時間帯としては明け方を少し回った頃。
俺とアクアは荷物の運び出しで現場に来ていた。
本番まで時間はあるが戦いは既に始まっている。
狭い楽屋を掻き分けて車から荷物を降ろしていく。
「アクア、こっちは終わったぞ。そっちはどうだ」
「あと少しでこっちも終わりだ。それにして凄い人口密度だ。足の踏み場が殆ど無い」
「裏方も楽じゃないって事だ」
どうやっても苦労するのは社会人の宿命らしい。
楽な仕事というのは本当に少ない。
そんなこんなで昼頃に楽屋の準備が終わった。
俺達裏方の仕事も一先ずこれで終わり。
あとは待ちに待ったオフの時間だ。
近くのカフェで少し遅めのランチと洒落込む。
そこそこお高いコーヒーとサンドイッチを注文し、その2つをゆっくりと味わって食べていく。
少々物足りないがこれはこれで悪くない。
「これぞ正しく至高のひと時………」
「お前って時々おっさんぽくなるよな。言動と行動がおっさんの仕草そのものだぞ」
黙ってろ。お前だけには言われたくない。
流行やSNSにやたら疎いところとかモロそうだ。
こいつも大概人のことを言えない。
俺と同じで中身が三十路を超えているに違いない。
「2人ともごめんね。ちょっと遅れちゃった」
「別に構わない。時間ならまだ十分にある」
「代わりにコーヒーを一杯奢れ」
「奢らせるな。あかねも財布を出すな」
コーヒーを半分ほど飲み終えた頃。
劇団の仕事終えたあかねが席にやって来た。
俺達はこのカフェで待ち合わせをしていた。
理由は言わずもがなライブを見に行く為だ。
何だかんだで最後まで練習に付き合っただけあって、黒川もB小町のライブには興味があったらしい。
別に構わないが俺の場違い感が凄まじい。
「他の今ガチメンバーも来れたら良かったんだけどな。全員忙しいから仕方ないと言えば仕方ないが」
「ゆきちゃんなんか駄々こねてたしね」
ちなみに鷲見には俺が2人に同行する事について、個人のラインにて激しくツッコまれた。
兄同伴のデートは流石にあれだと思ったらしい。
俺だって別行動を取れるなら取りたかった。
けれど、俺が先に約束していたのだからと、黒川に正論を指摘されたのだからどうしようもない。
有馬には後で文句を言われるに決まってる。
というか俺だけが絶妙に気まずい。
こんな時にフリルがもし居てくれたら………ッ。
その後はSNSに上げる写真を3人で撮ったり、あまりの腹痛にこっそり胃薬を飲んでりして時間を潰していると、時計の針は6時を通り過ぎていた。
日が沈んで星が出かかっている。
「そろそろ時間だな。会場は混むし早めに行った方がいい。あっちでの席取りもあるし」
「うん。そうだね」
「おう。そうだな」
俺達は会計を済ませてカフェを出て移動した。
会場に着くと既に幾つかのライブが行われていた。
ステージ周辺はファンの熱気で満たされている。
B小町のライブが行われるステージも同様だ。
気を抜けば直ぐにでも圧倒されそうになる。
「やっぱり着替えておいて正解だった」
「お前って結構形から入るタイプだよな。ここ1週間何を準備していたかと思えばそれかよ」
「ガチガチのフル装備だね」
俺の今の服装はハチマキにMEMちょTシャツと、恥を彼方に捨てた由緒正しいドルオタ全開の服装。
この日の為に全てネットで取り揃えておいた。
伝統に倣ってオタ芸も習得済み。
これで他のファンに見劣りする事はない。
何を言われようと俺が一番のMEMちょファンだ。
フリルの意志は………俺が引き継ぐ。
「あかねはライブ初めてで慣れてないだろうからこれを渡しておく。サイリウムって言って折り曲げるとこんな風に光る。これを振って応援するんだ」
「赤と黄色と白があるね」
「赤がルビー、黄色がMEM、白が有馬のイメージカラーだ。沢山あるから好きなのを選んでいい」
「真さんはMEMちょを応援するとして、アクアくんは誰を応援するの?」
「俺は全員を応援する。所謂箱推しってやつだ」
「じゃあせっかくだから私も箱推しにしよ」
これについては最早言うまでもない事ではあるが、アクアの方がドルオタのレベルとしては明確に高い。
こいつのドルオタっぷりは筋金入りだ。
サイリウム6刀流なんて普通は出来ない。
まして予備のサイリウムなんて普通持ってこない。
B小町Tシャツを身に纏って楽しそうに説明した。
興味深そうに黒川はサイリウムを見る。
「あと少しで本番だね。緊張してないかな?」
