斎藤家の愚息   作:熊田ラナムカ27

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53 そこから見える景色

 

『さぁ始まりました『VSソニック!!』。今回は記念すべき放送1周年の特別特番。何時にも増してスペシャルな内容でお送りします!』

 

『あとついでに、天の声こと真君は、この特別特番をもってレギュラーを卒業しちゃう訳だけど……番組が始まる前に、視聴者の皆に言いたい事とかある?』

 

『はい、そうですね。言いたい事はツイッター上で大体全部言ってしまってるので、正直もうありませんが、お決まりを一つ。……私の事は嫌いになっても、この番組と不知火フリルの事は、決して嫌いにならないで下さい!!私は何時までも応援してます!!』

 

『ふーん、なるほど。全国放送で自分の好きを堂々と宣言。嫌いじゃないよ。十点満点中……七点。度胸は良いけど、オリジナリティが無いから三点マイナス』

 

『おっと。推しの採点が思ってた以上に厳しい』

 

 タブレット越しに幾つかの歓声が響いた。

 

 あの放送で番組への心残りは綺麗に無くなったが、フリルに満点を貰えなかった事だけが実に心残りだ。

 

 次があるなら、是非とも満点を取りたい。

 

 俺は鏑木さんのデスクに引き継ぎの書類を置く。

 

「君との契約はこれで満了。特別特番の方も中々に良かったよ。今までよくやってくれたね」

 

「いえいえ、こちらこそ、今までありがとうございました。番組に映画、その他諸々。感謝してもし切れません。とはいえ、何かと苦労も多い契約でしたが」

 

「若い時の苦労は買ってでもしろと言うだろ?それは私からの所謂サービスってやつさ。私も君に苦労させられたしお互い様だ。細かい事は気にしない」

  

 鏑木さんはそう言って書類を受け取った。

 

 最後の最後のまでおっかない人だ。

 

 気を抜いた瞬間、此処を辞める俺にサービスと称して、更なる難題を押し付けてきても可笑しくない。

 

 この人はそういう事を笑顔でやる。

 

 我ながらこの人の下に1年半もよく居たものだ。

 

 俺も大概、人のことは言えないけど。

 

「何はともあれ後の事は僕の方で進めておこう。あの番組を最初期から支えた功績と手腕。……ほとぼりが冷め、反省も十分済んだであろう事を踏まえ、君が抜けて空白となったCADの席には漆原AD。皆が知っての通り、天の声にはみなみ君を正式に任命しておく」

 

『最後の出場チームは……なんと我々。この番組のMCを務める不知火フリルと、天の声を務める私、斎藤真。そして次回から2代目天の声を務める、寿みなみのVSチーム。最後の最後なので勝たせて貰います』

 

『普段見てるだけで、ちょっと退屈だったしね』

 

『初参加やけど、頑張るで!!』

 

 タブレット上に寿の名前が映し出された。

 

 SNSでは彼女に期待と関心が集まっている。

 

 俺は映画製作の副責任者をやる傍ら、天の声の後任を引き受けてもらえるよう、密かに寿と彼女の所属するキャノンファイアに、交渉を進めていた。

 

 本来なら休業先の苺プロに、仕事を回すのが筋だ。

 

 だが、番組全体の司会進行を行えてかつ、フリルの予測不能な発言にも対応でき、ある程度暇を持て余している人材となると、苺プロでもそう多くはない。

 

 アクアは医者になるまでの限られた時間を、役者業に充てるつもりだろうから、まず引き受けないし、ルビーは数多くの仕事を既に抱え、今後は本業含め更に忙しくなるであろう事から、任せるには論外。

 

 黒川はそもそもバラエティ向けの性格ではないし、MEMちょはアイドル業に加えて、動画投稿、広報活動、他配信者への営業、企画制作など、本来事務所側が担うべき業務もやっているから、アシスタントが見つかるまで、過労死させない為にも任せるのは駄目。

 

 残りの有馬は他4人と比べ、十分候補に入るものの、たっぷり手間暇かけて育てた番組を、何の見返りもなくタダで彼奴に渡すのは、純粋に気に食わない。

 

 よって知り合いで信用できてかつ、若手で芸歴もそれなりに長い寿に後釜を任せるのは、自然な流れだ。

 

 フリルとも学校では仲良くしているし。

 

