蒼水の撃ち手 PHASE-II   作:神谷萌

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【2024/11/28(JST基準)-改訂】


第18話 想いの帰結(後編)

 18:52

 陽は水平線より下に沈み、薄く青い空は東から徐々に夜の帳が降りてきている。

 以前、シャナや一美との関係を追求された、真南川東岸の河川敷上の橋脚の足元。

 悠二がそこへ向かって、堤防道路から河川敷に降りる階段を降りていると、降りきる前に、橋脚の影から、ゆかりが姿を見せた。

「あ…………」

 ゆかりは、階段を降りてきた悠二を見つけると、気まずそうに顔を伏せた。

「平井さん」

 悠二の方からゆかりに近寄っていき、声をかけた。

「えっと……待たせちゃったかな」

 向かい合う位置にまで来ると、悠二も困ったように苦笑しつつ、先に来ていたゆかりにそう言った。

「ううん……私が、早く来ちゃっただけだから……」

 ゆかりは、胸元に片手を当てる仕種をしつつ、悠二の顔が見えるように顔を上げるも、悠二からは困惑しているような様子で、ちらちらと視線を逸らしがちになっている。

「そっか……」

「うん……」

 悠二の短い声に、ゆかりも短く返事をする。

 会話に繋がらず、短く沈黙が流れた。

 見渡せる位置に人影はいないが、橋の上を行き交う自動車の走行音があたりに聞こえる。

「え、えっと」

 先に悠二の方が沈黙に堪えられなくなり、言葉を切り出した。

「それで……僕に話したいことがあるんだよね?」

 わざわざ呼び出したのだから、そう考えるのは自然だった。

「うん……その……」

 ゆかりは、なおも困ったように、顔だけを悠二に向けつつ、チラチラと視線を外しがちになっていたが、やがて、意を決したように、真摯な表情になって、悠二に視線を向けた。

「あのね、答えはすぐに出てたの!」

「答え?」

 ゆかりの言葉の真意を測りかねて、悠二は目を円くする。

「その…… “弔詞の詠み手” だっけ、その人達が言ってたの。この世の本当のことを知ったトーチは、絶望して発狂するか、自殺してしまうものだって……」

 ── あいつら、平井さんにそんな事まで言ったのか!

 ゆかりの言葉を聞いて、悠二は、表情を険しくしてしまった。

「悠二君?」

「え?」

 憤怒の色が見えた悠二の表情に、ゆかりは、どこか不安そうに呼びかける。それに対して、悠二は、一旦、間の抜けた声を出してしまった。

「あ、ごめん……」

「えっと、あの、その……続けて大丈夫かな?」

 悠二は、慌てたように顔の緊張を(ほど)く。ゆかりは、逆に悠二を心配するかのように、声をかけた。

「大丈夫。今日は平井さんの言いたいこと、全部受け止めるって決めてるから」

「うん……ありがとう」

 悠二がそう言って、わずかに苦笑交じりに穏やかに笑うと、ゆかりも、どこか照れたようにしながら、そう言った。

「それで、答えっていうのは?」

「うん……そう言われたんだけど、そんな気が全然しなかった。絶望する感じはしなかったし、 “紅世の徒” っていうのは怖くはあるけど、自分が消えてしまうって気はしなかった……」

 ゆかりは、少し困ったような顔をしつつ、そこまで言い、一旦視線を伏せるようにした。

「え、でも昨日は……」

 悠二は、軽く驚いたようにしながら、訊き返す。

「うん……あの人に言われた時はそう思ったよ。悠二君を残して消えてしまうって思ってた……でも、悠二君と……ヘカテーさん、だっけ? 2人にああ言われて、実際に昨日、今日って過ごしてみたら、消えてしまうっていう不安も、実感もなくて……」

