「シャナ!」
悠二が叫ぶ。
ガラスドームがあった、アトリウムアーチの屋上の、ガラスドームが破壊されたその開口部の周辺部も崩壊し、トーガを纏ったマージョリー達と悠二も、そのビルの中、吹き抜けの中へと、巻き込まれるように落下していく。
トーガは、落下しながら、手足を広げてその速度を調整しつつ、シャナや恵華達を追うように下を向いた。
悠二は、落下に対して減速をかけつつ、『トライゴン』をトーガの背中に向ける。 ──── が。
『悠二!』
「ダメだ!」
ヘカテーと悠二が、ほぼ同時に声を上げる。
── 回避されたら……逸れたらシャナに当たる!!
シャナは『アズュール』を持っているが、その結界が防ぐことができるのは炎の属性を持つものだけだ。
悠二の出す炎弾では、トーガを一気に行動不能にするほどの威力は出せない。炎の矢を爆裂させる法を使っても、片腕をもぎ取るのがせいぜいだ。
それを判断すると、悠二は、その瞬間に落下速度の減速を
一方、その最中に、落下中のシャナに恵華が追いつき、正面から抱きつくように抱える。だが、
「シャナ! 結界解いて! 飛行の式が呼び出せない!」
と、恵華が言う。彼女の翼は、炎をそう模らせるかたちで出現させているため、『アズュール』の結界の中では発動させる事ができなかった。
「ダメ! まだヤツがこっち狙ってる!」
シャナは言う。恵華の肩越しに上方に視線を向けていたシャナの視界の中で、まだ、トーガが下側にいるシャナと恵華の方を見ていた。
「くっ……」
恵華が、表情を歪めながら、トーガの方を振り向こうとする。
「あっ!」
恵華の視界にトーガが入る前に、シャナが声を上げた。トーガがぐるり、と、向きを上の方に変えていた。
「結界切る、今!」
シャナは、そう叫ぶような声を出しながら、2人を取り囲んでいた『アズュール』の結界を消す。
恵華は、そのタイミングその背中から、深い翠色の炎の翼を出現させた。 ──── その時。
ドクン…………
── あ……
恵華のそれに共鳴したかのように、シャナの中で、自身を満たす
その一瞬が、まるで時が止まっているかのように、シャナには感じられた。
── これは……
それが、自身の中に存在するアラストールから発される熱だと、シャナは感じていた。
それ自体は以前から感じられていたものだった。だが、体の芯の部分で留まっていたそれが、溢れ出してくる、初めての感覚だった。
── 私にも……────
「できる!!」
ゴワァッ
「シャナ!?」
恵華が驚いたような声を出す。
シャナの背中から、炎の翼が出現する。それは、恵華が発現させるものとよく似ていた。ただ、翼を模る炎の色は、アラストールを象徴する紅蓮をしていた。
「できる、私にも!」
驚いた表情をしている恵華に向かって、シャナは、嬉しそうに笑ってそう言った。
「強くなれる、私も!!」
ブンッ!!
振り向き様に、トーガの腕が遠心力で広げるように振るわれ、悠二に向かって無数の炎弾を放つ。
「!」
悠二は、攻性防壁を展開すると、それを、吹き抜けのフロアの
「後ろは!?」
『大丈夫です』
悠二がヘカテーに訊ねると、ヘカテーは即答した。悠二は、群青色の炎弾が破砕された炎の霧に視界を遮られつつも、トーガのいる方に視線を向けたままにしている。
悠二が、攻性防壁 “却焰の緞帳” を吹き抜けの開口部ギリギリの面積にまで広げたのは、以前、躱したと思った炎弾が、トーガの分身になることを経験していたからだ。さらに念を入れて、ヘカテーに確認を頼んだ。
群青色の炎の霧が晴れ、 “明るすぎる水色” の炎の壁の向こうが透けて見える。と、その先で、トーガの顔がニタリと笑ったかのように見えたかと思うと、再びくるり、と、寝返りをうつように向きを変えると、頭を下げて急降下を始める。
「!」
悠二もまた、攻性防壁を解除すると、それを追って、重力加速度を越えて急降下し、トーガを追っていく。
ドンッ
シャナが、一瞬、炎の翼を爆ぜさせるようにしながら減速し、吹き抜けのフロアの最下段に、ほぼ垂直に着地した。
恵華の方は、そのシャナの軌道をくるっと旋回してから、そのすぐ傍らに着地する。
ズンッ…………