「今回の仕事はマンネリ気味だった寿君にとって、大きな契機になるだろう。彼女の希望していたドラマ出演も、立ち回り次第では現実になるかもしれない。しかし、それは番組を()()()()()()の話。大きな契機がある一方、君の後釜に座る上で切って離さない問題について、ちゃんと彼女は把握しているのかい?」

 

「ええ。一応は。楽な道ではないと説明してあります。まぁどの道、仕事をすれば嫌でも分かります」

 

「それは何とも人が悪い先達が居たものだ。まぁそのぐらいしないと、わざわざあの席に座る訳もないか。一見誰も羨む黄金の椅子のようだけど、実態は爆弾付きだものね。この様子だと一度は爆発しそうだ」

 

 あとの理由としては知り合いという事で、面倒事を投げても罪悪感が沸かず、説明責任もないからだ。

 

 正直に言えば、それが一番大きい。

 

 鏑木さんは俺の言葉に軽く肩を竦めた。

 

 知ってたとばかりに呆れた様子を見せる。 

 

 俺の名前は、この1年半でかなり広まった。

 

 表の知名度こそトップタレントほどではないが、裏方の世界では使える若手として業界内の評価は高く、悪評も含め、名前はそれなりに知られている。

 

 現場全体に、辞める事を惜しまれる程度には。

 

 そして、あの番組の天の声の席は、この1年半で俺が築き上げてきた実績そのものであり、形ある証明。

 

 そこに座るという事は、俺が背負ってきた期待や重圧を引き受け、常に俺と比較される事を意味する。

 

 大方初めは上手く行かず、元マネージャー以下の技量。コネで席を取った。女としての自分を上手く使っただのと、裏で好き放題言われるに違いない。

 

 とはいえ、最後のやつを本当に口にする馬鹿がもし居たら、そいつはセクハラでクビになるだろうけど。

 

 鏑木さんは意外とそこら辺厳しいし。

 

 我ながら、厄介なものを残したものだ。

 

「ですが、その程度の重圧すら背負えないようでは所詮それまで。今は無理でもトップタレントになり、何時か2人に肩を並べる。彼女はそう、私に啖呵を切った。ならば、茨の道に案内するのは道理です」

 

「まぁ確かに、そういう事なら、それぐらいしないと無理か。トップタレントへの道に近道は無い。フリル君については言わずもがな、ルビー君もそう遠くない未来、自らの母であるアイ君を超える。彼女と彼女等の距離はあまりに広い。それでもなお進むというなら、これぐらいはやってもらわないと」

 

「あとは全て、寿次第ですよ。良くも悪くも」

 

「若いってのは、本当に羨ましい限りだ」

 

 俺と鏑木さんは揃ってタブレットを見つめた。

 

 もう間もなく、スタッフロールが流れる。

 

 此処から先は、彼等彼女等の番組だ。

 

 引退済みの口煩い老兵は去るに限る。

 

 俺は鞄を肩に掛け、部屋を出る準備をした。

 

 中身年齢、もうそろそろ50近くだし。

 

「そういえば君は、これからどうするんだい?映画を撮る前はまだ決めてないって言ってたけど。そこはやっぱり、苺プロのマネージャーに戻るのかい?」

 

 俺が去る直前、鏑木さんはそう問いかけた。

 

 プロデューサーとしてではなく、純粋な大人として、今後どうするかに興味を持っているようだった。

  

 俺は何も言わず、窓の向こうを見つめる。

 

 今は昼だが月がくっきり見えた。

 

 その問いに対する答えはまだ出てない。

 

「まぁ何分、忙しい身でしたから、もう少し休んでから考えます。……今後自分が、どうしたいか。いっそ日本を飛び出し、一度世界を見て回るのもいいかもしれません。しばらくは大学生活を満喫しますが」

 

「それも結構。やれる時にやれる事をやるのが一番だ。後悔をしてからでは遅い。こっちに戻るようなら一言言いたまえ。その時は喜んで仕事を回すよ」

 

「いいや、結構です。仕事が欲しい時は自分で選んで取ってきます。面倒を振っかける側に回るならまだしも、振られる側に回るのは御免です。ほんとマジで」

 

「はは、そうかい。それは残念だ。じゃあ勝手に回す事にしよう。それじゃあ1年半、本当にお疲れ様」

 

「ええ。ありがとうございました。では、また」

 

 俺は軽くをお辞儀をして部屋を出た。 

 

 重い扉が音を立て、ゆっくりと閉まっていく。

 

 窓の向こうの月は、未だ静かにそこにあった。

 

 何も言わず、本当を口にしないまま。

 