「そんな事ってあるの?」

 ゆかりの言葉を聞いて、悠二は、右手を耳元に近づけて、訊ねる。

『私も、これほど大量の “存在の力” を、トーチに補充した事を経験したことはないので……なんとも言えませんが、自身の存在の希薄さを感じられず、ゆかりの様になるのかも知れません』

 ヘカテーは、敢えて、いつにも増して、事務的な淡々とした口調でそう言った。

「だから、本来なら感謝しなくちゃいけないんだと思うし、今は実際そう思ってるよ」

 ゆかりは、照れたようにしつつも、彼女らしい明るい表情で、笑みを浮かべながらそう言った。

「違う ────」

 しかし、対照的に、悠二は表情を険しくする。

「僕は平井さんを護れなかったんだ。目の前で戦いに巻き込んでしまった。むしろ恨まれても仕方ないぐらいなんだよ」

 悠二は、苦しそうな表情と、重い口調で、そう言った。その時のことを思い出す。CDショップで別れた後、フリアグネの燐子に襲撃され、喰われるのを止められなかった。

「じゃあ、悠二君がいなかったら、どうなってたの?」

「え?」

 ゆかりにそう言われて、悠二は、一瞬、間の抜けた様な短い声を出してしまっていた。

「悠二君がいなかったら、私はとっくに消えてた。違う?」

 ゆかりは、何故か妙に楽しそうに、口元で悪戯っぽく笑う。

「それは…………」

 そんな事は考えてもいなかった、という様子で、悠二は、四肢を緊張させながら、言葉に詰まる。

 フリアグネが御崎市で “都喰らい” を企んだのは、偶然ではあるのだろう。悠二は、普段は気配を抑えているため、フレイムヘイズがそこにいるとは気付いていなかったのかも知れない。悠二が燐子を妨害するようになってからも出ていかなかったのは、 “フレイムヘイズ殺し” からの矜持だろうが。

 しかし悠二がいなかったら、あるいはフレイムヘイズではなかったら。

 フリアグネの討滅そのものは、シャナがなんとかしたかもしれない。だが、彼女はトーチを延命する(じゅつ)を持たないし、そもそも悠二に出会った時、彼女はトーチをモノ扱いしていたし、討滅の為なら生身の人間を巻き込むことすら躊躇しなかった。

「私、間違ってたかな?」

 ゆかりが言う。

 よしんば悠二がフレイムヘイズ化しておらず、あの場での戦いがなかったとして、ゆかりが無事だったとしても、代わりに別の誰かが犠牲になるだけの話だ。その誰かは、本来あるべきトーチとして、今は既に消えていたとしてもおかしくない。

「間違ってない……」

 悠二は、重々しい口調のまま、なんとか吐き出すように、そう言って、

「…………多分」

 と、それが推測であることを考えて、付け加えた。

 しかし、それを聞いたゆかりは、少し困ったようにしつつも、明るい笑顔になる。

「悠二君は私の命の恩人だよ。そう思ってて欲しい」

 ゆかりはそう言って、クスクスと笑った。

「でも……────」

 悠二は、自罰的な険しい表情のまま、ゆかりを見る。

「僕が平井さんを、混乱させたり、悩ませたり、困らせたりしたのは、事実だよね ──── ?」

 悠二がそう言うと、ゆかりは突然、驚いたような困ったような、少しオーバーリアクション気味な表情になった。橋の上の道路灯から届く薄い光でも、顔が赤くなっているのが解る。

「そ、それは、確かに悠二君が原因だけど、また別の話だよぉ……」

「別の話?」

 ゆかりの戸惑った様子に、悠二もどこか気が抜けたようにしつつ、訊き返す。

「だ、だ、だ、だって、あ、あんな恥ずかしいこと、真顔で言うんだもん! 頭ごちゃごちゃになっちゃって、ワケ解んなくなっちゃって、なんて言ったらいいのかわからなくなっちゃったんだもん!!」

