ガシャ、ガシャン……
朝。
通勤・通学の時間帯だが、誰かが通るわけでもない建物の隙間。
人気がないどころか、通り抜け防止用にフェンスが張られている。
「よっ……!」
「いよっ……と」
その通り抜け防止のフェンスを、啓作と栄太がよじ登って越えてくる。
「この道通るのも久しぶりだな」
啓作は、自分の方が先にフェンスの上に上がると、続いて上ってくる栄太に手を貸しながら、そう言った。
「ちぃーとばかし危ねートコだけど、遅刻するよりマシだろ」
「だな」
栄太がそう言うと、啓作もそれに同意した。
「しっかし、久しぶりに夜遊びが過ぎたかな、結構キツイって……」
啓作は戯け混じりに苦笑しながら言うが、その最中、不意に表情を険しくする。
「ん?」
啓作の視線の先で、1人の女性が、かつて “チーマー” と呼ばれた風の不良少年数人に、取り囲まれていた。
「どうした?」
「しっ」
フェンスから降りてきた栄太が、啓作に問いかける。啓作は険しい表情で、栄太に声を潜めるように言いながら、女性が取り囲まれている方を見る。2人は、そちらからは死角になる建物の影に身体を隠し、様子を窺う。
女性は、纏めた髪がなおも腰に届くほどの長髪は鮮やかなブロンド、日本人には男性でもそうはいないほどの長身、メガネをかけているその下の、鼻の高い整った顔立ちと、アングロ・サクソンと連想できる特徴。
体付きも出るべきところは出ていて、括れるべきところはくびれている、豊満だが、決して太っているわけではない、理想的な体型。
そして、巨大なハードカバーの本を、ベルトで締めてカバンのように担いでいる。
「オネーサン、マジ美人だね?」
「ドコの人? ハーフ?」
「本、チョー重そう」
言葉をそのままに解釈するならそれほどでもないが、少年達の女性を見る目、かける言葉は、品性というものを欠いた、女性を挑発しながらの下劣な口調のものだった。
挙げ句には、
「モシモーシ、ニホンゴワカリマスカぁ?」
「オレんち連れてっちゃうよ?」
などと、侮蔑したり、害意を持っているかのような言葉を発して、何がおかしいのか「ギャハハハハ」と笑い声を上げたりしている。
「す、すげえ美人……だな」
「ああ、間違いなく超・美人だ」
栄太の言葉に、啓作は同意してから、
「そして、大ピンチのようだ」
と、険しい視線でそう言った。
「そりゃ当然」
そう栄太は返事をするものの、少年達の年は、啓作達と同じか、それより少し年上。しかも多勢に無勢。真正面からやりあっては不利なのは明らかだ。
「……ま、数が多いし、不意打ち1発か増してから、引っさらって逃げる…………」
栄太が算段を立てていると、
ゴッ……
「ブッ……グッ……」
女性の背後から接近しようとしていた少年が、鼻血を出しつつ、仰け反るようにして後ろに倒れた。女性が、その少年の顔面に裏拳を入れていた。
倒れた少年は、脳震盪を起こしたのか、涎を垂らしながら路上に転がると、すぐには起き上がれない様子で、のたうちまわった。
一瞬、何が起きたのかわからないといった様子で、残りの少年達も呆然としていたが、やがて、
「……っの、アマぁ! オラァ!!」
と、1人の少年が、女性の前方から殴りかかった。
だが、女性はその拳をひょいとよけると、その腕をつかんで逆に引き寄せ、強烈な膝蹴りを少年の腹部に打ち込む。
「ガハッ……」
少年は口から反吐を吐きながら、蹲るように倒れ込む。
「てっ……てめ……」
「このっ」
2人の少年が、同時に女性に飛びかかるが、その動きはバラバラで、連携した攻撃とはとても言えるものではなかった。
ガッ!
ゴッ!!
