斎藤家の愚息   作:熊田ラナムカ27

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51 偽りなき心に未来を

 

 

 私とアクアは2人きりでリビングに居た。

 

 張り詰めた空気が部屋全体を満たしている。

 

「……顔を合わせて話をするのは、久しぶりだな」

 

「……演技以外で話したのは、あれっきりだもんね」

 

 その言葉はどちらも異様なほど重い。

 

 期待と不安が、絡み合うように胸を締めつけた。

 

 悪い予感ばかり、頭を過ぎってしまう。

 

「あのお医者さんのこと、アクアは何処まで知ってる?映画に出たあの人……実在してたんだよね?」

 

 一言一言、確かめるように私は言った。

 

 聞きたい事は山ほどあるけど、一番はそれだ。

 

 より一層、言い表せない感情が酷くざわめく。

 

「ああ、そうだ。彼奴はこの世界で、確かに生きてた。自分の人生を生き抜いた。俺は彼奴の事を誰よりも知ってる。……お前の幸せを、一番に望んでいた」

 

 アクアも噛みしめるようにそう言った。

 

 複雑な感情が、その言葉に滲んでいる。

 

 けれど、それはどれも過去形だ。

 

 何処か他人事のようにも聞こえる。

  

「そんなお医者さんなら、私も一人知ってるよ。ずっと会いたかった人で、とっても優しい人。一人だった私の側に居て、何時も励ましてくれた。未来なんて一つも見えなかった私に……生きる意味をくれた」

 

 今にも溢れそうな感情を、私は必死に抑えた。

 

 まだ、その答えを、ちゃんと聞けてない。

 

 自分の口で尋ねる事が、まだ出来てない。

 

「もしかして、アクアは……せんせーなの?」

 

 部屋は一瞬、凍りつくように静まり返った。

 

 少し間を置いて、アクアは押し黙る。

 

 何か言葉を選んでいるようだった。

 

 僅かな時間が、永遠のように長く感じられる。

 

「……いいや、違う。俺は、雨宮吾郎じゃない」

 

 長い沈黙が部屋全体を満たし切った頃。

 

 アクアはそうはっきりと、断言した。

 

 その瞳は何処か悲し気で少し遠く見ている。

 

「確かに俺は、雨宮吾郎だった。でも、今はそれ以上に()()()()()だ。彼奴はもう、俺の中には居ない」

 

 そう言って、アクアは自分の胸に手を当てた。

 

 私の中の疑念ははっきりと形を得る。

 

 でも、それが悪い事だとは、不思議と思わない。

 

 胸の奥のざわめきは、次第に静かになっていく。

 

「……何も言わないのか?期待外れだったろ」

 

「うん。そうだね。……でも、大丈夫」

 

「お前、まさか……ずっと気付いてたのか?」

 

「何となく……だけどね。確信はなかったし」

 

 私は改めて、アクアの事を見つめた。

 

 その仕草は、せんせーのものとよく似ている。

 

 けれど、やっぱりアクアはアクアだ。

 

 この数十年間、聞くかどうか何度も迷った。

 

 一緒に過ごす中で、その影を何度も重ねた。

 

 でも、結局、今まで言えなかった。

 

 今の関係が壊れてしまいそうで怖かったし、何よりその事実を、私自身、誰よりも認めたくなかった。

 

 だって、それを認めたら全て終わってしまう。

 

 あの頃の誰も居ない病室に逆戻りだ。

 

 私にとっての救いは、もうこの世にない。

 

 きっと何もかも、無くなってしまう。

 

 そう考えたら、とても口には出せなかった。

 

「……うん、でも、そうだよね。初めから全部、本当は分かってた。せんせーはもう、この世には居ない。もし其処に居たとしても、こんな事望んでない。……だって、せんせーは、優しい人だもん。私が今の家族と幸せになる事を、望んでるに決まってる」

 

 でも、今はもう、そうじゃない。

 

 そこで終わってしまう訳じゃない。

 

 せんせーの事は勿論悲しいし、凄く寂しい。

 

 例えそれが、(まぼろし)だとしても、会いたかった。

 

 この思いが消える事は一生ないだろう。

 

 それでも、何もかもを失くした訳じゃない。

 

