ウィキッドという人物 作:ーーー
小学校での私は何もされることのないように、極力目立たないように振舞った。授業で当てられたり、そういった時はそつなく答えてすぐ席に戻り、帰りは誰よりも早く荷物を纏めて孤児院へと帰った。
それでも虐めが治まることは無かったし、頻度は減ったものの呼び出されて殴られることもあった。
けれど、子どもというのは歳を重ねるごとに狡猾になっていくものだ。明らかに外見に残る傷は避けるなど、虐めの内容はすぐには分からないようなものに変わっていった。水をかけられたり、物を隠されたり、靴に画鋲を仕込まれたりなどだ。
孤児院の大人は、私の作法がもう間違っていないことを見ると期限を悪くすることは無くなった。それでも時々怒鳴られることはあったし、幼い私はそれに怯えていた。
そして数年が立つ。
小学6年生にもなれば、中学校の受験勉強の為に虐めに加担する人間は少なくなっていた。頻度も更に減り、痛みの伴うものは本当の意味で無くなった。
恐らく、もう虐めているとも思っていなかったのだろう。私を使って笑いを取るような、そんな軽い気分だったと思う。漫才の道具か何かに利用するように、私の物を奪ってからかってすぐ返したり程度の軽度なもので、気が楽になったのも確かだ。
けれど、私はその日抑えていたものが破裂した。六時間目が終わり、荷物をまとめていた時に、それはあった。
「茉莉絵、明日放課後になったら校舎裏来いよ」
「…私が、ですか」
「絶対だぞ」
授業が全て終わってさあ帰ろうという時間になって、後ろから耳打ちをするように男子から言葉をかけられた。去年まで虐めの中心人物だった子だ。
呼び出しということは、暴力を振るわれるのだろうか。久しぶりに呼ばれたし、呼ばれた時は決まって殴られるだけだったからわかり易かった、
父親の拳と違って腰が入っていないから威力も無いし、満足するまで付き合ってやればすぐに終わる簡単な相手だったと思っていた。
「俺さぁ、ヒーロー志望なんだよ。ヒーローって強え個性使ってるじゃん」
「はい」
怪訝な表情をひた隠し、ただ返事をする。その子の個性は衝撃波。勢いのある動きをそのまま、様々な形の衝撃として打ち出すもの。自慢をしていたからよく覚えている。
「わかんだろ。今から個性の使い方マスターしときゃ、あの“雄英”だって夢じゃあねー」
「…それって」
わかりやすい話だ。私のことを、体のいいサンドバッグに仕立てあげようとしている。
「そーいうわけだからさ、俺の
その子が殴りかかってくる。
そのまま殴り続けられていれば、いつか終わるから、私はいつも抵抗しなかった。けれど、その拳が眼前にまで迫ってきた時、死を直感した。手加減をしていない、全力の一撃を試そうとしている。後にどうなるかなど想像もしないまま。
だから、私の中でずっと押さえつけていたはず
膝をつく。
仰け反りながらも掴んだその子の腕が、じわりと熱を帯びていった。
私はそれを感じて手を振り払い、少し離れた。その子は私を更に追おうとするが、自分の掴まれた腕がおかしくなっていると気付いて足を止める。
「ぁ…あ? ど、え…何が…熱っ!?」
私が貰った“個性”が何なのかは聞いていなかった。個性にも色々種類があるらしいが、それすら一切の説明もない。先生からのプレゼントというからには、きっと凄いものなんだろうと漫然と思ってはいた。
ふと硬いものを握りしめている気がして、親指を強く握りこんだ拳に押し当てた。
「いっ…ぎゃああぁぁぁぁあああッ!!??」
大きな破裂音。少年の悲鳴。
教師が駆けつけた時、血みどろの校舎裏の中に、蹲る男の子と立ち尽くす私がいた。
何も無かった無力な私に、初めてその姿を見せる<個性>という力。それは男の子を見下すように立つ私に得も言われぬ高揚感と全能感、そして強い感謝を抱かせた。
遅れて駆けつけた教師は
水口茉莉絵。速やかに相談室に来るように。
自分の名前を呼ばれた私は、その直前に出てきた元いじめっ子のクラスメートと目を合わせ、そして相談室に入る。
