では投下します。
「──精が出るね」
いよいよ劇も本番まで一週間を切ったある日。その日はいよいよクライマックスの再演というのもあって、各々がやる気に満ちた顔でリハーサルに励んでいた頃。
かく言う私も例外ではなく、特に私は最後の最後で舞台のトリを飾ることになるため、そうなると間違っても台詞をトチるわけにはいかないと、台本を片手に私なりに努力していたところなのだが、不意にそんな私の様子を見ていたらしいセイア様が、何やら意外そうな顔で語りかけてくる。
「ええと……何か不思議でしたか?」
「なに。私は仕事柄、君が大道具や部長としての手続きを並行して行っていたのをそれなりに知っていてね。しかしその割には合わせも不気味なほど完璧で、てっきりミカのように天性の才能の持ち主かとも思えば、失礼だがこうして懸命に声を張り上げる姿を見て、私が少し安心したというだけだよ」
「ああ、なるほど……」
合わせるも何も、私にとっては普段の生活も演劇も正直なところあまり大差ない。脳内で既に“阿慈谷ヒフミとしての所作”が染み付いているとでも言えばいいのか、咄嗟の台詞も用意された言葉も、それが私というキャラクターに属していれば自然と出て来るものだから。
それはそれとして最初の台詞もう一度言って貰えません???高音質で録音したいので。え??駄目???ですよねー。
「台本には私も既に目を通している──最後の一連の台詞、あれは」
「お察しの通りです。………ですが」
「おっと、その先は結構だ。──君が今何を言うつもりだったのかは分からない。しかし、この演劇はそれらエデン条約を経て生まれた痼りを解消するためのものだろう? ならばそれは演劇を通して伝えるべきで、何より矛先は断じて私ではないよ」
「………」
「………突き放すつもりはなかった。こう見えて私は、君たちの試みには畏敬の念すら抱いているんだ。今でこそ多少歪んだ形にはなったものの………聖園ミカが、私の得難き友人である事実は何も変わらない。こうして私が、自分から協力を申し出るほどにはね」
一体何処までご存じなのか。訳知り顔で語る彼女の表情からは思考がいまいち掴めない。ただ、あちらもあちらでエデン条約については思うところがあるらしく、それが巡り巡って現在の状況に繋がっているのだろう。
(私は……)
エデン条約事変。後にそう呼ばれた聖園ミカさんを発端とする空前絶後のクーデターは、それまで平和だったはずのトリニティ総合学園に大きな爪痕を刻み込んだ。
ティーパーティー事実上の崩壊。強権による退学強要。エデン条約前夜の騒動。ゲヘナすら巻き込む大闘争──他でもないこの私も、その騒動の中心に居た。
けれど、それでも私はどうだったのか。言うまでもなく、何も変わらないままで。それでは駄目だと。それでは何も変えられないと。あの日、あの時──全てが終わるその直前になって、私は彼女らに立ち塞がった。
全ては虚しいものであると、錠前サオリはそう言い放った。それが世界の真実だと、この世界の本質であるのだと。
なら。
(それなら、私は──?)
この湧き上がる気持ちが虚しいなら。溢れ出す情欲が気の迷いなら。この愛おしさすら嘘だったなら。最後の最後に残された、ヒトとしての本能でさえ無意味と主張するならば。私という人間は、何のために生きている──?