 今の私には、傍に居てくれる人が居る。

 

「……私ね。この前お母さんに、さりなだった頃のママに、会いに行ったの。どんな話をすればいいのか、分からなくて、結局チャイムは押せなかったけど」

 

 途切れ途切れに、私は言葉を続けた。

 

 アクアは少し驚きつつも、黙って聞いてくれた。

 

 何もあれが初めてという訳じゃない。

 

 辛い時、苦しい時、私は何度もあそこに立った。

 

 チャイムを押して、お母さんを呼ぼうとした。

 

 そうすればまた、話す事が出来る。

 

「お母さん、私だよ」って、言う事が出来る。

 

 でも、結局、また押せなかった。

 

 そんな時に、あの人は私の目の前に現れた。

 

 チャイムを押すよりも先に、自ら扉を開けて。

 

 落ち着いた服装で、小さな花束を手にして。

 

「お母さん。私が死んでから……お墓参りに行った事が無かったんだって。そういうのは全部、お父さんに任せきりで、写真も家に飾ってなかったみたい」

 

 私は偶然、対面したお母さんと話した。

 

 あくまで通りすがりの他人として。

 

 自分が『B小町』のアイドルだという事も。

 

 貴方の娘(さりな)だという事も隠したまま。

   

 あの人の言えなかった本音を、直接耳にした。

 

 見たくも聞きたくも無かった事も含めて。

 

「それでね。どうしてかって、聞いてみたら、お母さん言ってたよ。……私がもう居ない事に、気づきたくなかったって。今も何処かで生きてるって、死んでなんかないって。私との思い出を、思い出さないようにしてでも、無かった事にしてでも、思い込みたかったんだって。……我ながら、勝手な親だよね」

 

 そして私は、色んな事を聞いた。

 

 私の知らないお母さんを沢山知った。

 

 あの人の弱さや脆さをこの目で見。

 

 どうしようもない言い訳を、全て聞いた。

 

 うんざりするほど、嫌気が差す程に。

 

「あー、ほんと、嫌になる。お見舞いも最後も来てくれなかったくせに、十数年経ってようやくお墓参りなんて……遅すぎるよ。どうかしてる。そんなこと幾らしても、私はもう居ない。天童寺さりなは、あの病院で死んだ。何をしたって、何もかももう手遅れ。それなのに……馬鹿な人だよ」

 

 ずっと、あの病院で、私はお母さんを待った。

 

 でも、結局、最後の時も、あの人は来なかった。

 

 けど、今になって、お母さんはようやく来た。

 

 私の事を一度は忘れた癖に、お墓参りに行った。

 

 記憶の中のあの人より、年を取った様子で。

 

「そんな事で、今更泣いちゃうぐらいなら、もっと早く、来てくれれば良かったのに……っ。お母さんがそうしたいなら、私、いくらだって付き合ったよ。私も沢山、思い出を作りたかった。なのに、そうすれば良かっただなんて、本当にズルい。……口にしてくれなきゃ、分かんないよ」

 

 こんな事なら、我儘をもっと言えば良かった。

 

 良い子なんて、演じなければ良かった。

 

 自分の心に、正直になって欲しかった。

 

 ……でも、それは私も同じだ。

 

 苦しさのあまり、私も何もかもから目を逸らした。

 

 自分の事を考えるあまり、自分に嘘を吐いた。

 

 アクア(せんせー)の気持ちも、アイ(ママ)の気持ちも。

 

 本当の意味で、向き合おうとしなかった。

 

 欲しいものは、初めから全部、そこにあったのに。

 

アイ(かあさん)は、死に際に、笑ったんだ。どうして笑ったのか、昔はよく分からなかった。……でも、今なら分かる。例え一瞬でも、もう二度と会えないとしても、最後に俺達を、本当の意味で、愛せたからだ。俺達の幸せ(みらい)を心から、信じていたからだ。……きっと、その事を、真は俺達以上に、分かっていたんだと思う」

 

 アクアの言葉は私と同じで震えていた。

 

 こればっかりは認めざるを得ない。

 

 確かに真はママのファンでも何でもない。

 

 彼奴にとってママは、何処にでも居る普通の人間。

 

 完璧からはかけ離れ、無敵からも程遠い。

 

