御崎市、真南川東岸側にある、古くからある住宅街。
「ハハッ! アッハハハ!」
佐藤啓作の自宅。ステレオタイプな豪邸といった感じではないものの、それでも総床面積は西岸側の建売住宅よりは明らかに広い。その上、シアタールームやホームバーなども設けられていた。
その、ホームバーの中。長身の美女がスツールに腰掛け、カウンターにもたれかかりながら、ストレートのスコッチに氷を浮かべたグラスを手に、愉快そうな声を上げている。
「プハーッ……あ~ケーサク、ここいい、
「は、はは……それは……良かったっス……」
マージョリーが、一度グラスを煽ってから、満面の笑顔で陽気に言う。
啓作は、マージョリーの乱れ様に半ば唖然としながら答えるが、自身も未成年にも関わらず、手製のカクテルを口に運んでいた。
カランっ、と、マージョリーが手に持っているグラスの中で、氷が踊り、音を立てる。マージョリーは、嵩が半分程度になった自身のグラスをじっと見つめてから、それを口に運び、大きく煽って、残りを飲み干した。
タンッ、と、溶けかけの氷だけが残ったグラスが、カウンターテーブルに打ち付けられる。
「あんたって金持ちね。妬ましいわ」
マージョリーは、隣に座る敬作の顔を覗き込み、子供がむくれたような表情をして、じろっと敬作の顔を見つめながら、そう言った。
急接近してきたマージョリーの
『ヒャヒャ、根無し草の妬みか?』
床の上に無造作に置かれた『グリモア』から、マルコシアスがからかうように言う。
「お黙り!」
ゴンッ
マージョリーが片手に持っていたスコッチの瓶を投げると、『グリモア』に瓶の底が命中した。
「でも、そうやって口に出して貰えると、こっちもすごく気が楽ですよ」
啓作は、マージョリーとの間合いを取り直しつつ、苦笑交じりに言う。
「あっそ、じゃ、これからもどんどん口に出す事にするわ」
マージョリーは、そう言いながら、追加の氷をひとつ、グラスの中に落としたあと、そこへ、いつの間にか瓶を開けた、ジンをストレートで注ぐ。そしてそれを、今度は一気に煽った。
「で~もさ、大丈夫? ここあんたのオヤジとか、飲みに来るんじゃないの~?」
マージョリーは、グラスにジンを追加で注ぎつつ、啓作に訊ねる。
「大丈夫ですよ……親父もお袋も家にほとんど寄り付かないんです。安心して飲んでもらっていいですよ」
啓作が、自嘲するような笑みを口元に浮かべつつ、視線をマージョリーから外して伏せたようにしながら、そう言った。啓作からマージョリーを挟んで反対側のスツールに腰掛けていた栄太も、憂い混じりの表情をする。
「…………」
マージョリーは、そんな啓作の様子を見て、一瞬だけ何かを逡巡したように険しい顔をするが、
「あ、そ」
と、啓作や栄太がそれに気づかないまま、あっさりそう言って、先程までのテンションに戻る。
「そーりゃ結構、けっこ~」
言って、グラスを煽り、飲み干した。
「ふぅ」
ダンッ、と、マージョリーがグラスをカウンターテーブルに、叩きつけるように置くと、その反対側の腕が別の方向に伸びる。
『ん?』
マージョリーは、『グリモア』のショルダーベルトを手で引っ張ると、それを勢いよく振り回し始めた。
『は、始まっ……ちまっ、た……!!』
『グリモア』を振り回されて、マルコシアスが悲鳴のように声を出す。
「うわぁっ、危なっ」
「ひっ、ひぇえっ!!」
頭上で『グリモア』を振り回され、啓作と栄太は、一旦仰け反るようにしてから、スツールから腰を落として、身を低くする。
『わ、わわ!! や……やめろ、マージョリー!!』
マルコシアスが言うが、マージョリーは止まらない。
「アッハハハ! こーんな程度が避けられないよ~じゃ、フレイムヘイズは務まらないわよ~」
『あーわわわわ』
マージョリーは、無邪気な子供のような様子で、『グリモア』を頭上で振り回しながら、愉快そうに声を上げる。
「おっ、俺達は、フレイムヘイズじゃないですよ!」
啓作が慌てたように言う。
「ええ~? じゃ~私がフレイムヘイズ~?」
マージョリーは、真面目な……と言うよりは、無邪気な子供のように、キョトン、として、不思議そうに言う。その間も、『グリモア』を振り回し続ける。
「そっ……そりゃそうでしょ、
栄太がそう言いかけると、その目前に、ダンッ、と、グリモアが縦に叩きつけられた。
「へっへ~、じゃあエータはな~によ? も~しかしても~しかすると、フレイムヘイズ?」
マージョリーは、笑顔を栄太の目前に寄せて、酒くさい息を吐き出しながら、巫山戯混じりの様子で問いかける。
「い、いえ……」
栄太は、たじろぎながら、遮るように両手を立てながら、か細い声を上げる。
「あっははははは、そーか、そーか」
マージョリーは、笑いながら立ち上がると、ぽん、と手を叩いた。
