「あー美味しかった。これなら毎日でも……あ、でも『コハーニャ』とどっちにするか迷うなぁ」
『ミレ・ヴィクトワー』でのブランチを終え、シャナと一美、恵華が、その店内から出てきた。
恵華は、満足そうな様子で言い始め、途中から腕を組んでわざとらしく小首を傾げた。
一美は、恵華の性格をひと通り見て、穏やかな笑みを浮かべていた。一方、シャナはまだ完全に心を許していないようで、恵華をヤブニラミするようにじーっと視線を向けていた。
「さて、と」
少し歩く。有名店のある場所ではあるが、少し路地を入り込んだところにある為、そのあたりまで離れると、人通りはそれほど目立たなくなる。
その、あまり人通りが気にならないところを狙ったかのように、から離れた所で、恵華は一美に近寄った。
「一美」
「えっ?」
恵華は、一美の名前を呼ぶと、自分の方を見た一美に対し、その顔に向かって左手をかざす。
すると、一美は急に眠ってしまったように、意識を失った状態になり、ゆっくりと倒れ込む。
「おっと」
恵華が、崩れかけた一美の身体を受け止めた。
「っ、お前!」
シャナが、牙を向くような勢いで恵華を睨む。まだ『夜笠』は
「待って待って」
戦闘態勢に入りかけたシャナを、恵華は、一美を抱えていない方の左手で、シャナを制するように手を振った。
「とりあえず、君
恵華は、苦笑しつつも、害意や敵意といったものとは無縁の様子で、シャナに対してそう言った。
ドォオォォォン……
旧依田デパート、7階。
「うわっ!」
「マジかよっ!!」
啓作と栄太が『玻璃壇』に注視していると、この旧依田デパートのミニチュアの最上段で、群青色の爆炎が大爆発を起こした。それは音こそ聞こえなかったが、まるで視覚からその音が感じられるような激しいものだった。
「す……」
「すげぇ……!」
啓作も栄太も、その光景を呆然と見ていることしかできなかった ──── はずだったが……────
「今、本当にこの上で……マージョリーさんが戦ってるんだよな……」
啓作は、天井を見上げるようにしながら言う。まだ屋上との間には、8階、9階が挟まっているとは言え、これだけの爆発があれば、多少なりとも音と振動が伝わって来そうなものだが、2人の言葉以外は、不気味な程に静寂が支配している。
「でも……」
「ああ……」
啓作が、何か懸念を抱えた表情で声を発すると、栄太も、言わずとも理解できている、という様子で返した。
「…………」
「…………」
2人とも、何か逡巡するように、僅かに沈黙した後、
「俺が見てくる」
と、啓作が、覚悟を決めた様子の険しい表情で、そう言った。
「田中はここで、『玻璃壇』を見ていてくれ」
「だ、大丈夫なのか?」
栄太は、啓作の言葉に驚いて、反射的に訊き返す。
「遠くから見に行くだけだ……『玻璃壇』になんかあったら、携帯にかけてくれ」
啓作は言うが、封絶の中では携帯電話が通じないことを、2人は理解していなかった。
「わ、解った」
栄太のその返事を聞くと、啓作は、階段に向かって駆け出していた。
「イキがってた割には、あっけないわねぇ」
『ヒッヒ、もうちょっと歯ごたえがあると思ったんだがなぁ』
爆煙が晴れ、傷ついた床面を見下ろしながら、マージョリーとマルコシアスはそう言った。
しかし、その一瞬後、数発の
「くっ……」
マージョリーは、屈辱を感じたように声を漏らしたが、それも一瞬のこと。
「どうせ殺るんなら、そう来なくちゃねぇ!」
『っハ、まだまだ楽しませて貰うぜ』
マージョリー達の言葉とともに、再びトーガの分身が、旧依田デパート屋上の上空を占めるように、無数に出現する。
「星よ!」
悠二は、『トライゴン』を振るい、次から次へと光弾を放って、片っ端から “トーガ” を撃ち砕こうとする。
『落ち着いてください悠二、闇雲に撃っても本物には当たりません!!』
「そんな事、解ってる!」
ヘカテーが、必死に冷静を取り戻させようとするが、悠二は、そうぶっきらぼうに言っただけだった。
「“嵐の夜に 家の中”」
『“屋根がないから ずぶ濡れよ” っと』
マージョリーとマルコシアスの
「っ!」
悠二は、やはり攻性防壁を張って凌ぐ。だが、その上部に直接降り注いでくる炎は防げても、その周囲に降り注いだ炎弾は、群青色の炎が小さな渦を描くようにしながら、攻性防壁の張られていない脇から入り込んでくる。その、火の粉と言うには大きすぎる炎の断片が、悠二の制服を、焦がし、擦れさせ、切り裂いていく。
「よっ、と」
恵華は、ベンチに一美を横たわらせた。
一美とシャナがいた手芸店と、『ミレ・ヴィクトワー』の、ちょうど中間にある、戦国時代の砦跡だと言われる記念公園。
遊具が置いてある子供の遊び場というよりは、樹木が多く植えられて、落ち着いた雰囲気になっている。