中で、二人の教師が座っていた。片方は私の担任の若い女の先生。今年赴任してきた人だから、私の虐めは知らないはずだ。
もう一方は学年主任。特に関わりもない。
主任の方が私の事をじっと見つめ、そして口を開いた。
「水口。お前、虐められていたのか」
「…? はい」
知っていたのかと思いながら首肯するが、聞き方といい同情を向けるような表情といい、認知してはいなかったようだ。もとより隠す理由も無いし、呼び出されていたらしい面々を見るに虐めは主任に露呈していたと思っていた。しかし実際には知らなかったふうな口調だった。それはあくまで<知らなかった>で通すつもりなのかはわからない。
「○○○の事だが、お前は何もしていないんだな」
「何もしてません」
同じく首肯する。どうやら搬送していった先生は電話か何かで主任にあらましを伝えていたらしい。
「腕が無くなったっていうのは、今どき個性暴走でも中々見かけん。あれの個性の事は知っているが、そんな威力にも思えない。お前じゃないんだな?」
「…まさか、疑ってるんですか? 私は虐められていたんですよ。それに私は無個性、個性を持たない人間です」
私は反論する。個性を持たない人間が何の準備も無しに、人の腕を軽々飛ばせるような威力の何かを用意することは出来ない、向こうもそう思っていたらしい。私に降りかかると思っていた質問は、意外にもその一つで終わった。
「茉莉絵ちゃん、虐められていたんだね。先生、言ってくれたら力になったよ…」
担任がそう言うのを聞いて、心の中では笑いを抑えるのに精一杯だった。完璧に取り繕いながら席を立ち、扉に手をかける。
「先生、言ってもどうにもならないから言わないんですよ。それに私はもう大丈夫です。では」
引き戸を開け、廊下に出る。聞き耳を立てていたのだろう数人の生徒と目が合い、ニコリと微笑みを返して相談室を後にする。怯えたようなどよめきを背に私は帰路についた。
それから数ヶ月の間ずっと、誰にも絡まれることは無かった。おかげでゆっくりと帰れたし、帰ったあとは受験勉強や個性の研究に没頭できた。
発動条件は、物に触れた上で自分の手の中のなにかを押す。それだけだった。
触れたものが熱を帯びるのは、個性が機能している証拠のようだ。親指で手の中の…スイッチと仮称するとして、そのスイッチを押せば熱していた部分が爆発する…そんな感じだ。
早い話が、触った部分に爆弾を設定できる個性だ。言うなればリモート爆弾みたいなもので、これ以上細かいことはわかっていない。
その日も、私は孤児院の倉庫裏に隠れて個性の研究に没頭していた。しかしその最中に私の事を呼ぶ声が聞こえ、個性の使用を中断した。服についた土を手で払い、如何にもそこにいましたよとばかりに後ろから姿を見せる。
「どうかしました?」
「…水口、いつもの電話だぞ。 …チッ。誰だか知らんが電気代もタダじゃない。早めに切れ」
「……ありがとうございます」
用事はそれで終わりらしい。嫌味ったらしくグチグチと言葉を重ねる大人から受話器を受け取り、電話を代わる。向こうの相手はいつもと変わりない、恩人の先生だった。
「お電話代わりました、水口です」
『見てたよ茉莉絵。個性を使ったんだね』
「先生、どうしてそれを?」
個性を使ったことは誰にも聞かれていないし、あの時私を加害しようとしていた男の子以外には、見られていない。まして私がそんなヘマをするとも思えない。それはつまり、先生の個性を使った伝聞である可能性が高いのだろう。
『それは、聡明な君なら答えも出るだろう。 …どうだい? 僕の送った個性は』
「凄いです。これが個性なんだって思って…」
『そうかい、そうかい…うん、いいね。中学校はどこに行くのか決めたのかい?』
「いえ、まだ決めてません」
それなら、と先生は続ける。
『どこでもいいから、中学校は通いやすいと思う場所に入るといい。お金は工面してあげよう。その代わり、君にやってもらいたいことがあるんだ』
「先生の頼みなら、何でも」
大きな借りの一端だけでも返すことができる機会だ。〈何でも〉という言葉に嘘偽りは無い。それを聞いた先生は低く笑い喜んだ。
