「……ミカさんが、羨ましいです」
いつになく疲弊した様子のナギサ様が告げたのは、これまたこれまで一度も聞いたことのない言葉だった。
「えー、っと……?」
「ミカさんが羨ましいのです。とても」
繰り返し言ったよ。ではなく。どうやら聞き間違いの類ではなかったらしい。それで、「ミカさんが羨ましい」と……まあ、境遇を除けば言いたいことは分からないでもない。
「ミカさんにも色々と事情があったのは確かですが、彼女は何だかんだとこれまで抱えて来た鬱憤を晴らした結果に終わったのに、その感情を一方的にぶつけられた私がこうして苦労しているのは、その──いえ、彼女にとって良い結果となったのでそれ自体は構いませんが、やはり私にも思うところはあるのです」
おっと結構語るな。これは珍しいというか本当にお疲れのご様子。これまでも聖園ミカさんのことは割と話題に出ることはあったけど、多少の不満くらいならまだしも、ここまで露骨に愚痴ってるのは初めてかもしれない。
けれどまあ、仕方ない面もあると思う。ナギサ様からしてみれば、ミカさんは自らの命すら脅かした敵の内通者。幼馴染であっても、むしろ幼馴染であればこそ、期待との落差、それを知った時の絶望は計り知れない。
私も例の「アイちゃんアイドル伝説」を読んだ後はしばらく内心複雑すぎて母に対して微妙な反応をしていた時期があるから、重さで言うなら比較にもならないかもしれないけど、それでもほんの少しだけ気持ちは分かる。
「元より、あの子は権力者に向いていなかったのでしょう──いえ、ある意味ではあの姿こそが権力者としての姿と評するべきソレではありますがそういった一般論ではなく。雁字搦めで不自由な今の方が、かつてウチの庭で小枝を用いて鯉を釣ろうと池で溺れたあの時のように、騒動前のミカさんよりも生き生きとしているように思えるのです」
それは生き生きとしているのだろうか……? むしろ死へと誘われている気が……。まあそういう意味じゃないのは流石に分かるけれども。
元より権力を持て余し気味だったミカさん。それならいっそ身一つで接した方が単に友人と逢う目的であれば気楽であると。……なまじミカさんって単独でも正実と競えそうなくらい強いから、そういうのに執着する意味も薄そうだし。
(ふむ……)
とはいえ、どうしたものか。いや別にナギサ様はちょっとした愚痴をこの機会に吐き出したいだけで、私はこのまま単純に愚痴を聞き流すだけで全然大丈夫だとは思うのだが、せっかくこうして弱音を漏らすほど信頼してくれてるわけで、それなら多少は力になりたい。
しかしご存じ、ナギサ様とミカさんでは性格を始めスタンス成績運動能力といったありとあらゆる要素が異なっている。人は自分にないものを持つ人に憧れるとは聞くが、ここまで色々な相違があると単に不理解を招く恐れも十分に考え得る。
「そうですね……例えばですが、ミカさんの真似をしてみる──とか?」
ただ。理解できないのなら理解できないなりに出来ること、というのも選択肢としてはある。同じ釜の飯を食べる。同じゲームで遊ぶ。同じ土俵で競い合う──外国語を覚えるにはその国の恋人を作ればいいとはよく言ったもので、相互不理解の解消には互いの歩み寄りが何よりも大事なのだ。
「真似……?」
とりあえず言ってみたものの、あまりナギサ様はピンと来ていないご様子。まあぶっちゃけ割と適当に言ったしミカさんのように振る舞うナギサ様とか想像も付かないから仕方ない。それに物真似はあくまで極端な例で、要するにナギサ様から歩み寄れば相手の考えも分かって怒りも薄れるんじゃないかとただそれだけの話で。
「真似──」
「……ナギサ様?」
そのように付け加えるも、まるでナギサ様はこちらの言葉が聞こえていないかのように、私をぼんやり見つめながら何かを考え込む。更にはそのままたっぷり一分近く動かなかったので流石に心配になって顔の前で手でも振ろうかと考えて私がゆっくり椅子から立ち上ったその時、不意に彼女は椅子から勢いよく立ち上がると、
「──ふふ。隙あり、です」
「ほぁわ!??!?!!?!!?!?!?!」
ぎゅっ、と。
まるで撓垂れかかるように。ちょうどナギサ様の側に寄ろうとした私を捕獲するような形で、ナギサ様が私の腰に手を回して力強く抱擁する。
(えっ夢???!??!?ほぁあああ柔らかい柔らかい良い匂い可愛い可愛い好き好き好き好き愛してる結婚したい結婚したい…!!!!いや待て落ち着けこれはなにかの罠ああぁぁあ全身が幸せに包まれるぅぅぅ好き好き好き好き好き好き)
ペロロ様。ペロロ様お許しくださいペロロ様。ヒフミは今宵大人になります。部活も学校も全部ブッチしてこのまま一ヶ月昼夜問わず種付けして、私のお嫁さんをボテ腹で卒業式を迎えた伝説のティーパーティーとして歴史に刻み込むんだ……!!!!!!