「“打ち込め杭を、吸血鬼に”」
『“親兄弟の仇の、その胸に”』
即興歌と共に、トーガの右腕が巨大な鉄槌のように膨れ上がり、恵美めがけて打ち下ろされる ────
「一刀 ────」
その一瞬前、右手に携えた『平成一刀』に、翠色の炎をその柄から流し込みながら、恵華は、抜刀の構えを取る。
「────
恵華が、そう唱えた次の瞬間、翠色の閃光が、今、振り下ろされようとしていたトーガの腕の付け根、両肩に
恵華が、『平成一刀』を
「なっ……」
『なんじゃこりゃあ!?』
恵華が『平成一刀』を構え直すのと同時に、マージョリーとマルコシアスが、軽い混乱を伴った声を上げる。
『てめェ、ラミーの
マルコシアスが、わずかに呆れた様子を混ぜつつ、憤慨した声を上げた。
『“蹂躙の爪牙” 、君に言われたくはなかったよ』
恵華の胸の『アケロン』から、リャナンシーが、呆れたような疲れたような声を出す。
「アンタ達は手を出さない約束だったんじゃないの?」
腕を失ったトーガの肩口から、渦巻く群青色の炎を発し、腕を再生しながら、マージョリーが忌々しそうに言う。
「わざわざこっちに手を出してきたのはキミたちの方だよ」
恵華は、一切悪びれた様子もなく、むしろ妙に楽しそうに言う。
「これくらいは、正当防衛だと思うけどな」
「チビジャリ共が! 調子に乗るんじゃないわよ!!」
恵華の言葉に挑発されて、マージョリーが激怒した様子で怒鳴る。
『調子に乗ってるのは、どっちかな?』
ドンッ
リャナンシーの言葉の一瞬後に、恵華は、踵で炎を爆ぜさせる。
「シャナ!」
「えっ!?」
恵華はシャナに向かって駆け寄ると、その手を取って、自らの背中の翠色の翼を爆ぜさせるようにして、ほぼ垂直に急上昇していく。
『撃つってことは、誰かから撃たれるってこと。そのこと自体は、君達は知っていたはずだ』
急速に離れていくトーガ、マージョリーに向かって、リャナンシーが言う。
『けれど、君は自分の憎しみを正当化するあまり、相手の想いを軽んじすぎたんだよ』
しゃりん
恵華とシャナを追って見上げたトーガ、マージョリーの視界の外で、何度か聞いたその音が響いた。
「なっ!?」
感じられたその膨大な “力” に、トーガ姿のマージョリーは振り返るが、もう、遅い。
「
発生させていた無数の光弾が、悠二が『トライゴン』の錫杖頭を鳴らしながら振るうと、雨のように、トーガの立っていたフロアに降り注いだ。
鋭い貫通力を持った光弾が、トーガとその周囲に向かって降り注ぐ。
『ふ・せ・ぎ・き・れ・ね・ぇッ!!』
マルコシアスが悲鳴を上げる。トーガの腕を膨らませ、炎を纏わせてクロスさせて防ごうとするが、何発かの光弾を潰したものの、それと対消滅するかたちで纏っていた炎も霧散する。腕は穴だらけにされてしまう。
トーガはその防護の炎を凝縮して、マージョリーの身を守ろうとする。その分、トーガの表面は密度が薄くなり、光弾に貫かれて削られていく。
ガガッ、ガリガリガリッ
防護の炎を光弾が削り、砕く、その破滅的な音が、マージョリーの身体を包むかのように響いてきた。
…………
………………
……………………
……視界を満たしていた “明るすぎる水色” の光が晴れる。
見えるのは、長年追い続けてきた “紅世の徒” の入れ物と、それと瓜二つの姿をした “炎髪灼眼”。
そして、視界の正面、その中央にいるのは ──── 自分よりずっと、その経歴は短いはずの、曰く、 “守護者たるフレイムヘイズ”。空中に立つそのシルエットが、マージョリーを
── アンタも……そうやって……
破られたトーガは霧散し、マージョリーは床に横たわらされていた。
── 上から……見下ろすのね……
── 私も……また……
── 惨めに……地べたに寝転がって ────
──── イングランドの貴族の家に生まれた娘は、いつも誰かに頼られていた。
けれど。
それは、彼女自身を必要としていねわけではなかった。ただ、彼女の家が持つ力が欲しかっただけだ。
だから。
── 最初から、大事な物など、何もなかった。
ブリテン島を巡る諸侯の戦いで、彼女の家は没落してしまう。
