杏山カズサと先生が純愛してるだけのお話   作:かぴい

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杏山カズサが好き好き大好きなので書けるだけ書いていきます。


甘い香り

 夜のシャーレは、昼間の喧騒が嘘みたいに静かだ。机に散らばった未処理の報告書や、ちらほら残るモニターの光も、今となってはどこかぼんやりしていて。窓の外に広がる夜景が視界に入るたび、今日一日の疲れが一気に押し寄せてくる。

 正直、忙しかった。いや、忙しいなんて言葉じゃ足りない。ミッションの調整に書類仕事、シャーレに持ち込まれる大小の相談事まで――全部処理してると、本当に頭が沸騰しそうになる。たまには、一人でゆっくり休ませてくれないかなって思う。けど、まぁ、こういうのも私の仕事のうちだ。

 

「ふぅ……」

 

 シャーレ当番が終わった安堵と疲れを込めて、思い切り息を吐く。その音が、静かな室内でやけに響いた。

 

 ソファに腰を下ろすと、隣には先生が座っている。いつものことだけど、何を考えているのか全然わからない、のんびりした顔だ。あの人もあの人で、忙しいはずなのに、こうして最後まで付き合ってくれるんだから、本当に変な人。でも、そんな不思議な安心感……嫌いじゃない。

 いや、むしろ、こうして何も考えずにぼーっとできるこの時間、ちょっと好きかもしれない。

 まるで、袋を開けた瞬間にふわりと広がる甘いお菓子の香りみたいに、何気ない安心感が心に満ちていく。そんな穏やかな時間を楽しんでいると、不意に、先生の声がその空気の中にそっと溶け込んできた。

 

「今日のカズサ、いつもよりいい香りがする」

 

 ……ん?

 

「…………は?」

 

 思わず声が漏れた。しかも、めちゃくちゃ冷たいトーンで。いやいや、何でいきなりそんなこと言うの? 先生が突拍子もない発言をするのは日常茶飯事だ。けど、これはさすがにライン超えじゃない?

 

「いい香り」って何? すっぴんが可愛いとか耳の毛並みが綺麗とか――それくらいなら聞き流してたけど。いや、まさか……香水のこと?

 

 ふと、自分の首元を意識する。買ったばかりのホワイトチョコがベースの香水。今日初めてつけたけど、特に深く考えずにつけただけだし、そんなに目立つものでもないと思ってたんだけど……むしろ何でそれをわざわざ口に出すの?

 

 ――っていうか、他の生徒にこんなこと言ったら一発アウトでしょ、普通に考えて。

 

 まぁ、私にくらいなら、ギリギリ言ってもいいけど? 私と先生の仲だし。……とはいえ、そんな恥ずかしいことを素直に認められるほど、私は可愛げのあるタイプじゃない。ここは、とりあえずお決まりの台詞でごまかしておこう。

 

「先生、気軽にそういうこと言うと……勘違いする子が出て大変なことになるよ?」

「カズサにしか言わないから大丈夫だよ」

 

「わかったらそういうのは言わないように……」と言いかけて、ふと気づく。

 

「ん?」

「カズサだけだよ」

 

 ……何を言ってんだこの人は(襲われたいのかこの人は)

 

「あ、の、ねぇ!」

 

 完全にペースを乱されて、思わず顔が熱くなるのがわかった。どうしてこんな無防備なことを平気で言えるんだろう。いや、むしろ私に対してだけ言ってるとか、それを堂々と宣言するって……。

 

「先生、マジでどうかしてるでしょ!」

 

 目の前でのんびりした顔をしている先生に、じわじわと込み上げる何かを抑えつけながら声を張り上げる。いや、これ、さすがにおかしいでしょ。いくら鈍感、変人、朴念仁の三拍子が揃った先生でも、今日の発言は距離感を図り損ねすぎ。むしろ、そこまできっちり外してくるの逆に才能だと思うけど?

 

 さすがに確認しないと気が済まない。お互いの足が軽く触れるくらいまで距離を詰めて、先生の顔をマジマジと見つめる。くっ……いや待て、違う。冷静になれ私! 本当にいい顔してるとかそういう話じゃない! ……いや、これも違う、隈だ。瞼にくっきり刻まれた苦労の証がハッキリ見える。

 ……こんなに疲れた顔で、何言ってるんだこの人は。

 

「カズサは本当に綺麗で、可愛くて、いい香りがして、素敵な子だなぁ」

「……はーい、先生?今日で何徹目ですかー?」

「3徹目、かな!」

「寝、な、さ、い」

 

 清々しい笑みを浮かべる先生の頬を左右に引っ張ってやる。……まぁ、こんなことだろうとは思ってた。明らかにおかしな言動の正体は極度の疲労と、それによって生み出されたナチュラル・ハイだ。

 

「ほら、休憩室、行くよ?」

 

 先生の胴に腕を回し、ゆっくりとソファから立たせる。予想はしてたけど、自分で立つ気力もないのか、ほとんど体重を私に預けてきた。

 

「んぁ……カズサの香りで満たされた……」

「このまま締め上げてあげようか?」

「じょ、冗談です……」

 

 ……疲れてるからって、調子に乗りすぎでしょ。この人、本気で自分の状況わかってないんじゃないの?