「──なるほど、これは中々どうして……想像以上です。ハグには多幸感を得られる効果があるとどこかで聞き及びましたが、ミカさんに抱き付かれても時に鬱陶しく感じることさえあるというのに……ヒフミさんとの相性が影響しているのでしょうか」
「はわわわわわわわ……!!!?!!!?!」
ぎゅっ。ぺたぺた。すりすり。むにむに。
探るように。擦り込むように。確かめるように。僅かな隙間も許さないとばかりに、それはもう執拗に密着するナギサ様。え????ガチで本気の本当に色々と大丈夫なんですか????襲うぞ????マジで襲いかかるぞ????逆にどうして襲わないんだ私クソッこのヘタレ野郎!!!!死んでしまえ私!!!!こんなのもうバカップルじゃんね。好き!!!!!!!!!!!!!!
「ああ──何というか、とても落ち着きますね」
私は落ち着かない。
吐息が首元にダイレクトにかかる距離。もはや熟年夫婦でも軽く怒られそうなレベル。割と前から思ってはいたけど、やっぱりナギサ様ちょっと距離感おかしくない???????身内にダダ甘なのは知っていたけど、男云々以前に友達でも流石にこれは過剰では?????もしかしなくても確信犯(誤用)ですよね??????
(ああああああ………これで確信して告白ができれば………!!!!)
まあぶっちゃけ我ながら告白したら多分いけそうだなとは思ってはいる。でないとこんなことしないだろうし。ただ私って内心がこんな感じだからというか、正直な話ナギサ様の好感度を稼いでる部分がほとんど演技みたいなものだから、やっぱりどこかでブレーキが働いてしまうのだろう。
それはそれとして、とりあえずどさくさにこちら側からもナギサ様にハグをしてみる。……いやどさくさ???普通にこれは合意では???じゃなくて確かに多幸感がやゔぁいですねこれは……こんなん麻薬ですよ麻薬。毎日摂取しないと禁断症状で死んでしまいます。どうでもいいけど服の布地すげぇ肌触り良いな……らぶらぶちゅっちゅしたい……あっなんか脳が溶けそう……あっ、
……………………………………………………
……………………………………
…………………
「──抱擁とは、これほどまでに良いものなのですね。これは私も、認識を改めなくてはなりません」
「は、はいぃ……」
結局、あれからおおよそ二時間。日付が変わるまで堪能した天国も、遂に終焉の時間を迎える。
名残惜しいどころの話ではなかったが、やはり立場がどうあれ私たちは学生の身分。一ヶ月も無駄休暇など許されるはずもなく、特にナギサ様は先にも語っていたように多忙の身。遠くにあった掛け時計が日付の移り変わりを知らせたあたりでここらが流石に潮時だろうという流れになった。
もう色々と脳内が蕩けてロクに思考も出来ない私に、ナギサ様は大真面目に語る。
「あるいは、一方的なのが駄目だったのでしょうか──機会があれば、ミカさんの抱擁にも応じてみましょうか。ふふふ、これは色々と試し甲斐がありそうです。そういうわけで、次の機会もお願いしますね?」
「ほぇ……?」
えっ毎日?!??!!?!毎日とは言ってない。それにしたってまたOKなんですか!?!?!!?こんな私に都合の良い展開大丈夫???????天から罰せられたりしない???????????
