「ねえ、思うんだけど」
23時過ぎ。坂井家。
「どうして『贄殿遮那』を使ってはダメなの?」
悠二に憮然とした表情を向けながら、シャナは不満気に言う。
シャナに自在法の使い方を教える、という、シャナと悠二との約束で、日付が変わる前の1・2時間をかけて、修練を始めた、のだが……
今、悠二がシャナに教えているのは、ハッキリ言って初歩中の初歩 ──── 媒介を使わず、炎を発現させる、というものだった。
「どうしてって……だって、まずはそれができないと、複雑な自在法で使うような “存在の力” を制御出来ないだろ」
悠二は、どこかうんざりしたような口調になってしまう。
悠二がこの時間に、シャナから『贄殿遮那』を取り上げるようになってからのここ数日、文字通り毎日繰り返されているやり取りだった。
“紅世” に関わる者にとって、炎は、その根源である “存在の力” を象徴するモノであり、その力を術式を介して編み上げることによって、 “この世” の
それに ────
『シャナ、貴方は “炎髪灼眼の討ち手”。その内に秘める炎は、 “この世” はおろか “紅世” に至るまで、遍く天を
悠二の右手中指に嵌まる『ニーベルンゲン』から、ヘカテーが、やり慣れてなさそうな声の抑揚で、シャナを諭す。
かつてヘカテーは、シャナを “炎髪灼眼の討ち手”、もしくはそれを略して “炎髪灼眼” と呼んでいたが、御崎市に危機をもたらした “紅世の王”、 “狩人” フリアグネとの戦い以降、悠二に倣って “シャナ” と呼ぶようになった。
「そんな事、解ってる」
ヘカテーの言葉は逆効果だったようで、シャナは不貞腐れたように、ぶっきらぼうな口調でそう言った。
『でしたら……その秘めたる炎を使いこなせれば、フレイムヘイズとしては最高峰の力を手にすることになるのです』
その事はヘカテーには面白くない事、と言うより、そもそも本音では自分を “内なる王” としている悠二が、必ずしも太刀打ちできない、とは考えていない。もちろん『零時迷子』の力を除いたとしても、だ。
だが、今はそう言わないと、シャナが悠二の指導を素直に受けそうになかったので、建前として言っているだけだ。
今、シャナは2つの “使命” を背負っている。ひとつは、悠二に蔵されている宝具・『零時迷子』が、万一にも他の “徒” に渡らないようにする事。もうひとつは、元々はフレイムヘイズと積極的に対立する関係にある紅世の組織・[
しかし、場合によっては複数の “徒” と戦うことになるこれらの使命を、今のシャナが全うしていくことは、困難にもなってくるかもしれない。
── それどころか、最悪足手まといになることも考えて置かなければならないかも知れません。
ヘカテーは声に出さずに呟く。『零時迷子』を求めて複数の “徒”、あるいは強大な “王” が襲撃してきた場合、近接戦闘に特化しすぎているシャナは不利だ。だが、悠二にとっては、シャナは既に “自分の世界の中の住人” であり、見捨てるということは考えないだろう。
「僕だって、ほら」
悠二は、右手で指を鳴らし、ボッ、と一瞬、オイルライターのそれよりいくらか派手な “明るすぎる水色” の炎を出現させた。
「ヘカテーの力でも、この程度は『トライゴン』無しでも簡単に出せる」
実際には、今のは何かに攻撃を加えるわけでも、何かに点火するわけでもなかったので、思い切り抑えたのだが、それを言ってしまうとシャナが更に臍を曲げかねない。
『“天壌の劫火”、貴方からも言ってください』
『ああ……うむ……』
ヘカテーが促すと、シャナの胸元のペンダント型神器・『コキュートス』から、アラストールが、煮え切らない様子の声を漏らす。
『残念だがシャナ……今は “頂の座” の言う通りだ』
アラストールは、言いにくそうに言葉に出す。
『今までのように、活動している “徒” を探し出して討滅するだけなら、今までの戦い方でもよかろう……しかし、「零時迷子」を狙う襲撃者が現れたとすれば、それだけでは不充分なのだ……』
「…………あーっ、もう、うるさいうるさいうるさい!!」
アラストールにまで言われ、シャナはいい加減うんざりしたように、首を振りながら、乱暴に声を張り上げる。
「だれも、やらないって言ってないじゃない! やれば良いんでしょ!!」
