そこは確かに佐藤家のリビングのはずだった。だが、今は全く別の光景が ──── 啓作と栄太には、まるで実際にその場にいるように感じられた。
中世のヨーロッパだろうか。おそらく産業革命以前の、古風な西洋の都市。
だが、その多くの建物は瓦解して、瓦礫と消し炭と化していた。崩れきらなかった柱だけが不気味に周囲に建っている。
炎と煙が上空を覆い、今が昼なのか朝なのかも判別できない。
無数の人が斃れている。ある者は炎に焼かれ、ある者は血に
女性のものと思しき、手首にブレスレットの嵌った腕。それも血濡れではあったが、まだ生気は充分あり、致命傷を負っているわけではないようだった。
光景が、ぐらり、と揺れる。どうやら、その腕の主の視界のもののようだった。寝転んだ姿勢からのように見える。
その視界の奥に、動くものがある。
それは、西洋風の全身鎧。日本人が想像する騎士の姿。
だが、その頭部から溢れ出す、一瞬、髪の毛に見えたそれは、激しく燃え盛るような、銀色の炎だった。
視界の主が近づいていっているのか、相手が近づいてきているのか、その鎧姿が傍に寄ってくる。
至近距離に寄ってくると、目元を覆うケインのスリットの内側が見える。
その下には、無数の瞳 ──── 人間のそれとはとても思えない、どこか無機質な
ギラギラと輝くその目が、不気味に歪み、視線の主に向かって見下ろしてくる ────
バンッ!
「バカマルコ!!」
打撃音とともに、マージョリーの荒い怒声が響く。その瞬間、光景が元の、佐藤家のリビングに戻った。
「……っ」
「…………」
啓作と栄太は、その寸前まで見えていた、凄惨で、恐ろしく不気味な光景に、凍りついたように立ち尽くしたまま、恐怖で引きつった様子で、口元から微かに声の混じった息を吐き出している。
マージョリーが、『グリモア』を叩いた手が、まだ『グリモア』に押し付けられている。
「あ、アンタ……何を勝手に……」
激しい怒りに、どこか恥辱を受けた様子の混じった表情で、マージョリーはマルコシアスを咎める。
だが、マルコシアスは、
『いーのさ、いーのさ。「酒で言いたいこともある」。おめえの口癖だろ』
と、軽い口調で言う。
『たまには俺も、誰かさんの酒臭ぇ息で何かを言いたくなったんだよ。我が怒れる淑女、マージョリー・ドー』
一方、啓作と栄太は、まだ恐怖に引きつった表情をしている。
「い……い……」
ようやく、といった感じで、啓作が声を漏らす。
「今の化け物が…… “紅世の徒” ……!」
なんとか身体の緊張を
「あれが、マージョリーさんの大事な人を……────」
「違う」
栄太の言葉を、マージョリーは、遮るように、はっきりとした声で否定する。ソファの上に横向きに座り込んだまま、気怠そうな仕種で頭を抱える。その様子は、昼間のスパルタンな姿からも、先程の、泥酔して若干幼児退行したような明るさからも、とても想像できるものではなかった。
「え……?」
2人が揃って声を出す。啓作も、恐怖からの緊張は解けているものの、キョトン、としたように、栄太とともにマージョリーを見た。
「違うのよ……」
「…………」
マージョリーの言葉に理解がいかなかった啓作と栄太だが、さらに問い質すことも躊躇われた。
「さっきの奴は、まだ……?」
栄太が、『グリモア』の方に視線を移しつつ、マルコシアスに訊ねた。
『ああ……俺はあの後、すぐに渡りきたはずなんだが、そいつとは接触できなかった』
マルコシアスが答える。
『探すとしても、 “徒” はこっちで好きに姿を変えられるから、あの悪趣味な格好もあてにしならねぇし……──── そもそも、
「…………」
マルコシアスの言葉に、啓作も栄太も絶句している。マージョリーも、微妙な沈黙をしていた。
だが、僅かな間の後に、
『いや、待てよ ────』
と、マルコシアスが、思いついたように言う。
『ヤツなら、何か知ってるかもしれねぇな』
その言葉を聞いて、マージョリーがはっとしたように、顔色を変えた。
「やつって……?」
そこはかとなく不安を感じつつ、啓作が訊き返す。
『“頂の座” よ。あいつがなんだってフレイムヘイズになってるのか知ンねぇが、元々はこの世で最大の “紅世の徒” の組織、[仮装舞踏会]の “三柱臣” の1人よ』
「ぐ、 “紅世の徒” の組織…………!?」
マルコシアスの言葉に、啓作が、戦慄した呻くような声を出す。
「そ、そんな物があるのか」
栄太も、絶句しかけながら言う。