ある意味で、その瞬間に、彼女の主張は他人事ではなくなった。変わらざるを得なかった。舞台の中心に転げ落ちた。
あの日、あの時──アリウスの嘆きは、私にとっての『価値あるモノ』として、どこまでも身勝手に祭り上げられたのだ。
「……実を言うと、私にもその時の会話は聞こえていた」
「え?」
「夢遊状態──とでも評すれば良いのだろうか。私が未来を観る際には、恰もその場に居るかの如き臨場感を伴う。或いは、私は実際にその場に“居る”のか──そんな状態で敵に捕われ、昏睡状態となっていた過去を経た今も、その詳細は理解できていないままだ」
未来予知──百合園セイアという女性を語る上で、その要素は決して外すことは出来ない。ティーパーティーの最高幹部、三人の生徒会長の最後の一人にしてサンクトゥス派の首長。
エデン条約を巡る騒動でその根幹たる能力が失われた今も、彼女に救いを求める者は数多く存在する──それは光に群がる蝶のように。暗闇を照らす月光のように。
のらりくらりと、勿体ぶった発言を好む彼女の真意は何一つ掴むことはできない。だから続けて紡がれた言葉も、何処までも曖昧なまま鳴り響いて、
「確かに、君の人生は嘘ばかりに満ちたものなのだろう。しかし、あの言葉は。あの言葉だけは……きっと嘘ではないのだろう?」
「………」
自信満々に、的外れなことを告げる少女。不敵なその顔をじっと見つめると、不覚にもそれが真実であると錯覚してしまいそうになる。
「……違います。あんなの私の、この“阿慈谷ヒフミ”の人生と同じで、嘘ばかりに満ち溢れていて──」
「全てが嘘で、本心をひた隠しにしていたとしても。それでもあの言葉は、紛れもなく君の本音だった──少なくとも私はそう信じているし、だからこそ、あの時戒律が塗り変わったのだと、私はそう思っているよ」
何処までも不遜にそう告げた彼女の顔を、どうしてか直視することが出来ないでいる私。それは果たして図星を突かれたからなのか、あるいは的外れであるが故に呆れているのか。それさえも分からない私は、本当に度し難く思えた。
「さて。話は逸れたが、そろそろ本題だ。実は君に尋ね人が──おや? 何処へ──何か気に障ることでも……ち、ちょっと待ちたまえ。もしや聞こえていない……? 行ってしまった……これはまずいな。嫌な予感しかしない……」
…………………………………………
…………………………
………………
「……何故だ、アズサ」
しとしとと降り注ぐ雨が、少女の身体から体温を奪う。
冷えた頭が警鐘を鳴らしている。もう無理だと。諦めるべきだと。しかし本能は理性に従わず、魂を燃やし進み続ける。
きっとその身体が朽ち果てるまで、白洲アズサは全てを諦めない。それが分かっているからこそ、あまりに自分とは正反対の生き汚いその姿を見て、錠前サオリは思わず問いかけた。
「何故、そうまで足掻く。そこに何の意味がある。何を証明しようとしている?」
もはや諦念すら入り混じったその言葉は、まるで幼子に言い聞かせるかのようだった。その質問に対して、しかし少女は止まらない。止められない。湧き上がる得体の知れぬ感情。理解できないモノを拒絶するように、サオリは更に強く質問を重ねた。
「何故──何故だ! そこに、何の意味がある!!」
同じ言葉。同時に放たれる銃声。手負いのアズサでは、直情的な攻撃さえも避けることは叶わない。既に満身創痍なのもあってか、バランスを崩し倒れ込む少女を、しかし背後から現れた一人のトリニティの制服を身に纏う生徒が、柔らかく胸元で受け止める。
「ヒフ、ミ……?」
少女の口から紡がれるのはその人物の名前。しかし彼女はそれに応えない。庇うように少女とサオリの間に立ち塞がる彼女は、向けられたままの銃に臆することもなく、無言のままサオリを見つめ続けている。
「……なんだ、お前は?」
不思議なことに、その視線に敵意の類は感じられなかった。だからこそ困惑を抱き、また武器を構えようともしないその人物に対し、サオリは心底からの疑問を抱く。
「……私、怒っています」
「何?」
言葉とは裏腹に、その人物の声色に怒気はまるで感じられない。それが一目で分かればこそ、サオリの反応は間の抜けたものだった。しかし、その人物はそんなサオリの反応に目もくれず、畳み掛けるように更なる言葉を並び立てる。
「全ては虚しいとか、この世は無意味だとか……貴女がそう思うのは勝手ですが、それは誰かに押し付けるものじゃない。それが真実だって、この世界の真理だって言われても、そんなの私は認められない……!!」