そう言うと、本来は
── そう、別に炎の修練が嫌だっていうわけじゃないのよ。
シャナは、口には出さずに言う。それはシャナの本心ではあった。
思い通りにいかないので拗ねている、と、悠二とヘカテーは認識していた。それも誤りではないのだが、それだけでは完全な正解とはいえなかった。
シャナは、腕を伸ばし、前方に向けて手のひらを広げる。
その傍らに、悠二が立った。
「自分の中の……アラストールの感じる炎に集中して……」
悠二は、ゆっくり諭すように言う。
そこまでは、言われなくとも、悠二と出会うより以前からできた。
ここからが、問題だった。
「その熱を導いて……腕の中を通して……手のひらに」
これが上手くいかない。アラストールの “炎” を感じることはできるのだが、それが、 “器” である自分の身体を思うように流れて行かない。
「焦らなくてもいい、腕をパイプにしたつもりで、導いて……」
悠二の方は、腰を据えたように、根気強く、導いていくように、優しく柔和な口調を心かげて、そう言った。
……だが、そこでシャナが短気を起こしてしまった。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
シャナが、強引に炎を発現させようとする。
『いけません!』
「駄目だ、シャナ!」
ヘカテーと悠二が、シャナを制する言葉を発するが、その一瞬後 ────
ちゅどぉおォォォン…………
紅蓮の閃光と共に、シャボン玉が弾けるように、窓ガラスが粉々になりながらサッシごと吹き飛ばされ、爆炎が吹き出した。
暴走した炎が爆発した結果、室内はメチャクチャになり、焦げたり煤まみれになっていたりした。
封絶を張っていなかったら、大騒動必至である。
「ケホッ、ケホッ……」
煤混じりの煙が晴れた後、軽く咳き込むシャナと、往年のドリフコントばりに真っ黒に煤けた悠二が現れた。
「きょ、今日は、この辺にしとこうか……」
悠二は、口元から煤混じりの息を吐きだしつつ、よれよれになったような感じでそう言うと、そのまま、その場でひっくり返った。
『悠二!!』
「んぅ……?」
真南川の河川敷に駐車したドミンゴの、その助手席をフラットにした状態で毛布を被って寝ていた恵華は、目を覚ましてしまう。
「なんだい……今の……」
寝ぼけた様子で、住宅街の方を見ながら、そう呟いた。
「んん……?」
武蔵御崎駅前商店街の一角にある、屋根の付いたアーケード街。かつては賑やかな場所だったが、今はクルマが入りにくいということで、シャッター通りとまではいかないが、ポツポツと空きテナントが目立つ。
もっとも、今、賑わいがないのは、単に、既に時間が深夜であることが理由だったが。
そのアーケードに面した、旧い小型商業ビルの上階テナントへの階段で、マージョリーは、夜を越そうとしていた。
フレイムヘイズにとって、屋根もない場所で夜を過ごすのは、珍しいことではない。
周囲には、マージョリーが開けたヱビスビールの500ml缶が、2本ほど置かれていた。
「なによ、こんな真夜中に大騒ぎしている馬鹿は。どこのどいつ?」
『おお、目、覚ましやがったか。わが麗しの眠り姫、マージョリー・ドー』
マージョリーが常に持っている、ベルトで封印された巨大な本から、あの男性の声が発されてくる。
「そりゃ、いくら封絶張ってようが、こんなバカでっかい “炎” 出されたら、目も覚めるってものでしょうが」
『ちげぇねぇ』
マージョリーが不機嫌そうに言うと、男性の声がそれを肯定した。
「散々振り回されて、ようやくラミーのクソ野郎を捕まえられそうって時なのに……」
そう言うと、マージョリーは傍らにあった500ml缶を掴む。
「それに、あのトーチ…… “ばかげた事” をやったやつも、絶対に突き止めてやる」
グシャッ、と、空き缶が、マージョリーの手の中で握りつぶされた。
「もし、今の奴らがそれを邪魔するって言うんなら……────」
『へへっ、解ってらぁ』
マージョリーが、憎々しげな表情になり、半オクターブ低くなった声で言うと、巨大な本の声は、軽い口調でそれに続く。
『“徒” だろうがフレイムヘイズだろうが、噛み砕いて殺して殺して殺すだけのことよ。そうだろう? 我が麗しの
