慣例に沿って選抜レースを見に行ったその日、私はとあるウマ娘にで出会った。そのウマ娘の名はヒシミラクル。このレースに賭けている真剣なウマ娘達に混じって尚気の抜けた様な佇まいの彼女は、当然ながら周囲から浮いていた。マイペースというか緩いというか。それが気になって重点的に目で追うことにした。
レースが始まり、若駒達がゲートから飛び出していく。その集団の中にあって、ヒシミラクルの顔が変わる。その目は真剣そのもので、さっきまでたはまるで別人。勝とうとする意志がありありと伝わってきた。が、現実はそうはいかない。ヒシミラクルは先頭との差を縮める事ができず、着外に沈んだ。周囲のトレーナーの話によると、既に十回近く出走しているが未だに勝てていないらしい。
「また負けちゃいましたぁ〜〜」
そう言ってにへらと笑うヒシミラクル。いつの間にかレース前の雰囲気に戻っていた。多くのトレーナーが上位のウマ娘に群がる中、彼女は特に何かを零す事もなく校舎の方に戻っていく。ただ、その背中は意気消沈してように見えて、いつの間にか後を追っていた。すると、ヒシミラクルは更衣室等に行くこともなく、校舎の裏側の人気のないエリアに入っていく。何をするつもりなのか思案しつつ校舎の影から覗いてみると、冷水をかけられたような光景が眼前にあった。
「なんでぇ……どうして……」
ヒシミラクルが泣いていた。校舎にもたれかかる彼女の両目からは涙が溢れている。堰を切ったようにこぼれるのは不甲斐ない自分への叱責だ。ウマ娘は走るために生まれてきたとされる。そんな彼女達からすれば、どんなに頑張っても勝てないのは辛いだろう。積もるフラストレーションも相当なもの。一人のウマ娘の挫折を目の前にして、隠れている訳にはいかなかった。
「ふぇ!?だ、誰ですかぁ?」
当然ながら急に姿を現した自分に驚くヒシミラクル。そんな彼女にトレーナーである事を伝え、話を聞かせてくれないかと申し出た。最初こそ警戒していたヒシミラクルだったが、熱意が伝わったのかポツポツと身の上話をはじめた。
ヒシミラクルは幼少期から同世代の中でも走れる子供だったという。その為家族や友人、地元の人達からの期待は高かった。彼女本人も走るのが楽しくて、トレセン学園の門を叩いた。でも、そこに広がっていたのは全国から集められたエリートウマ娘による弱肉強食の世界。我流の走りでは太刀打ちできなかった。自分なりに努力はしたが、勝つことは出来なかった。そうして、入学当初の自信は失われていった。
「ズブいんだって分からされて…わたし…何の取り柄もない…」
「いや、それは違う」
ネガティブの泥沼に嵌りそうなヒシミラクル。流れを変えるべく、独白を遮った。彼女の認識には誤りがあるのだと、君には立派な武器があるのだと語りかける。信じられないという顔のヒシミラクルはマジマジとこちらを見つめた。
「…どうして…そう思うんですかぁ?」
「だって、君は完全に諦めちゃいない」
そうだ、ヒシミラクルは自虐しつつも諦めの言葉を口にしなかった。何度も負けても、次に勝つことを考えていた。さっきの自責だって、自分のいたらない点を見つけて直そうとしていた。諦めないというのは簡単なようでとても難しい。多くの人が理想を追うことを諦めて道から外れていく。でも、それではいけないのだ。勝負の世界で勝とうと思うのなら。
「諦めた奴は勝てない。諦めない奴にしか、奇跡は起こせない」
「奇跡…」
近年のウマ娘レース界でも奇跡は起こった。例えばトウカイテイオー。彼女は数度の骨折を経て、終わったとまで言われた。それでも彼女は諦めず、有馬記念で奇跡の復活を成し遂げた。他にも多くの奇跡があったが、全てに共通していたのは諦めないことだった。
「だから、君はまだ奇跡を起こせる」
ヒシミラクルは大きく目を見開いた。ほんの少しだが、闘志が宿ったように見える。話を聞き終わると、彼女は何か決心したように言葉を紡ぐ。
「トレーナーさん…私の起こす奇跡の手伝いをしてくれませんか…?」
それは小さいながらも、勇気ある第一歩だった。
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宝塚記念。上半期のウマ娘レースの締めくくりにして、中距離のNo.1決定戦とも称されるG1である。ファン投票の上位に入ったウマ娘達による激闘が毎年繰り広げられているが、今年は特に注目が集まっていた。
去年の年度代表ウマ娘である『漆黒の帝王』シンボリクリスエス
GI級6勝に芝ダート両刀の『勇者』アグネスデジタル
