枯れ尾花の君について 作:野花
本記は、著者たる五虎退以外の閲覧を厳密に禁じるものです。
これは、本丸「
主さまたる、よしてるこうの初めての鍛刀で権限したのは、僕でした。
後にこんのすけさんから聞いた、手伝い札を使ったのでしょう。
おんてみずからを煤に汚され、額の汗をぬぐって、僕に笑いかけてくださった顔は、いまでも、一番初めの大切な思い出です。
「なんと、其の方が”五虎退”か!かくも愛らしい面をしているではないか」
そういって、人間にしては、おそらく相応に力強く…いえ、僕たちがこの程度で壊れるわけはないのですが、僕の姿かたちをおもんぱかってか、ほんのちょっとご遠慮した力加減で、頭をなでてくださったのです。
「はい…五虎退です。な、名に反する姿だと、げ、幻滅されてしまったでしょうか…?」
「はっはっは!なにを言うか、これが幻滅した顔に見えるか?」
高らかに笑って、仕方ないと言わんばかりに、僕をだきあげ、顔を良く見せてくれました。
一目で、かように美しい偉丈夫がおられるのだな…と、
「す、すみません…すごく笑顔に見えます」
「そうであろう!…して、其の方、粟田口の作であろう。刀身も見事だ。美しいな」
「…は、はひ…」
僕は明朗なお褒めの言葉に、すっかり言葉をなくしました。
それがおかしいのか、よしてるこうはまた朗らかに笑いました。
鍛刀部屋の入口で立っていた、初期刀の加州清光さんも、かすかに笑っていました。
よしてるこうは、かつてむろまちの世を治められた将軍です。
僕が覚える限りでは、足利義輝という主人のもとに参じた記憶はありませが、かげとらどの…上杉謙信さまの元にいたる前に、足利という方の元にいた覚えもあります。
きっと僕と主には、なにがしかの縁があるのでしょう。
「上杉にも世話になったものだ。ふふ、今もあやつは甲斐の虎と刃を交えておるのだろうな」
「甲斐の虎…武田信玄公ですね。」
よしてるこうは、僕の手入れのたび、お茶の席をともにするたび、僕の先の主の話をしてくださいます。僕が座敷から見たことのある主と異なる、戦の神の姿の…謙信公を。
上杉謙信…甲斐の虎たる武田信玄と、神事のように戦を交わす武神。
その手にわたったのが、”虎を退ける”と名に持つ僕だというのは、なんとも奇異な縁だと思いました。
…もっとも、謙信公も”虎”の名を様々にお持ちなのですが。
「そうよ。赤い戦装束を着てのう…遠目からでも山のごとく見える巨躯、あれと対峙した上杉は細雪のようないでたちであったよ」
「…ささめゆき…」
「ああ。だが、その細い
あのような熱を持てる対の存在とであるなど、そうそうないのだろう。
そういうお顔に浮かぶのが羨望の色だと分かったのは、後々のことです。
よしてるこうの手に僕の手をかぶせてみました。
膝に置かれた手は、この方がいつも、なにかの心構えをしかとするように固く、人間の身にして、多くのものを背負ってきたのだと想像するに難くありませんでした。
ぼくの柄がすっぽりおさまりそうな、大きな手です。
「…?どうした五虎退」
「…僕は」
「ぼ、僕は、かつての戦場で十畳にお役立ちした記憶はありませんが…こ、これから、この本丸で、よしてるこうの、お力になれればと、思います…!」
「はっはっは!良いぞ、ぜひとも、其の方の力を見せてくれ」
この身の打ち親は別なれど、見上げた顔は、まるで書にある父のようで。
でも、なぜか、春のうららな日にほどける目じりの、寂しげなことだけが気がかりでした。
あれは、のちに聞く、現世で対峙した”友”を思っての眼かとも思ったのですが
もし問えば、その持つ別の意味すら、教えていただけないかもと思ってしまって…
だから、僕はそれが、優しい意味であることを願って、これに記すのです。