女性は巨大な本のハードカバーの角で、1人の頭部を打ち付けると、返す刀で、もう1人の顔面にもそれを叩きつけた。
「ッ……くそっ」
残っていた1人の少年が、折りたたみナイフを展開して握り、
「くそがぁッ!! 死ねぇっ!!」
と、女性に斬りつけようとする。だが、それより一瞬早く、女性のしなやかな長い脚から繰り出されるリーチの長いハイキックが、ナイフの少年の顎を強烈に打ち付けられていた。
「あ……ぐ……」
意識が混濁しているのか、倒れ込んだ少年は、くぐもった声を漏らす。
不良少年達を鮮やかに返り討ちにした光景に、啓作と栄太は惚れ惚れとした表情を向け、次いで、お互いの顔を見合わせた。
一方 ────
「こう言うクズはどこにでもいるわね。どうしてこう言う連中程、喰われていないものなのかしらね」
女性 ──── マージョリー・ドーが、不愉快そうに言う。言いながら、ナイフを持っていた少年の手を蹴り飛ばす。ナイフが少年の手から離れて、遠くへ滑っていった。
『ヒヒッ、「世界はこんなはずじゃなかったって事ばかり」ってか?』
男の声 ──── マルコシアスが軽口を叩くようにそう言った。
『しかしまー、トーチがやたら多いってことで探索してみたけど、この調子だと “屍拾い” の野郎、とっくにどっかに行っちまってるかもなぁ』
「確かに、ヤツは力を残しているトーチは喰わない……けど、仮にそうだったとしても、あのクソ野郎を追うのは棚上げにしてでも、もう少しこの街を、本格的に探索したいところね」
どこか呑気そうに言うマルコシアスに対し、マージョリーは表情の険を更に強めて、呟くようにそう言った。
『ヒヒヒッ、やっぱりそうなるかい?』
「当たり前でしょう!? “
マルコシアスの口調は相変わらず軽かったが、マージョリーは、それ自体には批判をしないものの、怒りと憎悪を露わにした表情で、そう言った。
「ヤツの手がかりを手に入れられるチャンス、みすみす逃してなるものですか……!!」
『しょーがねーな。あんまし派手なことはできねぇかも知れねぇけど、もともと、それがおめぇさんの一番の目的だし、契約の誓いだモンな。わが麗しの
マージョリーの言葉に、マルコシアスは軽い口調のままながら、戯けた様子は消して、そう言った。
「昨日一昨日調べた感じじゃ、 “徒” 本人はもういないようだし、これ以上となると2人だけじゃ探索は難しいわね。マルコシアス、案内人を見つけて」
『あいあいよー』
マージョリーの言葉に、マルコシアスが答えると、巨大な本を括っていたベルトが外れ、本 ──── 神器『グリモア』が浮き上がり、マージョリーの前でそのページが広がる。
『んで、選定の括りは?』
今度は、マルコシアスの方が真面目そうな口調で言ったのだが、
「そーね……この街の住人で、若くて、私の事『超・美人』って口にしたやつ」
『ケーッ! 色ボケが!』
マージョリーが、それまでの嫌悪感を隠して薄く笑いながら言うと、マルコシアスは呆れたような声を出す。
「お黙りバカマルコ。年食ってるやつは都合も見かけも駆け引きも、色々面倒でしょうが」
マージョリーは、マルコシアスの言い種に少し不満を感じたように、そう声を上げた。
「それに、私に好意的な方が、何かと便利なのよ」
『あーあー、そーゆー事にしといてやるよ』
マルコシアスは、呆れた口調のまま、どこか投げやりっぽく言う。
その間に、開いた『グリモア』の、何も書かれていなかったページに、鈍く光る群青色の文字が出現する。
『いたぜ、それもすぐ近くに』
マルコシアスは、口調を真面目そうなものに戻して、言う。
「そう? どこ?」
『真後ろだ』
「はぁ!?」
マルコシアスの言葉に、マージョリーは、怪訝そうな声を出しつつ、振り返る。
そこには、かつて日本では学生服として主流だったが、近年は高校生のそれとしては少数派になりつつある、黒い制服を着た少年が2人、立っていた。片方は優男風で背はやや低め、もう1人は見た目体育会系のガタイが良い、という感じの凸凹コンビである。
「コイツらって、今のやつらの仲間なんじゃないの?」
マージョリーは、マルコシアスに向けてそう言ったが、
「ち……違います!!」
栄太が一瞬どもったが、結果的にハモるようにして、啓作と栄太はきっぱりとそう言った。
──── 御崎高校、1年2組。
悠二は、既に登校して、自分の席に腰掛けていた。始業前のこの時間、速人と話をするでもなく、ただ、胸の中のもやもやを誰にも吐き出せず、気怠そうにしながら、何度もため息を吐いていた。
── くそ、やっぱりなんか落ち着かないな……
シャナは、悠二より先に登校していたが、悠二の顔をジロっと見ただけで、言葉もなく自分の席に着いてしまった。
ゆかりは、たまに悠二の方をチラチラと見るが、悠二の方からゆかりを見ていると、それに気付いた瞬間に、慌てたように視線を逸して、前を向いてしまう。
── 平井さんに関して言えば、明らかに悪いのは僕の方だ……
それは認めざるをえない。独善という形でゆかりに自身のエゴを押し付けていた。と、悠二は理解していた。
── シャナだって、修練や鍛錬をしないのは、単なる気分の問題かもしれないじゃないか。
今朝、悠二が目覚めると、既にシャナは室内にいなかった。悠二は、以前そうしていたように、我流の棒術鍛錬だけをした。
── 偶然悪いことが重なったんだ……そう、そう言うことだってあるんだ……なのに、なんで……なんでこんなに僕の胸は苦しいんだよっ……!