 その裏側にあるはずの星を覆い隠して。

 

 

 

 

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 

 

 どんなものにも始まりと終わりがある。

 

 それがどれだけ美しくても、永遠はない。

 

 そんなものは、あってはならない。

 

 どんなものにも、必ず終わりはやって来る。

 

 それがどれだけ苦しくても、救いでもあるから。

 

 私にとっての初恋が、そうだったように。

 

「そういう訳なので社長。準備だけは少しずつ進めておいて下さい。ルビーやMEMちょにはまだ秘密で」

 

 私は軽く頭を下げて社長室を出た。

 

 少し前から考えていた事だ。

 

 あの映画撮影の一件で踏ん切りがついた。

 

 この選択に何ら迷いはない。

 

「だからって、ただで終わるつもりはないけど」

 

 それからしばらく経ってある日の休日。

 

 とある日本橋の老舗大型百貨店。

 

 私は新しく買うブーツを見に来ていた。

 

 前々から気になってたやつに新作もある。

 

 どれもブランドだし可愛いから困りものだ。

 

 いっそのこと全部買うのもありかもしれない。

 

「なぁもう、それでいいから、早く買おうぜ?というか、俺を帰らせろ。即刻解放しろ。休日を返せ」

 

「五月蠅いわよ、荷物持ち。アンタは黙って私の荷物持ってなさい。どうせ家で暇してたんだから」

 

「暇じゃねぇよ!?こっちは溜まってたレポートを片付けた甲斐あって徹夜明けだ!眠いんだよ!何もせず休みてぇんだ!自己中女!大学生の休日舐めんな!」 

 

「それはレポート溜めてたアンタが悪いでしょ」

 

「多忙に多忙で、時間無かったんだよ!!」

 

 私は真の訴えを全力で無視した。

 

 荷物持ちは黙って荷物を持ってればいい。

 

 精々、自分の仕事を真っ当しろ。

 

 私という主人をあまり困らせるな。

 

 こんな状態じゃせっかくのブーツに集中出来ない。

 

「はぁ帰りたい。本当に帰りたい。さもなくば目の前の自己中女を無に帰したい。あー、でも、その為の準備も面倒臭い。頼むから誰か、今直ぐ此奴を消してくれ。視界の外に追いやってくれ。俺を寝させてくれ」

 

 仕方なく私はブーツを買うの諦め、昼時という事もあって、百貨店の地下にあるカフェに移動した。

 

 けど、目の前のクズは相変わらず五月蠅い。

 

 というか、物騒な事ばかり言ってる。

 

 警察か警備員に連れて行かれても文句は言えない。

 

(こんなクズが私にとっての恩人、あの名刺の人だったなんて……予想外もいいところよ。感動もへったくれもない。とりあえず、外に連れてきてはいいけど、何から話そう。死ぬほど嫌だけどお礼は言うべき?)

 

 私はそんなクズを横目に一人悩んだ。

 

 こんなんでも、一応私の恩人だ。

 

 今更感が凄いけど無下には出来ない。

 

(あの頃のアクアが私にとっての憧れで、心の中のライバルだったなら、真は間違いなく光だった。何時か勝てれば、全部笑い話。その言葉で……どれだけ救われたか。今の私が居るのは、此奴が居たからって言っても過言じゃない。認めるのは……凄い癪だけど)

 

 私はコーヒーを飲みつつ思考を巡らせた。

 

 鞄の奥にはボロボロの名刺が入ってる。

 

 どうせ覚えてないだろうから一応持って来た。

 

 例えあれが媚売りからの言葉だとしても、本人とっては些細な記憶だとしても、私にとっては関係ない。

 

 それを差し引いたとしても、此奴には何かと世話になったし、一言礼を言わないとなのは確かだ。

 

 あの映画で役者としての復権がようやく果たされ、次のドラマでのメインとしての出演が決まり、女癖は兎も角、名監督なシマカンからのオファーもつい先日来て、今のところ子役時代レベルで順風満帆だし。

 

 これ以上、返せない貸しが増えても困る。

 

「こんな事なら近くのネカフェにでも避難すれば良かった。オートロックで流石のお前でも入って来れねぇし、何より好きなだけ寝れる。完璧だ。あと文句ついでに一応言うが、カフェ代は全額お前の奢りな。9割俺のお陰で、役者としての復権が果されたようなもんだし、こうなったらヤケ食いだ。そうと決まれば、コーヒーのお代わりに、サンドイッチも追加だ」

 

