斎藤家の愚息   作:熊田ラナムカ27

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中堅編
33 明けることなき夜


 

 

 

 昔と比べ少し貴重になりつつある休日。

 

 そんな日に私は一人の男性と会っていた。

 

 慣れたように席に座って飲み物を頼む。

 

 こうして彼と会うのは初めてじゃない。

 

「はぁ~。嫌になるな。インスタのパスワードを教えなきゃなんて。プライバシー侵害だと思いません?」

 

「気持ちは分かるけどそういう契約だからね。サインしちゃった以上はどうしようもないよ。そうやってタレントを囲うのは事務所の常套手段だからね」

 

「ブラック事務所だ………大人はみんなズルい」

  

「まったく……ファンが見てたらどうするんだい?」

 

「上畑さんが誤魔化してくれれば問題なし」

 

「それはそれで拗れそうな気もするけど………」

 

 私と上畑さんが出会ったのは数ヶ月前。

 

 ネットCMの撮影でスタジオを訪れた時だった。

 

 軽い雑談をしていくうちに意気投合して、いつしか愚痴や悩みを吐き出していたのをよく覚えている。

 

 駆け出しのADだという彼はとても口が上手い。

 

 そしてそれと同じぐらい頭がよく回る。

 

「ここだけの話………ある番組のリポーターを任される事になっちゃいまして。ようやく私もテレビデビューをする事になったんです。凄いと思いません?」

 

「芸能界入りして1年しか経ってないのに………確かにそれは凄いね。僕のアドバイスが役に立ったみたいで良かったよ。今回も手助けはいるかい?」 

 

「是非ともお願いします。こんな相談できるのは上畑さんぐらいですから。今回もご教授お願いします」

 

 私はそんな彼に芸能界のイロハを教わっていた。

 

 キャラ付けのやり方や番組アンケートの重要性。

 

 嘘と打残がどれだけの意味を持つかとか諸々。

 

 私()()が売れる為の準備を密かに進めていた。

 

 この事は勿論だけど事務所の皆には秘密だ。

 

 全ては犯人を見つけ出して息の根を止める為。

 

 例え相手がファンでも可能な限り利用する。

 

 目的を果たす為なら手段も道理も選ばない。

 

「君の才能は本物だ。アイみたいなアイドルにきっとなれる。君の為ならいくらでも教えてあげるよ」

 

 今日も私は笑みを貼り付け嘘を吐く。

 

 誰かの善意を踏み台にしてエゴに生きる。

 

 奇麗に真っ直ぐ売れるだなんて所詮絵空事。

 

 嘘を吐いて生きる事こそが賢い生き方。

 

 奪われない為には相手より先に奪うしかない。

 

 彼の向ける静かな笑みを見て改めて思った。

 

 この世界に真実なんて存在しないって。

 

 

 

 

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 

 

 

 

「アクアくんお疲れ!今回も良い演技だったよ!」

 

「俺はいつも通り最善を尽くしただけです。それが監督のお気に召したのなら何よりですけど」

 

「そうかそうか!君はクールだね!こりゃあ次の仕事も任せちゃおうかな?また連絡するよ」

 

「今日はこの位で失礼します。お疲れ様です」

 

 宮崎でのMV撮影から、早くも半年が過ぎた。

 

『B小町』はブレイク寸前の空気を持つグループ。

 

 あかねは映画出演の経験もある実力派女優。

 

 俺は幅広い仕事をこなすマルチタレント。

 

 それぞれが各分野で大きく活躍していた。

 

 今の苺プロはアイが居た頃の並みの最盛期だ。

 

 だが、その一方で真の姿は何処にも無い。

 

 彼奴は数ヶ月前に俺のマネージャーを辞めた。

 

 それどころか家からもひっそり姿を消した。

 

 念の為に言っておくと行方不明とかではない。

 

 大学の長期インターンの関係で社寮へと移り住み、俺達と直接顔を合わせる機会が単純に減っただけだ。

 

 それなりの頻度でお互い連絡は取り合っている。

 

 しかし、彼奴の休職は本当に唐突だった。

 

 社長ですらギリギリまでその事を知らなかった。

 

 彼奴一人で全てを進めて勝手に去って行った。

 

 引継ぎをきちんと終わらせてた辺り質が悪い。

 

「どうして休職なんてするんだ?そんな必要ないだろ。お前の夢は苺プロの社長になる事のはずだ」

 