やたら大きい鼓動に、息苦しささえ感じて、無意識に左手で胸を押さえる。
その、一瞬後 ────
「!」
「ヘカテー」
『はい、私も感じました』
ヘカテーも、周囲に聞き取られない程度の声で、言う。
「これ、 “徒” じゃないね、フレイムヘイズだと思うんだけど……」
『はい。ですが、一昨日すれ違った者とも、また違うようです』
「だとすると……」
『“弔詞の詠み手” だと思われます』
ヘカテーの答えに、悠二の顔に緊張が走る。
ヘカテーは悠二に、問答無用で戦闘になりかねない相手、と、危険な相手として説明していた。
「どうするべきだろう……できるだけ接触しないほうが良いのか、それとも、一度接触したほうが良いのか……」
『動向を探っておく必要はあるかと思います』
「それは、どうして?」
ヘカテーの答えに、悠二は、険しい表情のまま、再度訊き返した。
『本来、フレイムヘイズの役割は “徒” が “この世” の命を喰い荒らし、 “理” が歪む事を防ぐ、というものですが、 “弔詞の詠み手” と “蹂躙の爪牙” は、 “徒” を討滅することに
「なるほど、だから、なぜこの街に来たのか、確かめておいた方が良いってことか」
『はい、そう言うことになります。ただ、戦闘になる覚悟は固めておいてください。そう言う相手です』
「そうなんだ……できればフレイムヘイズ同士で戦いたくなかったんだけどなぁ」
ヘカテーの言葉を聞いて、悠二はぼやくようにそう言った。
──────────────────── つもりだった。
「今日は学校はサボりか……」
啓作は、少し緊張した様子でそう言った。
武蔵御崎駅に近いが、商店街の少し奥まったところにあるティーハウス、「フラワーリング・ドッグウッド」。啓作達は、マージョリーとともにそこに来ていた。
「そういや、高校に入ってからは初めてだな」
啓作の隣で、やはり緊張しつつも、どこか鼻を伸ばした様子の栄太が言う。
「まぁ、美女とお茶できるって事で、モトは取れてるだろ」
2人と向かい合う形で、マージョリーが座っていた。
「そこの店員!」
マージョリーは、どこか不機嫌そうな様子で、傍にいたウェイトレスに向かって、荒い言葉で呼びつけた。
「この店で一番高い紅茶、ホットで3つ、早くしなさい」
「か……かしこまりました」
若い女性のウェイトレスは、怯えたように返事をして、小走りで厨房の方へ行ってしまった。
バン!
ウェイトレスが厨房に入っていったのを見計らって、マージョリーはテーブルを叩いて音を出しながら、啓作と栄太を値踏みするようにそう言った。
「私の名前は、マージョリー・ドー」
マージョリーは、啓作と栄太にそう名乗ってから、トントン、と『グリモア』を指で叩きつつ、
「こっちはマルコシアスよ」
と、紹介した。
マージョリーのその態度に、啓作も栄太も、驚いて硬直したように背筋を伸ばしているが、マージョリーは構わずに話を続ける。
「この街に人喰いの
そう言って、マージョリーは鋭い視線を2人に向けた。
「…………!?」
2人にとってあまりに唐突な物言いに、啓作も栄太も、一瞬愕然としたように言葉を失ってしまっていた。