「緊張はしてるだろ。初のライブで大舞台だし」
「ルビー辺りは本番間近になっていきなり固まってるかもな。能天気そうに見えてメンタル強くないし」
あかねの質問にアクアは溜息交じりに言った。
有馬に泣きついてるルビーの姿が容易に想像つく。
MEMちょは配信で慣れてるから大丈夫だろうが。
「けどまぁどうにかなるだろ。有馬の奴がいるし」
「それもそうだな。心配し過ぎか」
「2人とも………かなちゃんを信頼してるんだね」
「昔からの仲だからな」
「別に信頼なんかしてねーよ」
俺はそもそも誰かを心から尊敬する事はあっても、誰かを心から信頼した事は一度たりともない。
前世も今世も所詮世界は嘘とハッタリそのもの。
人間関係なんてものは利害上でしか成り立たない。
信頼出来るのは金と権力と自分だけ。
俺にあるのは精々確信のみ。
「ただいつも通り
俺は勝てる勝負しかない。
「先輩。めちゃくちゃ緊張してきた。どうしよう」
「さっきまで楽しそうで余裕っぽかったのに?」
「本番が近づいてきたらだんだん………」
時刻が進みあと少しで本番。
そろそろ準備を始めようかと考えていると、分かりやすく緊張したルビーが私に泣きついてきた。
会場入りした直後との落差があまりに激しい。
メンタル強いのか弱いのかよく分からんない。
「先輩は怖くないの?緊張してないの?」
「当たり前でしょ。何年やってると思ってるの?」
「先輩凄いなぁ……初めて尊敬したかも」
「おいこら。色々聞き捨てならないんだけど」
仮にも先輩に向かってその言い草か。
しかもそっちは相談してもらってる側だろ。
メンタル強いのか弱いのかマジでよく分からん。
口の利き方をいい加減覚えろ。
「なんかいつも通りの会話だね。怒ってる先輩見てたら少し安心してきた」
「全部あんたのせいだけどね。こっちまで多少でも緊張してるのが馬鹿らしくなったわよ」
「あっ、やっぱり緊張はしてたんだ」
「そりゃそうでしょ。アンタ達も居るし」
私一人だったらきっと何も思わない。
それで失敗したら責任は全て私のもの。
批判だって私しか受けない。
でも、今回はルビー達が居る。
失望混じりのこんなもんかって目。
閑古鳥が鳴いているガラガラの客席。
期待に応えられなかった時の苦しみ。
ルビー達にはあんな思いをさせたくない。
「大丈夫だよ。私達は一人じゃないんだから」
「ええ、そうね。私達は一人じゃない」
あいつと再会してから本当に色々とあった。
オカルト系の番組に引っ張り出されたかと思えば、突然のドッキリでパイを投げられた事もあった。
1週間ガチの農作業に駆り出された事もあったし、またしてもドッキリでパイを投げられた事もあった。
思い返すと………本当に碌な目に遭ってない。
とりあえずドッキリ企画に巻き込まれ過ぎだ。
散々酷い目にあったし散々殺意も沸いた。
………けど、決して一人じゃなかった。
私を見てくれる誰かが確かに居た。
アンタ達はいつも私を見てくれて居た。
「色々と考えるのはライブが終わった後。そろそろ行くわよ。せっかくの大舞台でコケられないし」
「先に黄昏てたのは先輩じゃんか」
「余計な事は言わなくていいの」
私達は移動して衣装に着替える。
メイクも済ませ準備は完璧だ。
「B小町さんどうぞ」
「「「はいっ!」」」
スタッフに誘導されて私達はステージに行く。
練習通りの位置に移動して観客席を見渡す。
輝くサイリウムの多くは黄色。
うちにはインフルエンサーが居るから心配してなかったけど、集客としては悪くない。
白と赤の輝きが想像より多い事には少し驚いた。
ユーチューブでの活動が意外にも響いている。
少し間を置いて最初の曲が流れ出した。
幾つものライトが一斉に光を放つ。
曲に合わせて私達はステップを踏む。
3人の中で最もダンスが上手いルビーが観客の目を引き、視野の広いMEMちょ観客を魅了する。
アイドル志望というだけあって2人とも流石だ。
問題があった歌唱力も聞ける程度になっている。
………けど、このステージでの
体の芯まで熱が入って全身に力巡る。
いつも通りの最高の気分だ。
今の私なら何だって出来る。
一気にギアを上げステージ中央に躍り出て、これでもかと私の歌声とダンスを観客に見せつける。
ルビーとMEMちょの輝きを奪ってしまう程に。
ああ、なんて楽しいんだろう!
もっと私を見て!私はもっと輝ける!
どうせアンタ達も見てるんでしょ?
なら見せてあげる!アイドルとしての私を!