「決まった事にいつまでもグチグチ言ってんじゃねぇよ。俺には俺のやり方ってやつがあるんだよ」

 

「有馬の奴が一人で文句言ってたぞ。自分勝手に勧誘したくせに自分から立ち去るとは何事だとか何とか」

 

「彼奴の文句なんて余計知らねぇよ。事務所に行かなくて正解だった。あと一歩で殴られるところだった」

 

 彼奴が家を発つ数日前のある日の真夜中。

 

 俺はその事について真をしつこく問い詰めた。

 

 あの日の俺は自分らしくなかったと思う。

 

 いつもなら軽く聞いてそこで終わりにしていた。

 

 彼奴は誤魔化そうとしたけど最終的に折れた。

 

 あまりにしつこくて面倒に思ったに違いない。

 

「苺プロダクションの社長にはいつかなる。そんでもって平穏な日々を送る。その為に距離を取ってやれる事をやるってだけだ。今も昔も俺は変わってない」

 

「ならいいけど………少し不安だったんだ。ルビーの奴……様子が変だろ?異様なぐらいギラギラしてる」

 

「否定できないのが辛い所だな。全部が良い方向に進んでるはずなのに……不安要素はあちこち漂ってる」

 

 あの時点でMVは1000万回再生をマーク。

 

 最大手のグループと同じくらいの再生数を突破し、『B小町』の知名度は大きく広がりつつあった。

 

 そしてその中心に居たのは紛れもなくルビー。

 

 今までの天真爛漫なキャラをかなぐり捨て、ミステリアスでダークな雰囲気を纏い視聴者達を魅了した。

 

 何かを強く訴える視線は多くの者に爪痕を残した。

 

 けれど、俺はそんな状況を素直に喜べなかった。

 

 何かが変わってしまう予感がして不安だった。

 

 かつての俺を見ているようで胸騒ぎがした。

 

 気のせいだと割り切る事も出来なかった。

 

「暗い表情で情けない顔してんじゃねぇよ。俺はもうお前の共犯者(マネージャー)じゃない。頼まれたって慰めねぇぞ」

 

「うっせぇよ。言われなくても分かってる。きしょいから兄貴ヅラやめろ。柄にもない事やろうとすんな」

 

 そんな俺の頭を溜息をつきつつ真は軽く叩いた。 

 

 ざわめく感情が少しだけ落ち着くのを感じた。

 

 俺が女たらしなら真は根っからの人たらしだ。

 

 自覚する間もなく気づけば頼ってしまう。

 

「そういうお前はどうして芸能界にまだいる?お前の復讐はもう終わった。わざわざ居続ける理由なんてないはずだ。外科医になるっていう夢もあるんだろ」

 

 真は向き直るとそんな事を聞いてきた。

 

 俺は何も言えず黙りこくるしかなかった。

 

 自分がどうしたいのかはっきりしない。

 

「………ここから先の選択はお前一人で決めろ。お前にはそれだけの力と頼れる奴がいる。決して自分を見失うなよ。お前はお前の………やるべき事を果たせ」

 

 何か言いたげしつつも真は最後にそう言った。

 

 その言葉の真意を語ることは結局なかった。

 

 最後の最後まで掴みどころのない奴だった。

 

 あれから数ヶ月経った今も俺は芸能界に居る。

 

 彼奴が居なくなってから昔以上に迷ってばかりだ。

 

 自分がどうしてタレントであり続けるのか。

 

 自分がこの世界で一体何をしたいのか。

 

 その答えは一向に出ようとしない。

 

「ごめんね。わざわざ迎えに来てもらって」

 

「別にいいよ。現場からたまたま近かったし」

 

「せっかくだから相合傘しよ」

 

「あかねの分の傘なら持って来てるんだけど」

 

「要らなーい。こっちの方が良い」

 

「ったく………しょうがない奴だ」

 

 あかねとの関係は今でも続いている。

 

 気まずい時期もあったが無事乗り換えた。

 

 なんだかんだで関係性を保てている。

 

(けど、お互い何か隠し事をしてる。相手には言えない秘密を……嘘で覆い隠してバレないようにしてる)

 

 その事を考えると偶に胸がズキリと痛む。

 

 あの日に出来た溝は完全に塞がってない。

 

 互いが溝を見ないようにしているだけだ。

 

