シャナと一美が、手芸店の、ボタンの陳列棚の方まで移動していた時。
「あっ!」
脚立に上って、高所にPOPを張り出していた女性店員の肘が、陳列棚の上に飾られていた、造花のフラワーアレンジメントが生けられた花瓶に触れ、それが落下してしまう。
「危っ……」
店員が口にした時には、もう遅い。花瓶は通りがかった一美の頭に落下 ────
ヒュッ
その、寸での所で、シャナの手が、ひったくるような動きで、花瓶をキャッチする。
トン、と軽い音を立てて、花瓶を受け止めるために跳躍したシャナが、床に着地した。
軽い布や紙、それに針金でできた造花だけが、何本か一美の頭にかかる。
「あ…………」
一美は、一瞬、何が起きたのか理解できず、立ち尽くしてしまっていた。
「嫌だわ! お嬢ちゃん達、ごめんなさいね。怪我はない!?」
花瓶を転落させてしまった女性店員が、脚立から降りてきて、慌てて謝罪の言葉を口にする。
「あ、はい。大丈夫です」
一美は、慌てた様子で、かえって自身が悪いかのような口調で言う。
シャナは、屈み込んで床に落下した造花を拾っていた。
「あら、ありがと」
シャナが、拾った造花を花瓶に差し直して、女性店員に渡すと、女性店員は、申し訳無さそうに苦笑しながら、それを受け取る。
「気をつけて」
シャナの方は、女性店員が花瓶を受け取った時に、一言淡々とした口調でそう言った。
「え、ええ……」
シャナの言葉に、女性店員は、最初困惑気な声を出したが、その直後、くすっと笑った。
「?」
その笑いの意味が解らず、シャナは、キョトン、としたように女性店員を見る。
「いえ、お嬢ちゃんって凄いのねぇって。落ちかけた花瓶を、ジャンプしてヒョイッと受け止めちゃうんだもの」
女性店員は、掛け値なしの明るい笑顔で、シャナを称賛したが、
「これ位、少し鍛錬すれば誰にでもできる」
と、シャナは、淡々とした口調でそう言いながら、不快そうに少し表情を歪めた。
「でも、私も近衛さん、凄いと思ったけどな……」
「普通の人間から見ればそうかも知れない。でも、私にとっては、全然そんなことはないの」
一美も、フォローの意味も込めつつも、思ったままにそう言った。だが、シャナは、少し苛立ったような様子を見せつつ、口調は淡々としてそっけなく返す。
── そう、体術は鍛えれば誰でも強くなれる。でも……
「なにか、気に障るような事を言っちゃったかしら? ただでさえ迷惑をかけたのに、ごめんなさいね」
「大丈夫、別にお、 ……アナタが気にするようなことじゃない。 ……から、大丈夫」
シャナはそう言うと、自分から先に売り場を移動しようとしてしまう。
一美は、女性店員に向かって一礼してから、シャナを追いかけた。
2人はボタンの陳列棚のところまで歩いてくる。
「これだけあると、迷っちゃうな……」
様々な形状、色のボタンが、小さく仕切られた棚や、大きな瓶に入れられて、陳列されている。
一美は、目移りするように売り場を見渡している。シャナも、興奮したような様子はないが、陳列棚のあちこちに視線を向けていた。
物色し始めた一美をよそに、シャナも、ボタンが瓶に入れられている棚に向かう。やがて、プラスチックのキノコ型のボタンが入っているひとつの瓶の前で立ち止まる。
「…………」
なんとなく気になって、瓶のフタを空け、ややアイボリーがかった白いボタンを摘み上げ、それをまじまじと見る。
「近衛さんは、それがお勧め?」
シャナが、まじまじとそれを見つめていると、その脇から、一美がそう問いかけてくる。
「別に…………」
シャナは、先ず、険のある言葉でそう言ってしまう。ちらりと、一美が持っている水色の布を見る。
── 水色、悠二の炎の色。白、 “頂の座” の法衣。 …………何考えているのよ、私は。
声には出さず、自分に、憤ったというか、呆れたというか、自分でもよく解らないが、自身にとっては奇妙と言うしかない不快感を伴って、そう言った。
それに気付いてか気付かずか、一美はくすっ、と小さく笑って、水色の布の上に乗せた。
「水色に白……爽やかで、どこか優しい感じもする」