私に呼応してルビーとMEMちょもギアを上げる。
曲が終わる頃には会場は大盛り上がりだ。
掴みとしてはまずまずといったところ。
ライブはまだまだ始まったばかり。
「ありがとうございました!今お送りした曲は、『STAR☆T☆RAIN』です!みんな覚えてくれた?」
ルビーの掛け声にファンが一斉に応える。
ああ、本当に眩しいわね。
アイドルが好きで、ずっと楽しそうで、アイドルになるために生まれてきたみたいな子。
今この瞬間も誰かの心を奪って、どんどんファンを増やして。
気を抜けば直ぐにでも
「じゃあ次の曲行くね!次は皆お待ちかねのあの大ヒットソング!『サインはB』!!」
ライバルとしてはつくづく申し分ない。
それを超えていきたいと心から思う。
アンタ達の妹は凄いわね。
私をこんな気持ちにさせるだなんて。
もっと先に行きたいと思わせるだなんて。
曲の始まりと同時に思いのまま体が動く。
視線の先でサイリウムが光り輝く。
瞳の奥がふと輝いた気がした。
「かなちゃん………」
かなちゃんが再び表舞台に出てきたのは1年程前。
きっかけは五反田監督のドラマだった。
あのドラマを機に苺プロに正式に所属してからというもの、少しずつテレビでも見かけるようになった。
最初の方は昔のように手当たり次第に仕事をしてるのかと思ったけど、テレビに映るかなちゃんの姿を見ていくうちに違うと気が付いた。
色んな番組に出れば出るほど、色んな人に見られるほど、身勝手で、圧倒的な、眩しく輝く太陽みたいだった頃のかなちゃんに戻って行くのを感じた。
それすらも超える日が来るかもしれない。
そう考えたら涙が止まらなかった。
「かなちゃん………」
私が苺プロに興味を持つのも時間の問題だった。
そして専属のマネージャーが居る事を知った。
考察を深め誰か憧れの人が居る事を知った。
それからしばらく経って私は今ガチに出た。
アクアくんと真さんに出会った。
私は2人がその人物なのだと知った。
運命かのように思えた。
「MEMちょ!!MEMちょ最高!!」
「うるせぇ。気持ちはわかるが少し声抑えろ」
「無理だ!!出来る訳ないだろ!!お前こそ昔以上にキレッキレッのオタ芸じゃねぇか!!」
「当然だ。歴が違う」
普段の落ち着いた雰囲気からは想像出来ないほど真さんは興奮してオタ芸を打ち、アクアくんは澄ました顔で周りの目などお構いなしにオタ芸を披露する。
見事に息の合ったコンビネーションだ。
練習もしてないのに兄弟って凄いなって思う。
そして2人ともライブに夢中だ。
何よりもかなちゃん達に夢中だ。
ほんの少しだけ思わず嫉妬してしまう。
私も大概人のことを言えないけど。
「かなちゃん………!」
いつの間にか声に熱が入る。
無我夢中でサイリウムを振る。
もう気持ちを抑えるなんて出来ない。
今の私は正真正銘の厄介ファンだ。
凄い!かっこいい!綺麗!可愛い!
こんなにも目が離せないなんて!
1秒たりとも退屈できない!
まるであの頃のみたいだ!
役者の時とは別の自分勝手さだ!
私が大好きだったかなちゃんだ!
箱推しとしては失格だと自分でも思う。
けど、無理だ。興奮しないなんて。
1曲目が終わってルビーちゃんの声が響く。
会場全体が熱気で揺れた。
かなちゃんはルビーちゃんを見ていた。
真っ直ぐとその後ろ姿を見ている。
2曲目のイントロが流れ出した。
かなちゃんの纏う空気が変わる。
会場中のファンが一斉に息を呑んだ。
隣のアクアくんも目を奪われた。
真さんはニヤッと笑う。
「みんな!まだまだ盛り上がり足らないわよ?もっともっと声張り上げて!楽しんで行って!」
ああ、なんて眩しいんだろう。
これより上があるだなんて。
自分が
まるで地上に現れた
ルビーちゃんとMEMちょが合わせて動く。
さっきより動きがも良くなっている。
かなちゃんに触発されたからだろうか。
勢いが増してもう止まらない。
会場全体が更に激しく揺れた。
何を言ってるのか自分でも分からない。
かなちゃんに魅了されてるのだけは確かだ。
今のかなちゃんともし演技出来たら────
「全てを出し切った。満足だ。生きててよかった」
「あかね、大丈夫か?ボーッとしてたけど」
「う、うん!大丈夫!かなちゃん達凄かったから」
「俺の推しが居るんだから当然だ」
「ルビーもMEMちょもよくやったよ。有馬の奴も勿論な。期待以上のライブだった」
アクアくんは何処か誇らし気だ。
アイドルのかなちゃんが凄かったのはそうだけど、アクアくんの彼女は一応私なんだよ?