 それどころか、駄目なところの方がずっと多い。

 

 出会った時から、今日に至るまで。

 

 何一つ特別でもない、義妹(かぞく)でしかないのだろう。

  

 だからこそ、そんな真に、ママは心を開いた。

 

 自分にとって一番大切な夢を共有した。

 

 そして真はこの15年間。その(ことば)を信じた。

 

 ママのように自分の心を偽らず。

 

 遥か遠くの未来に手を伸ばし続けて。

 

 自分の想い(エゴ)を、行動をもって証明した。

 

 狂おしいほど、一途なまでに。

 

「……どうりで、敵わない訳だよ」

 

 私は思わず、溜息交じりに苦笑した。

 

 あんな啖呵を切ったくせに、結局はこれだ。

 

 彼奴を騙すつもりが、ずっと守られていた。

 

 遠くからでも、傍に居てくれた。

 

 ママの言葉(ねがい)を、届けてくれた。

 

 これまでの事は、全部、私の独り相撲。

 

 一人きりだと、思い込んでいただけだ。

 

 何とも滑稽で、笑い話にもならない。

 

「……ねぇ、()()()()()。これから私、どうすればいいのかな?……もう、終わっても、いいのかな?」

 

 私はお兄ちゃんにそう尋ねた。

 

 自分がどうしたいかは、もう決まってる。

 

 でも、本当にそれでいいのか、分からなかった。

 

 どうやっても、失う恐怖は消えないから。

 

「それを選ぶのはお前自身だ。どんな選択をして、どんな自分に成るか。どんな自分で、どんな未来(あした)を生きるか、決められるのはお前だけだ。……その選択だけは、逃げちゃいけない」

 

 そんな私にお兄ちゃんは淡々と言った。

 

 その言葉は否定でも肯定でもない。

 

 まるで優しく諭すような言い方だった。

 

 瞳の奥に宿る色は、真のものと似ている。

 

「俺もお前と同じだ。失くす事ばかりに怯えて、大事な事から目を逸らして、自分に嘘をついた。どうなってもいいって、自分に言い聞かせて……取り返しのつかない嘘を、大事な人に吐きかけた事もある。どうしようもない奴だ」

 

「でも、自分に嘘をつく事をやめて、ようやく気づいたよ。俺は、俺が思ってる以上に欲張りで、何も諦めたくない。明日も明後日も、大切な人達と、笑って生きたいだけって。だから、この道を選んだ。アイや真、他の奴等だって同じだ。皆、自分の為に、未来(あした)を笑って生きる為に、迷いながら選んでる。俺がお前に求める事があるとすれば……それだけだ」

 

 何時しかお兄ちゃんは、私の頭に手を乗せた。

 

 その手は、昔と同じで、とても温かい。

 

 けど、その背中は昔よりも、ずっと大きい。

 

 せんせーじゃないけど、どこか似ていた。

 

 感情のまま、子供みたいに泣きそうになる。

 

 今にも溢れそうな涙を堪えるので必死だった。

 

 大人は皆、これだからズルい。

 

 それから数日が経ったある日のこと。

 

 私は近所の神社に、一人でお参りに行った。

  

 けれど、帰ろうとした最中、突然雨が降り出す。

 

 おそらくは、通り雨だろう。

 

 ポツポツと弱い雨が境内を濡らす。

 

「お困りですか?よかったらご一緒にどうです?」

 

「すいません、助かります。ちょうど困ってて」

 

「随分と長い間、あそこでお祈りしてたみたいだけど……何を願っていたんだい?」

 

「願ってたというより……答えが欲しくて」

 

 それから暫く経って、社の軒下で雨宿りをしていると、傘を差した男の人が一人、神社にやって来た。

 

 どうやら、私と同じ参拝が目的だったらしい。

 

 男の人が差し出してくれた傘に入れてもらい、私達は濡れて滑りやすくなった境内を、並んで歩いた。

 

 雨はまだ、一向に止みそうにない。

 

「私にはずっと憎んでる人が居ます。でも、この世界に生まれついての純粋な悪人なんか居ない。環境と状況が人を壊し、良くも悪くも自分を作り上げる。皆が皆、幸せに生きる為に、自分にとって一番大切な物を守ってるだけ。……正義も悪もそこにはきっと無い」