 ゆかりは、今まさにその時の感情を表すかのように、コミカルな感じで手振りを加えながら、そう言った。

「恥ずかしいこと、って……」

「私の事どんどん好きになってるとか、本当に池君に嫉妬していたのかもしれない、とか……」

「う」

 ゆかりに言われて、悠二は言葉を詰まらせてしまう。

 確かに、自分以外から指摘されて、客観的に考えて見ると、かなり恥ずかしい事を口走ったように思えてきた。

「それは……言い逃れっていうか、あの時はそう言うので精一杯だったっていうか……」

 悠二は、言い訳じみた言葉を発する。

「でも、嘘はついてないよね? そんな器用な事はできない、みたいな事も言ってたし」

「うん……そう……なんだけど…………」

 ゆかりの言葉に、悠二の方が、緊張して身体が引きつってしまっていた。

「私もね、今は私も悠二君が好き。そうやって責任感が強くて、そのせいでちょっとかっこ悪いところがあって、それでいて優しいところ。一美が好きになったのも解る。でも、もう譲りたくないよ」

 ゆかりは、笑顔でそう言ってから、臆面もなく悠二に抱きついてきた。

「ひ、平井さん?」

 交際を始めてから、ゆかりが、ややふざけ混じりのスキンシップを多くしてくることはあったが、それとは違い、ひったりと身体を密着させられて、悠二は戸惑ってしまう。

「本当は……別れたくなんかないよ……」

「ごめん……」

 抱きついたままのゆかりの言葉に、悠二は半ば反射的に、そう口にしてしまう。

「それって……」

「あ、ああ違う」

 ゆかりが少し哀しげな表情になったのを見て、悠二は慌てた言葉を出した。

「今のはそう言う意味じゃなくて……」

「じゃあ、どういう意味?」

 悠二の言い訳に、ゆかりが問い質す。

 悠二は、唾液を嚥下しつつ覚悟を決めると、ゆかりを抱き締め返した。

「僕も……平井さんが好きだ……」

 恥ずかしさ、照れくささをなんとか振り払って、悠二は、ゆかりにそう告げた。

「ねぇ」

 ゆかりは、腕を緩めて、悠二の顔に視線を向ける。

「名前で呼んで」

「え」

 ゆかりの言葉に、悠二は、一瞬、戸惑いの言葉を出してしまう。

「ゆかり……さん?」

「む」

 悠二が言うと、ゆかりは、一瞬だけ、ムッとしたように唇を尖らせた。

「呼び捨てじゃないんだ」

「え、えっと……」

 ゆかりの言葉に、悠二は、戸惑いの声を出してしまう。

「ぷっ」

 それを見て、ゆかりは、吹き出すようにして、くすくすと笑った。

「その方が、悠二君らしいかもね」

 ゆかりは、その笑顔を、上気したように紅潮させながら、そう言った。

 悠二は、そのゆかりの表情を見つめていたが、その目尻に涙が滲んでいることに気がついた。

「ゆかりさん、その……涙」

「あ……」

 言われて気がついた、というように、ゆかりは親指で涙を拭った。

「大丈夫、嬉し涙だから」

 ゆかりは、満面の笑顔でそう言った。

「ホントに?」

「ホントにホント」

 なおも心配そうな表情で訊く悠二に、ゆかりは笑いながら言う。

「しつこいぞ、もう」

「あっ、ごめん……」

 ゆかりは、笑顔だが少し眉を吊り上げつつも、(おど)け混じりに言ったのだが、悠二は、反射的に謝罪の言葉を口にしてしまう。

「すぐ謝っちゃうのはよくないぞ」

「あっ、ごめ……そ、その、直すよ」

 ゆかりの言葉に、悠二は決まりそうに、途中で「ごめん」と言いかけて、言い直した。

「でも、本当に謝らなくちゃいけないのは私の方かな。私がすぐにハッキリ言えなかったから、悠二君を思い悩ませちゃったのが悪いのかも」

「そんな……」

 ゆかりの言葉に、悠二は戸惑ったように言う。

「ゆかりさんは悪くないよ。そもそもは僕が原因なんだし」