その自覚が本当にあるのかな。
もっとアピールをした方がいいかもしれない。
私も夢中だったから何も言えないけど。
かなちゃんはやっぱり強敵だ。
私は思わずむくれた。
「俺達は残って撤収作業だ。黒川はどうする?」
「休憩室で待ってるか?」
「お母さんが心配しちゃうから先に帰るよ。駅の方に行ってタクシーを拾うつもり」
「なら途中まで送るよ」
「いいよ。忙しいだろうし」
私はアクアくん達と別れて駅に向かった。
かなちゃんに会いたい気もしたけど止めた。
今顔を合わせたら何をするか分からない。
抱きつくくらいはしてしまうかもしれない。
「本当に帰ってきたんだね。かなちゃん」
私はずっと待っていた。
私が好きだったかなちゃんにまた会える日を。
ずっとずっと待ち焦がれていた。
そしてその日は遂に来た。
ようやく夢が叶った。
けど、私はアイドルではなく役者だ。
あの
かなちゃんもそれは分かってる。
あそこでは本気の勝負は出来ない。
どっちが役者として上か。
どっちがアクアくんに相応しいか。
それを決めるのは別の舞台だ。
『急な連絡ごめんね。次の仕事決まったから』
「気にしないで下さい。連絡ありがとございます」
『詳しい内容はデータで送っとくね』
道を歩いているとマネージャーから連絡が来た。
ラインで送られた資料を確認する。
私は思わずニヤけてしまった。
想像より早くその機会は巡ってきた。
「絶対に負けないぞ………」
どちらの勝ちも譲るつもりはない。
私は思いを新たにした。
「お前も色々と大変だな。全部自業自得だけど」
「一体何がだよ。お前ほど恨みは買ってない」
「絶対に関わらない。地雷原に飛び込む趣味はない」
「お前が地雷原そのものだろ」
駄目だ。こいつ何も分かってない。
自分が起爆装置である事を理解していない。
生粋の女たらしクソ野郎だ。
俺は溜息をついてソファーに寄りかかった。
スマホには次の仕事の資料が映っている。
資料にはアクアと有馬、黒川の名前がある。
どうして平穏に生きられないんだ。
全部全部邪神のせいに決まってる。
どれだけ面倒事を持ち込めば気が済むんだ。
この手でとっちめないと気が済まない。
どうか邪神に災いよあれ。
俺は心から邪神を呪った。
「アンタ達ライブ来てたのね。一言言ってくくれば良かったのに。オタ芸のせいで丸わかりだったけど」
「俺は推しの晴れ舞台を見に行っただけだ」
「俺は妹の初ライブを見に行っただけだ」
「黒川あかねを連れてまで?いい趣味してるわね。本人が仕事で居ないのが残念で仕方ないわ。たっぷりと揶揄ってやるつもりだったのに」
有馬は意地悪そうに笑った。
救いようがない程に性格が終わってる。
顔が良くて演技が上手いぐらいしか取り柄がない。
ファンの奴等が哀れで仕方ない。
こんな奴の為に金を浪費するだなんて。
俺に投資すれば倍額で返してやるのに。
「そんな呑気に世間話してる場合じゃないよ。お兄ちゃん達ちょっとヤバいかも」
「なんでだよ。賄賂には手を出してないぞ」
「さらっととんでもない事実が発覚した気がするけどまぁいいや。とりあえずこれ見なよ」
MEMちょはスマホを差し出した。
画面にはとあるネット記事が映っている。
そこには昨日のライブの写真が載せられていた。
俺とアクアは目を逸らす。
「ドルオタベイビーの再来。B小町ライブで全力のオタ芸を披露するイケメン兄弟。彼女同伴の模様」
「ネット上でそこそこバズってるよ。大した問題にはならないだろうけど社長には怒られるかもね」
「隣のあかねちゃんもノリノリだね」
「アクア、裏口から逃げるぞ」
「わかった。バイクの運転は任せた」
「てめぇ等何やってんだ!!」
グラサンの怒声がドア越しに聞こえた。
俺とアクアは裏口からとりあえず逃げた。
有馬は大爆笑した。
最終的に黒川も含め俺達は滅茶苦茶怒られた。
昔を思い出したのかミヤコは頭を抱えた。
何故だ。俺は推しを応援していただけなのに。
あとドルオタベイビーの正体が世間にバレた。
というか被害縮小の為に俺がバラした。
数日後にルビーのネット記事も上がった。
ルビーが巻き添えだと散々喚いた。
だが、俺は謝らない。
死なば諸共。お前も道連れだ。
有馬は更に大爆笑した。