あれから更に時は過ぎ11月。
夏の面影は既に遠い昔だ。
関係者向け初号試写上映当日。
五反田監督の軽い挨拶があった後、約2時間に及ぶ、一応の完成を迎えたフィルムが上映された。
場内では、関係者のすすり泣きが微かに聞こえる。
そんな中、招かれた俺は、ただぼんやりとスクリーンを見つめていた。
涙を流す訳でも、感動する訳でも。
達成感がある訳でも、不満がある訳でも無く。
彼奴の下らない言葉を、静かに思い浮かべて。
「いや、なんていうかさ……五反田監督って凄いね。なみだ、とまらん……」
「フリルちゃん!?尋常じゃない泣き方してる!?」
「はい、ハンカチ。お前、案外涙もろいよな」
上映が終わった直後、フリルは外でボロ泣きした。
貸したハンカチはあっという間にずぶ濡れになる。
MEMちょは驚いているが、何時もの事だ。
フリルは結構、ベタな泣かせに弱い。
以前、とある犬映画を観に行った時もそうだった。
あの時は、どうしたものかと困り果てたものだ。
とはいえ、切り替えも同じくらい早いのだが。
「正直、クオリティどうなるんだろって思ってたんだけど……いやー、すごい。すごい。プロは。下手な演技もそれっぽくしちゃうんだもん。ほんと尊敬する」
「下手な演技?一体誰の事だろう?」
「アンタでしょうが。編集者がシスコン様々よ」
「実際、相当頑張ったみたいだよ。アクたん」
「具体的には、目元に隈作ってたっか?」
「……それについてはノーコメントで」
アクアは露骨に視線を逸らした。
俺と有馬はその様子に、何とも言えない目をする。
口にしないあたり、本当にシスコンの鏡だ。
嫌気が差すほど、相変わらず妹に甘い。
MEMちょはおおよそ、何時も通りの表情だった。
ユーチューブの編集で慣れているからだろう。
そんなものに慣れないで欲しいが。
此奴は、良い時と悪い時の差があまりに大きい。
ルビーは気まずそうに視線を泳がせる。
「まぁ序盤は確かにアレだったけど……終盤の芝居はルビーにしか出来なかったし、結果オーライなんじゃないっすか?ルビーだからこそ、あの演技は出来たもんだと思うし」
「ししょ~~♥」「師匠言うな」
そんなルビーを、メルトさりげなくフォローした。
ここぞとばかりに、ルビーはメルトに甘える。
いつの間にやら仲良くなったらしい。
まぁ確かに、メルトの言い分も一理ある。
この映画でアイに最も近かったのはルビーだ。
年齢的にも、境遇的にも、精神的にも。
だからこそ、俺やアクアもルビーを主演に据えた。
そしてルビーは、自分なりの答えを出した。
アイのようにならず、何時かそれを超えると。
あの演技こそが、何よりの証明だ。
それは何があろうと変わらない。
この映画『15年の嘘』が、どういう作品として世間に受け取られるかは、最早言うまでもないだろう。
きっと、悪いものにはならない。
だが、それはそれ。これはこれだ。
「てめぇが何処ぞで誰とイチャつこうが、イチャつくまいが勝手だが、とりあえずメルト。このアホをあんま甘やかすな。此奴が調子に乗るとロクなこと起きねぇんだ。甘ったりぃのはそこのシスコンだけでいい」
「んだと!?誰がアホだクズ!!」
「事実だろ。大人しく一人反省会しとけ」
「メルト君、そういう……そっかぁ………」
「あの、黒川?何でさっきから、そんな生暖かい目してんの?アクアはアクアで、何でこっちを無言で睨んでんの?すっげぇ怖いんだけど!!」
「上映会終わったし、ご飯でも食べに行こっか」
「私、近くに良い店知ってるわよ」
「ふーん、確かに良さげなお店だね。でも、やっぱ、かなちゃんチョイスだけあって……それなりに高い」
「芸能人ならこれぐらい普通じゃない?」
「ちょっと!?誰か助けて!!」
何はともあれ、上映会は何事もなく終わった。
その後レストランで、メルトがアクアと黒川の2人に無言で詰められていたが、完全に個人の問題だし、俺は人の恋路を応援も邪魔もしない主義だ。
どうなろうと知ったことじゃない。
そんな事より、推し2人との食事を楽しむ事の方が重要だったので、酒なんて一滴も飲んでいないのにも関わず、酔っぱらった有馬含め、全力でスルーした。
どうせアクアの勘違いだろうし。
黒川は黒川で、姑気分を楽しんでいるだけだ。
わざわざフォローするまでもない。
神木輝は上映会に顔を出さなかった。
鏑木さんに確認を取ったから間違いない。
来ていたのは、彼奴の会社の社員だけだった。
まぁそっちの方が、何分やりやすい。
「それでは、インタビューを始めさせていただきます。私も初号を拝見させて頂きましたが、星野アイさんの義弟である真さんにとっても、少しばかり心苦しい撮影と内容だったかと思います。それでもこの映画の副責任者を務め、映画完成に多大な注力をされたのは、故人である星野アイさん。ひいては星野ルビーさん、星野アクアさんの為なのでしょうか?」
株式会社EYESの社員は俺にそう尋ねた。
インタビューは、上映会の翌日の事だった。
神木輝の差し金かどうかは分からない。
例えそうだろうと、答えは変わらない。
