「今日は、付き合ってくれてありがとう」
エレベーターで1階に降りた所で、一美が、満面の笑顔でそう言った。
「…………別に、お礼を言われる様なことはしてない。 ……ただ……」
シャナは、一旦は愛想もなく言いかけたが、言葉尻を少し濁した。
「ん?」
「その……気分転換がしたかったから……」
一美が短く声を返すと、シャナは、決まり悪そうに視線を逸らしながら、そう言った。
「あ、そうなんだ……」
一美は、そう言うものの、穏やかな笑顔でシャナを見た。
シャナは、少し気まずそうになる。
『でも、1人で抱え込んでいて、それがどうしても堪えきれないものなら、誰かに支えてもらったとしても、それは弱さなんかじゃない』
一美に対して、そう言ったのは当のシャナだ。
だが、今、自身はその、堪えきれないものを抱え込んでしまっている。
けれど、それを一美に ──── “紅世” と
アラストールを除けば、最も身近な者は悠二だが、彼には直接には言い出せない事だった。
「それに、ついでもあったし」
シャナは言う。それはウソではなかった。
「ひょっとして、パン屋さん?」
シャナがいつも昼食にチーズデニッシュを食べているのを見ていた一美は、そう推測して訊ねる。
「そうだけど……」
一美に言い当てられ、シャナは、覇気がない様子で、どこか曖昧に答える。
「じゃあ、付き合ってくれたお礼に、美味しいパン屋さん紹介してあげる」
一美は、笑顔でそう提案した。
「!?」
シャナが、ひょいっと視線を上げる。
「藍沢町の『コハーニャ』も美味しいけど……こっちのは、県外からお客さんが来るほどの評判なんだ」
「行く」
現金というかなんというか、一美の言葉に、シャナは、今度は即答した。
「それじゃあ、こっち……」
一美はそう言って、踵を返しかけたが、
ドンッ
「きゃっ……」
シャナの方に視線を向けたままだったため、不注意で、ビジネススーツ姿の男性とぶつかってしまった。
「あ、ご、ごめんなさい」
「す、すみません」
一美と、ぶつかってしまった男性とは、お互いに謝罪の言葉を口にする。
「!」
シャナが短く声を上げた。一美の持っていた手芸店の包みから、ボタンが転がり落ちて、コロコロと歩道の上を転がっていく。
シャナは、咄嗟にそれを追いかける。
転がっていったボタンは、シャナが追いつくより前に、女性向けのスニーカーの爪先にあたった。
そのスニーカーの主が、ボタンに気付いて、それを拾い上げる。
「それは……──── えっ?」
シャナは、ボタンを拾い上げた人物を見て、絶句し、それを凝視してしまった。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン ────
鼓動が早くなる。息苦しさを感じる。それは精神的な圧迫でもあったが、ついさっきまで思い悩んでいた事とは、まったく異質なものだった。
── フレイムヘイズ? 少し違う……? こんなに近付いているのに、 “王” の気配がほとんど感じられないなんて……
普段、 “徒” に気取られないよう、 “力” の気配を抑えているフレイムヘイズは多い。シャナ自身はそれをしなかったが、多くのフレイムヘイズはそうしている。現に、悠二もそうだ。
だが、目の前の相手から “力” がほとんど感じられないのは、それとは異なるように感じた。
それに、シャナが感じる違和感は、それだけではなかった。 ──── 否、そんな事は、とるに足らないことと言ってすら良かった。
「これは、君の落とし物なのかな?」
相手は、ニッコリと笑い、拾い上げたボタンを差し出してくる。
だが、シャナはそれどころではない。
── どうして、コイツは、コイツは……────
── 私と、同じ姿をしているの……────────
「うわ……」
「すげぇ!」
その光景に、啓作と栄太は、驚きの声を上げる。
ミニチュアの御崎市を、人を模した様なコマが、歩きまわっている。
「うぉ、電車まで……」
啓作が言う。8両の基本編成がステンレスで片側4扉の307系のものと、普通鋼製で3扉の8200系のものとが、わざわざ再現されてすれ違っていく。
「かなり昔、
