ウィキッドという人物 作:ーーー
無事に合格を勝ち取った十日後の月曜日。
中学校へと足を向けた私は、校門から少し前の通学路で緑谷と鉢合わせた。
「…あ! 水口さん…!」
「ああ、緑谷さん。おはようございます」
私は普段の態度と変わらないように務め、笑顔を押し出して会釈をする。だが、そこまでやって失敗したと思い至った。私は仮のではあるが養父を亡くしている。彼がどこからかその情報を得ていないとも限らない。
しかし心配は杞憂に終わったようだった。
「う、うん。おはよう…!」
流石に二駅も三駅も離れているような所の火事に関心があるほど情報に敏感な人間はそういない。もちろん情報命を公言している鳴子を除けばだが。
その予想は外れなかった。
教室に入ったばかりの私に甲高い声が叩きつけられた。思った通りの展開だ。声の主は鳴子だった。
「水口さん、大丈夫だったの!?」
「え?」
自分の席に座って早々に、鳴子は捲し立ててきた。どこかで事故のことを聞いたのだろう。耳聡い女だ。出火から十日も経てば誰かしらあの事故のことを認知する輩も出てくるだろうとは踏んでいたが、それに言及してきた人物は予想を裏切らなかった。周囲の同情の目が集まってくるのが鬱陶しい。
「えー…って、火事だよ火事! 見たよニュースで!」
「ああ、その事は…」
「あ……ご、ごめんね……」
「いえ──大丈夫です。お気になさらず」
私は苦しそうな顔を浮かべて鳴子の事を牽制する。流石に彼女も聞いていいこと、悪いことの区別はついたらしく、咄嗟に口を噤んで、一言ごめんね、と謝ってきた。
もちろん表面上は許す。別にあの家が燃えたことそのものは気に留めてすらいない。邪魔な男が一人、焼け死んだだけの話だ。
だが、財産が消失したのは話が別だ。私の計画ではキッチンだけがまるまる吹き飛び、子ども部屋には被害が及ばず家財は無事…少なくともそういう威力のつもりだった。
原因は、考える以上にガスが蔓延していたのが原因だろうか。私が描いていたのは、あの男が可燃性ガスを貯蔵していたボンベの栓を誤って緩め、これまた誤ってコンロの火を付けようとして着火───そういうシナリオだ。
けれどイメージ以上の延焼が起きて、家は焼け尽きた。そのせいでPCやモニタ、その他機材のほとんどが焼失してしまった。
特にPCには、今まで作ってきた楽曲や投稿してきたデータが残っているはずだった。歌詞や楽譜はまだ頭の中に残ってはいるが、再現するのは相応に骨が織れる。
私ほどの才能の塊がこのまま消えていくのは、私の曲を待つ数多の見知らぬリスナーにとっての不利益と言えよう。
ちなみに、色々と不安定な時期に作った傑作曲は何本か動画サイトに投稿しているし、再生数は五千回を超える程度とさほど多くないが、固定ファンからは概ね好評だ。
……なんて、そんな事を考えている間に、鳴子の脳は本題に引き戻されていたらしい。聞いてくるのはやはり予想通りの事だった。
「そういえばさ、雄英ヒーロー科どうだった!? やっぱ受かったの?」
「え? うーん、こういうのって言っていいのかわからなくて。先生は知ってると思います」
ノンデリな質問をのらりくらり躱すが、まさに合格したと言わんばかりの言い方に鳴子はきゃあきゃあと色めき立つ。その反応も当然で、この折寺中学校からは過去一度も雄英高校の合格者を排出していないらしい。
だからこそ、今年度に限ってはこの学校にとっての奇跡が有り得る。私と爆豪の、二人同時の雄英進学の可能性が。
「じゃあ、じゃあ、緑谷くんは!?」
「えっ、ぼ、僕!?」
同じく着席していた彼に飛び火する。戸惑いながらも拳を握りしめて、緑谷は堂々と言い抜いた。
「うん。したよ…合格!」
その言葉に驚いたのは鳴子だけではない。いつの間にか話題の中心となっていた私たちに、クラスのほとんどが耳をそばだてていたのだ。その中には、私も含まれていたし、緑谷の言い放ったセリフには何よりも驚かされた。
「緑谷が!?」
「ゴーカクゥ? うそだぁ〜!」
緑谷に投げかけられる言葉の中に、純粋な褒め言葉はなかった。信じられないことを聞いたような驚愕の声や、嘘だ、信じられないといった否定の声だ。
かく言う私も表に出さないだけで到底信じられない。受験前の自信溢れる表情から、何かしら策があって臨んだのだろうが、それまでの緑谷に対する無個性というイメージが先行して、彼が合格するところを想像できなかった。
だが、彼は受かった。
面持ちから察するに嘘はついていない。あの試験は、敵を倒す他にも他の受験生を救けたりする事で加算されることから、恐らくは救助活動ポイントを多く稼いで落第を免れたと考えた。
「おめでとうございます、緑谷さん」
「あ、ありがとう! 水口さんは、その、合格出来たの…?」
私はそれに首肯する事で応えた。緑谷は私の身振りを見るやいなや、嬉しそうにくしゃりと笑った。