 

 私はあの映画を通して、それを思い知った。

 

 勿論、この世には、許されない事がある。

 

 人として越えてはいけない一線が確かにある。

 

 でも、それだけで、人の想い(エゴ)は測り切れない。

 

 誰だって、絶対に譲れない想い(エゴ)を抱えている。

 

 それを手放せと言われたら全力で抵抗する。

 

 時に自分の立場や人生を犠牲にしてでも。

 

 誰かの人生を、踏みにじる事になっても。

 

 例えそれが、(まぼろし)なのだとしても。

 

 自分が今、幸せなのだと信じたい。

 

 何の事は無い、普通の事なのだ。

 

 私自身、何度も(それ)に、救われてきた。

 

「じゃあ、君は憎んでる相手を許すのかい?何もかも無かった事にして、平穏に生きるのかい?」

 

「いいえ、まさか。……そんなこと、絶対に出来ません。理屈抜きにしても、私はあの人を許せない。この感情は、きっと十年後も消えない。それこそ、死ぬ瞬間まで。こればっかりはどうやっても変えられない」

 

 でも、それとこれとは話が別だ。

 

 やっぱり私は、犯人が憎い、

 

 どうやっても、許す事が出来ない。

 

 どれだけ辛い過去を抱えていても、関係ない。

 

 出来る事なら、今直ぐにでも死んで欲しい。

 

 一秒でも早く、地獄に落ちて欲しい。

 

 自分のしてきた事の罰を、受けて欲しい。

 

 ……ママやせんせーを、返して欲しい。

 

 それが誰にも言えない私の本音だ。

 

 自分でも目を背けたくなるほど酷く醜い。

 

「すみません。べらべらと。意味分んない事を言っちゃって。自分でもあまり考えが纏まってなくて」

 

 私は少しハッとなって男の人に言った。

 

 初対面の相手に語る内容じゃない。

 

 自分でも驚くほど感情に振り回されてた。

 

 きっと困惑してるに違いない。

 

「別に構わないよ。存分に悩んだら良い。それは君にしか出せない答えだ。そうやって悩んで出した答えなら、()()()()それを受け入れられる。それに君の本当の願いを、僕としてもこの際だから知っておきたい」

 

 けど、男の人は案外困惑してなかった。

 

 寧ろ興味深そうな顔でこっちを見てる。

 

 私に何かを期待しているような目だ。

 

 ただじっと、私の言葉の続きを待っている。

 

 初対面とは、とても思えない。

 

「私は、ママの夢を叶えられなかった夢を叶えたい。何時か皆でドームに立って、ライブを成功させたい」

 

「……ふぅん。君はお母さんのようになりたいんだ。お母さんに一歩でも近づいて、忘れないように──」

 

「でも、それは、少し前の夢。今はちょっとだけ違う。勿論、ドームには立ちたいし、皆でライブを成功させたいって思ってる。……けど、私はママみたいにならない。私は私のやり方で、あのドームに立つ」

 

 私は男の人に応えるようにそう言った。

 

 手が雲の向こうの太陽に向かって伸ばされる。

 

 腕が少し濡れてしまったけど関係ない。

 

 確かにママはアイドルとして一流だ。

 

 ずっと大好きだし、ずっと尊敬してる。

 

 でも、だからこそ、私はママにはならない。

 

 何があっても、なっちゃいけない。

 

 だって、ママは自分の夢に向かって突き進んだ。

 

 とっても嘘つきで、周囲に誤解を生む事も沢山あったけど、同じくらい、自分の心に正直だった。

 

 なのにそれを真似るだけなんて、あまりに失礼だ。

 

 ママが私達にくれた(もの)はそんなものじゃない。

 

 ファンも娘もそんなんじゃ名乗れない。

 

「私の夢はママを超えるアイドルになること。ママがさりな(わたし)にやってくれてみたいに、苦しんでもがいてる人達を元気づけて、世界中の人達を『推し』にして、皆で幸せになる。きっとそれが、私を愛してくれた人達に出来る、精一杯の恩返しだから」 

 

 雲間を割って太陽の光が差し込んだ。

 

 雨上がりの空は青々と輝いてる。

 