マージョリーは、好奇心旺盛そうにあちこち見ている2人に、そう説明した。
『天裂き地を呑むってぇ化け物だったんだが、都作った途端、フレイムヘイズに袋叩きにされちまって一発昇天よ、ヒヒッ』
マルコシアスが、妙に楽しそうに、 “祭礼の蛇” について説明する。
「け、けれど姐さん」
あたりを見回しつつ、栄太が訊ねる。
「それがここにあるってことは、さっき言ってた “狩人のなんたら” っやつがここに持ってきた、って事ですよね?」
「そーいうことになるわね」
マージョリーは、面白くもなさ気に答える。
「でも、だとしたら……マージョリーさん、そいつはここで、何を見張っていたんです?」
今度は、啓作がマージョリーの方を向いて、問いかけた。
「ああ、それは多分……これね」
マージョリーはそう言うと、群青色の光をまとわせた右手の指先を、パキン、と鳴らした。
すると、暗転するかのように『玻璃壇』の表示が変わり、先程の人のコマが消え、代わりに、ターボライターのように噴き出すように燃えている、小さな炎が無数に浮かび上がった。
「やっぱり多いわね。こんなにたくさん……」
『何かしら意味があってやってたんだろーが、やっぱしそれをフレイムヘイズに勘付かれた、ってトコだろーな』
マージョリーが淡々と言い、マルコシアスはそれに続けて、何かを思案するかのような口調で言った。
「な、なんだ……」
啓作が言い、栄太と共に狼狽えるような動きをしながら、顔の血色を悪くする。
「なんか……見ているだけで、気持ち悪……」
「姐さん、これは?」
栄太が、マージョリーの方を向いて問いかける。
「説明したでしょう?」
マージョリーは、落ち着き払った様子で、あっさりと言う。
「トーチよ」
「!」
マージョリーの言葉を聞いて、啓作と栄太は、驚愕のあまり身体を慄かせた状況で硬直させ、口を開けて絶句する。
「くっ……喰われた人!?」
ようやく、栄太がそう言うと、
「こっ、こんなに……っ」
啓作も血の気の失せた表情で、詰まりがちに声を出す。
そして、2人は顔面蒼白の状態で、お互いを見る。
「馬鹿、あんた達は違うわよ」
マージョリーは、どこか面倒くさそうにしつつも、バッサリとそう言った。
「トーチだったら最初から声なんかかけやしない」
マージョリーは言いつつ、『玻璃壇』の示すトーチの様子を一瞥する。
「まぁでも、これだけ喰われてるとなると、あんた達の家族や知り合いにはトーチがいるかもね」
マージョリーが、ため息交じりの様子で言った。
「嘘……だろ……」
啓作が、なんとかと言った感じで、絞り出す様に言う。
「嘘じゃないわ」
マージョリーは、明らかに意識して、感情を消した口調でそう言う。
「これは、良いも悪いも関係ない」
その淡々とした口調が、逆に酷薄に、残酷に聞こえる。
「ただの、 “本当の事”」
──────── ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……
やたらと鼓動が重く激しく感じる。どんな強敵と向き合った時にも感じたことのない圧迫感。
パンツルックながら、スリーブレスの前開きのシャツは、女性らしさをアピールする装い。だが、それに身を包んでいるのは、自分と寸分違わぬほどにそっくりな顔、背格好の少女。
しかも、その胸には、『コキュートス』と、その嵌っている宝玉の色以外、まるで同じ意匠のペンダントがネックレスで下げられている。
ドッペルゲンガー……大昔の人間が作り上げた虚構の産物だ。だが、ひょっとしたら何者か、 “紅世” の者が、それを再現したのかもしれない。だとしたら、最後は ────
「やだなぁ」
シャナが身構えていると、その、シャナそっくりの少女は、明るく笑い飛ばすような苦笑を浮かべる。
「そんなに緊張しなくても、この場所でどうこうするつもりはないよ」
そう言って、少女は両腕を緩く開いてみせた。
「ほら、ボクは何も武装を持ってないし、何をしてもいない。解るよね?」
少女はそう言うも、シャナは、身構えた姿勢の身体から緊張を解こうとはしない。ただ、敵意がないのは感じられたので、シャナも『夜笠』を
「近衛さん」
シャナの背後から、一美の声が聞こえてきた。シャナの緊張が一気に高まる。