「つまり~、そのサカイってやつがー、フレイムヘイズってコトな~のね~」
「!」
「!」
マージョリーがテンションそのままに言った言葉に、啓作と栄太は、はっと俄に表情を険しくする。
「姐さん!」
「別にまだ、そうと決まったわけでは……」
栄太が声を上げ、啓作が、それに続いて困惑の声を出す。
『やめとけやめとけ、酒が言わせてるだけだ』
マルコシアスが2人を諫めるが、その途端、マージョリーは再び『グリモア』を振り回し始めた。
だが、すぐに、
「あら?」
と、マージョリーの足元がもつれる。
「えっ」
「わっ」
マージョリーは、自分に向かうようにしていた啓作と栄太を、両腕で抱えるようにすると、今度はソファになだれ込むようにして、2人とともに深く腰掛ける。
「さーお酒、どーんどん注ぎなさ~い!!」
マージョリーがそう言ってグラスを突き出すと、啓作は、もはや諦めたように、新たにアイリッシュ・ウィスキーの瓶の封を開け、マージョリーのグラスに注ぐ。
マージョリーは、それを一度グラスを煽ると、またも『グリモア』を振り回し始め、陽気に即興歌を歌い始める。
「♪そ~できるならそ~したい もしできないなら どーできる♪」
『ぎゃわわわ』
マルコシアスが悲鳴を上げるが、諦観気味の啓作と栄太には、状況を甘受すること以外、何も出来なかった。
『たたー、助けてけてくれ、と今日は言えるえるのーで言うががが』
マルコシアスの言葉はマージョリーに届いていない。マージョリーは、陽気に即興歌を歌い続けながら、時折酒のグラスを口に運ぶ。
「♪それともきみはできるのか できずにきみはできるのか♪」
『助けてくーれれ』
坂井家、
悠二は床に敷かれた布団の上でゴロゴロしている。HDDオーディオレコーダー搭載のステレオが、アップテンポの洋楽を流していた。
『どこか落ち着かない様子ですね』
ソワソワとしたように寝返りを繰り返す悠二に、ヘカテーが声をかけてきた。
「あ……うん……」
『“弔詞の詠み手” の事が気になりますか』
「確かにそうなんだけど…… “弔詞の詠み手” 本人って言うか、佐藤の事で」
ヘカテーの問いかけに、悠二は、少し困惑気な口調でそう言った。
『彼は “弔詞の詠み手” のこの街での協力者でしょう』
「協力者?」
ヘカテーの説明に、悠二は鸚鵡返しに訊き返す。
『はい。追跡している “徒” を発見するために街の案内や状況を説明させたり、
「なるほど……」
悠二は、低い声で納得の声を出してから、
「でも、それだとすると、佐藤はどうなっちゃうんだ?」
『あの時も言いましたが、フレイムヘイズが生身の人間に手をかけることはまずありません……余程追い詰められた状態になれば別ですが』
「余程、追い詰められた時……────」
例外があると聞かされ、悠二は重い声を出す。
『特に今回の場合、この地に特に深く根ざしている人間を選んでいるはずですから……────』
「そう言われれば……確か佐藤の家は、市内でも旧家の部類に入るとか言ってたな……」
ヘカテーの言葉に、悠二は天井を見上げながら、呟くようにそう言った。
『そう言う存在を消してしまうと、特に歪みやすいですから』
「なるほどね……」
悠二はそう声を出してから、布団の上で身を起こした。
気分を変えようと、リモコンを手に取り、ハードディスク内のプレイリストを選択しようとして、
「…………」
と、少し考えてから、ステレオを
その時、丁度、机の上に置いてあるスマートフォンの通知音が鳴った。悠二は、立ち上がってスマートフォンを手に取る。
ディスプレイを点灯させてロックを外す。通知にあったメッセージアプリを立ち上げる。ゆかりからのメッセージが入っていて、悠二はそれに対して返信を入力し始めた。
QN401のフリップが倒れ、21:47を示した。
「あはは! あっはは!」
マージョリーは、ソファになだれ込んだ時のまま、啓作と栄太を抱えた状態で酒盛りを続けていた。
空いたグラスに、抱えていた酒瓶から酒を注ごうとするが、瓶の口からは出てこない。
「んー……? あらぁ? もーお終い?」
マージョリーはその事に気がつくと、2人を解放して立ち上がり、酒瓶の並んでいるバーカウンターの方へ向かおうとする。
「まだまだ飲むわよ~~~っと」
「あ……姐さん、そろそろやめておいた方が……」
マージョリーの泥酔具合に、栄太が、困惑しつつも制しようとする声をマージョリーの背後にかける。
「あーに言ってんのよ! まだまだこれからでしょ━━━━が……」
栄太の静止も聞かず、そう言い返そうとしたマージョリーだが、最後まで言いきりかけたところで、マージョリーの脚がぐらつき、身体が崩れ落ちる。
「!?」
「マ……マージョリーさん!?」
啓作と栄太は、驚いて声をかけながら、倒れ込んだマージョリーに駆け寄る。
『だいじょーぶだよ、ご両人』
