蒼水の撃ち手 PHASE-II   作:神谷萌

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第5話 憂鬱のフレイムヘイズ Part.V

 武蔵御崎駅前商店街。

「ご……主人……様」

 店舗と店舗の間にある細い路地に、フラフラと彷徨う様に歩く存在があった。

 猫…………ではなく、猫の縫いぐるみ、を、更に(かたど)った存在。

「ご……主……人………さ……ま……」

 ()()は “力” を使い果たしかけていて、弱々しく震えながら歩いていたが、やがてそれもままならなくなり、商店街の通りに出る、その直前のところで、パタリ、と倒れた。

 その状態になってしまうと、本当にただの猫の縫いぐるみにしか見えなかった。胸元に鈴のついた愛らしい姿だが、あちこち煤けたり擦れたりして傷んでいる様子が、憐憫を誘う様でもある。

「!」

 それを、1人の “普通の人間” が見つけて()()()()

「わぁ、かわいい!」

 制服であるスモックを着た、幼稚園生の少女が、それを見つけると、両手でその前脚の脇の下を掬うようにして、拾い上げる。

 その時、少女の親は彼女から目を離していた。だから、少女が小さな()()()()()を拾い上げたところを、直接視認していなかった。

「美香、行くわよー」

「はーい」

 母親に声をかけられる。少女は猫の縫いぐるみを大事そうに抱えて、母親の呼ぶ方へと小走りに向かって行った。

 

 

「!?」

 エポのブレーキをかける。タイヤが軽くスキール音を立てて、急停止した。

 恵華は、ギアを抜きながら、辺りをキョロキョロと見回した。

「気配が消えた……消失したのかな?」

『いや……消える時の感じじゃない。一時的に活動が停止したから、気配がほとんどなくなっただけだ』

 恵華は呟いたが、ペンダントの声がそれを否定する。

「── っ」

『ま、待って』

 恵華がアクセルから手を話して指を頭上にかざすが、ペンダントの声がそれを制する。

『今、探索の自在式はまずいよ』

「くっ」

 恵華は、視線を水平に近い位置に戻すと、再度周囲を見回す。

 すぐ傍の低層商業ビルを見つけると、エポで走ってその近くに寄り、サイドスタンドでエポを駐め、そのビルの非常階段を上る。

 

 

「んっく、んっ……んっ……」

 シャナは、スーパーの袋にパッケージ売りのチーズデニッシュを大量に詰め込み、行儀悪くもそれを食べながら、商店街の外れ、御崎大橋に近い辺りを歩いていた。

 その表情は険しく、あからさまに不機嫌そうな様子だった。

『何を苛立っているのだ、シャナ』

「別に、苛立ってなんかない」

 アラストールが問いかけるが、シャナは少し乱暴にそう言って、食べかけのチーズデニッシュに再びかじりついた。

 ── フレイムヘイズにとって、炎を扱うことは基本中の基本……

『その、かなりの業物らしい刀の力を借りて、ようやく内なる炎を呼び出している程度とはね』

 フリアグネの挑発の言葉が、シャナの脳裏で再生される。

『どうしてって……だって、まずはそれができないと、複雑な自在法で使うような “存在の力” を制御出来ないだろ』

 つられてリフレインする悠二の言葉までもが、自分を嘲っているように感じられた。

 ── どうして、私にはできないの?

 自在法を使った戦い方が自身のスタイルではないことは、自負はしている。シャナの基本戦術は、 “王” をも圧倒する高度な体術、刀術を用いたものである。

 それでも。

 フレイムヘイズにとって炎を操る事が基本であり、それを思うようにできないことが、シャナ自身にとって癪に障っていることは事実だった。

 これまでも炎を巧みに操るフレイムヘイズは何人か見てはいる。だが、それができる者は、シャナよりフレイムヘイズとしての経歴が長い者しかいなかった。

 曰く、今年の初春にフレイムヘイズになったばかりという少年が、ホイホイと炎を操るのを見て、ネガティブな感情が、シャナの胸の内で膨らんでいた。

 チーズデニッシュを頬張るが、美味しくない。と言うより、味がしない。

 尚更機嫌を悪くしながら歩いているシャナが、(はは)()連れとすれ違った。 ──── その直後。

 

 ── ご主人……様!?