挙げ句には、信頼していた陪臣に裏切られ、売り飛ばされてしまった。
── 全てを奪われて、生きていた。
彼女の目の前に映るもの。
自分達を
自分達を売り飛ばすことで、本来敵だった者の下で生を謳歌する者。
── だから、私から全てを奪った、そこにある全てを……
── 壊して、殺して、奪って、嘲笑ってやろうとした。
空っぽだった彼女に生まれた、初めての感情 ──── それが、
── その為に長い時を耐え、我が身に代えて用意を整え……
── 周到に、身長に、準備した。
自分と同じ様に囲われる情婦達と結託し、出入りの商人を誘惑して内通者と変え、あるいは自身の身体に溺れた権力者達をも手駒ともした。
── そして、そこにある全てを、壊して、殺して、奪って……
── 嘲笑ってやろうとした ────
全ての準備は整った。
だが ────
── まさに、その時 ────
次の瞬間、彼女の視界に映っていたのは、破壊され半壊した屋敷。無惨に焼き尽くされる街。夜空へ向けて立ち上る、激しい炎と煙。
瓦礫が積もる石畳の床の上に、血塗れになって仰向けに倒れている自分。
そして、一瞬前に突然現れた、髪の代わりに銀の炎を拭き上げる、全身甲冑の化物。
──── それは彼女に見せつけるように、それを始めた。
血に濡れて重傷は負っているが、まだ絶命には至っていない、彼女を囲っていた権力者とその仲間達。彼女が、壊し、殺し、奪い、嘲笑うはずだったもの。
──── 彼女の、存在意義の全て。
だが、それらが彼女の目の前で、銀の炎の塊と化し、その化物に吸収されるかの様に、消滅していく。
── 奴は、全てを知っていた。
── 奴は、私に見せつけた。
全身鎧のケインから、無数の目が、彼女を
それは不気味でおぞましい見た目だったが、彼女はそれよりも、その化物の悪意を感じていた。
── 私が壊し、殺し、奪うはずだったもの。
──
── “存在” ごと……消える……
化物は、彼女を喰らわなかった。
だから、それが化物の悪意だと解った。
── 私は……空っぽになってしまった。
残されたものは、何もなかった。
──── 否。
── 瀕死の私を前に、銀の炎が嘲笑う。
残されたモノ、唯一の理由。
── せめて……
人間の限界を超えた憎悪の形相で、
── せめて……コイツだけでもいい……
すべてを喪失し、脱力していた虚ろな感情が、再び激しく燃え上がる。
ギリッ……
噛み締めた奥歯が鳴った。
── コイツの全てを壊させて!!
「ッブチ殺させて、よぉぉぉぉッ!!」
── いいとも。
彼女の絶叫に、答える声が響いた。
── いいとも、空っぽの器。
── 群青の映える、綺麗な器 ────
空を舐め尽くしていた炎と煙の中から、群青色の巨大な狼が姿を現す。
彼女は、瀕死になる程の全身の怪我もなかったかのように、立ち上がり、それを凝視する。
── ブチ殺しの雄叫びを上げて、俺を呼べ。
── 俺の求めを満たす ────
「麗しき
それに
空を蹂躙していた群青色の炎が消えていく。否、それらは彼女の中に収まり、空っぽの彼女を満たしていた。
眼光鋭く、廃墟と化したその地に立つ。
──── それが、フレイムヘイズ・ “弔詞の詠み手” の誕生の瞬間だった。
『!! 悠二!』
ヘカテーが、強い調子で緊迫した声を上げた。
『危険です! 離脱してください!』
「え!?」
悠二は、聞き返すような声を出すが、同時に行動を開始していた。
靴から生えた2対4翅の、 “明るすぎる水色” の羽を煌めかせ、急上昇する。上を向いた視界の先で、恵華とシャナが先に、吹き抜けの天井の開口部から、脱出しようとしているところが見えた。
ドンッ
下方から感じる強烈なプレッシャーに対し、悠二は踵で炎を爆ぜさせ、さらに加速する。
「っ!!」
悠二が、御崎アトリウムアーチの、ガラスのドームが破壊された屋上の開口部から脱出した、その次の瞬間だった。
ゴゴゴゴゴォォォォッ……!!
巨大な吹き抜け構造のビルをコップに見立てたような状態で、その底から群青色の炎が大量に湧き出し、一気に満たしていく。
悠二が寸でのところでビルから脱出した、次の瞬間、その大量の炎が吹き出した。