『ああ、君はそう言ってくれると思っていたよ』
「先生に救けてもらった命です。これが恩返しになるなら、いくらでも」
『…そうだね。君は僕に恩がある』
そして先生は続けた。
『茉莉絵。君には、ヒーローになってほしい』
それが私のオリジンだ。
◇◇◇
時は経ち、早くも中学校三年生。
電車通学で一番近い折寺中学校に通って既に二年が経ち、友達…というよりは、比較的喋る付き合いの人間関係が構築されていた。
「水口さん!」
「あ…守田さん」
二年生になって出来た情報通の守田 鳴子だ。校則で禁止されている予鈴前スマホとSNSの二冠を同時達成しているチャレンジャーで、ネットにずっぷりハマっているネット中毒者でもある。
「聞いた? ヒーロービルボードチャート、更新されたって!」
「この前も言ってませんでした? またオールマイトが1位で───」
私と鳴子が言葉を交わしている時、横から疑似餌を垂らされた魚のように食いついてきたのは、同じクラスの緑谷 出久……いじめられっ子だ。
「凄いよね! 今期も
「あ、緑谷さん。おはようございます」
見ての通り重度のオールマイトファンで、いつだかスマホの待ち受けをこっそり覗いたらびっしりとオールマイトの巨体が壁紙に設定されていたし、休み時間にはノートにぶつくさ言いながら何かを書き込んでいた。
コミュ障という言葉が似合うどもり具合だが、多少話したい事はわかる、そんな相手だ。
なにより緑谷は無個性でありながらオールマイトに強く惹かれているのだろう。
「あ、うん…。 ぉ…おはよう…水口さん…」
彼の中の基準がオールマイト第一だからだろう。私に話しかけた瞬間にあまり関わりの少ない相手に話しかけたと気づいたのか、しりすぼみになりながら挨拶を返してくる。
緑谷は無個性。
つまり昔の私の同じで、彼も私に似て個性がない事が原因で虐められている。その虐めてくる相手というのが学年でトップの成績・強個性持ちと、正に勝ち組街道を歩く金髪の少年、爆豪 勝己だ。
爆豪は緑谷の事をちらりと一瞥し、その眼力だけで緑谷を萎縮させると、そのまま取り巻きとの話に戻る。私と鳴子はその様子を見ていた。鳴子はあまり一連の流れが気に食わないらしく、露骨に目を細め顔を顰めている。
「よくやるよねー。小学校からの付き合いらしいけど、昔からずっとあんななの?」
「何か言ったかメガネ」
「あ、ひっどー!」
口を膨らませて抗議するが、爆豪はもう聞く耳持たずだ。鳴子は予鈴が校舎に響いたのを聞き、すぐにスマホをポケットにしまう。バレないコツは常時マナーモードにすることらしい。
遅れて教師が入ってくる。
「はい、六限目始めるぞ。起立〜」
教師の言葉で退屈な授業が始まった。
◇◇◇
新三年生にもなれば、中学校の生徒達をまとめあげる上級生としての自覚を持とう、と教師は言った。
だけど、三年生と言っても14歳、青臭いガキと言わざるを得ないのが本当のところだ。噂話で騒ぎ、好きな物事や人物で話が盛り上がる。ホームルームが始まるまでうるさいったらない。
だが、三年生になれば少なからず進路を決めなくてはならない時期に入る。学生というものが学校という狭い世界で生きる都合、そういった話題には事欠かない。
特に隣の席でスマホに何かを打ち込んでいる鳴子は、その手の情報には目がない学年のご意見番的存在である。ひとえに彼女の情報が早いことが理由であり、彼女の持ち寄る噂話で少なくない人数が救われていた。
例えば次の授業で抜き打ちテストがある事を教えたり、購買の新メニューの内容のリークを行ったりなどだ。
「水口さんは、どこ受けるの?」
スマホの画面が気になるのか、視線を逸らさずに話しかけてくる。私も本を読み腐りながら適当に返した。
「ヒーロー科があればどこでも、ですね」
「えっ、ヒーロー科受けるの!?」
鳴子の驚いたような声が響く。ヒーロー科を受けるのは殆どの生徒がそうなので、本来であればそれはさほど気にされる話題では無い。問題は、それがある程度立場のある人間の声であるという点。
鳴子が驚く程に意外な人物という結論に至った数人の生徒が、私の事を見る。そのうちの何人かは私に話しかけてきた。