僅かに残された理性を総動員して死ぬ気で肯定すると、ナギサ様は満足そうにくすくすと笑う。あっ好き……私のお嫁さん可愛い……。
翌日。そこには寝不足で見事に遅刻をする私の姿があった。理由はまあお察しである。でもだよ? 言い訳するわけじゃないけどアレは仕方ないと思うんだ。私は悪くない。あっナギサ様が悪いとか言ってるわけじゃないので誤解しないでほしい。全て私がやりました。
ちなみにその日の放課後。ミカさんが凄く上機嫌でボランティアに赴く姿をたまたま見かけた。ドウシテダロウナー。すれ違い様に多少の会話をしたところ、ナギサ様も今日は少し遅れて登校したらしい。やはりというか何というか、言葉通りに疲労が溜まっているようでお労しや。どうかお大事になさってくださいナギサ様。
☆☆☆
「どうしてそれで関係が進んでいないのか不思議ですねえ」
いつものように妙に勿体ぶった口調でハナコちゃんは告げる。誰から聞いたのかとか単にカマをかけているだけなのかはもう面倒なので気にしない。どうせ答えてくれないし聞くだけ無駄だから。会話が成立するならそれで良いのだ。
「正直、告白すればもうイケるなと思うことはあります。ただそれで良いのかとか、結局はナギサ様の慈悲に甘えているだけなのではと考えてしまって──ああ、でも昨日はその気になれば普通に最後まで行けたはず……ううう私のヘタレ野郎死んでしまえ」
「えっ……?」
意外そう、と言うのか。何故かハナコちゃんは自分から聞いたくせにそんな感じの奇妙な反応をする。あれ? ハナコちゃんならセイア様経由で色々聞いてそうだけどこれは思ったより内情を知らない感じなのかな? まあいいや。
「それよりもあんまりアズサちゃん達に変なことを吹き込むのはやめてください……特にアズサちゃんは私たちの言葉はすぐ鵜呑みにしちゃうんですから──」
「???? 何の話です……??」
誤魔化す気ですか。そうなると仮にも元ティーパーティー候補生。腹芸の類では勝ち目などあろう筈もない。ならば追及はこれくらいにしておいて、
「ああいえ、そうではなく。そろそろ
「え??? はぁ、いえ。別に私のクラスは平凡と言いますか、救護騎士団主導で占いの館みたいなことをする予定でして。当番の時さえしっかりすれば時間は十分に取れそうですが……」
やや強引な話題転換だったから戸惑った様子だったものの、まだまだ先の話とはいえ謝肉祭の予定は気になってはいたのだろう。ハナコちゃんは深く追及することもなく自身の都合についてつらつらと語る。
「それは良かった──と言うのも失礼ですか、そうじゃなくて。せっかくですから、何か補習授業部でも軽く出し物か何かをやりませんか?」
「それは全然こちらとしては構いませんが……意外ですね。ヒフミちゃんはそういうことを避けるものかと思っていました」
まあ普段ならそうかもですね。実際、去年は普通にクラスの喫茶店だけでしたし。ただ今年は、というか今の時期は出来れば放課後に予定を入れておきたいのだ。主にアズサちゃんとかアズサちゃんとかコハルちゃんとかが理由で。そして可能なら補習授業部全体で参加できるような用事が良い。そういう意味では全員で文化祭の準備というのは、私にとって非常に都合が良かった。
「あはは……無理にとは言いません。まだ何をするかも未定ですし。ただ補習授業部は特異な部活ですし、せっかくなので思い出として何かを残したいと言いますか」
「───。………そう、ですね。それは良い提案です。私の方でも何かしら案を考えておきます」
私は自分の都合ばかりで本当にごめんなさい。下ネタが絡むとアレだけど、普段は本当に良い子なんだよなぁハナコちゃん……可愛いし美人だし優しいし。これで浦和要素さえ無ければ……。
「ではハナコちゃん。また明日」
「ええ、それではまた明日に♡」
その日はアズサちゃん達に用事があったのか、ハナコちゃんと二人きりで穏やかな時間を過ごす。最後の方ではいつもの調子が戻ったのか昨日のことについてまた言及されたりもしたが、正直腰とか痛くて全力で走るとか無理そうだったので、アズサちゃん達に捕まることを考えたらそれくらい全然安いものだ。
「……もうタイムリミットですか。思ったよりも手が早いですね──」
最後にハナコちゃんが呟いたその言葉は、私の耳には届かなかった。後に訪れた出来事を思えば、どうしてその時に私は全力で聞き耳を立てていなかったのかと、後悔することになるのはまた別の話である。