(でも、此奴……ほんとカスでクズなのよね)

 

 一方、真は私の気も知らず、呑気に追加注文した。

 

 よりにもよって、メニューの中でもお高いやつを。

 

 堂々と私を財布にする気満々で。

 

 こんな事をわざわざしてる自分が馬鹿らしくなる。

 

 場所が場所なら即座に八つ当たりしていた。

 

(高校で再会した頃から、何も進歩してない)

 

 出会った時から斎藤真は斎藤真だった。

 

 他人の懐に厚かましくズケズケ入り込む、人たらしの才能持ちで、裏でひっそり女子にモテる程度には顔が良くて、傍に居ると肩の力が自然と抜けて、相手の本音と本性をあっという間に暴いてしまう詐欺師。

 

 そして金にがめつく、ドン引くレベルの守銭奴で、何時も上から目線の嫌な奴で、勝手に何処かに消えたかと思えば、何事もなかったみたいに平然と帰って来る薄情者かつ、説明不要の自分主義者。

 

 そんでもって、今も昔もどうしようもないクズ。

  

(そのくせ、誰の事も真っ直ぐ見るような奴で、過程や選択を結果をよりも大事にしていて、合理主義を気取ってる割には妙に情深い。自分にとって譲れない事には、筋を通さずにいられない不器用な性格で、私の知る誰よりも人間臭く、人間であろうとしている)

 

「おっ、来た来た。卵サンドにハムサンド。見るからに旨そうだ。入った時から気になってただけはある」

 

 真は運ばれて来たサンドイッチを頬張った。

 

 豪快だが上品に味わって食べてる。

 

 相変わらず、いい食べっぷりだ。

 

 食べる事が好きと言ってるだけはある。

 

 こんな変な奴も中々居ない。

 

 それは私も似たようなものだけど。

 

「アンタ、これからどうするの?鏑木さんとの契約はもう終わったんでしょ。苺プロに出戻りするとか?」

 

「何だよ急に。鏑木さんとほぼ同じこと言いやがって。しばらくは言われずとも大人しくしてるっての。信用無さ過ぎだろ。その先はまだ……考え中だが」

 

「なら、また私のマネージャーやらない?専属で私を担当するの。経験もあるし、良い話だと思うけど」

 

 真は私の唐突な一言を前に思わず咳き込んだ。

 

 飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになってる。

 

 十中八九そうなるとは思ってた。

 

 私も同じ立場ならそうなってたから無理はない。

  

「俺が、お前の、マネージャー?専属で、また、担当に?……仕事のし過ぎで、頭おかしくなったか?」

 

 真は凄い目で私の事を心配し出した。

 

 その手の病気を半ば本気で疑っているのだろう。

 

 過労死関連のワードにやたら敏感だし。

 

「私、『B小町』を辞めるつもりなの。仕事を役者業1本に絞って、役者界の頂点を本気で取りに行くつもり。……とはいえ、実際に辞めるのは1、2年後になりそうだけどね。成り行きでなったとはいえ、仮にも初代センターとして、最低限の仕事はしなきゃだし」

 

 真はその言葉に目の色を変えた。

 

 そしてすぐさま、仕事モードの真剣な顔になる。

 

 こういう切り替えの早さは嫌いじゃない。

 

「いいのか?お前は本当にそれで。役者として復権は確かに果たされたが、目の前にだけ目を向けてるようなら暗黒時代に逆戻り。下手すれば取り返しのつかない事になる。お前の夢ってやつはもういいのか?」

   

「生憎、そっちも諦めるつもりは一切無い。アンタ達を推し変させるぐらい1、2年もあれば十分ってだけ。昔みたいに目の前にだけ目を向けてるって訳でもない。こっちで頂点を取るのは、あくまで通過点。私にとってのゴールは、ハリウッドに行くこと。その為なら猫の手も、クズ詐欺師の手も……借りたいのよ」

 

 私は言葉の震えをどうにか隠した。

 

 自分で言った言葉の重みぐらい分かってる。

 

 日本で頂点を取るだけでも生半可な道じゃない。

 

 その先にある私の夢を語るなら尚更だ。

 

 ハリウッド女優までの道はあまりに長い。

 

「少し前までガキだった奴が、よくもまぁ、デカい口を叩くようになったもんだ。随分と成長したな」

 

「あれから何年経ってると思ってるのよ。耄碌ジジイ。散々アンタに振り回されればこうもなるわよ」

 

「やっぱり全部、俺のお陰って訳だ」

 

