「平井さんは……まだ来てないか」
登校してきた悠二は、1年2組の教室内を見回して、そう呟いた。
「おーおー、朝っぱらからカノジョが恋しいかい? 毎日お熱いことで」
そんな悠二の様子を見ていた真竹が、からかい混じりに笑いながら、悠二に声をかけてきた。
「別にそんなんじゃ……」
悠二は、そこまで言いかけて、視線を真竹から外すと、
「……そういう言い方、しないでよ」
と、少し濁すような言い方をした。
「なに? ゆかりとケンカでもしたの?」
悠二の態度を見て、真竹は、悠二のどこか不快そうな様子を読み取り、軽く驚いたようにしつつ、訊き返した。
「ううん……平井さんとは喧嘩してないよ。だから、顔、見たかったんだ」
悠二は、バカ正直に自分の気持を口にしてしまう。
「うわ! 坂井君大胆! それともゆかりの影響かな?」
真竹は、更に驚いたような、途中から呆れ混じりのような様子で、素っ頓狂な声を出した。
「え? そ、そんな変なこと言ってたかな?」
「気分が悪いからカノジョの顔見たいなんて、立派なバカップルだよ……」
焦ったように訊き返す悠二に、真竹は、自分の方が気恥ずかしくなってしまったように、そう言った。
「う……そ、そう言われるとそうかも……」
言われた悠二は、恥ずかしくなって顔を赤らめる。
「と、とりあえずゆかりならまだだよ、珍しく遅いとは思うけど」
真竹は、気を取り直したように言いつつ、自身も気にかかったようにそう言った。
「そうなんだ……」
悠二は言い、教室の正面の壁にかかっている、カシオのシンプルな円形の時計を見た。
始業前の予鈴が鳴るまで、もう10分もない。
悠二は、軽くため息を
その時、シャナが教室の前部の扉から入ってくる。
悠二は、椅子に座りながら、右手を自分の耳元に近付ける。
「アラストールと話があるって言ってたけど、一体何だったのかな?」
『私に解るわけがありません』
ヘカテーは、抑揚の少ない声であっさりとそう答える。
「はあ、どうなっちゃってるんだろ」
悠二はぼやくような口調でつぶやきつつ、学生カバンの中の教科書やノートを机に移してから、そのカバンを机の脇のフックにかけた。
結局、始業前にゆかりは来なかった。
「よいしょっと……」
河川敷から、昨日も利用した有料駐車場にドミンゴを入場させると、そのリアハッチを開け、積み込まれていたエポ50を降ろす。
いくら可搬型バイクといえど、カタログ値で車体重量70kgとなっているのだが、恵華は両腕を使っているとはいえ、軽くひょいと持ち上げて、駐車場の路面に下ろした。
一旦ドミンゴの運転席に戻る。マニュアルトランスミッションのシフトノブをバックに入れて、駐車マスにドミンゴを収める。後輪がロック板を乗り越えたところで停めて、ギアを抜いてパーキングブレーキを引く。運転席から降りて、ドアロックをかけた。
燃料コックを開き、ハンドルを立てる。
「一発でかかるかな……」
恵華は、呟きながらエポにまたがると、キックペダルに足をかけ、その上に立ち上がるようにしてキックペダルを踏み込む。1回、2回と、フライホイールが空転するが、3回目を踏み込んだところでパンパンという2ストらしい音を立てながらエンジンが回り始める。アクセルを軽く捻って、何回か軽い空ぶかしをかけた。
「よっ、と」
ハーフシールド付のハーフ型ヘルメットを被り、顎紐を締める。
『やっぱりあの大きい気配、今日も川の向こう側にいるね』
他人の目がないからか、中性的な少女の声が、
「うん……それに、もうひとつのフレイムヘイズの気配もあっちにあるみたい。昨日封絶張ってたのがそれだね」
恵華は、そう言いながら、ギアを入れて、エポを発進させた。
市街地の路地の1本から、御崎市を東西に貫く国道に出る。
『とりあえずコンタクトするのは後にしても、どこに拠点を置いているのか探ってみようか』
ヘルメットのイアーカバーに加え、自車のエンジン音、風切り音で声は聞こえにくい。恵華は、ペンダントの声の主の意識に、直接声を伝えた。