前年の優勝ウマ娘・ダンツフレーム
この頃力を付けつつあったタップダンスシチーとツルマルボーイ
この年の春のクラシック二冠ウマ娘・ネオユニヴァース
現役で強者と言われるウマ娘達が次々と出走を表明したのである。メディアはこぞって報道し、「宝塚記念史上、最高のメンバー」などと囃し立てた。そんな華々しいメンバーの中に、担当ウマ娘のヒシミラクルの姿があった。
「来た…来てしまいましたぁ…」
7万を超える観衆の歓声を聞くヒシミラクルの顔はこわばっていた。体も若干震えている。彼女はG1を2勝しているが、いずれも3000m以上の長距離だった。2200mで真価を発揮できるのか不安なのだろう。特にこの豪華メンバーの中では尚更だ。でも、ヒシミラクルは今日の為に猛特訓を積んできた。厳しいが決して張り合えない訳ではない。それに、負けられない理由もある。
「皆の為に、奇跡起こすんだろ?」
「…!!」
どんなに不甲斐ない結果を残してきても諦めなかった、家族や友人・ファンの期待にこの大舞台で答える。それが宝塚記念に登録した理由だった筈だ。それに、ヒシミラクルというウマ娘は強い。それは俺自身が良く知っている。そう言い聞かせると、彼女の震えが止まった。普段の雰囲気が戻ってくる。その足はターフへと向けられる。
「まぁ、微力を尽くします~~」
ヒシミラクルはそう言ってにへらと笑った。
『史上最高の宝塚記念、スタートしました!!』
ゲートが開き、ウマ娘が飛び出していく。ヒシミラクルは中団の後方に陣取った。二人で話し合った秘策はシンプル。それはスタートしてからすぐにロングスパートをかけ、前方への進出を始めることだ。彼女は酷くズブい。トップスピードに到達するのが遅いので、長距離でないと真価を発揮できなかった。ならば、序盤からギアを上げてしまえばいい。ステイヤーとして優秀な彼女ならスタミナの心配はしなくて良いのも大きかった。結果としてヒシミラクルは外からじわじわと位置を上げ、先頭から数バ身の距離感で最終コーナーに侵入する。
『タップダンス先頭だ!内内から年度代表ウマ娘!シンボリクリスエスも追ってきた!』
「使命を遂行する――――!」
「ハッ!!帆の張りがいがあるってもんだ!」
「ネオユニヴァース、”コントローラブル”」
競り合う猛者たち。そんな中で徐々にスピードを上げていく白い影。どうやら、かけには勝ったようだ。その目には、確固たる勝ちへの執念がある。
『来る!来る!ヒシミラクル!!来た!!』
「ようやく暖まってきましたぁ~~!!」
その確かな足取りは、スピードが鈍りつつあったタップダンスシチーとシンボリクリスエスを追い越し、先頭に躍り出る。ほっとしたのも束の間、ツルマルボーイが追いついてきていた。明らかに向こうのスピードが一回り早い。それでも尚、ヒシミラクルは諦めなかった。
「やあああああああああああああああ~~~!!!!!!」
ゴール直前でスピードを上げた彼女の体が僅か首の差分早くゴールを通過した。大観衆の歓声とどよめきが阪神レース場を埋めつくす。
「やったぁ~~!!トレーナーさん~~!!!やりましたよ~~~!!!」
へとへとになりながらも駆け寄ってくるヒシミラクルの顔は、とても晴れやかだった。抱きとめると、どや顔でサムズアップをしてくれる。今日ばかりは目いっぱい褒めてあげなければなと思った。彼女は当初の目標通り、『奇跡(ミラクル)』を起こしたのだから。
抱き合って喜ぶウマ娘とトレーナーに目を向けつつ、シンボリクリスエスは空を仰いだ。
「……Inexperienced――――――まだまだ――研鑽が必要か」
最後の直線。序盤までは十分な出来だった。でも、最後の最後でスピードを維持できなかった。今後どうしたものかと思案していると、タップダンスシチーが近寄ってくる。
「フン―――ロマンじゃねぇか」
「―――――ロマン?」
「アイツの起こしたドでかい嵐…あれをロマンと呼ばずして何て呼ぶんだ?」
その目はヒシミラクルに向けられ、視線が揺らぐことはない。このレースを以てヒシミラクルもまたライバルとして明確に意識したということか。その表情は新たな強敵を見つけた故の高揚がありありと見て取れる。
「アンタもせいぜい気をつけろよ?気を抜けばアイツの荒波に飲まれちまうぜ?」
そう言い残すと、タップダンスシチーは去っていった。成程。秋の三冠を目指すうえで、ヒシミラクルは考慮するにあまりある。
「―――――――次は……勝つ」
シンボリクリスエスの胸に新たな熱が灯った瞬間だった。