シャナは、恵華が一美を抱えているため、即行動に移すことができず、その後をついてきた。
「それからっ、と」
恵華は、右手を振り上げて人差し指をかざし、軽い自在法の波紋を放った。
「軽い認識阻害の自在法をかけた。まぁ、結界って言うより、おまじない程度だけど」
恵華は、そう言って、シャナの方に視線を向けた。
シャナはまだ『夜笠』や『贄殿遮那』を
「そんな怖い顔しなくても大丈夫だよ。ただ、彼女に聞かれたら拙い話をしたかっただけだから」
恵華が、困ったように苦笑しながら言うと、
『なるほど……』
と、無言のシャナに代わって、アラストールが声を上げた。
『ならば、
「アラストール……」
シャナは、少しだけ警戒を緩めつつ、自身の “内なる王” の名前を読んだ。
『それならば、こちらにも聞きたいことは山程ある』
「だろうね」
アラストールが言うと、恵華はあっけらかんとした様子のまま、苦笑しつつそう言った。
『まず貴様は一体何者だ? フレイムヘイズのように感じられるが、それにしては “内なる王” の気配が小さすぎる。その事も説明するのであろうな?』
アラストールは、いささか不躾な口調で問い質す。
「ボク? ボクは、 “
恵華は、刀も持たずに、抜刀術の構えのようなポーズを取って、不敵な笑みでそう言ってから、
「なーんてね、今のところ
と、身体を起こして後頭部に上でを回して、気恥ずかしそうに、決まり悪そうに苦笑した。
『その……
アラストールが、呆気にとられた雰囲気を纏いながら問い返す。シャナは、恵華の動きを見て、身構えた姿勢のまま、口をぽかんと開けて目を点にしている。
「それは、ボクの “内なる存在” が、 “王” の格に足らない “徒” だからだよ」
そう言って、恵華はネックレスで下げていたペンダントを、その鎖に親指をかけて、持ち上げてみせた。それは、嵌っている宝玉の色が深緑である以外、『コキュートス』とまったく同一の意匠だった。
『お久しぶり、 “天壌の劫火”。 “螺旋の風琴” リャナンシーだよ』
『なんだと!?』
恵華のテンションそのままに、ペンダントからその声が聴こえてくると、アラストールは驚愕の声を上げた。
「知ってるの? アラストール」
『ああ、知っている。シャナ、もう警戒は必要ない』
アラストールがそう答えると、シャナは、完全に警戒は解かないまでも、身体の緊張を解いて、直立の姿勢になった。
『アラストール、って事は、それが当代の “炎髪灼眼” って事かな? 名前は何ていうの? さっきのは、なんか誤魔化しの名前のように聞こえたけど』
“螺旋の風琴” リャナンシー、と名乗ったペンダント ──── 準・神器とも言うべき『アケロン』からの声が、アラストールとシャナに問いかける。
「それは……」
『答えて構わない』
一瞬、躊躇ったシャナに対し、アラストールはそう言って促す。
『敵ではないはずだ。少なくとも今は、な』
すると、シャナは、視線を改めて恵華の方に向け直す。
「シャナ。それが今の、私の名前」
「シャナ?」
はっきりと答えたシャナに対し、しかし、恵華は怪訝そうな表情をする。
「シャナ、何ていうのかな? それとも何々シャナ、かな? それに、今の名前、って言うのは?」
そう、恵華が問いかけた。
「シャナ、だけ……」
「え、そうなんだ」
シャナがどこか気まずそうに言うと、恵華も少し気まずそうになる。
『様々な事情があってな。元々、この子には名前がなかったのだ。完全なるフレイムヘイズを目指すために、な』
「…………」
『完全なフレイムヘイズ、ね』
アラストールが説明すると、リャナンシーが、どこか淡白な口調で反芻するように言う。恵華は、どこか胡散臭そうに、シャナ、というより、『コキュートス』に視線を向けていた。
『シャナ、という名前は、この街に来てから付けられたのだ。名前がなくては不便だということでな』
「そっか…………」
アラストールが説明しきると、恵華は、軽くため息を
『今度はこちらの番だ。なぜ、貴様はこの子と同じ姿をしている』
「そりゃボクの方が聞きたいよ」
アラストールの質問に、恵華は、苦く笑いながらも笑い飛ばすようにそう言った。
「まぁ、多分たまたまだとは思うけど。世の中には自分そっくりの人間が7人はいるって、この国の諺でも言うだろ?」
『ふむ……』
恵華が言うが、しかしアラストールは、どこか
「それで」
今度は、シャナの方が恵華
「お前たちはこの街で、一体何をしているの?」
『“屍拾い” ラミーって、フレイムヘイズなら聞いたことないかな』
リャナンシーが、逆にシャナに問いかけた。
「ラミー? “屍拾い”? 弱った、消えかけのトーチを集めてるっていう?」
『そう、そのラミー』
シャナがさらに問い返すと、リャナンシーがそれを肯定した。
『“屍拾い” とは、 “螺旋の風琴” のその行為を表す名前、俗称だ』