 

 シャナとすれ違った時、その母子連れの娘が抱いていた猫の縫いぐるみが、突然異様な気配を放ち始めた。

「!」

 咄嗟にシャナは顔を上げ、あたりを見回す。

「アラストール、これっ……!」

『はぐれ燐子か』

 アラストールの言葉も緊張する。

 シャナの意識のスイッチが切り替わった。

「きゃああああ!!」

 シャナ自身が歩いてきた、その背後の方向から聞こえてきた。

 シャナが振り返ると、そこには、その姿は猫の縫いぐるみだが、四足歩行のその高さだけで、成人男性の2倍はあろうかという巨体に膨れ上がったそれが、シャナの方に視線を向けている。

「なんで……今頃になって活性化を……」

 険しい顔で疑問を口にしつつも、黒衣『夜笠』を纏う。

「ご主人……様……」

 そう声に出す燐子の視線が、シャナの、特に右手を注視していた。

 その中指には、火除けの結界を張ることのできる指輪、宝具『アズュール』が嵌められている。

 これは悠二の攻性防壁『(キャク)(エン)(どん)(ちょう)』をすり抜けることができる。なので、2つの意味から、普段シャナが持ち歩いていた。

「これに反応しているの!?」

 言いつつ、『贄殿遮那』を()()()()、シャナは燐子を凝視する。その抜身の大太刀を構えるが ────

「あーん、うあぁーん!!」

「何、何なの!?」

 その声に気付く。燐子の背後にへたり込んで泣きじゃくる少女と、それを庇うようにしている母親の姿があった。

 ── 不味い、封絶が……間に合わない!

 母子の場所が燐子に近すぎる。封絶を張るための一瞬の隙に、その母子に累が及び兼ねない位置関係だった。

「ご主人様の宝具……フレイムヘイズ……狩って、御主人様に褒めてもらう」

 意識が朦朧としているかのような声で呟きつつ、縫いぐるみの様だった燐子は、凶暴な猫の化け物のような姿になった。

 シャッ

 前脚が振りかぶられ、模った肉食獣の鋭い爪がシャナを襲う。

 タンッ

「── っ」

 シャナは路面を蹴って、それを躱す。勢い余った燐子の前脚が、街路樹を薙ぎ倒した。

「不味い……」

 シャナは、母子を庇う位置に着地し、『贄殿遮那』を、防御するように、横に向けて構える。

 以前のシャナなら、被害に構わず封絶を張り、(てき)を討った後で、犠牲者をトーチで代用していただろう。

 だが、今のシャナの頭からは、そのやり方は完全に抜け落ちていた。

 ちらり、と、母子に視線を向ける。

 子供は泣きじゃくり、母親は混乱しきった様子で、縋るような視線をシャナに向けている。

 ── これで守り通せないようなら、私は……

 シャナは、声に出さずに呟きつつ、正面の燐子に視線を向け直した。

「アンタのご主人様なら、とっくに討滅されたわ! 今更力を集めても意味がないのよ!」

 姿勢を立て直し、シャナの方を見てくる燐子に対し、シャナはそう声を張り上げた。

「ご主人……様……」

 燐子は、シャナの言葉に反応した様子はなく、シャナの右手を注視してくる。

『駄目だ。もともと低級の燐子の上、 “力” が尽きる寸前で、まともな思考能力がない』

 アラストールが言った。

 ── 一撃で仕留めるしかないけど、もし外したら……

 シャナは、逡巡したために一瞬出遅れた。

 ヒュッ

 燐子は、今度は跳ね上がるように全身で飛びかかってくる。

「っ!」

 シャナが身構える ────

 ゴォッ

 “明るすぎる水色” の光が、シャナの視界を満たす。

「ぐぁあぁぁぁっ、ぎゃあぁぁぁぁぁっ!!」

 前脚を炎の壁に()き切られ、燐子は横に転がって、のたうち回った。

 そのシャナと燐子のちょうど中間の位置から、 “明るすぎる水色” の光を放つ、アナログ時計のムーヴメントを思わせる円形模様が広がる。 ──── 封絶。周囲が世界の因果から切り離される。