「でも、もう離れたくないよ」

 ゆかりは、そう言って、再び悠二に抱きついてくる。

「うん……僕もだよ」

 悠二はそう言って、抱き締め返す。

 お互いしっかりと抱き締めあった後、腕を少し緩める。お互いの顔が見える姿勢になる。ゆかりが背伸びをして、顔を近付けながら、軽くまぶたを閉じる。

「んっ……」

 どちらからともなく、唇を重ねる。重ねるだけのキスだが、しっとりと押し付けあって、吸い合う。

 ゆっくりと離れると、自然に2人の腕が解ける。ゆかりは、悠二に穏やかな表情を向ける。

「ちょっと遅くなっちゃったけどね、本当は夕日の頃に来たかったんだ」

 ゆかりが言う。周囲は薄暮の時間が過ぎて、すっかり暗くなっている。

「ごめん、ちょっと携帯通じないところにいたから……」

 悠二は、申し訳無さそうに謝罪の言葉を発した。

「あ、大丈夫、別に怒ってるわけじゃないから」

 少し慌てたように、ゆかりは言う。

「少し橋から離れたところから見る夕焼けがね、とても綺麗なの。悠二君にも見せたかったんだ」

「そう、なんだ」

 ゆかりが言うと、悠二は、穏やかな笑みになって、そう返した。

「私、その景色がとっても好きなんだ」

 ゆかりの言葉に、悠二は、わずかに間をおいてから、

「護るよ、僕が」

 と、穏やかだが、芯の強さを感じさせる笑みで、そう言った。

「その景色も、この街も、ゆかりさんも」

「頼もしいな」

 悠二の言葉に、ゆかりは、そう言って、クスクスと笑った。

 

 ── やれやれ、雨降って地固まりましたか。

 ヘカテーは、声に出さずに呟いた。

 

 

『なんと言う。坂井悠二と “頂の座” は、こちらに気付いているだろうに』

 アラストールが、呆れつつも少しの緊張が混ざり、少し震えた声を出した。

 ハープ橋の御崎大橋、その橋の路面から更に高く突き出た橋脚の頂点から、シャナは悠二を()()していた。

「あれ、そんなにいけない事なの?」

 シャナが、アラストールに訊ねる。

『いや、別に悪いことだとは……いやしかし、衆人の目があるかも知れぬところでするようなモノでは……とは言え、流れや勢いというものもあるし……ううむ』

 アラストールが煮え切らない言葉を出す。

 悠二とゆかりがキスしているところをシャナが見てしまい、アラストールはそれをどう説明したものかと、困惑しているところだった。

「アラストールがどうして困っているのかはわからないけど……」

 シャナは、ニュートラルな表情でそう言い始めたが、

「でも、なんだかドキドキして、胸が熱くなってくる」

 と、そう言うと、口元でかすかに笑った。

『シャナ、お前……』

 アラストールは、咎めるような声を出しかけたが、どう言うべきか躊躇い、言葉を詰まらせてしまう。

「ううん、違うの」

 シャナは言うと、口元で穏やかな笑みを浮かべながら、胸を撫でるようにして、言う。

「この気持は『悔しい』でも、『悲しい』でもない。『羨ましい』なのよ。ゆかりにじゃなくて、悠二に対してね」

 彼女にしては珍しく、穏やかな口調でそう言った。

『それは、しかし……』

「大丈夫、使命を忘れたりなんかしない」

 煮え切らない様子で、何か言いかけたアラストールに対し、シャナは落ち着いた口調で言う。

「でも、悠二には()()があるから、使命の重みを感じることができていると思うの」

『ううむ……』

 シャナの素直な気持ちの吐露に、アラストールはどう言ったものか、反論すべきか肯定すべきなのかも判断できず、ただただ唸るだけだった。

 

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