『それでいいと思う。ただ、 “弔詞の詠み手” がいつ追いついてくるか解らないから、気をつけて』
『O.K. 充分注意して探索するよ』
ペンダントの声の主が、やはり恵華の意識に返してきた言葉に、恵華はそう
速度は30km/hをわずかに超えていたが、併走の鉄道橋を下り急行『まながわ』があっさりと抜き去っていった。
4時限目が終わっても、ゆかりはまだ姿を現していなかった。
「平井さん、今日は休みなのかな……」
悠二はそう呟いたが、朝のホームルームでの、担任教師の
「平井さんは、無断欠席するようには思えないんだがな……」
悠二のそわそわした様子を気にしたように、速人が悠二の席の傍に来ている。机に手をつく姿勢で、そう言った。
「落ち着かないか?」
速人は、別にからかうような意図もなく、悠二を少し気遣うように問いかける。
「まぁね……と」
悠二は、速人にそう答えながら、制服の内ポケットに入れている財布を確認する。
「昼ご飯買ってこないと」
「なんだ、珍しく買ってきてないのか」
悠二が立ち上がりながら言うと、速人がそう問いかけるように言う。
その時、ガタッ、と、2人の視界の外で音がした。
その音のした方を、2人は反射的に振り返る。その先には、自分の席に座って蹲るようにしている一美の姿があった。
「吉田さん、大丈夫?」
速人の方が、先に一美の方に近寄って声をかける。
「っと……ごめん、僕は急いで購買行ってくる」
悠二も一美の方に寄ろうとしたが、ハッと気がついたように言って、踵を返しかけた。
「まぁ、今からだと残り物コースだろうけど、今のままだとそれすらなくなるぞ」
速人は苦笑しながら、そう言った。
しかし、その直後、
「さ、坂井君!」
と、一美が声を上げた。悠二が足を止めて、再度振り返る。
「そ、その……これ……」
一美は、立ち上がって悠二の方を向くと、俯きがちにおずおずとしながら、ピンク色の布で包まれた、女物と思しき弁当箱を差し出してくる。
「え……?」
「そ、その、あの……あのね、弟の為に作ったんだけど、要らないって言われちゃって……そ、その、坂井君、いつもお昼、外で買ってるみたいだったから……と思って」
どこか言い訳じみたように、一美はどもりがちな言葉で言う。
「う……それは……」
この弁当を受け取れば、確かに悠二としては財布が助かる ──── が、それを受け取ることが何を意味するのか、
そもそも、今日いつものようにコンビニで昼食を確保して来られなかったのは、最近、ゆかりが登校途中で絡んでくる事が多かったのが、今日に限ってなかったからだ。
「えっと……その……」
悠二が、どう対応すべきかと考えていると、その背後から、
「ゆかり!」
と、声が聞こえてきた。
「ごめん吉田さん!」
「あ……」
悠二は緊張した顔になって、そこから離れてしまう。
「…………」
一美の傍らに取り残された速人が、困惑した表情で、一美と、悠二の背中とを、交互に見る。
「何処言ってたの? 坂井君心配してたんだよ?」
教室の後ろ側の出入り口から、俯きがちな姿勢で入ってきたゆかりに、真竹がそう声をかける。
「いや緒方さん、それは……」
真竹の言葉には特に他意はなかったのだが、駆けつけてきた悠二は気恥ずかしくなって、誤魔化すような言葉を出してしまった。
だが、2人が駆け寄って声をかけても、ゆかりはいつもの快活さがないままだった。
「どうしたの? ゆかり。気分でも悪いの?」
真竹が、心配そうな表情で訊ねる。
それを聞いて、悠二はゆかりの “トーチ” を見る。その炎は、昨日までと同じように、勢いよく燃え盛っていた。
── おかしいな、特に異常があるようには見えない……
悠二は訝しむ。『零時迷子』を内包している自分でも、感じることができない異変が起きているのだろうか。
悠二がそこまで考えた時、
「…………坂井君」
と、ゆかりがぽつり、と声を出した。
「ごめん……2人っきりで、話、できないかな……」
「え?」
「どうしても、坂井君と話しておきたい事があるから……」