「ほ、本当に!? よかった…! 雄英、どんな所なんだろうね…!!」
緑谷はもう既に卒業し進学したあとの事を考えている。志望校に思いを馳せる、それはよくある事だろうが、タイミングがいけなかった。
遅れて教室の戸を開けた生徒が、運悪くも爆豪だった。
信じられないことを聞いたような目を向け、驚愕の表情が徐々に怒りのそれへと塗り替えられていく。
緑谷に詰め寄ってその手を向けた。襟を掴み威圧する視線が、緑谷の目を睨みつけて離れない。
「てめェら…マジで受かったってのか? あぁ!? どうなんだよデク!!」
「か、かっちゃ…!」
「“無個性”のてめぇが、どんな汚ぇ手使やぁ雄英に受かんだよ!」
癇癪を起こすように手のひらを爆発させつつ緑谷の胸ぐらを掴む。周りの生徒が流れ弾を避けるように散るが、彼らの予想に反して緑谷は爆豪の腕を掴んでみせた。
「…あ?」
「…い、言ってもらったんだ! 『君はヒーローになれる』『勝ち取った』んだって…!!」
怯えたような表情が、だが真っ直ぐと恐怖の対象だったはずの爆豪の目を見据えた、覚悟の決まった顔に変わっていく。
「だから…僕は、行くよ…!!」
「…ッ …チッ」
爆豪は舌打ちをしながら乱雑に彼の手を振り払い、自分の席に座る。その場を凌いだと安堵した緑谷を見て、飛び火することは無いと安心して各々が席に戻った。
私と鳴子は視線を合わせて肩を竦める。
その後、爆豪と緑谷の間には不自然なほどに何も無かった。興味を失くした訳では無いだろうが、目が合っても鼻を鳴らして視線を逸らすだけで、今までのように突っかかっていったりという事も見られなくなった。
そして季節は春───私は卒業式を迎えた。
仮設住宅の玄関先で、私は寒さに耐えながら会話をしていた。相手は警察官。若い男で、私が住み家を焼失した後をどうするべきか教えに来たのだ。
警察官が説明するところでは、今私の住んでいる仮設住宅は名の通り仮のものでしかなく、いずれ引っ越さなくてはならなくなる。
しかし、私のように生活を支えてもらう必要のある学生や一部条件に該当する人間は、政府の方針で家宅や家財をある程度保証してくれる───のだとか。
「ま、ここら辺は弁護士とかが詳しいな。とりあえず焼失した物があったら申請してくれりゃ、購入履歴なんかを参照して補填してくれると思うぜ」
「そうなんですね。ご丁寧にありがとうございます」
「いやいや、困ってる人を救けんのは何もヒーローだけの仕事じゃねえし。まあでも、警察の仕事はここまでだ。また何か困ったことがあったら、ここの交番に電話くれよ。秒で駆けつけっから!」
私よりも少しばかり年上に見える警察官は、袖を捲し上げた腕でガッツポーズを見せる。そして家の外から様子を覗いていた壮年の警官に呼ばれていった。
「鼓太郎、済んだら帰るぞ。 ──ああ、そうそう。水口さん、関連する書類は後日国から送られますんで、それ記入したら最寄りの郵便局から国営保険窓口とかに郵送してください。それで手続きとかできますから」
「はい。助かります」
丁寧に頭を下げ、警察官を見送る。
警官二人は、そのままパトカーに乗ってどこかへ行った。私は仮設住宅に申し訳程度に敷かれた布団の上にどさりと倒れ込む。
卒業式を終えて、雄英に通い始めるまでまだ十日ほど暇な時間が残っていた。もちろんそれを怠惰に消費していくほど私は無計画ではない。
“個性”を実戦形式で使えた今回の試験での学びを元に、更にこの個性を磨くつもりだった。
磨くと言っても、戦闘における身体の使い方はそれ相応の講師がいなければ向上しないだろう。だからそれはヒーロー科に進学したあとの私がやる。
今の私がやるべきなのは、個性
なら、どうするか。
答えは単純、火力そのものを磨けば良い。
最高火力を高めるだけではなく、威力の調節なんかが出来るようになれば、短絡的な攻撃方法に留まらない多彩な攻めを獲得できるだろうし、そうなれば結果的に汎用性は高まる。
私の“
しかし爆弾というものは得てして他者を攻撃するために使われるものであり、その最たるものが手榴弾だ。私の個性は、手榴弾として扱えるかもしれない。
殺傷力を持つ手榴弾には二種類ある。
ひとつが攻撃型と呼ばれるもの。これは爆発時の衝撃によって狭い範囲を殺傷しながらも、加害範囲外からの同時攻撃を行える。
もうひとつが防御型と呼ばれるもの。攻撃型とは違い、破片を飛ばすことによる広範囲の殺傷性を持ち、遮蔽物を使った防御行動を必要とする。
“遠隔爆破”には、この二種に近い特性が、爆破させる物体に応じて切り替わるという特性が備わっていると言えた。
最も分かりやすかったのは、実技試験の時に破壊した2p
爆発威力は低かろうが、それによって発生した破片…例えば金属片ならより高い殺傷力を発揮していた。それを利用して、爆発ではなく爆発そのものによって生じた飛翔体によってカメラを…ひいては防御されていない生身部分を傷付けられるのだろう。