 過去は消えないし決して変えられない。

 

 それでも、全部背負って、全部抱えて。

 

 何時か怒りも、憎しみも、悲しみも、全部笑い飛ばせるぐらい生きて、生きて、未来(あした)へ進む事は出来る。

 

 だって、私は星野アイで、天童子さりな。

 

 ママとお母さんに愛して貰った幸せ者。

 

 大好きなお兄ちゃんとせんせーの最推し。

 

 何だって出来るし、何にだってなれる。

 

「素晴らしいね。今、この世界で、君より輝いてる存在は無いんじゃないかな。……価値のある命だ」

 

 男の人はそう言いつつ傘を閉じた。

 

 雨でよく見えなかった顔が露わになる。

 

 その面差しは何処かお兄ちゃんに似ていた。

 

 その容姿も、金色の髪も、その瞳も。

 

 けど、何もかもがお兄ちゃんと致命的に違う。

 

 上手く言葉に出来ないけど、何か欠けてる。

 

 一度感じた事のある寒気を直感的に覚える。

 

「君の才能はやはり本物だ。もしかしたら本当に、母を超え、より輝く存在になるかもしれない。そんな君の命に触れる事が出来たなら、きっと僕は今まで以上に、命の重みを感じられる。待った甲斐が───」

 

 男の人が何を言ってるのかは分からない。

 

 理解してはいけない気がした。

 

 ……けど、その続きを聞く事は無い。

 

 背後から伸び出た手が、男の人の腕を握る。

 

「こんな所で会うとは奇遇ですね。映画の御祈願ですか?ありがたい限りです。流石はスポンサーだ」

 

 これまで何度も聞いた媚売りの言葉。

 

 幽霊みたいに掴み所のない立ち姿。

 

 何重にも重ねられた、表情(うそ)の仮面。

 

 神嫌いで神社には絶対来ないはずのに。

 

 それらを携え、彼奴は私の前に現れた。

 

「ルビーてめぇ、なんて顔してやがる。人の顔見る否や、鳩が豆鉄砲を食ったみたいな顔しやがって。極まりまくった馬鹿さ加減が、鳥頭にまで退化したか?」 

 

「……はぁ!?なわけないでしょ!!黙れクズ!!」

 

 そして真は私の顔を見るなり煽った。

 

 少なくとも開口一番、言う台詞じゃない。

 

 もっと別に言うべき事が沢山ある。

 

 わざわざ人を煽る必要なんて無い。

 

(そういや此奴……実際はこんな奴だ)

 

 私はクズのクズっぷりを再確認した。

 

 此奴の事を私は少し、いや、かなり美化していた。

 

 映画の彼奴と、目の前のクズは完全に別人だ。

 

 あっちは大衆向けに、お兄ちゃんが脚色して、飛鳥ちゃんが茶目っ気ある演技をしたから、良く見えてたけど、実際の此奴は筋金入りの自分主義の権化。

 

 空気が読める読めない以前に、必要ないからと読もうとしないし、こっちの考えてる事なんて二の次。

 

 相変わらずの暴虐無人っぷりだ。

 

 これには男の人も目を丸くしている。

 

「私の義妹と仲良くなったようで何よりですよ。何せルビーはあの映画の主役であり、母親である星野アイを()()()逸材だ。貴方も期待しているのでしょう?」

 

「……ええ、その通り。実のところ僕は彼女のファンでね。随分と前から目を掛けていた。こんなにも立派に育ってくれて何よりだよ。今後が一層楽しみだ」

 

「それはこちらとしても何より。ですが、最近は何かと物騒。芸能界で失踪事件が起きているという()もあります。とても恐ろしい。タレント達が安心して活動する為にも、我々裏方がより尽力せねばと思いませんか?()()()()()の取り締まりについては……特に」

 

 それから真と男の人と暫く言葉を交わした。

 

 あくまで平穏かつ。そして冷静に。

 

 お互い言葉に含みを持った言い方で。

 

 何度も互いの腹を探り合った。

 

 真の考えている事は、何時も通り分からない。

 

 何重もの表情(うそ)の仮面は、決して揺るがない。

 

 でも、その瞳は虚ろで、光を宿していなかった。

 

 見ているとこっちが飲み込まれそうになる。

 