『ああ、と言っても、 “徒” は人間のようには群れることに適してねーからな。あくまでトップとその眷属が運営して、普段はバラバラに動いている “徒” が、利害が一致したときだけまとまって動くってゆー、人間で言うところの互助会みたいなシロモノよ』
「そ、そうなのか……」
マルコシアスの説明を聞いて、栄太はそう言うが、啓作ともども、全く安堵の様子を見せることはなかった。
『そんで、いくつかある組織のうち、今、最大の権力を持っているのが[仮装舞踏会]でな。もともとは “祭礼の蛇” が作った組織なんだが ────』
「“祭礼の蛇” って言うと、『玻璃壇』を作ったってやつか」
栄太が、その名前に気がついて、マルコシアスの言葉を遮ってしまう形で、口にする。
『そう、その “祭礼の蛇” よ。奴さん本人は言ったようにブチのめされちまったワケだが、ヤツの3人の眷属が運営を続けていてな。その1人があのフレイムヘイズの “王”、 “頂の座” ヘカテーってワケだ』
「な、なんでそんなヤツがフレイムヘイズになってんだよ」
啓作が、険しい口調で訊き返す。
『そいつが解かりゃ苦労はねぇ』
マルコシアスは、まず、ため息交じりにそう言ったが、
『ただな、そいつは “この世” に渡り来る “徒” に、訓令ってやつを与える立場にあってな。全部とは言わねぇだろうが、かなり詳しいのは確かだぜ』
「ふふ、ふふふふふふふ…………」
マルコシアスの言葉が終わるか終わらないかのところで、マージョリーは、薄く開いた口から、低い笑い声を漏らし始めた
そのおどろおどろしさに、啓作と栄太は、身の毛をよだたせる。
「どうやら、どうしてもあのボーヤともう一度
マージョリーの低い言葉に、啓作と栄太は慄いて、たじろいでしまう。
『そういや、おめぇらあのフレイムヘイズと知り合いかもしれねぇって言ってたよな?』
マルコシアスが、落ち着いた口調で2人に問いかける。
「あ、ああ……だけど断言はできないな……」
実際に相手のフレイムヘイズを見ている啓作が、少し困惑したようにしながらそう言った。
「だいいち、坂井は人を喰う化け物に協力するようなやつじゃありませんよ……」
栄太が、困惑ぶりを無意識の手の仕種で表してしまいながら、言う。
『そいつは調べてみねぇとなんとも言えねぇ、フレイムヘイズと “内なる王” の関係なんざ、千差万別だからな』
「けど、調べるったって……」
啓作ともども少しオロオロとした様子で、栄太が訊き返すように言う。
『そうだな、ちょいと主義じゃねぇが、罠でも張ってみるか?』
「罠?」
マルコシアスの言葉に、啓作と栄太が、ほぼ同時に訊き返した。
『おめぇらのダチだって言うんなら、そいつをちょいと呼び出して、そこで封絶でも張ってみりゃいいのさ。そうすりゃ “紅世” の関係者かどうか、一発よ』
「あ…………」
啓作は、短く声を漏らし、困惑したままの顔を、栄太と見合わせた。
「い、いやそれは不味い」
どこか取り繕うように、啓作は手振り混じりに言う。
「? どうしてよ」
ソファに腰掛けたままの位置から、マージョリーが、啓作の方を向いてその顔を見上げ、問いかける。
「俺、そいつに顔見られてるんですよ? もし坂井があのフレイムヘイズだったら、俺が声をかけた時点で、警戒されます」
どこか言葉を選ぶような様子で、啓作はそう言った。
『だったら、エータの方が行けばいいじゃねーか』
マルコシアスがそう言うものの、
「いや……それも無理だ」
と、栄太は言う。
「中学の頃からの因縁で、俺と佐藤は常に一緒に行動しているって周囲には思われてる。もちろん坂井ってやつにも。だから、佐藤が顔を見られていると、俺もその事を知っていると思われていると考えていいと思う」
「だな……」
栄太の説明に、啓作が同意の声を出した。
「まーいーわ、だったら探し出して、真正面からぶつかるだけよ」
マージョリーは、落胆した様子もなく、好戦そうな怜悧な笑みを浮かべて、そう言った。
『ヒヒヒッ、その方が俺達の性に合ってるしなぁ? 我が鋭利な凶刃、マージョリー・ドー?』
「まぁね」
マルコシアスが、ハイテンションに戻りながら言うと、マージョリーは手をひらひらとさせながらそう言った。
「ま、『玻璃壇』もあることだし、逃げ出していなけりゃすぐに見つかるわよ。運が良ければ、ラミーのクソ野郎も見つけられるかも知れないし」
マージョリーは、そう言ってから、軽く欠伸をすると、ソファにごろん、と横に寝転がった。