(アステル)よ!」

 上方、やや斜めの方向から、無数の光弾が迸り、のたうつ燐子を穿ち、砕いた。燐子は断末魔を上げながら、 “明るすぎる水色” の光に侵食される形で分解し、薄白い霧のようになり、そのまま文字通りに霧散した。

「ふぅ……危ない危ない」

 シャナの視線の高さより少し上の位置、スニーカーから噴き出す炎のような2対4翅の羽根を生やした、制服姿の悠二が、空中に()()()いた。

 右手に『トライゴン』を握ったまま、左手で汗を拭う仕種をし、息を吐く。

 シャナは、唖然としたように、姿勢を固めて悠二を見上げている。

「なんとか間に合ったよ、シャナ、有難う」

 悠二は、いつものように、傍目からは何処か頼りなさ気な苦笑で、他意はなくシャナに礼を言った。

「別に……私は何もしてないわよ」

 シャナは、不機嫌そうに言って、そっぽを向くように悠二から視線を逸し、そそくさと『贄殿遮那』と『夜笠』を()()してしまう。

「へ?」

 悠二は、シャナの言葉と態度の意図が理解できず、キョトン、としてしまっていた。

 

 

『どうやら、出遅れたみたいだね』

「うん」

 低層ビルの屋上。ペンダントの声が言うが、恵華は、何処か心あらずといった感じで、その方向を見て呆然としている。そのままの姿勢で、自らの武具、『(へい)(せい)(いっ)(とう)』を鞘に収め、チン、と鍔を鳴らす。

『あの炎の色、 “頂の座” じゃないか。どうしてこんなところで、しかもフレイムヘイズなんかに……』

 ペンダントの声は言うが、恵華は、それが聞こえていないかのように、(まる)く拡げた瞳でそちらを凝視していた。

『聞いてないね。まぁ、無理もないか。私も驚いているよ』

 恵華の視線の先には、燐子に薙ぎ倒された街路樹の前で、腕組みをして何かを考え込んでいる少年とともに、服装以外、自分とほぼ(たが)わない姿をした、フレイムヘイズの少女。

「あの姿 ──── そんな、まさか、だよね……────」

 

 

 パタッ

 QN401のフリップが倒れ、PM7:32を表示した。

 ()()()()()()()

 AIWAの旧いダブルカセットデッキの第2側がテープを再生し、その上に載った、パナソニック製ボディにソニー製スピーカーを繋いだステレオコンポから、スローテンポではないが、穏やかな音楽が流れている。デッキの電光式レベルメーターが揺れている。

「はーぁ」

 入浴と食事を終えて戻ってきた悠二だったが、学習机の椅子に腰掛けて、両腕で肘を突いて顔を支えるようにしながら、疲れたようにため息を()いた。

「平井さんには “この世の本当の事” を知られちゃうし、シャナの態度は変だし、はぐれ燐子は出るし、封絶間に合わなくて街路樹はああなっちゃうし、なんか今日はとことん厄日だなぁ」

 誰にともなくぼやく。

『そう言う日もあります』

 ヘカテーが、珍しく慰めるように、穏やかさを感じさせる口調でそう言った。

「あ! どうせだからまた『上海亭』に寄ってくればよかったかな」

 悠二は、パチン、と右手で指を鳴らして、悪戯っぽい笑顔でそう言った。

『悠二、フレイムヘイズの性質をそのように使うのは感心しません……』

 たまに親心を見せてやったらこれか、と、ヘカテーが呆れ返った声を出した。

「冗談だよ、冗談」

 悠二は、笑いながらそう言った。だが、その後で顔から笑みが消え、またため息が出る。

「さてと、シャナが来るまで一休みしようかな」

 悠二はそう言うと、椅子から立ち上がり、この部屋に置きっぱなしになっている布団を広げて、その上に寝転がった。

 ベッドは、今はフリーだが、シャナがそこで寝起きしていると思うと、その中に入るのは、なんとなく躊躇われた。

 音楽を流したまま、悠二は、精神の疲れが身体に回ってきたような気怠さを感じ、そのままうとうとと微睡み始めた。

 

 

