く様を観察するように。ぷちりとすぐ潰すより、器の為だとかいう殊勝な態度のか弱い生き物を、邪視は嬲り殺す気になったのである。
『確認です。吸入した毒素を洗浄します。オーラの影響により体内へ直接侵入し治療する必要がございます。少々苦しいですが、宜しいですね』
邪視が返答の代わりに胸元辺りに浮かぶソレを鷲掴めば、半透明の柔い体に指がめり込み崩れそうになった。
上を向き大口を開け、舌を出して頭から迎えてやれば。掴まれ身を震わせ固くした生き物が1つ断りを入れた。
『では、お邪魔します』
邪視に噛み付かれる前に、掴まれていた生き物はパシャリと自ら形を解き、流体となって青い光と共に腹の中へと飛び込む。
軽い息苦しさと、無味の液体が喉元を通過し。
気付けば邪視は瓦礫に頭を打ちつけていた。
何が起きたか分からぬまま、上から降り頻る毒の雨の形がボヤけていく。
足の下の瓦礫が目前にあるのを見て、それでも理解が追いつかず視線がブレる。
異常なまでの疲労感と霧がかった思考を最後に邪視は意識を手放し、一瞬で昏倒した。
土煙が収まり、静まり返った地下空間に青い光がチラつく。
『ジジの応急処置。及び邪視一時鎮圧へのご協力、誠にありがとうございます』
邪視が倒れ伏した空間に、抑揚のない念話が響く。
『我々は嘘を発しません。何故なら、地球人の感情が顔や声に含まれるように、我々は念話に
『故に、我々が虚言を吐くことはありません。発言するその
崩落した下層の外側。
重力に反し浮かび、隠れ潜むクリオネの影が2つ。
コアを煌々と輝かせたその片割れが触角を揺らす。
降りしきる毒液と蔓延する毒霧がぶわりと退き、清浄に保たれた空気の層が瞬く間に完成した。
雨のように降っていた毒液は念の操作から離され───雪のような、ゆったりとした本来の動きを取り戻す。
スノードームの内と外を逆にしたような光景の中。
ヒロは内側からこじ開けた邪視の口にちょんと腰掛け、肺から取り除いた毒を放り捨てた。
『お