続けて、アラストールが言うが、
「っ!」
と、それを聞いて、シャナは、いきなり表情を険しくすると、『夜笠』を纏って、身構える。
「えっ? はっ?」
話の流れからは想定できなかった、いきなりのシャナの豹変に、恵華は困惑して、目を
『待つのだ、シャナ』
アラストールは制止するが、シャナは憤怒の視線を恵華に向けていた。
「この街のトーチには、手は出させないっ!」
シャナはそう言い、『贄殿遮那』を抜きかける。
すると、恵華は、バタバタと手を振って、慌てた声を出す。
「わわわっ、解ってる解ってる。大丈夫、この街のトーチには手は出さないよ…… 出せないし」
『そう。この街のトーチは元気が良すぎて、下手に分解すると、周囲に与える影響が大きすぎて、世界の理を捻じ曲げてしまう』
リャナンシーも、やはり急ぐような口調で、恵華に続けてそう言った。
『ただ、そのトーチが元気な理由……誰がこんな大量のトーチに “存在の力” を補充するっていう、 “ばかげた事” をやったのか、それを知りたかったんだけど……君はその関係者?』
シャナの取り乱し様から、彼女がこの街のトーチに施された “ばかげた事” に関係していると見てとって、リャナンシーは説明しながら問いかける。
「違う……私じゃない、けど……」
シャナは、どこか気まずそうに答える。
『すると、この街にいたもう1人のフレイムヘイズの方だね。一度だけ見かけてはいたけど、君とは一緒にいることが多かったりする?』
リャナンシーが言い、問いかけると、シャナは頷いて肯定する。しかし、その態度からは、先程までの威勢の良さ、力強さが、なくなっていた。
だが、恵華やリャナンシーは、この時点では、それにあまり気を留めた様子がなかった。
『良かった、これでやっと取っ掛かりができたよ。アテもなく1ヶ所にとどまってフラフラしているのは、できれば避けたかったからね』
言葉はリャナンシーのものだが、まるで自分が言っているかの様に、恵華は胸をなでおろすように息を吐き出した。
『何?』
リャナンシーの言葉や恵華の言葉に、アラストールが、どこか穏やかではない声を出した。
『そうか! “弔詞の詠み手” か! あやつら、この状況でもまだお前達を追い回しているのか!』
『そう、しつこくてね。うかつに[外界宿]にも近づけないんで、困ってたんだ』
アラストールの言葉に、リャナンシーが、困惑混じり呆れ混じりの様子でそう言った。
「アラストール、知っているの?」
シャナが、自分の胸にぶら下がる『コキュートス』に視線を落として、訊ねる。
『ああ、 “内なる王” は “蹂躙の爪牙” マルコシアス。フレイムヘイズの中でも特別…… “徒” に対して一切の容赦を見せない、戦闘狂だ』
アラストールは、シャナに対して説明してから、更に続ける。
『しかし、そうだとすると不味いぞ。今、坂井悠二が戦っているこの気配は、 “弔詞の詠み手” が相手と言うことだ』
『サカイユウジ? それがもう1人のフレイムヘイズの名前? でも、フレイムヘイズ同士なら、殺し合いまでには……────』
アラストールは切迫したような声を出すが、それに対して、リャナンシーはどこか緊張感のない言葉を返す。
『その “内なる王” が問題なのだ』
『あ! そうか!!』
アラストールが言うと、リャナンシーも気がついて声を上げる。
『すでに知っているようだな。 “蒼水の撃ち手” 坂井悠二。 “内なる王” は “頂の座” だ』
「ソウスイノウチテ、か……」
アラストールの説明に、恵華がその名前をつぶやく。
『確かに、いくら今はフレイムヘイズでも、 “祭礼の蛇” の眷属の1人、[仮装舞踏会]の “三柱臣” だった彼女を、見逃すとは思えない……』
深刻な様子で、リャナンシーは言う。
『俄に信じられなかったものだから、そこまで考えが及ばなかった……』
『無理もないな。我も最初は疑ったからな。だが、 “頂の座” は、自身の描く「理想のフレイムヘイズ」足ろうとしているようではあるが』
愕然とした言葉を出すリャナンシーに、アラストールは、まずリャナンシーにそうフォローを入れてから、更に深刻そうに言う。
『まずいな。放っておくことはできまい。今からでも何か対策を……────』
だが、シャナは、覇気を失ったかの様に、背を丸めた状態で俯いている。
「大丈夫……」
「え?」
シャナが、ポツリ、と言った言葉に、恵華がキョトン、としながら、あまり緊張感のない様子で、そう短く聞き返した。
「大丈夫……アイツは、悠二は、もう……────」
その姿は、先程、リャナンシーの二つ名を聞いて、烈しい憤怒とともに戦闘態勢に入ろうとした人物とは、同一人物とは思えないような、気の抜けた、虚ろなものだった。
「──── 私より、強い……」