心配そうにマージョリーを覗き込みかけた2人に、マルコシアスが声をかけた。
「え?」
啓作が『グリモア』に視線を向け、若干間の抜けた様に聞き返す声を出す。
『いつものこった』
マルコシアスは、いつものハイテンションから、少し落ち着いた口調で言う。
『バタンキューで明日の朝俺に言うのさ、「頭の中のデカい鐘止めて~」ってな』
「ほ、本当ですか……?」
栄太が、困惑気な表情のまま、マルコシアスに訊き返す。
『おいおい、わが眠れる美女、マージョリー・ドーにならともかく、俺に敬語はやめろ、気色悪ぃ …… タメ口でいいぜ』
「そ、そうか……」
栄太は、マルコシアスに返事をしながら、床に放り投げられたままの『グリモア』を持ち上げる。
「でも……なんだか、意外……だな……」
啓作は、介抱するためにマージョリーを抱きかかえようとしつつ、どこか切なげな表情でマージョリーを見る。
「うっ!?」
そのまま持ち上げようとして、その意外な重さに、啓作は一瞬、驚いたように短い呻き声を出す。
以前、体育の授業中に一美が倒れた時の事。マージョリーのように男顔負けの長身ではないとはいえ、一美も決して小柄ではない。それを、自分より華奢な悠二がひょいと抱え上げ、グラウンドから保健室までの結構な距離を、軽々と運んでいた。
『ん?』
「どうした?」
マルコシアスの声に続いて、栄太も不思議そうに訊き返す。
「い、いや……」
持ち上がらないと言うほどでもなかったので、とりあえずソファに横たわらせた。だが、その程度でもかなりの労力だとも感じた。
「佐藤?」
どこか呆然としてマージョリーを見ている啓作に、栄太は顔を覗き込むようにして、再度訊ねた。
「あ、ああ……いやさ、酒……もっと強いのかと思った」
啓作は、少し誤魔化すような口調で、そう言った。
『…………』
マルコシアスは、わずかに逡巡するように沈黙を置いたあと、言う。
『飲める量は普通だ。色々無理してんのさ』
それを聞いて、啓作と栄太は、ソファに横たわるマージョリーを見る。
「…………」
「色々……か……」
栄太が、ポツリ、と呟く。
「気ィ張り続けるってのは、疲れるもんだしな……」
啓作は、切なげな視線をマージョリーに向けたまま、そう言った。
マージョリーは、緊張の糸が切れたかのように、すうすうと寝息を立てている。
「…………」
啓作は、一旦マージョリーから視線を離し、栄太と顔を見合わせてから、言う。
「屋上で戦ってた時、凄く怒ってたな」
啓作は、再度マージョリーに、切なげな視線を向ける。栄太も、『グリモア』を抱えたまま、マージョリーを見る。
「“紅世の徒” って奴ら、マージョリーさんによっぽど酷い事したんだろうな……」
『“紅世の徒” に例外なんてあるものですか!』
『“徒” はすべて殺す、殺す、殺す、殺して、殺して殺して、殺し尽くすしかないのよ!!』
相手のフレイムヘイズに対して、マージョリーが上げた激昂の言葉が、2人の脳裏にリフレインする。
「そうだな、あんな……」
啓作は、ため息を吐き出す様な声を出す。
「フレイムヘイズは復讐者なんだろ。家族とか恋人とか、そんな感じか……」
「復讐者……家族、恋人……」
栄太の言葉を聞き、啓作は、顎を抱えるように口元に手を当てつつ、その単語を反芻する。
── もし、坂井がフレイムヘイズだとしたら、その原因は何だ?
速人から聞いた限りでは、両親が欠けているという事はないはずだ。
── だとしたら、中学、小学ン時の親友か? カノジョか? それとも……────
“紅世の徒” に喰われた人間は、最初から “なかったこと” になる。
両親は欠けていない、だが ────
── もしかして、兄妹、か?
そこまで考えてしまってから、その考えを振り払うように、首を振る。
── 何考えてるんだ、まだ、あのフレイムヘイズが坂井だと決まったわけじゃないだろう……
声には出さずに、自分に言い聞かせる。
だが、啓作は聞いてしまっていた。
旧与田デパートの屋上で、マージョリーと、あのフレイムヘイズとの間に、咄嗟に割って入ろうと飛び出した時。
『佐藤……!?』
驚いたような表情で、自分の名前を呼んだ。
そして、明らかに自分を庇った。
「…………佐藤?」
不審に感じ、栄太が啓作に声をかける。
「……いや」
口で小さく声を出しつつ、思考が自然に巡ってしまう。
『まぁ』
啓作の思いを知ってか知らずか、マルコシアスが言う。
『光景としちゃ最悪だったわな』
啓作は、栄太とともに、栄太がマージョリーの傍らに置いた『グリモア』に視線を向ける。
『見てみるか?』
「え?」
啓作と栄太は、揃って訊き返すように声を出す。
マルコシアスは、2人の反応を待たず、『グリモア』から仄かな光を放ち始めた。
すると、そこは佐藤家のリビングだったはずが、全く別の光景の只中になっていた。