「あの……マージョリーさん、別の部屋にベッドが余ってますけど……」
「このままでいいわ、ベッドはダメ」
おずおずと啓作が提案したが、マージョリーはそれを即座に断った。
「え?」
啓作は、思わず反射的に訊き返す。
「鍵の要らないところで寝るのは久しぶりだから……色々とヤバいのよ、雰囲気とか、心地よさとか……」
マージョリーは、顔をソファの背ずりの方に向け、2人に見せないようにしながら、ふっ、と、自嘲気味に笑った。
「もし、アンタ達に迫られたら、殺しちゃう」
「!?」
マージョリーの言葉に、2人はドキリとして、思わず赤面してしまう。
「しっ、しませんよそんな事!」
啓作は、慌てて手で遮る仕種をしながら、否定の言葉を出した。
「うーん……しょうがないので、断念します」
栄太の方は、わざとらしく真剣な表情を装って、冗談交じりにそう言った。
「んがっ!」
空気の読めない冗談を言った栄太に、啓作がその胸に肘鉄を入れた。
「ふ……」
マージョリーは、ちらり、と一瞬だけ2人を見て、軽いため息を漏らす。
「ジョークじゃないの」
2人に背中を向けたまま、マージョリーは言う。
「フレイムヘイズは何もかも強すぎて、力いっぱい抱きしめることも出来やしない……」
「…………」
「…………」
マージョリーのしんみりとした言葉に、啓作と栄太は言葉を失い、ただマージョリーの姿を見つめることしか出来なかった。
「強くないと生き残れない……けれど、そんな奴ほど長く……何百年も1人で……そう言うものなのよ」
「…………」
「…………」
啓作と栄太は、まるで我が事の様に、戸惑いと切なさ、それに僅かな憐憫を表情に出す。
『おいおい、そりゃねーぜ、我が麗しの
マルコシアスが、宥めるような、穏やかな口調で言う。
『俺がいるだろ?』
「フッ……」
マルコシアスの言葉に、マージョリーが薄く笑みを零す。
「はいはい、ありが……と。私の…… “蹂躙の爪牙” ……マル……コ……」
そのまま、マージョリーは意識を手放し、安らかな軽く寝息を立てはじめた。
啓作と栄太は、しばらくそんなマージョリーを見つめていたが、やがてお互いアイサインを送り合ってから、踵を返し、足音を立てないようにゆっくりと歩き、最後に啓作が照明を消して、2人はリビングから出ていった。
『…………』
「どうするよ……」
廊下に出て、扉を閉めたところで、その扉の方を向いたまま、栄太が深刻そうな表情でそう言った。
2人とも、困惑した表情をしている。
「今更、マージョリーさんをほっぽり出すわけにはいかないだろ?」
啓作はそう言うものの、
「けど、その、相手のフレイムヘイズが、本当に坂井だったら?」
と、栄太が訊き返すように言うと、啓作も黙り込んでしまう。
気まずいような、緊張したような空気があたりを支配する。
先程、啓作が相手のフレイムヘイズに顔を見られている、と言ったのは、正論ではあったが、同時に、級友である坂井悠二を売り飛ばすようなこともしたくない、という気持ちがあったのも事実だった。
むしろ、2人の発言は実際、2人が、相手のフレイムヘイズが坂井悠二である可能性が濃厚である、と思っている証左だった。
「姐さんの栞、持ってるか?」
「あ、ああ……」
栄太に訊ねられて、啓作はズボンのポケットを探る。
「よし、それじゃ、それを俺に貸してくれ」
「何をする気だ?」
栄太が、至極真剣な表情で言う言葉に、啓作が、少し驚いたような、怪訝そうな表情で訊き返した。
「さっきは姐さんの手前、ああ言ったが、実際には俺は顔を見られているわけじゃないからな。もし、そいつが坂井か、坂井以外の御崎高校の誰かだったとして、封絶ってやつを張ったとしても、それがあれば中で動けるんだろう?」
「なるほど……そうだな……」
栄太の提案する言葉に、啓作は納得して頷いてから、光の栞を栄太に手渡した。
「頼む」
「ああ」
啓作から栞を受け取りつつ、栄太はしっかりと返事を返した。
「っと……」
栄太が栞をしまったところで、啓作はふっと思い出したように、リビングの扉に視線を向ける。
「マージョリーさんに、毛布でも持ってこないとな……」
『…………』
マルコシアスは、マージョリーが眠りにつき、2人が去ったリビングで、ひとりごちる。
『ケーッ! こりゃ、どうにも厄介なことになったぜぇ。こういうのは俺の性分じゃねぇってのによぉ …… ロリコン将軍様と年増軍師様は一体何やってんだか……』