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気付いた時には、既に私は舞台の上にいた。あの時の再現。普段からは想像も出来ない傷付いた親友の姿。携帯端末のスピーカーから流れる雨音。そんな彼女を責め立てる錠前サオリ。
この世の全ては虚しいものだと。彼女は自分に言い聞かせるように叫び続ける。けれど私は、その言葉を認められなかった。その言葉だけは認めるわけにはいかなかった。私が想い、感じ、得られた全て。私の、私だけの宝物。汚い私、要らない私。親にも忌避されたこの私を救い上げてくれた感動を、無かったことになんて出来るわけがない。
だから、私は──
「私には、大好きなヒトがいます……!!」
あの日。遂に私は、運命に出逢った。
「平凡で、大した個性もない私ですが、その大好きなヒトに関しては、誰にも譲るつもりはありません……!!」
凡庸で、何の価値もない私。私には何もない。私では得られない。でも、それでも。
「友情で苦難を乗り越え」
どうか私を許して欲しい。
「努力がキチンと報われて」
笑顔の仮面を貼り付けて、軋む心に喝を入れて。
「辛いことは慰めて、お友達と慰め合って……!」
辛くても、惨めでも。陰でいつまでも泣いていても。
「苦しいことがあっても。誰もが最後は、笑顔になれるような」
その手に“運命”を掴むため、私は自分すら欺き通す。
「そんなハッピーエンドが、私は好きなんです!」
間違えたって、誰のせいでもないって。そんなの、ただの言い訳だ。
可哀想とか、哀れだとか、そうじゃない。私は
握り締めた拳に力が籠る。滲む血も、溢れる感情も、それは当時のそのままで。この期に及んで本心を隠す私に、けれどどうすることも出来なくて。どこまでも身勝手に。ひたすらに感情的に。私の心情を、私の信念を。少しでも強く、ほんの僅かでも相手に伝わるように。
「誰が何と言おうとも、何度だって言い続けてみせます!」
誰に後ろ指を刺されようとも、私は必ず成し遂げてみせる。
「私たちの描くお話は、私たちが決めるんです!!」
私の意地を、私の全てを。“不幸な過ち”の一言で、終わらせたくはないから。
「終わりになんてさせません。まだまだ続けて行くんです!」
この気持ちさえも嘘で、いつか覚めるものだったとしても、私は。
「私たちの物語──私たちの、青春の物語を!」
私は、私の人生を──
☆☆☆
「………どこまでが予想通りでしたか?」
肩を竦めて、観念したように語る彼からは、舞台上で感じたヒシヒシとした圧力は既に無い。けれどそれが逆に恐ろしく、普段はどれほどの感情をその内に秘めているのか、考えるだけで少し怖くなってくる。彼は私たちに対して、間違いなく害意は抱いていないはずなのに。
「“阿慈谷ヒフミ”が望むように、男として、ナギサさんに慰められて──もしかしたらその方がずっと幸せだったのかもしれません。でも、その場合……変なところで思い切りの良いヒフミちゃんは、これまでの過去をすっぱり捨てて、遠く離れた男子校にでも転校するんじゃないか、って。そう思ったんです」
「………ゔ」
私の言葉に、痛いところを突かれたとばかりに唸る彼であるが、それ自体が演技である可能性は捨てきれない。とはいえここで誤魔化す理由も薄いだろうと、ひとまずは真実であることを前提にして話を進める。
「……私は貴方に救われました。貴方にとっては不本意かもしれないけれど、私たちは貴方が懸命に築き上げた
「思い出して欲しかった、と? 別に忘れたつもりも……」
「いえ、それ以上にナギサさんの攻勢が激しく……流石のヒフミちゃんも、一線を越えてしまえば、もう目を逸らすことは出来ないでしょう?」
「…………」
答えは沈黙。つまりは肯定。こういう時のヒフミちゃんは、普段と違って非常に分かりやすい。どうしても“ナギサさんが絡むと”という前提が付いてしまうのが妬けてしまうポイントでもあるが、そこは焚き付けた私が言う言葉でも無いだろう。
「実はですね。今日の練習ですが、ナギサさんをお呼びしていたんです」
「………?………。………は????え?????」
おお……見るからに動揺している。彼の内心の叫びが聞こえてくるかのようだ。そんなに喜んでくれるなんて──という冗談はさておき、
「ナギサさん、悲しんでいましたよ。昨日はすぐに帰ってしまったって」
