私はラーメンが卓上に来るまで一寸考え事をしていた。私はなぜ森田に夕飯を誘われたのか、暫く不思議だったのだ。というのも、森田が平日の夜に誘ってくることは大変稀だからだ。私は今一度森田の方を見た。森田はスマホに夢中だった。ということは…あれしかない。と、心の中で確信した。森田は何かどうしても話したいことがあるにもかかわらず、相手を前に言い出す勇気は無くて、ただ誘うという第一歩目の行動を行ったのち、気まずくなってスマホの画面を叩いているのだ。これは森田に見られる数ヶ月に一度の習性である。
「森田、何か私に話したい事、あるでしょ」
「え、なんで分かったの!」
「森田が平日の夜に誘ってくることなんて無いじゃん」
「なんでもお見通しじゃん。そう、実は話したいことがあってさ。絶対、驚かないで聞いてほしいんだけど。実は私、一ヶ月前に死んだの」
「えっ。どういうこと」
一瞬頭が回らなかった。今、自分が彼女の口から何を聞いたのか、そしてそれをどう捉えれば良いのか、急に考えが働かなくなった。
「でも、森田は今私の前にいるじゃない。死んだって、どういうこと?」
「今山本が見てる森田は一部だけなんだよ。今見えてない部分の私が死んだの」
「え?そんなことある?」
「あるんだなこれが」
ニヤニヤと笑いながら森田はコップのお冷を口元へ運んだ
「でも身体はあるもんね?透けてないもんね。握手はできる?」
何が面白かったのか森田はいきなり水を吹き出してゲラゲラ笑い始めた。
「いいよ、握手しよ」
と笑いながら手を差し出して来たので、私も手を出してちゃんと握り返した。握る感覚は、確かにしっかりとあった。が、森田の手は相当に冷たかった。
「あれ?もしかして冷え症?」
また森田がヒイヒイ言いながら笑い始めた。つられて結局私も笑い出してしまった。面白すぎ。そうやって二人でひどく笑いこけているところへ、ラーメンが運ばれてきた。割り箸を割って、食べ始める。暫くして、また喋り始めた。
「で、一ヶ月前に何があったの?」
「なんかね、夜中に横断歩道歩いてたらね、いきなりタクシーが交差点から曲がって突っ込んできたの。ブレーキもかけずに」
「うわー、まじか。都会のタクシーって運転が乱暴だよな」
「そう。で、私は跳ね飛ばされたんだけど、なぜか無傷だったの」
「え、じゃあ生きてね?」
「それが実はそうではなかったって分かったのが最近の事なんだけど、といっても説明が難しくてさ。なんて言うか、脳は生きてるんだけど、心が死んでるっていう感じ」
「え、でもさっき面白おかしく笑ってたよね?」
「それも脳の作用っぽいのよ。前からの習性を繰り返してる感じって言うのかな。とにかく無から何かを生成することが出来なくて、ただ今までやってたことを繰り返すだけなんだよね」
「うーん。イマイチわかんないかも」
森田の話を聞きながら、私は伸びた麺をまた啜り始めた。彼女の言葉の意味を考えれば考えるほど、もっと分からなくなる。でも私なりの解釈でなんとか考えてみた。多分、今の森田には"これからを生きる森田"がいない。"生きてきた森田"がまるでカセットテープのように繰り返し再生されているっていう感じ、なのかな?
「で、森田はこれからどうなるの?」
私は箸を置き、彼女の方を見た。森田はラーメンの器にレンゲを置いて言った。
「どうなるのかなあ。私もまだわかんないんだよね。でも、これだけは言える。多分また同じことを繰り返すから、色んなことに誘うと思う。今日みたいに、夜ラーメンに誘うこともあるだろうし、同じ話もするかもしれない」
「それはそれで悪くないんじゃない?」
「そうかもね。でも、山本と遊んで楽しんでるのも、ただの脳の機能なんだよ。心はもう機能しないみたい」
その言葉に、私の中に妙な感覚が広がった。森田は確かにここにいる。触れられるし、声も聞ける。けれど、その中身は本当にどこか遠い場所に行ってしまったような気がした。