 俺は自らの本心をあかねに言えてない。

 

 出かかってる選択を言い出せないでいる。

 

 ずっと前からあかねはそれに気付いてる。

 

 気付いた上で詮索しないようにしている。

 

(だから、俺もあかねの秘密は詮索しない)

 

 あかねが傍に居る理由は前とは少し違う。

 

 純粋な気持ちだけで傍に居るんじゃない。

 

 そこにはきっと嘘と打算が込められてる。

 

 理由は多分気持ちの良いものじゃない。

 

 そうでなければ隠そうなんてしない。

 

「前に言ってた映画なんだけど時間取れる?」

 

「うーん、どうだろう?ここ最近忙しいし………」

 

「なら仕方ないな。また別の機会にでも───」

 

「ちょっと待って。マネージャーと交渉するからほんの少しだけ待って。私も久々にデートしたい」

 

「気持ちは分かるけど落ち着け。早口になるな」

 

 あかねは俺にとって勿体無い程の良い彼女だ。

 

 何も言わずとも直ぐに察してくれる。

 

 メンタル的にキツイ時は支えてくれる。

 

 ドス黒い醜い部分さえも受け止めてくれる。

 

 これ以上を望むのは罰当たりというものだ。

 

「だって全休日にちゃんとしたデートを最後にしたのって何時?1ヶ月前?2ヶ月前?それとも3ヶ月前?」

 

「………覚えてる限りだと3ヶ月と少し前くらい」

 

「でしょでしょ!私もアクアもお仕事続きで全然遊べてない!華のある高校生活も今年でラストなのに!」

 

「あかねが卒業した後でもデートは出来るけどな」

 

「どっちも高校生だからいいんです!特別感があるんです!それともアクアは私とデートはしたくない?」

 

「勝手に決めんな。そうは言ってないだろ」

 

「ならば良し。スケジュール空いたらまた言うね」

 

 人は時に大切な誰かに対しても嘘をつく。

 

 嘘を吐き相手を騙し幸せであろうとする。

 

「あかねは明日の仕事何時から?」

 

「9時に府中のスタジオに行く予定」

 

「そっか。結構速いな。フロ入って早く寝ろよ」

 

「うん。ありがとアクア。それじゃあまた」

 

 それが果たして正しいかは誰にも分からない。

 

 俺達がつく嘘を問い正す奴は何処にもいない。

 

 それでも彷徨いながらも前に進むしかない。

 

 暗い闇の底で選択肢を探し続けるしかない。

 

 嘘を真実に変えるにはそうするしかない。

 

(彼奴はこの重荷を一人で背負っていた。苦しい気持ちも叫びたい気持ちも今も一人で抱え込んでる)

 

 この数ヶ月で彼奴のことが少しだけ分かった。

 

 彼奴は約束を守る為に先導者になる道を選んだ。

 

 痛み辛さも覆い隠して強くあろうとした。

 

 誰かを導き助ける存在になろうとした。

 

 もしかすると神嫌いはその影響かもしれない。

 

 だって神は不安な時に手を差し伸べてはくれない。

 

 暗闇を彷徨ってる時に道を指し示してはくれない。

 

 何も言わず傍に居てくれる事もしてはくれない。

 

(そんでもって……彼奴はやっぱり大馬鹿だ。都合の良い神様がこの世界に居ないからって………そんな存在に自らなろうだなんて馬鹿のやる事だ。お前は聖人でも何でもない……ただの人間じゃなかったのか?)

 

 彼奴がここまで考えているかは分からない。

 

 自覚しているかどうかすらも分からない。

 

 けれど、俺にはそうとしか思えなかった。

 

 自分の事しか考えてないと言ったくせにこれだ。

 

 お人好しもここまでくると度を通り越している。

 

(お前は何処で………何をしようとしている?)