ゆかりにそう言われて、悠二は困惑気な表情であたりを見回すようにして、そのまま真竹に視線を向けた。
「大丈夫、佐藤達が覗こうとしたら、今日は適当に言って捕まえておくから」
真竹はそう言って、苦笑を悠二に向けた。
「オガちゃん……ありがとう」
ゆかりが、視線を上げて真竹に言うが、いつもの覇気はないままだった。
真竹の背後まで、一美と速人が来ていた。ゆかりはそちらに視線を移す。
「一美……」
ゆかりは、一美の姿を見ると、哀しそうな笑みを浮かべた。
「ごめんね……」
「え……?」
一美の方は、一瞬、言葉を失ってしまう。
「それじゃ……行こ、坂井君」
「え、あ、うん……」
ゆかりに連れられるかたちで、悠二は一緒に教室から出ていった。
「気付いた? 一美」
視線は2人の背後を見送りながら、真竹が言う。
「ゆかり、坂井君のこと、名字で呼んでたの」
「え……」
言われて気付いたと言うように、一美は小さく声を発した。
悠二とゆかりは、日当たりが悪く、昼休みにもあまり人気のない1号棟の裏手まで来た。
「それで……話って?」
「うん…………」
ゆかりは、ここに移動してくる間も、まるで悠二に顔を見せたくないという感じで伏せがちにしていたが、悠二の方を向いて顔をあげると、哀し気な笑みを悠二に向ける。
「坂井君……さ、まだ一美か近衛さん、どっちか気になってる……?」
「えっ?」
悠二は、ドキリとして訊き返す言葉を発する。先程一美に弁当を差し出されたところを見られでもしていたのかと、緊張する。
「な、なに言ってるんだよ。僕は平井さんと…………その、付き合ってるんじゃないか」
悠二は、心外に思ったように声を出す。途中、気恥ずかしさで言い澱みかけたが、結局ハッキリと言い切った。
「うん、私もそのつもりだったよ、でも…………」
ゆかりはそこまで言って、言葉を選ぼうとするかのように途切れさせる。
「その……僕、何か悪い事したかな? 平井さんを怒らせるような事……」
「ううん、そんなことないよ」
慌てきった様子で不安そうに訊ねる悠二に、ゆかりは、ふるふる、と力なく首を左右に振る。
「別に怒るほどの事はしてないし……うん、ちょっと優柔不断で優しすぎるところがあるとは思うけど、良い彼氏だと思う」
穏やかに笑いながらも、今にも泣き出してしまいそうな瞳で悠二を見て、そう言った。
「だったら、どうしてそんな事言うのさ」
悠二は焦った様子で、困惑気に問い質す。
「私…………うん、私、そんなに坂井君の傍にいられないし、その時、坂井君は私の事、忘れちゃうから」
哀しげにも気丈な様子で笑顔を作りながら、ゆかりはそう言った。
それを聞いて、悠二は愕然とした表情になる。
「平井さん、どうしてトーチのこと知って……────」
「!」
悠二が反射的に漏らした言葉に、ゆかりは瞬時に目を
「今、 “トーチ” って言ったよね!? 坂井君、何か知ってるの?」
ゆかりは、一瞬前までから一転、一気に声のテンションを上げる。問われた悠二は、慌てて右手で口元を覆う。
悠二は、ある程度緊張した場面で言葉を選ぶことができないわけではないのだが、今は相手がゆかりだったこともあって、咄嗟にそれができなかった。
「何か知ってるんなら、教えてよ!」
「ち、違うよ……ど、どうしてそう考えたのかなって……」
ゆかりは、感情をむき出しにして更に強く問い質す。それに対して悠二は、無意識に口元で苦笑してしまいながら、誤魔化そうとする。
「誤魔化さないで! 酷いよ、何か知ってるんなら、教えてよ!」
ゆかりはそう言って迫る。その瞳から、いよいよ涙が溢れ出そうとしている。
「平井さん……」
悠二は、表情を緩めてゆかりを見て、名前を小さく呟いた後、やがて意を決して、喉をゴクリと鳴らし、表情を引き締める。
「えっ!?」
悠二が、ゆかりの脇を両手で掴む。ゆかりが驚いたような声を出す。
「ちょっと、驚かすかもしれないけど、ごめんね」
ドンッ
「きゃっ」
ゆかりが驚いて小さな悲鳴をあげる。悠二が靴の踵で炎を爆ぜさせ、ゆかりを抱えて高く飛び上がった。