「えっ!?」
シャナの背後まで来て、一美も驚いて目を
まるで鏡に写したように、シャナそっくりの少女が、向かい合って立っている。
「えっと……」
「ん……」
一美がどう言葉をかけて良いのか迷っていると、向かい合った少女の方が、一美が持っていた手芸店の紙袋に気がついた。
「あ、そっか、これはそっちのお嬢さんの落とし物だね」
そう言って、少女は白いボタンを一美に差し出した。
「あ、ありがとう」
一美は、そう言って、シャナの肩越しに手を伸ばすようにして、少女からボタンを受け取ろうとするが、
「でも、お嬢ちゃんって……あなた、いくつ?」
と、訊ねる。
「あ、やっぱそうくるのね」
シャナそっくりの少女は、まるで’80年代のアニメで見られたような、カクン、と首を下に曲げるリアクションをした。
「え、えっと……?」
「一応君たちより年上だから……これでも、ね」
そう言って、ボタンを一美に渡してから、ポーチからライセンスケースを取り出し、自動車運転免許証を見せた。
「あっ……す、すみません!」
一美は、慌てて謝罪の言葉を口にし、一歩下がって、深く頭を下げた。
「いいよいいよ、慣れてるから」
少女 ──── のように見える、一美より年上の女性は、手を振りながら、苦笑してそう言った。
「ところで、さっき話してたのを聞いたんだけど……この近くに美味しいパン屋さんがあるんだって?」
ころっと表情を変えて、人懐こそうな様子で一美に訊ねる。
「あっ、はい……」
一美は、何故か警戒しているようなシャナにちらっと視線を向けつつ、一瞬、困惑したような声を出してしまう。
「あの、あなたも『ミレ・ヴィクトワー』に?」
「店の名前は知らなかったな」
一美の質問に対し、女性はそう答える。
「この街には、別の用で来たからね」
「お仕事、ですか」
女性の言葉に、一美はそう訊き返す。
「まぁ、そんなとこ」
最初はシャナそっくりに見えたその女性だったが、話してみると、フランクというか、どこか飄々とした様子で、笑顔を絶やさない様子で振る舞っていて、だいぶイメージが異なった。
「まぁこの後はそんなに急いでるわけでもないし、美味しいパンには目がなくてね」
「は、はぁ……」
女性のあけすけな様子の言葉に、一美もどこか正体が掴めず、少し呆気にとられてしまう。
「えっと……それは……」
一美は、戸惑ったような声を出しつつ、視線をシャナに向ける。
「私なら、構わない」
一美の言葉の意味に気付いて、シャナはそう言った。
「でも……」
シャナ自身はそう言うものの、女性の態度には、敵意とか害意とか言うものを、少なくとも一美は感じ取れなかったが、何故かシャナが警戒している様子に、一美も戸惑った対応をしてしまう。
「むしろ、一緒の方がいい」
シャナは、そう断言した。シャナは目の前の女性が、 “紅世” に関係している者であれば、逆に目を離さない方が良いと考えていた。最悪一美を巻き込んでしまう可能性もあるが、封絶無しでいきなりおっぱじめるような相手ではないと判断した。
「そ、そういうことなら……」
一美は、シャナの険しい表情は気になるが、とりあえず同道を許諾した。
「よろしく。あ、ボクの名前は
「あ……私は吉田一美って言います」
名乗った女性 ──── 恵華に対し、一美はすぐに自分も名乗った。
「私は近衛史菜」
シャナは、表向き使っている名前で、相手に名乗った。
「コノエシイナ……?」
恵華は、シャナの名乗りを反芻するように呟いてから、右手の人差し指を口元に当てて、視線を上げた状態で、少し逡巡する。
「それは、君の本当の名前なの?」
視線をシャナに戻して、そう訊ねる。
「え……?」
先に、一美が戸惑ったような声を出した。
「そうよ」
シャナは、険のある表情で、きっぱりとそう言った。
「ふぅん……」
恵華は、あまり納得していない様子だったが、
「ま、いいや」
と、あっけらかんとそう言った。
「じゃ、案内お願いできる?」
「あ、は、はいっ」
恵華が人懐こそうな表情で明るく笑いながら言うと、一美はすこし詰まりがちに
「その、こっちです」
一美は、少しハラハラとしながらも、先導して歩き始めた。