 

 彼奴の大きくも小さい背中が頭から離れない。

 

 何時か本当に居なくなる気がしてならない。

 

 俺の不安が晴れる事は今日もなかった。

 

 数多の嘘が降り積もるのを見ているしかなかった。

 

 いくら朝陽が登っても俺達の夜明けは来ない。

 

 

 

 

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 

 

 

 

『いえーい!お兄ちゃん!見てるー??今どんな気持ちー??』

 

『マジかよ………冗談と言ってくれ………』

 

 星野兄妹のトークにスタジオは笑いに包まれた。

 

 煌びやかな表舞台は今日も盛況そのもの。

 

 しかし、その裏側は文字通りのブラック。

 

 今日も今日とであちこちで怒声が響き合う。

 

「吉住ィ!そっちの交渉終わったか!?」

 

「すいません……ちょっと難航してて………」

 

「馬鹿野郎!!撮影は明日なんだぞ!?」

 

「すいません……すいません………」

 

 僕は平謝りで漆原Dの怒りを躱す。

 

 こんな事態は此処での日常茶飯事。

 

 正面でいくら受け止めてもキリがない。

 

 僕達ADの立場は現場内で下っ端の下っ端。

 

 定時に帰れないのが当たり前の最底辺。

 

 社会人であるからには上司には逆らえない。

 

「問題ありません。その交渉はこっちでどうにかしました。漆原Dのサインさえあれば全て万事解決です」

 

 そんな空気を破るように一つの声が発せられた。

 

 彼の手元には数枚の書類が握られている。

 

 僕の分の仕事をいつの間にかやっていたらしい。

 

「それじゃああれか?俺が無能だとでも言いたいのか?俺のせいで仕事が滞っていると言うつもりか?」

 

 そんな彼を漆原Dは疎ましそうに睨んだ。

 

 僕以上に新人の彼が気に喰わないに違いない。

 

 けれど、彼がそれに対し臆する事はなかった。

 

 飄々と怒りを躱しニヤリと笑みを作ってみせた。

 

 その上で彼は堂々と頭を下げてみせる。

 

「あなたも私も立場は違えど今出来る最善の仕事をしているだけです。称賛こそあれど愚弄する理由は一切ありません。それでも納得出来ないのであればどうぞご自由に。気の済むまでいくらでも言って下さい」

 

「なっ……お前……早く頭を上げろ!お、俺はあくまで仕事の注意をしただけだ!変な勘違いをするな!」

 

「立場が下の者が上の者の言葉を聞くのは当然のこと。怯える必要はありません。いつものように言ってください。私達を思った言葉ならば問題ありません」

 

 そんな彼の言葉に漆原Dは顔を真っ青にした。

 

 顔を上げると僕等の周囲に人集りが出来ていた。

 

 何人かはこちらを指差しスマホを手にしている。

 

 いつものように振る舞おうものなら大問題だ。

 

 下手に動けば懲戒処分だって十分にあり得る。

 

「交渉が済んでいるなら……それで良い。サインの方はこっちでやっておく。さっさと……持ち場に戻れ」

 

 漆原Dは絞り出したかのような声でそう言った。

 

 いつものような覇気も怒りもそこにはなかった。

 

 自らに向けられた視線の圧に耐えられなかった。

 

 そそくさと逃げるようにその場を立ち去っていく。

 

「ご心配を掛けて皆さんすいません。問題はこの通り解決したので………今のことは気にしないで下さい」

 

 彼は周囲の人に対し誤魔化すように笑ってみせた。

 

 どちらが上の立場かまるで分からなくなった。

 

 鏑木さんのお気に入りというだけはある。

 

 年も経験も僕より下のはずなのになんて人だ。

 

 歴戦の業界人の風格すら佇まいから感じる。

 

「さっきはありがとう。お陰で助かったよ」

 

「口出しと移動のタイミングが偶然にも重なっただけです。同じ事をやれって言われたら流石に無理です」 

 

「君が穴埋めで来てくれて本当に助かった。僕一人だったらとっくに潰れてた。君には感謝しかないよ」

 

 僕はせめてものお礼とばかりに彼に言った。

 

 彼が此処に来たのはほんの数週間前。

 

 休業中のADの穴埋めとして彼は派遣された。

 

 新人という事もあって初めは仕事を任せていいのか不安だったけど………そんな不安は直ぐに消えた。

 

 彼の仕事における手腕は現役のAD顔負け。 

 

 デスクワークは文句無しで編集技術はそこそこ。

 

 知識豊富かつ真面目で人当たりもそれなりに良い。

 

 交渉術に至っては他の追随を許さないレベル。

 

 これで学生だというのだから末恐ろしい。

  

 人望だけなら既に漆原Dを軽く凌駕してる。

 

「そんな事より吉住さん。昨日はちゃんと寝ました?サービス残業の気配が全身から漂ってるんですけど」

 

