あれはトレーナーを見つけて2年目の夏合宿の頃だった。
うだるような暑さが続く日、例年通りにいつもお世話になっている場所で夏合宿が開催された。
トレセン学園から出発したバスに揺られ合宿所に着き、練習を始めて何日かたった日。合宿の終盤に近かったように思う。
その日の私は夜中に目が覚めた。夜風を浴びようと同室で寝ている奴らを起こさないようして散歩に出掛けた。
いつもは聞こえない虫の音、蛙の鳴き声。人の活動する音が聞こえず。点す光の少ない町の雰囲気。より鮮明に見える天の星々。
都会とは違う田舎の夜の姿は私に非日常感と鼓動の高鳴り与えた。普段は見れない景色にワクワクしていた。
昨年も来たがそのときは日中の練習の疲れで夜に起きることはなかったのだ。
街頭の明かりが照らす道を歩き練習の時に使っている浜辺にたどり着く。何となく足が向いた方向に進んでいただけだった。
海と星が織りなす光景は自分の語彙では綺麗としか言い表しようがないくらいで、言葉が足りず表現できない自分を恨めしいと思えるものだった。
そんな光景に目を奪われながら砂浜をただ目的もなく歩いていると自分の進行方向に人影が浮かんでいることに気が付いた。
こんな時間にと自分にも言えることを思い浮かべて、少し警戒しながら近づいた。今思うと不用意だった。普段は見れない景色に浮かれていたのだ。
星々の明かりで相手の顔が見えるくらいに近づくと僅かにしていた警戒を解いた。
照らされた相手の顔は自分のトレーナーだったのだ。
トレーナーも砂浜を踏みしめる足音に気づいたのか、視界に影が入ったのか、自分に気づいた。
「シリウス?」
トレーナーは目を丸くして驚いた様子だった。当然だ、消灯時間はもうとっくに過ぎている。
「どうしてここに?」
不思議そうに聞いてくる。
「目が覚めちまってな。寝れそうにねぇからちょっと歩いてたんだ」
悪気もなくそう答える。そんなシリウスの様子にトレーナーも仕方ないなぁと苦笑する。
「消灯時間過ぎてたら本当はダメなんだけどね。言っても聞かないだろうし」
不承不承なトレーナーを横目に海と星に目を向ける。分かってんじゃねぇか、そう思いながら。
「お前はどうしてここに居るんだ?」
ふと、隣に立っているトレーナーに疑問を溢す。いくら仕事があるとは言えこの時間帯はトレーナーも寝ているはずだろうと。
トレーナーも景色に身を委ねながら答える。
「前に合宿の補助でここに来たときに俺も夜中に目が覚めてこの場所に来たんだ。その時に見た光景をまた目にしたくて」
穏やかに喋るトレーナー。その目には言葉通り、今の光景を焼き付けようとしているのだろう。
その横顔が普段とは違うように見えて、雰囲気もいつもとは異なっているように思えた。
意表を突かれたとでも言うべきか。私は確かに目の前の光景よりもトレーナーの横顔に見惚れてしまったんだ。
私の視線に気づいたのか、ん?、と首を傾げながら私をトレーナーが見る。
そのことに私は何故だか恥ずかしく思って、慌てて言葉を紡いだ。
◇
ポツポツと、互いに目の前の光景に目を向けながら言葉を紡ぐ。
それは何も取り留めのない会話だったように思う。私はトレーナーの横顔を盗み見るのに夢中で気もそぞろだった。
またいくつか言葉を交わしている中、私は疑問に思っていたことを聞いた。
「お前はどうしてトレーナーになったんだ?」
これまで聞く機会もなく、聞こうともしてこなかった疑問だった。なぜその時聞いたのかは今でも謎だ。
ただ口からツイ、とででしまった言葉だった。
「どうして、か」
トレーナーは口を噤む。それは過去を思い返し、今までの自分の軌跡を振り返るようだった。
少し間があった後、トレーナーが口を開く。
「俺は小さい頃からウマ娘のレースが好きでさ。幼いときからそうだと、自然と将来の夢がトレーナーになっていくんだ」
その時を思い出しているのか小さく笑うトレーナー。
「だからずっと勉強してばっかりだったな」
それもそうだろうトレーナー試験は難関だ。ましてや中央の資格など。
「勉強ばっかしてると息が詰まってさ、久しぶりにレースを見に行こうと思って、レース場に行ったんだ。そのレースはGIで観客の熱気がすごくてむせかえるようだった。よく覚えてる」
トレーナーは懐かしみながら言葉を紡ぐ。
「あの光景は目に焼き付いている。ウマ娘が走る音、息遣い、レースの迫力。なんであの時そう思ったのかは分からないけど、漠然とした夢だった物が目標に変わったんだ。決意というか覚悟というか、より明瞭になったんだ」
どうしてだろうね、と呟く。
「多分、そこが俺の始まりだったんだ。そうしてより一層勉強して、試験を受けて。そうしてトレーナーになったんだ」
トレーナーが私を見る。
「俺はただただ、ウマ娘が好きで、レースが好きで。特別な理由や事情もなくて。好きだからここ居るんだ」
私の問いに答えたトレーナーは私を見つめて微笑む。星の光を写す瞳が私を射貫く。
「答えになったかな?」
「・・・・・・ああ」
私はそれだけしか答えられなかった。
トレーナーはまた目の前の光景に目をやつす。
しばらくした後、帰ろうか送るよと声を掛けられる。
合宿所に帰るまで私たちの間に会話はなかった。星々が照らす道を二人で歩いた。
◇
それが多分、きっかけだったのだろう。
それからトレーナーが目に入ることが多くなって、相手を見る視線が今までとは違うものに変化していった。ゆっくりとでも確実に。
あいつの頬に触ってみたい、もっと時間を過ごしていたい、そう思うようになっていった。
そうなると自分でも自覚した。
ああ、コイツのことが好きなんだ、と。
少しでも側に居たくて、離れたくなくて。
自分でも驚くくらいだった、こんな気持ちを抱くなんて。
でも、自分とトレーナーは教職の人間と学生で。
思いを告げても困るだけだ。だから、今この間だけでも、少しでも側に居られたらと、そう思っていた。
ナカヤマに告げられるまで。
きっと、そうやって今までの事を続けていたら自分たちの関係は遠くなって、自然消滅に近い事になっていただろう。
ナカヤマには感謝をしている。
いつの間にか女々しくなっていた自分に発破を掛けてくれた。
いつだって己は勝利を掴もうと邁進してきたのだ。それがレースから恋に変わっただけで何の違いがあろうか。
私は進む。これまでも、これからも変わらない。
ただ勝利を見据えるだけだ。
部屋の窓から覗く月光を見上げながら、シリウスは決意を固める。
シリウスは隣のベッドで寝ているナカヤマフェスタを見る。
ナカヤマが自分の停滞を変えてくれたのだ。
自分を心配する様子を思い出す。
あの時に肩の力が抜けて今のように考えられたのだ。
切っ掛けは小さくとも確かに自分を変えてくれた。
そうしていると眠気が襲ってきた。
もう寝ようと布団に入る。トレーナーをどう落としてやろうかと考えながら瞼を閉じる。
程なくしてその部屋に寝息が一つ増えた。
その日は満天の星空の夢を見た。