ゴォン……
坂井家のダイニングの、勝手口スペースで、静かに低い音が響く。
本来の家主である坂井貫太郎が、薪風呂釜なるものを導入しようと企んで、勝手口の土間に風呂釜のスペースを設けたは良いが、その貫太郎が長期海外赴任となってしまい、結局、そのスペースにコロナ製のNE-Hエコフィール、FE式石油ふろ給湯器が鎮座している。
その給湯器が、メインバーナー燃焼のためのブロア音を、深夜の、無人のダイニングで立てていた。
台所に誰もいない以上、別の場所、つまり、この給湯器と壁を隔てたところでお湯を使っている。さっきの大爆発で煤だらけになった2人のうち、レディ・ファーストで、シャナがシャワーを浴びていた。
ユニットバスのステンレス浴槽からは、既にお湯は抜かれている。オーソドックスなシャワーヘッドを持つシングルレバーの水栓を経て、シャナはその肢体に付いた煤を洗い流している。
一方、悠二はメチャクチャになった部屋を修復した後、封絶を解いた室内で、床に敷いた布団の上に、胡座をかいて座っていた。
ちなみに悠二がレディ・ファーストを心掛けるようになったのは、つい最近のことだったりする。
「それにしても……」
まだ煤けたジャージを着たままの悠二が、ため息交じりに言う。
「これって、フレイムヘイズにとっては基本中の基本なんだろ? そんなに難しいことなのかなぁ」
『そんなはずは……よしんば、炎を主体に使わないフレイムヘイズだったとしても、この程度は、契約してすぐにできるはずです』
悠二に、『ニーベルンゲン』越しに訊ねられたヘカテーが、自身も困惑気味な口調でそう答えた。
「そうすると、やっぱりシャナの、フレイムヘイズとしての特殊性に由来する、ってことか」
『ええ……』
珍しく、ヘカテーは断言口調ではない答えを返すと、
『その事で……確認しておきたいことがあるのですが、 “天壌の劫火”』
と、シャナが、入浴のために悠二の学習机の上に置いていった、『コキュートス』に、声をかける。
『なんだ……?』
アラストールが訊き返す。
『あくまで確認で……違うとは……私もありえないとは思っていますが……シャナは……彼女は…… “強制契約” の被験者ではない……ですよね?』
ヘカテーは、本意ではない側の返答を聞きたくない、それを恐れている、と言った様子で、アラストールに問いかけた。
『な!? な……な……なな、何を言っているのだ! 貴様、 “頂の座”! い、いくらなんでも、言って良いことと悪いことがあるぞ! あの子が、 “天道宮” のフレイムヘイズが、そのような外道な存在の訳がなかろう!!』
ヘカテーの問いかけを聞いたアラストールは、絶句したように声を途切れ途切れに出したかと思うと、直接言われているわけではない悠二にも、怒髪天をつくような憤りと威圧感を感じさせる怒声で、言い返した。
『違うのですね……よかった……本当に……おじさま……っ……』
しかし、ヘカテーはアラストールのその怒声を聞いて、心から安堵したような声を出した。
「それって、ヘカテーが以前言っていた、 “人為的に作られたフレイムヘイズ” の事?」
『はい……そうです……』
悠二がヘカテーに問いかけると、ヘカテーはまだ、いつもの淡々とした口調を取り戻しきっていない様子で、そう答えた。
『あれは……悲劇だった…… “紅世” の者が引き起こした事件の中では……「都喰らい」に比肩する程の……悲劇だった……』
アラストールも、その過去を思い出して、嘆くかのように声を漏らす。
「『都喰らい』に匹敵する悲劇……そんな事が、あったんだ……」
『もう、過去の事です。永遠に禁忌とされた法……』
息を呑むようにして言う悠二の声に対して、ヘカテーは呟くように言う。
『うむ……もう、二度と繰り返されることはあるまい…… “徒” と “この世” の住人、双方にとっての悲劇でしかないからな……』
アラストールもまた、ヘカテーの言葉を肯定しつつ、いつもより重々しい口調でそう言った。
だが、悠二はその、 “紅世の王” 2人の言葉を聞いて、そこはかとない不安を感じていた。
── 『都喰らい』だって、フリアグネはその禁忌を破ろうとした。なにか強い目的があるとしたら、その封印を破るものだって、居るかもしれない……────