「あはは……家でちょっとね。僕は君みたいに要領が良くないから……その分だけ時間を掛けて───」

 

「社畜脳から早く卒業してください。定時までに終わらないようなら手伝うって言ったばかりでしょ」

 

「学生の君に僕の尻拭いまでやらせるのは………」 

 

「年齢も経歴も此処では関係ありません。後半部分はこっちで担当しますから、引き続き前半部分のテロップをお願いします。給料分の仕事はやって当然です」

 

 そんでもって僕の先輩としての立場が殆どない。

 

 仕事を手伝うどころか手伝ってもらってばかりだ。

 

 ありがたくはあるけど少し申し訳ない。

 

 僕等は椅子に座って編集作業を進めた。

 

 それからしばらく経ち時刻は定時一歩手前。

 

 編集作業もようやく作業も終わりが見えてきた。

 

 この調子なら今日も定時で帰る事が出来る。

 

「そういや吉住さんってどうしてわざわざADになったんですが?何か理由でもあるんですか?」

 

 彼はそんな事を何気なく聞いてきた。

 

 おそらくは軽い雑談のつもりなのだろう。

 

 僕は顎に手を当て少しの間考える。

 

「理由っていう理由は………正直ないんだよね。ただ何となくで大学に入って………何となく先輩の紹介で入っただけなんだよ。夢が無い答えでごめんね」

 

「別に構いません。こっちから聞いた話ですし……夢で食っていけるほど現実が甘くない事は知ってます」

 

 彼は妙な含みを持ちながらもそう答えた。

 

 改めて考えるとこの仕事に未練はない。

 

 目の前の仕事を早く終わらせる事ばかりを考えて、気付けば使われる日々を過ごすだけになった。

 

 子供の時ほど夢を見る事が出来なくなった。

 

 大人になるという事は時に残酷でしかない。

 

「強いて言うなら妹の為にやってるってのはあるかもしれない。妹は引きこもりだけど凄い奴でさ。自分の出来る範囲ではあるけど頑張って夢を追い駆けてる」

 

「吉住さんって妹居たんですね。知りませんでした。血の繋がりはないですけど俺にも弟と妹が居ます」

  

「我儘で手の掛かる奴なんだけど嫌いになれないんだ。彼奴が頑張ってる姿を見てると自分も頑張ろうって思える。妹や弟って……何だかんだで可愛いよね」

 

 僕にとって妹の存在は光そのものだ。

 

 どれだけキツイ仕事も妹の為なら頑張れる。

 

 彼奴の笑顔があったから今までやってこれた。

 

 自分の苦労が報われたと思う事が出来る。

 

「妹さんをそこまで大切に思うなら……転職を考えてみたらどうですか?此処で働き続けたら吉住さんは必ず倒れる。そうなったら……妹さんはきっと悲しむ」

 

 彼は不意にそんな事を言い出した。

 

 僕は目を見開きその言葉に聞き入った。

 

 けど、直ぐに現実が夢から僕を引き戻す。

 

 背後のパソコンが作業終了を音で知らせた。

 

 何処か冷水を浴びせられた気分になる。

 

「そうしたいけど……転職先が直ぐに見つかる訳じゃない。仕事を下手に辞めて……妹に心配も掛けたくない。上に行ける日まで……今は我慢するしかないよ」

 

 僕の口から弱々しい言葉が発せられた。

 

 説得力が驚くほど欠片も存在しない。

 

 彼が派遣され労働環境はある程度改善された。

 

 しかし、それはあくまで一時的なもの。

 

 いくら優秀でも結局のところ彼はまだ学生。

 

 いつか此処を離れ別の場所に行く日が来る。

 

 そうなったら何もかもがあの頃に逆戻りだ。

 

 いつか来る終わりをただ待つしかない。

 

「そろそろ定時だし君は先に帰っていいよ。僕はこれを漆原Dに提出してから帰るよ。今日もお疲れ様」

 

 僕は思わずそんな事実から目を背けた。

 

 自分に嘘をついて大丈夫だと偽った。

 

 彼は挨拶を済ませると部屋を去った。

 

 それ以上の事を追及する事はなかった。

 

「斎藤君は………僕みたいになっちゃ駄目だよ」

 

 自分しか居ない部屋でそんな事を呟いた。

 

 子供のままでいれた頃を静かに懐かしんだ。

 

 大人になるというのは良いことばかりじゃない。

 

 

 

 

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