冠に至りし我が愛馬   作:如月十四

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男にとって

 

 シリウスシンボリのトレーナーである男――犬飼賢人にとって担当のウマ娘であるシリウスシンボリは特別な存在であった。

 

 

 

 

 犬飼の記憶はウマ娘のレースから始まっている。自分の親と一緒にテレビでウマ娘のレースを見ていた。言葉を覚えるよりも早くに見たその光景はしっかりと大人になった今でも覚えている。幼いながらに親にウマ娘のレースを見せてと、よく強請って親を困らせていた。

 

 そんな人間がウマ娘のトレーナーに成りたいと夢を見るのも当然のことだった。 

 だが、成長するに連れてそれは半ば惰性となっていた。元々、ただレースが好きで勉強はそれなりだったのだ。前から続けていたから今も続けているだけ。そんな風に毎日がただただ過ぎていくだけであった。

 

 転機があったのは高校三年の頃。

 元々あった夢を追い続けるのか、新しい道に進むのか。犬飼が悩んでいた時であった。

 受験勉強の息抜きにレースを見に行った時だ。なぜ、息抜きにレースを選んだのかは覚えていない。その時の気分だったりで、たまたまだったのだ。

 

 そのレースで犬飼は見たのだ。走るウマ娘を。

 なぜ、そのレースで心が動かされたのかは分からない。これまでも何度もウマ娘のレースを見てきたのに、その時だけ自分に響いたのか。

 蹄鉄が鳴らす音、観客の唸る声、芝生に煌めく汗、自分にまで聞こえてきそうな息遣い、そして必死に駆けるウマ娘の姿。ライバルに負けるものかと端正な顔を歪めて、しかし気迫に、覚悟に満ちた顔のウマ娘達も。ゴール板を踏鳴らし一番を証明し、勝利に笑うあのウマ娘の笑顔を。

 何から何まで覚えている。

 

 きっとそれが自分が夢を目指す最後の切っ掛けだったのだろう。

 それからは狂ったように勉強した。進路もトレーナー育成学校に決まって入学しても、だだトレーナーになることに、将来の担当ウマ娘のために自身を費やした。

 念願叶って卒業する頃にはトレーナー試験にも受かり、免許も持っていた。

 就職も中央のトレセン学園に決まって夢のためにまた一歩と進んでいた。 

 

 そしてトレセン学園で新人トレーナーとしてウマ娘をスカウトしようとしていた時に犬飼は運命に出会った。

 走るウマ娘――シリウスシンボリであった。

 二度あることは三度あるとでもいうのか、犬飼の転機には必ずウマ娘の姿あった。

 

 あの時は遠目から見ただけだった。それでもシリウスシンボリが走る姿に惚れたのだ。一目惚れだなんて彼女に知られたら笑われるだろうか。いや、彼女は笑わないだろう。むしろ自分に惚れて当たり前だなんて言うかも知れない。

 

 その後、彼女の評判を聞いた。教官の間では問題児だと揶揄されていたのだ。だが、それを聞いても自分の熱が冷めることはなかった。むしろ熱が膨れ上がる一方だった。

 

 そして彼女と対面した。自分だけが彼女を一方的に知っていたが、この時に初めて言葉を交わしたのだ。

 切っ掛けは路地裏で自分が男に絡まれていたことだった。たまたま居合わせた彼女が自分を助けてくれたのだ。

 そうして自分たちは出会ったのだ。

 

 その後も何故かシリウスにトレーナーに逆指名されたりした、なんてこともあった。彼女は知識も豊かでトレーナー顔負けのトレーニングを自分で考えたり、初めは自分の提案したトレーニングなんて聞いてもくれやしなかった。

 でも、何度もぶつかって、話して、そうやって自分の話を聞いてくれるようになった。

 

 そうして二人で歩んできた。GIも凱旋門賞も二人で勝ち取ってきた。

 シリウスも自分が抱えていた問題も解決した。その途中にいろいろありはしたが、まあ、ご愛嬌だろう。

 

 歩いた先に今がある。

 流した汗も、涙も、今に至るまで無駄な事は何一つなかった。

 

 

 

 

 なんて犬飼は思いを馳せていた。

 今、目の前で二人で買ったマグカップでお気に入りの紅茶を飲んでいるシリウスと自分。過去と比べて見たくなってしまったのだ。

 

 優雅に気品に溢れる姿で紅茶を飲むシリウスを見て、改めて思う。

 彼女との出会いは運命で、自分が今こうしているのも彼女と出会ったからだと。

 

 そんな風にシリウスを見つめていたからだろうか。シリウスもこちらを見る。

 

「なんだ、そんなに見て。私に惚れたか?」

 

 ドキリとした。

 彼女はからかっているのだろう。それが分かっていても心が跳ねずにいられない。

 

 (でも、あれ?なんでドキッとしたんだ?シリウスのからかいなんて慣れたことなのに、どうしてだ?)

 

 頭の中に疑問が浮かぶ。

 そんな内面をどうにか表に出さずに答える。

 

「そのマグカップ、使ってくれてるんだと思ってね」

「せっかく買ったんだからな。使ってやらねぇと」 

 

 買ってから気づいた。二つのマグカップを合わせると描かれた絵が合わさってハート型になることを。そのことにシリウスは気づいていたのか。

 最初は自分だけが使っていたが、シリウスも使ってくれている。きっと気にしていないんだろう。

 自分だけいろいろ考えていたことに恥ずかしくなる。

 

 最近ずっとだ。彼女はどう思っているのか。なんて似たような事ばかり考えている。

 担当の事を考えるのはトレーナーとして当然のことだ。だが、自分の考え事はそんな担当ウマ娘とトレーナーの考えから度を超している。

 彼女のことばかりを考える。顔が目に浮かび、声を聞きたいと思ってしまう。自分の胸の奥が苦しくなってしまう。抱いたことのない衝動が自分を埋め尽くす。

 シリウスとの三年間が終わった頃から続いているこれは一体何なのか。

 自分はどうしてしまったのかと考える。

 

 そうしているとシリウスから声が掛かる。

 

「トレーニングも終わったし、私はそろそろ寮に帰る。お前も仕事はほどほどにしろよ」

 

 そう言ってシリウスは席を立った。見れば飲んでいた紅茶も、もうなくなっている。

 自分が気づかずに時間がたっているようであった。

 

「じゃあ、また明日な」

 

 そう言ってシリウスが部屋を出る。

 シリウスが律儀に、帰る前に洗っていったマグカップを見る。

 

「・・・・・・どうしたんだ、俺は」

 

 こんなこと今までになかった。

 人生で初めての自分の状態に戸惑う。

 だが、仕事はそんな自分を待ってはくれない。机につき、目の前のことに集中する。

 そうすれば今だけは悩んでいたことを忘れられる。

 

 そうして今日が過ぎていく。

 犬飼は気が付かない、今の自分がどういう状態にあるのかを。人生をウマ娘とレースに捧げてきた者に分かるはずもなかった。

 

 けれども分かっていることがある。

 犬飼賢人にとってシリウスシンボリは何よりも特別な存在であることだった。

 





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