 パタッ……

「────……ん、あれ……?」

 悠二は、覚醒しかけの状況で声を出すと、布団の上で上体を起こした。

「すっかり寝ちゃったな……」

 悠二が、誰にともなく言いながら、ベッドの枕元に置いてあるQN401に視線を向けると、PM11:26を表示していた。

「え? あれ?」

 悠二は、不思議そうな声を出しつつ、立ち上がる。

「ヘカテー、もしかして、シャナ、来てたの?」

 悠二は、やってきたシャナが、自分が寝こけていたのを見て、怒って去って行ったのかと思い、少し慌ててヘカテーに問いかける。

『いえ、こちらには降りてきていません』

「え? どういう事?」

 ヘカテーの言葉に、悠二は、一瞬気が抜けてしまったような顔をしてしまいつつ、再度問いかける。

『来てはいるのですが、こちらには顔も見せていません』

 ヘカテーのその答えを聞いて、悠二が自身で気配を探ると、確かに部屋の天井越しに ──── 屋根の上にシャナが居るのが解った。

「どうしたんだろう?」

 悠二は、多少訝しく思いつつ、掃き出しのサッシを開けてベランダに出ると、軽く跳躍、手すりを踏んで、そのひさしに手をかけ、再度跳躍して、屋根の上に乗った。

 すると、以前のように、シャナがテレビアンテナの横で、屋根の頂点に腰掛けていた。不機嫌そうにむすっとした顔をし、悠二の存在に気付くと、ぷいっ、と、そっぽを向いてしまう。

「えっと……ひょっとして、僕が寝てたから怒った?」

「知らない」

 悠二が申し訳無さそうに言うが、シャナは、悠二から視線を逸したまま、短くそう言った。

「ごめん、なんか疲れてたみたいでさ、一休みのつもりで横になってたら……」

「だから、知らないって言ってるでしょ!」

 悠二がさらに言い訳しようとするが、シャナは、その言葉を遮って、癇癪を起こしたように、荒く声を張り上げた。

「え……うん……」

 とりつく島もない様子のシャナに、悠二は曖昧な返事を口にする。

「それじゃあ、今日の修練は……」

「もういい」

 悠二は、なんとか会話を続けようとして切り出すが、シャナはそれも遮って、低い声で短くそう言った。

「え…………?」

 悠二は、一瞬、事態を把握しかねて、間の抜けた声を出してしまった。

「もういいって言ってるの!」

 シャナは、念を押すかのように荒い口調でそう繰り返した。

「もともと、私はそう言う、細かい自在法とか嫌いなの!」

 幼い子どものわがままのように、シャナは乱暴な口調で言い切った。

「好き嫌いの問題じゃないと思うけど……」

 悠二がつい、思ったままを口に出したのを、シャナは、耳ざとく聞きつけると、

「う、うるさいうるさいうるさい!」

 と、顔を紅潮させながら、荒い声で言う。

「わ……解った、とりあえず、今日はなしってことで……────」

「これからも、ずっとない!」

 悠二は宥めるような口調で言ったが、シャナは、その言葉も遮って、俯いてうずくまってしまった。

「…………部屋の鍵は、開けとくから」

 そう言って、悠二は、少し後ろ髪を引かれるようにしつつも、ベランダに降りた。

『悠二』

 そこで、ヘカテーが言う。

『いつ、 “紅世” のものがアナタやこの街を狙ってくるか解りません。その時に備えておく必要はありますよ』

「解ってるよ、でも、しょうがないだろ、やりたくないって言ってるのを、無理にやらせてもしょうがないんだし」

 ヘカテーに対して答えながら、悠二は、掃き出しの窓から部屋に入る。シャナに言ったとおり、サッシの鍵はかけない。

『それは……そうですが』

 ヘカテーも、少し戸惑ったように言う。

「ああ、今日はなんだかわけの解らないことだらけで、本当に疲れたよ……今日は、僕も早めに休む……いいよね、ヘカテー」

 悠二は、別にそんなことはないはずなのに、なんだか後ろ暗い気がして、わざわざヘカテーに同意を求めた。

『そうですね、いいと思います』

 ヘカテーは、あっさりとそう言った。

 QN401の表示は、まだPM11:54だった。

 

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