「いやそのそれは流石にお風呂はハードルが高過ぎというか、じゃなくてその……浦和、じゃなかったハナコちゃん。ナギサ様をお呼びしたとはどういう……?????」
「……どうもこうも、そのままの意味ですが」
咄嗟に正確な言葉を紡げたのは奇跡と言っていいだろう。サラッとこれまでにない呼び方をされて正直絶句しそうになったが、努めて冷静に、どうにか声が震えることもなくそんな言葉を返す。
多少動揺はするはずだ。そうは予想していたのだが、呼称が崩れるレベルとなると、ちょっとハードルを踏み越えてしまった感はある。あるいはこれは、彼のナギサさんに対する執着を舐めていたと評するべきなのか。
(ヒフミちゃん、内心では私を“浦和”呼びだったんですね…)
私も私で思わぬところで致命傷を受けてはいたのだが、しかしここで怯んでいてはそれこそお終いだと、勇気を出して更に踏み込もうとした──その直前、
「ヒフミさん?」
「ひぃっ、な、ナギサ様……!! これは、その……違うんです!!」
「……ええ。分かっています。ヒフミさんが気の多い御方だということは──」
「断じてそういう方向性の話ではなかったですよね?!?!! あ、でも隠し事があるというわけでもなくてですね……!!!!!」
矢継ぎ早に、やたらとハイテンションに繰り広げられる問答。さっきの微妙に重苦しい雰囲気はなんだったのか疑うくらい、たかが一言や二言の会話で、あっという間にその場の空気を飲み込まれてしまう。
不意にヒフミちゃんの背後より現れた女性──桐藤ナギサさん。ティーパーティーの最高幹部、三人の生徒会長のそのうち一人、フィリウス派首長にしてティーパーティーの現ホスト。ある意味ではセイアちゃん以上に歩き回るイメージがない彼女だが、流石に想い人が相手となると違うらしい。
実際、過去にもミカさんのピンチに際し、彼女は積極的に持てる範囲の権力を使ってあちこちに協力を仰いだりもしていた。かつて補習授業部での騒動の時に見た、ティーパーティーのホストとしての冷酷な姿は、あくまで対外的なアピールでしかないのだろう。
「ところで、先程の演技でしたが」
「は、はいっ……!!」
「実に素晴らしいものでした。そういうことで、少々詳しくお話を伺いたいので、これからお時間を頂いても?」
「え、えっと……そのぉ……」
「ああ、誤解無きよう先に言っておきますが、返事は特に求めてはいませんので──ああ、ご心配なさらずとも結構ですよ。今日は“大丈夫”ですから」
「な、ナギサ様!!!やっぱり昨日のこと怒ってるんですねナギサ様!!!!!そして女の子のその発言は信頼しちゃ駄目だってウチの母が……!!!!!ああ、でもそんなこと言われたら逆らえない悲しき男のサガ……!!!!!せめて自分で歩くのでそこは握らないでくださいナギサ様!!!!!ナギサ様……!!!!!」
あっ、という間に。
時間にして一分も掛けたのかどうか。私がナギサさんについて多少思考を巡らせていたその間に、止める暇もないままに、流れるように二人はそのまま講堂の入り口から退室していく。ヒフミちゃんの前側に回っているナギサさんの手が何処に伸びていたのかは……ヒフミちゃんの名誉のためにも、明言しない方が良いだろう。
「……フラれちゃいましたか」
「そうなるよう誘導していた癖に良く言えたもんだね☆ ……いやホントにどうしてくれるの?? 色々とみっともないから本気で勘弁して欲しいんだけど???」
「ま、まあそこはお二人の理性を信じていただくしか……元よりそうなるのは秒読みでしたし、変に拗れるよりかは、こうしてスパッと決めちゃった方が良いかなと……」
「ふぅ〜ん?? ま、それならそれで良いけど……貴女、結構損する性格なんだね?」
「……何のことです?」
「そういうことにしてあげる。そうは見えないかもだけど、これでも私、貴女には結構感謝してるんだ。じゃ、あの様子だと続きは無理そうだし、ちょぉっとナギちゃんに忠告も入れなきゃだから、私はもう帰るけど後はよろしくね☆」
いつの間にやら現れて、言うだけ言って何処ぞへ去る。まさに“お嬢様”という言葉が相応しい少女は、私の心に僅かな痼りを残して行く。
まあ、でも。
「やっぱり、勿体無かったかな……?」
その呟きは、誰の耳にも届かないまま消えて行く。素直に祝福出来ないということは、つまりそういうことなのだろうかと。けれどそれを自分でもよく分かっていないところが、まるでミカさんに敗北を認めてしまったかのようで少しだけ嫌だった。
次回、多分最終回です。