「思い上がってんじゃないわよ、クズ」

 

 私と真は無言で互いを見つめ合った。

 

 甘ったるい感情はそこには無い。

 

 あくまで互いをビジネスの相手として見ていた。 

 

 最早、恩人どうこうも関係ない。

 

 何処か張り詰めた空気が周囲に満ちる。

 

「お前の希望はよく分かった。魅力的な話ってのも理解した。喜んで話を──受けると思ったのか、バーカ。三流の契約なんぞ話にならん。赤点で不合格だ

 

「はぁ?ふざけんな。死ねよクズ」

 

 しかし、真はそんな私の言葉を鼻で笑った。

 

 額に血管が浮き出ち殺意が沸く。

 

 アイドルとは思えない顔をしてるに違いない。

 

 即座に張り倒さなかっただけ成長した。

 

 昔の私だったら馬乗りになって殴っていた。

 

 一目のない場所まで、殴るのは我慢する。

  

「確かにお前は成長した。ガキから大人になった。認めてやるよ。だが、それだけじゃ、契約は出来ない。俺に対する利が全くってほど示されてないからな。タダ働きなんて死んでも御免被る。等価交換だよ」

 

 そう不敵に真は続けて言い放った。

 

 一瞬、金の事かと思ったけどそうじゃない。

 

 彼奴の光無き瞳はそれを求めていない。

 

 その程度じゃ底なしの闇は満たされない。

 

 もっと別の、もっと大きな物を求めている。

 

「そういやアンタ、やたら契約とか約束を大事にしてるもんね。そりゃ報酬も何も示されてない仕事をやる訳もないか。それで一体……何が欲しい訳?」

 

「おいおい。それぐらいも分からないのか?契約主が契約者に欲しいものを聞くなんてご法度だぞ。これだからお前は、赤点で三流だなんて言われるんだ」

 

「そもそも私の本職はタレントで詐欺師じゃないっての。アンタのやり方に合わせてるだけ。口八丁手八丁で勝てないのは分かり切ってる。……だからこその、スカウトだし。三流でも四流でも好きに言いなさい」

 

「あっ、いいの?じゃあ、お言葉に甘えて言わせてもらうわ。やーい、やーい、二流以上、一流未満の雑魚タレント。詐欺師として五流。金を毟り取られる奴の典型例。この程度の交渉も出来ないんですか?」

 

「前言撤回。やっぱ黙れ。今直ぐに」

 

 それとは別に、私はクズに殺意を募らせた。

 

 交渉が上手くいってない関係なく、ただ腹立つ。

 

 右手が首に伸びそうになるのを堪えるので必死だ。

 

 殴りたくなる顔をしやがって。

 

 もう恩人どうこうなんて激しくどうでもいい。

 

 此奴は後で百発殴った上で山に埋める。

 

 一目の無い場所に入った瞬間、殺す。

 

 裁判沙汰になろうが知った事か。

 

 この世界の癌は何としてでも切除する。

 

「じゃあ、お前は何故芸能界に入った?何故役者になった?芸能界に何故留まった?何故今此処に居る?」

 

 そんな私の視線を無視して、真は言った。

 

 ついさっきまでのふざけた言葉じゃない。

 

 氷のように冷たく、重みのある言葉だ。

 

 その言葉に私は一度は黙り込む。

 

「どうしてって……私が芸能界に入ったのは、役者になったのは、母親の影響。よくある理由よ。未練がましく今日まで芸能界に留まったのは……ただの意地。今更になって、聞くような事じゃないでしょ」

 

「本当にそれだけか?確かに、始まりは親の影響が大きいのかもしれない。自分の意志も曖昧な子供時代なら尚更だ。だが、此処まで、選択を続ける事を選んだのは、お前自身。俺が聞いてるのはその理由だ」

 

 真は光無き瞳で私の事を見つめ続けた。

 

 瞳の奥の闇を見てると吸い込まれそうになる。

 

 自分自身でも自覚してない嘘があるかのようだ。

 

 まるで鎧全てを引っ剥がされる気分になる。

 

「俺がマネージャーになったのも親の影響が大きい。なにせ生まれが芸能事務所の御曹司。親以外で身近に居た人間は天下のアイドル。当然といえば当然だ」

 

 私が何も言えずにいると、真は語り出した。

 

 その視線はどこか遠い場所に向けられる。

 

 何処か優し気な帯びた目をしていた。

 