 

 私はため息をつきつつ、先生を引きずるようにしながら執務室を出る。夜のシャーレは人影もなく、非常灯がかすかに廊下を照らしているだけだった。響くのは、私たちの足音と、少しだけ不規則な先生の呼吸。

 

「でも、本当に今日のカズサはいい香りがするね。なんというか、甘くて美味しそうな香りが……」

「香水だよ。グルマン系の」

「ぐ、ぐるまん……?」

「香水の中でも、お菓子みたいな甘い香りがする種類をグルマン系って言うの。今日つけてるのはホワイトチョコがベースのやつ」

 

 なんでこんな説明してるんだろう、私。自分でも不思議になるけど、疲労のせいで妙に素直に答えてしまった。

 

「ホワイトチョコか……いいなぁ」

「何がいいのよ」

「なんか、甘くて幸せな感じがする」

 

 ほんとに何言ってるんだ、この人。私はもう返事をする気にもなれず、肩を貸したまま足を進めた。

 

 ◇

 

 休憩室に着くと、私は先生をベッドに座らせてブランケットを引っ張り出す。部屋の中はほんのり暖かく、静けさに包まれている。まるで、お菓子の箱の中にいるみたいだ――って、何を考えてるんだ、私。

 

「先生、靴脱いで」

「うん……」

 

 言われるがままに靴を脱ぎ、そのままベッドに横たわる先生。いつもはどこか余裕があるのに、今はただ疲れた顔でブランケットを握っている。それがなんだか、少しだけ無防備に見えて――

 

「……まったく、世話が焼けるんだから」

 

 小さく呟いて、私は隣の椅子に腰を下ろす。ぼーっとしていると、ふと甘い香りが漂ってきた。首元の香水だ。買った時は気づかなかったけど、こうして一日の終わりに感じると、なんだか妙に心地いい。

 

「カズサも疲れてるでしょ……横になればいいのに」

 

 先生のかすれた声が聞こえた。

 

「……ねぇ先生。そんなこと言う余裕があるなら、まず自分の疲れを何とかした方が良いと思うよ」

「でも、カズサが隣にいてくれると安心するんだ」

 

 その言葉に、胸が少しだけぎゅっとなる。言葉の真意なんて、きっとこの人自身もよくわかってないんだろうけど――やっぱりズルい。

 

「……仕方ないな」

 

 私はブランケットを軽く持ち上げ、先生の隣に潜り込む。先生が思ったよりもすぐ近くにいて、香水の香りがさらに濃く漂う気がした。

 

「カズサ、甘い香りっていいよね」

「……私は好きだけど、どうして?」

「だって、なんだかホッとして……美味しそうだし……」

 

「美味しそう」とか言われて、妙に恥ずかしくなるのは何なんだろう。顔が熱くなるのを隠すように背を向けると、先生がほんの少しだけ笑った気がした。

 

「おやすみ、カズサ」

「……おやすみ」

 

 甘い香りに包まれながら、静かなシャーレの夜が更けていく。

 

 ◇

 

 目を覚ますと、隣にいるはずの先生がいない。代わりにベッドの端に、雑に置かれたメモが目に入る。

 

「ありがとう」

 

 たったそれだけの簡単なメッセージに、思わずため息をついた。これじゃ、昨日の夜のことなんて、ほとんど覚えてないだろう。あれだけ甘いことを言っておいて、きっと全部疲労のせいだったってこと?

 

「あの人、何してんのよ……」

 

 気持ちを落ち着けるために軽く息を吐いてから、私は廊下を進む。朝のシャーレは少し冷えていて、足音が静かに響く。執務室に近づくと、いつものように忙しそうに仕事をしている先生の姿が目に入った。

 

「ちょっと先生、昨日のこと覚えてる?」

「昨日?」

 

 振り向いた先生の顔には、まったく心当たりがなさそうな表情が浮かんでいる。

 

「ホワイトチョコの香水とか、隣で寝たとか……何か覚えてないの?」

「あ、ホワイトチョコの香水? カズサ、そんなのつけてたんだね。いい香りだとは思ったけど……」

 

 ――ダメだ。この人、完全に覚えてない。

 

「……もういい。仕事、頑張って」

「え、カズサ? どうしたの?」

 

 私は先生を振り返らず、足早にその場を去った。怒っているわけじゃない。ただ、なんとなく悔しかっただけだ。甘い香りに包まれたあの夜が、私だけの記憶になってしまったみたいで。

 

「ほんと、世話が焼けるんだから……」

 

 そう呟きながら、私はいつもの業務へと向かう。甘い香りが、まだ少しだけ心に残っていた。

 

 ◇

 

 カズサが去って静かになった執務室で、ふっとため息をついた。デスクの上に置かれたペンを無意識に転がしながら、誰に聞かせるでもなく、呟く。

 

「ダメな先生だな、本当」

 

 昨夜のことは、全部覚えている。隣に横たわるカズサの香りや、少し赤くなった彼女の顔、それに「仕方ないな」と言いながらも隣にいてくれた温もり。全部、鮮明に。

 

「でも、言わないほうがいいんだろうな……」

 

 彼女の反応を見ていれば、そんなことくらいわかる。あのツンとした態度の裏で、ほんの少し照れているのも――。だけど、ここで「覚えてる」なんて言ったら、カズサは間違いなく怒るし、そうなったら何を言われるかわからない。

 

「……ほんとに、甘すぎるよ」

 

 鼻先に残るホワイトチョコの香りが、昨夜の記憶をいやでも呼び起こす。その甘さが心地よくて、それが少しだけ切ない。

 いつか、私はこの想いに向き合わなければならない時が訪れる。その時、私はどんな立場で彼女と向き合うのだろうか。

 

 静寂の中で息を吐き、転がしたペンを手に取る。そして、シャーレに戻る喧騒を迎える準備を始めた。

 

 今はまだ、これでいい。

 

 




カズサの絶妙な距離感を書くのが難しい…
キャラストとイベストを隅々まで見てより高い質感を目指します
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