一美が、穏やかな表情でそれを見ながら呟くように言う。シャナは、それに対して否定的な言葉を発しようとしたが、それが口からついて出ようとした寸前の所で、何故かそれが強く躊躇われた。
「そう思わないかな……?」
シャナの心中を知ってか知らずか、一美は、微笑んだ顔をシャナに向けて、訊ねる様に言った。
── 水色……水色の炎……
「思う、 ……かも」
なんとなくだが、深く考えたというよりは、先ずは感覚的にその言葉が口から出た。
「優しい色……護り手の色よ……」
シャナは、さらに続けるように、それは意識した上でそう言った。
「護り手……」
シャナがそう言った事そのものと、その内容とを意外に感じて、一美は、反芻するように呟きながら、白いボタンの置かれた水色の布を見る。
一美は、護り手、というと、どちらかというと穏やかな暖色系の色を連想するかな、と思ったが、
「近衛さんがそう言うなら、そうなのかもね」
と、見ているうちにそう感じてきて、素直にそう言い、微笑んだ。
旧依田デパート。
当然エレベーターは動いているわけがない。そもそも、給電されていなかった。
マージョリーは、啓作、栄太に案内されて、非常階段から、その7階まで上がってきていた。
「どうも、この階が臭いわね」
『ヒッヒ、強行突破といきますか』
マージョリーが、露天の踊り場で閉じられた鉄扉を見つめながら言う。その低い声に対して、マルコシアスが相変わらずハイテンションの口調で言う。
「姐さん……爆発が目撃されたのは屋上ですよ?」
栄太が、少し戸惑ったような様子でそう言った。
「んなこたぁ解ってるわ ────」
マージョリーは、そう
「──── よッ」
ガンッ! ベキッ!!
その爪先が鋭く鉄扉を叩くと、錆びて老朽化していたとは言え、コンクリートと金属ボルトで固定された蝶番が、その根本のコンクリート諸共砕け散って、金属扉は内側に倒れ込む。床に落ちて、ズウゥン……と音を立て、それが決して軽くも脆くもないことを感じさせた。
「すげぇ……」
栄太は、その光景に驚いて、絶句しかけた感嘆の声を漏らす。
「うっぷ、埃くさ……」
啓作は、中から溢れてくる空気を吸い込み、そう言って思わず手で口を塞いだ。
「あんた達も何か変な物が無いか、探しなさい」
マージョリーは、躊躇も遠慮もなく室内に進みながら、命令口調でそう言った。
「探せって言われても、真っ暗で何も見えませんが……」
窓も塞がれ、光の差さないフロアを見て、栄太が困ったように言う。
「あ、そっか」
マージョリーは、失念していたという感じで言うと、
「マルコシアス」
『あいあいよー』
と、マルコシアスに呼びかける。すると、マルコシアスの合点したような声とともに、『グリモア』がマージョリーの前に浮かんでページが開く。
マージョリーが、そのページを、つ、と撫でるように触れると、日本語で使われる文字とは違う何かの文字が、群青色の光を放ちながら浮かび上がる。
ボッ、と、マージョリー達の前の空間に、炎が出現した。色は群青色だが、
「うおっ!?」
「おおっ!?」
初めて、単純に物理的な説明の付かない現象を見せられて、啓作と栄太が驚くような声を出した。
その明かりが照らす内部を、マージョリーはツカツカとヒールを鳴らしながら進む。啓作と栄太は、キョロキョロと辺りを観察しながら、マージョリーの後に続く。
「ここ……」
啓作が呟く。床には、縫いぐるみや、女児向けのファッションドール、再現性のあまりないデフォルメされた飛行機や鉄道車両の模型といった、低年齢向けの玩具が、パッケージもなく散乱していた。
「おもちゃ売り場の……跡?」
「だとしても、こんな風に放り出していくもんか?」
やはり床を見渡しながら、栄太が戸惑ったように声に出す。
既に20年以上放擲されている建物に、このようなものがしっかりとした形で残っているのは、確かに不自然だった。
「ん……?」
あたりを見回していると、啓作はそれに気がついた。
「マージョリーさん、あの大きな塊、なんですかね?」
そう言って啓作が指差した方向に、灯りにぼんやりと照らされた、この場にはどこか異様な、大きな物体があった。
「マルコシアス」
『あいよ』
マージョリーの声にマルコシアスが答えると、炎の勢いが強くなって、啓作が指し示した方に指向しつつ、その灯りがより広範囲を照らした。