「だが、それはあくまで影響で、なると決めたのは自分自身。どんな契約も最後に判を押すのは本人だからな。そんでもって、それをどうして決めたのかって言ったら、気になったからだ。芸能界の頂きってやつからは何が見えるか、その裏方から見る景色はどんなものか。それがどれだけ綺麗なのか、眩しいのか、確かめたくなったからだ。大した理由じゃないだろ?」

 

 そして真は大きく息を吐いた。

 

 まるで子供のような真っ直ぐな目をして。

 

 堂々と自分の夢を自慢するかのように。

 

 こんな顔の真を見るのは初めてだ。

 

 ふと自分の遠い過去が思い出される。

 

 なんて事はない、小さかった頃の思い出。

 

 私がまだ役者でも何でもなかった頃の話。

 

 ほんの偶然、見た番組がドラマだった。

 

 今思えば大した演者でも演技でも無い。

 

 でも、何故か、それに興味を引かれた。

 

 自分もそれをやりたいと思った。

 

 演技をしてみたいと心から思った。

 

 初めは何もかもかもが純粋だった。

 

 そして私は自分の嘘に気付く。

 

「……ああ、そういうこと。ほんとアンタ、性格悪いわね。わざわざそれを、口にさせようなんて」

 

「何のことやら、さっぱりだ。俺の欲しい報酬はもう分かったな?じゃあ、もう一度質問だ。お前は世界を手に入れるのと引き換えに、何を差し出す?どんな景色を、輝きを、お前は見せる?何を俺にくれる?

 

 思わず背筋がゾクリと震えた。

 

 これは正真正銘、悪魔との契約だ。

 

 一度それを交せばもう逃げられない。

 

 魂そのものまで縛られるのだろう。

 

(でも、それが、一体何だって言うのよ)

 

 私は獰猛な笑みを気づかぬうちに浮かべる。

 

 もう既に、どうにかなってしまっていた。

 

 正気なんてものは遠い昔に捨てた。

 

 私は目の前の悪魔に誑かされた。

 

 ならば精々、今度は私が狂わせてやる。

 

 私なしじゃいられなくさせてやる。

 

 人間という愚かで欲深い悪魔になって。

 

 何処までも自分の(こころ)に正直に生きてやる。

 

「なら、私は、世界の頂点を手に入れるのと引き換えに、その世界の半分を、アンタにくれてやるわ」

 

 そして私達は契約を交わした。

 

 その契約には契約書も判子も何も無い。

 

 でも、確かに、魂に深く刻まれた。

 

 もうどっちも死ぬまで逃げられない。

 

 契約が果たされる、その日まで。

 

「ああ、そうか。なら楽しみにしているよ」

 

「あっ、そう。なら楽しみにしていなさい」

 

 私達は互いにコーヒーを口にした。

 

 まるで宴の席で酒を酌み交わすように。

 

 真っ黒な狂気を口一杯貪った。

 

 恩人という肩書きさえ些細なものにして。

 

「じゃあ買い物するから着いて来なさい。休んだ分だけ働いてもらうわよ。引き続き私の荷物をよろしく」

 

「ふざけんな。帰らせろって言ってるだろ。行きたきゃ一人で行け。マネージャーを荷物持ち扱いすんな」

 

「あら?私、昔ならまだしも、今はマネージャーにそんな事してないわよ。アンタにしかやってないから」

 

「上等だ。パワハラで訴えてやる。精神的苦痛込みで慰謝料500万は用意しとけ。覚悟の準備をしろ」

 

「なら、私は名誉棄損でアンタを逆告訴してやる。アンタこそ慰謝料をたっぷり用意しときなさい」

 

「そうか。そうか。じゃあ帰りに裁判所行くぞ」

 

 まぁどの道、私達の関係性は変わらない。

 

 真はクズで、私は自己中な女。

 

 此奴と甘ったるい関係なんて御免だ。

 

 跪き、全てを捧げない限りは、絶対有り得ない。

 

 どうせ此奴も似たような事を考えてるだろうし。

 

「という訳で、MEMちょ。私の証人になって?」

 

「いいや、俺の証人だ。お前は引っ込んでろ」

 

「なんで、私を君達は巻き込もうとするのかな?」

 

「「身近で数少ない常識人だから」」

 

 ちなみに裁判は証人不足で無しになった。

 

 どう考えても常識人が少ないのが悪い。

 

 MEMちょは久しぶりにお腹を押さえた。

 

 本人曰く、他所でやって欲しいとのこと。

 

 どれもこれも、クズのせいである。

 

 

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