(あんな目をした真を見るの……これが初めてだ)

 

 これまで散々、私を叱りつけた時も。

 

 何度も私が、一方的に暴言を言った時も。

 

 真があんな目をする事は、一度も無かった。

 

 怖さはあっても、冷たさなんて欠片もなかった。

 

 その瞳の奥には、温かさを薄っすら感じた。

 

 でも、今の彼奴は、ゾッとするほど冷たい。

 

(目の前の真が……真じゃないみたい)

 

 笑っている姿が、悪魔のように見えた。

 

 今の彼奴の瞳の奥には何も無い。

 

 どんな輝きも、黒に塗り潰される気がした。

 

 さっき感じた怖さも、数秒持たず塗り替えられる。

 

 魔王と相対している気分だった。

 

(……でも、あれも、真なんだよね)

 

 それから更に時間が経って2人の会話は終わった。

 

「じゃあ、僕はこれで失礼するよ。映画の完成、スポンサーとしてだけじゃなく、一人の観客として楽しみにしてるよ。お互い帰り道には気を付けて」

 

 男の人は私達に会釈をしてかと思うと一人帰った。

 

 会話の内容は聞いてなかったけど満足したらしい。

 

 一方の真は大きく息を吐いて溜息をついた。

 

 何時もの光がその瞳には戻っている。

 

「お前もさっさと家に帰れ。映画もあと少しで完成に漕ぎ着けるのに、肝心の主役が足でも滑らせて、怪我でもしようもんなら、撮影は全部おじゃん。俺の取り分はゼロどころかマイナス。大損害だ。賠償請求叩きつけられたくなきゃ、今日の事は全部忘れて……風呂入って寝ろ。馬鹿は馬鹿らしく、頭空っぽにしてな」

 

 真はそう言い残すと足早に一人去った。

 

 私が声を掛けようとした時には背中は遠い。

 

 立ち去り際の彼奴の顔色は酷く悪かった。

 

 これ以上此処に居る事に耐えられなかったらしい。

 

「神アレルギーのくせに……無理するから」

 

 空の天気はいつの間にかすっかり晴れ渡っていた。

 

 鳥居の上では鴉達が呑気に鳴き、木々の葉っぱや花は水滴をまとって、きらきらと輝いている。

 

 その向こうには淡い虹も薄っすらと見えた。

 

 さっきの出来事が不思議とどうでもよくなる。

 

 命の重みなんて、知った事じゃない。

 

「私はやりたいように、生きるだけだよ」

 

 日は目まぐるしく巡り、撮影は進んだ。

 

 現場の空気は次第に重くなっていく。

 

 幾つもの、悲しい過去が掘り返された。

 

 どうしてこうなったのだと思わずにはいられない。

 

 そして最後に、あの事件の撮影。

 

「カット!!ルビーさん、オールアップです!!」

 

 こうして映画の撮影は全て終了。

 

 晴れて私達はクランクアップを迎えた。

 

 それからさほど間を置かない数日後。

 

 ネット番組『VSソニック!!』のホームページ。

 

『一年間応援して頂き、ありがとうございました』

 

 真は短い一文とともに正式な引退を宣言。

 

 次回放送の『VSソニック!!』特別特番を最後に業界の表舞台、裏方の双方から退くと告げた。

 

 後任の目途がようやく立ったらしい。

 

「という訳で、ただいま。荷物運ぶの手伝え」

 

「出ていく時が唐突なら、帰る時も唐突か」

 

「いくら何でもいきなり過ぎ」

 

「お、重い……ミヤコ、手伝ってくれ」

 

「アンタねぇ……事前連絡ぐらいしなさいよ」

 

「悪い、悪い。普通に忘れてた」

 

 それを期に社宅を引き払った真は家に帰って来た。

 

 何時も通りの掴みどころの無い笑み浮かべて。

 

 荷物の運び出しを私達に手伝わせて。

 

 まるで何事もなかったかのように。

 

 斯くして1年にも及ぶ兄妹喧嘩。

 

 そして私の復讐は静かに幕を閉じた。

 

 ……ほんの小さいな不安の種。

 

 消える事の無い、奪われる恐怖(つめたさ)を微かに残して。

 

 

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