「水口、ヒーロー志望なんかよ!」
「えー、意外! いつもお淑やかでなんかお嬢様っぽいし、荒事向かないと思ってたけど」
面倒になって表情を作る。うっすらと微笑みを浮かべて困り眉をつくってやれば、多少は雰囲気に引っ張られて聞き手に回ってくれる。
「ええ、まあ…昔からヒーローは憧れだったので。それに
「え、誰誰? 気になる!」
「えっと…秘密です」
「秘密って…そういうのいいねぇ〜」
多少の真実を練り込んでやれば、どんなに頭の回る人間でも大抵は嘘を信じさせられる。そこに私が含み笑いを持たせてやれば、男子は簡単に疑いを捨てる。
女子とも特別仲が悪い訳では無いから、これ以上深いことを聞いてくることは無いだろうし、もちろん聞かれても答える気は無い。
時計は3時を差している。教師が来れば、どうでもいい事を少し聞いて、それで帰宅だ。本を斜め読みしながら教師を待っていたところに、鳴子が興味を示したらしい。
「あれ? 水口さんもラノベ読むんだね」
私が本を読んでいることが珍しく写ったようだ。彼女から言葉が飛んでくる。たまに、本当に少し嗜む程度ですですけどね、と僅かにはにかんだ笑みを覗かせながら返す。
意外だったのは、そこに鳴子が自分のスマホを見せてきた事だった。中身は文章の羅列…早い話が小説だ。
「あれ…電子書籍? 守田さんも読んでるんですか?」
「あー…いや、これ……私の、なんだよね」
若干目を見開いて驚く。
自作の小説を見せる?しかも私に?
少しスマホを借りて、ざっと流し読みをする。見たところ主人公が自身に突然降りかかる幸運で終始いい思いをするような…ありがちな展開のものだ。
「うんうん。 あ…この主人公の子って、もしかして守田さんです?」
「あ、やっぱバレちゃうかー! 実はそうなんだよねぇ」
〈ネクラな性悪女子高生の私がサイバーゾーンでハチャメチャしちゃうゾ〉…よく見ればありふれているかは微妙なタイトルだが、周囲の人間と打ち解けていると思う鳴子がモデルだとすれば、この内容は自分がやりたいことの投影だろうか?
「あ、これ1話か…続きはありますか?」
「え…? お、面白かった!?」
「ええ、今読んでるこれよりは、よっぽど」
ライトノベルを机に置き、スマホを鳴子に返す。もちろん褒め言葉なんていうものはすべからくお世辞に過ぎない訳だが、鳴子はこれでもかというくらい喜んでいた。
「やっ…た〜! なんか自信出てきた!」
大手を振って感動をアピールしている鳴子を尻目に、教師が入ってきて教卓に立つ。
「はいはい、携帯しまえよ〜」
半ば見過ごされるようにスマホをしまうところを見届けた教師は、全員にプリントを配る。見ると、大きく進路希望書と書かれている。
「ちょっと刷るのに時間かけちまった。ま! お前ら皆、大体ヒーロー科希望だよね」
「せんせェ!「皆」とか一緒くたにすんなよ! 俺はこんな
「そりゃないぜカツキ!」
「モブがモブらしくうっせー!!」
左耳を塞ぎ、大声を逸らす。わざわざ聞いてやる道理も無い。教師の曰く、爆豪
雄英というのは毎年数多くの優秀な人材を排出しているという国立高校であり、天下の雄英と渾名されるだけあって偏差値も倍率も非常に高いといい、毎年多くの受験生が玉砕しているらしい。
当然私も受けているが、そらはあくまでもどんな内容の試験が行われるかの様子見と、自分の学力を確かめておきたいだけ。
滑り止め受験はもちろん、第三志望まできっちり埋めている。何より〈先生〉にヒーローに成れと言われた以上、取るのはチャートにランク入りする高位のヒーローの座であるし、その為の努力は惜しまないつもりでもある。
何より数日前に鳴子の話を聞いた通りでは、雄英の試験は学力と運動能力の双方を見るらしいから、本命なのは学力である。
「ね、水口さん」
「はい?」
「水口さんも雄英?」
「…? はい、そうですけど」
「ひゃ〜、すご…」
鳴子からの質問を返しつつ、プリントに記入しようとして───
「あ」
教師が爆弾を投下した。
「そいやあ、緑谷と水口も雄英志望だったな」