「っ!?」
急に強くなった灯りに、啓作と栄太は、反射的に目を覆いかける。視界が戻ってきた所で、その方を見た。
「? ……何だ、こりゃ」
それは、八角形の形をした巨大な台に、都市が再現されているミニチュアのように見えた。
啓作と栄太が、それに駆け寄り、まじまじと観察する。
「玩具の……模型……?」
「これ……御崎市だよな?」
それは、この御崎市の全域を、ほぼ再現したもののように見えた。
「デケェな……それに、かなり頑丈そうだし」
栄太が、自分達の辿り着いた縁から、それに触れる。
「HO……よりでかいな、Oゲージ……1番ほどはないと思うけど……」
啓作が、観察しながら呟くように言う。
「この強度なら……」
道路の部分をぐっ、ぐっ、と手で押して、強度を確かめてから、栄太がその道路の部分に足をかける。
「おおっ、やっぱり、乗っても大丈夫だぜ、これ……」
栄太は言い、ミニチュアの御崎市の上で、足踏みをしてみる。
「大丈夫そうだ」
「どれ……」
栄太が言うと、啓作も、そのミニチュアの道路に上がった。
「しかし……すごい細かいな。アトリウムアーチも御崎大橋も……」
栄太が息を呑むようにしつつ言うと、同じようにそのミニチュアの御崎市を見回して、あるものを発見した。
「ブルーフィニティ御崎まであるぞ……それも、内装工事をやってるところまで再現されてるぜ」
まだオープン前の、全天候型ウォーターパークが、建設工事の最終工程に入っているところまで、このミニチュアには再現されていた。
「本当に模型なのか……?」
「だとしても、一体誰が……?」
栄太に、続いて啓作が、疑問を口にする。
「これ、『
啓作と栄太の後ろ側、その上の方から、マージョリーの声が聞こえてきた。そのマージョリーも、少し驚いた様子になっている。
「おお!?」
2人が思わず振り返ると、マージョリーは、空中に浮かんだ『グリモア』に腰掛けるようにして、上方から、彼女が『玻璃壇』と呼んだミニチュアの街を観察している。
タイトなミニスカートで、しかも脚を組んだ姿勢で座っているので、その扇状的な光景に、栄太が思わず声を出してしまっていた。
『確か……最後にこいつをかっさらったのは……────』
マルコシアスが、記憶をたどるかのように言う。
「“狩人” フリアグネ」
呟くように、マージョリーがその答えを口にする。
『なーるほどな。この街、あのフェチ野郎の巣だったってワケか』
マルコシアスはそう言い、
『ってーことは、他の同業者連中は、ヤツを追ってやってきた?』
と、疑問形でそう言った。
「そーいうことでしょーね。本人が健在なら、こんなレア物があるところまですんなり通すわけがないもの」
マージョリーは、マルコシアスの言葉を肯定するようにしつつ、どこか呆れたような口調でそう言った。
『ハ! つるんでんのかたまたまなのか知らねーが、2人がかりだとしても、あの “狩人” を討滅するたぁ、なかなか見所のありそーな連中じゃねーか』
マルコシアスは、ハイテンションな口調のまま、感心してるんだか面白がってるんだかといった様子で言う。
「そいつらがこれを見つけなかったのは幸運ね……これを見つけただけでも、あちこち調べた甲斐があったわ」
マージョリーが、そう言って薄く笑う。
「ラミーのクソ野郎を探し出すのにも、 “銀” のとの関わりを辿るのにも、役に立つはずよ」
その笑顔は、酷薄そうにも見えた。
「このミニチュア、そんなに凄い道具なんですか?」
栄太が、戸惑った様子で、マージョリーに問いかける。
「ふん、そうね……実際に動かして見せれば早いかしら」
マージョリーは、口元に指を当てつつ、僅かに逡巡してから言い、
「マルコシアス、できるわね?」
と、マルコシアスに問いかけるように指示をする。
『ああ、こいつを動かす程度なら軽いぜ』
マルコシアスは、多少言葉のテンションを落としつつ、そう答えた。
すると、マージョリーは『グリモア』から、するりと滑るようにして、『玻璃壇』の、ミニチュアの旧依田デパートの屋上に、ゆっくりと軟着陸しようとする。
「せー……のッ!」
タンッ、と、着地するその際に、左足のヒールで