爆発力を調節できるようになれば、それを活かした低威力の破片群によって
だからまずやるべき事は、威力の底上げと調節できるようになるという、その二つに絞られた。
個性の練習をすべく、院長への哀悼を偽って孤児院の跡地に赴こうとした時の事だった。持っていた携帯電話から着信音が響く。メッセンジャーアプリを通した鳴子からの呼びかけが届いていた。布団の上に座ってアプリを開く。
『水口さん、大丈夫?』
鳴子からのメッセージは、恐らく受験が終わったあとの日の会話に由来するものだろうか。
『火事の件なら、大丈夫とは言えませんが…』
『でも、後ろを向いてばかりもいられませんから』
鳴子からの返信が数分途絶える。言葉を選ぶのに手間取っていたのだろう。しばらく経って帰ってきたのは『そっか』の一言だけだった。
文面上でならいくらでもやり取りできる。突然こうして
『どうして急に?』
『あー、いや…』
『ただちょっと、無神経だったかもなーって』
「…ふっ、あっはっはははっ!!」
鳴子はそれまでクラスの情報屋という立場を取る事で自分の存在を確立してきた女だ。扱ってきた情報の中には、抜かれたくなかったものや隠し通したかったものもあるだろう。
そんな人間が、言うに事欠いて無神経とは。
思わずお腹を抱えて笑い転げてしまった。しかし、だ。こうして私に話しかけてきていて、かつそういった憐憫の目を向けながら謝罪も行うという事は、少なからず私に好意を持っているという事だろう。
友情的なものか、あるいは恋愛的なものか。それはわからないが、とにかく彼女には利用価値がある。
『そんな事ないですよ』
『お気遣いありがとうございます』
『うん』
『あのさ』
少し躊躇うかのように送信の手が止み、一分ほど置いて続きが来た。
『雄英に行っても友達のままでいていい?』
友達。
そんな言葉、軽々しく言われたところで意味は無い。私にとって鳴子は、これまでの学校生活では居なくても困らない人間だった。
友達ということは、少なからずその関係性に責任が生まれる。例えばどちらかが悪い事をしたとして、もう片方も関与を疑われるのだ。
…だが、その危険性を鑑みても利用価値が無くなることはない。情報通というのは中世から今日までずっと、需要のある存在だからだ。
鳴子の有用性と、そういった危険。
それらを秤に掛けた私は、もう一度画面に触れた。
『水臭いですね』
『元から友達じゃないですか』
『今日は忙しいので、また後で』
それきりWIREの通知を切った。
何と来るかなんて今見たい気分じゃなかったから、これは現実逃避のようなものだった。それ以降は通知も来なかった。
前日に貰った書類を整理している間、雄英が採用しているらしい
被服控除、という仕組みがあることを、合格した日の翌日に送られてきたプリントに書かれていたものを読んで知った。
大まかなデザインや機能などを書簡に入れて送ると、それを受け取ったヒーローコスチュームの開発会社が要件を殆ど再現して学校に納品するシステムなのだそうだ。
だが、ヒーローになるという明確な目標を持ってこそあれど、ヒーローとなったあとの私という姿を想像した事は無かった。
コスチューム、と聞いてどのようなものがあるかを簡単に想像する。例えば、ネットで見たオールマイトは筋肉の形がくっきりと見えるようなスーツとマントに身を包んだ姿だ。
だが、ああいうのは超人的強さの人間が持ってこそのコスチューム。私のような直接戦闘が不得手な者が身につけるものではない。
なら、とそれまでの学校の制服に着目する。変哲の無い、つまらないセーラー制服だ。
だが、ヒーローとして目立つ必要が無ければ派手なコスチュームは必要ない。制服姿なんかの下に、致命傷から身を守るためのボディアーマーでも身につければ、目立たず戦うことも出来るだろう。
なんだか案が固まってきた。ゲリラヒーロー、なんてのも私の戦い方とマッチしていて良いかもしれない。上から市街地迷彩の柄のジャケットを着込めば、不意を打つような真似も出来るだろうし。
メモとペンを取り出す。書類と一緒に送るための、コスチュームのメモを取るのだ。
ただ、私には残念な事に絵心が無かった。もちろん美術の授業では基礎的な物事は全て押さえていたし、簡単な模写や、影を使った写実的な絵も下書き程度なら何とか描ける。
……ただ、想像力が足りなかっただけだ。学校での話題に合わせるために、最低限のヒーロー情報を押さえていただけだったからだ。
結果、ネットから適当に拾ってきたブレザー型制服に適当にアレンジメントを加えるだけの、面白味が無いものになってしまった。
「……まあ、いいや。別に着るものに頓着しなくてもヒーローは目指せるし」
防寒具に身を包み、玄関を適当に纏めたそれをポストに放り込んで、そのまま足早に孤児院跡地へと向かった。個性の練習をする為だけに。
入学式は、近い。