「無論それも理由の一つです。星野アイという人間に、私は多くのものを受け取った。返せるはずもありませんが、私は確かにそれを返したかった。ですが、それはあくまで理由の一つ。私はただ、彼女の
「呪い……ですか?といいますと?」
「愛ほど歪んだ呪いはない。誰だったか、そんな言葉を残しました。実にその通りだと思います。実際、多くの人間がこれまで愛という劇薬に身を狂わせ、多くが破滅しました。アイもまた……その一人なのかもしれません。彼女が愛を求め、突き進んだ人生は、見方によっては愚かで、無価値だったのかもしれない。しかし、その全てが、無駄だったはずはありません」
その答えは、とっくの昔に出てる。
彼奴が全て、照らし示してくれた。
その輝きを、消せるはずもない。
「人間ほど愚かしい生物はこの世に居ません。私を含め、皆が間違え、苦悩し、嘘を吐き、時に自分を偽り、なお他者には完璧を求め、誰かの作った偶像を傲慢にも押し付ける。ある種、最も醜悪な存在です」
「ですが、私達は人間です。人間であり続けなければならない。その愚かしさを持つからこそ、人間は獣のように自らを見失わず、明日の為に生き、神のように他者を見下さず、良き友人として誰かと歩みを共に出来る。例えその道の先にあるものが絶望だったとしても、人は人であり続ける限り、希望を誰かに繋げられる。尤もそれを、人は簡単に忘れてしまうのですが」
「彼女の行い全てが正しかったとは言いません。彼女は偶像ではなく人間だ。何処にでも居る、時に間違いを起こす、何処までも嘘に塗れた人間だ。この映画を私が作った理由は……それを知って欲しかっただけなのかもしれません。だって、そうでしょう?そんなごく普通の人間である彼女が、何時までも
この
インタビューが終わって俺は外に出た。
時刻は間もなく夕方を過ぎる。
その輝きを見るにはまだ早い。
それでも、あともう少しだ。
見たかった景色は、すぐそこまで迫っている。
「俺はずっと、お前の事を───」
だからこそ、その言葉は胸の奥に仕舞い込んだ。
口にすれば、きっと抑えが利かない。
俺はどうしようもないクズでなきゃいけないから。
今はまだ、その時じゃない。
この言葉は、まだ口にしちゃいけない。
何時か来る、その日が訪れるまで。
彼奴もそれを、待ち続けたのだから。
夜空を見上げながらそんな事を、ふと思った。
映画『15年の嘘』の上映会を終えてから数日。
私達は、とにかく忙しかった。
先輩は新たに決まった映画の撮影。
MEMちょはサバ読み暴露からの動画配信。
私は私で、各種バラエティ番組への出演。
それに加え『B小町』全体でのライブツアーに、ライブに向けた練習や調整、ズームでの打ち合わせ。
休む余裕も、お土産を買う余裕も、殆どない。
真が恐れる過労死が現実になりそうだ。
ほんと、これでよく誰も倒れていないと思う。
「つっかれたー……お兄ちゃんヘルプ………」
「おう、お帰り。今日もお疲れ様」
「ライブやるだけでも大変なのに、地元のテレビにラジオ出演まで。……しかも、皆して、私をガッチリ囲んでさー。社長なんか元々ヤクザ顔なのに、角でも生えそうな勢いだったし。一人になれる時間も無いよ」
「……そうか。それは良かった」
「良くないよー……お兄ちゃんが羨ましい」
「こっちはこっちで大変だけどな」
私はどうにか差し出されたお茶を飲んだ。
疲れた体に、冷たいお茶がじんわり染みていく。
なんだか一気に、おばさん感が増した気がする。
まだ20歳にもなってないのに。
リビングに目をやると、勉強道具が置かれていた。
参考書含め、全てお兄ちゃんの物だ。
お兄ちゃんはここ最近、仕事を絞ってる。
理由は簡単。あと数ヶ月で大学の受験日だからだ。
やっぱり外科医を目指すつもりらしい。
あかねちゃんも、よく勉強に付き合ってる。
とはいえ、前世がせんせーで、頭が抜群に良いだけあって、余程が無い限り合格は揺るがないらしい。
以前受けた高難易度模試でも、余裕の表情で各教科高得点を次々に叩き出して、周囲を引かせていた。
あまりの点数に、試験官が不正を疑った程だ。
我が兄ながら、流石という他ない。
卒業さえギリギリな私とは大違いである。
「そういや真は?また部屋に居るの?」
「ああ、何時も通りだ。そろそろ降りて来るは──」
「よしっ!!勝ったッ!!前回のマイナス分はこれでチャラ!!逆転プラスコース!!完全勝利!!」
「……今度はいくら稼いだ?」
「80万ッ!!1円もやらんぞッ!!」
「要らないわよ。クズの金なんて」
真はというと、守銭奴から金の亡者に進化した。
正確には、株にどっぷりハマっていた。
以前からやっていたけど、最近はより悪化した。
これまでの業界の仕事で元手の額が、数倍以上に増えた上に、大学での勉強で勝率も上がったらしい。
それだけ大学生ライフをエンジョイして、真面目にやってる証拠なんだろうけど、素直に喜べない。
というか、少しも喜びたくない。
中身は相変わらずケチなままだし。
これならマネージャー時代の方が遥かにマシだ。
「やっぱり……教育の仕方、間違えたな………」
「アレはもう生まれつきよ……どうしようもないわ」
「せめてガキの頃に言い聞かせれば………」
これには社長とミヤコさんも頭を抱えた。
わざわざ私達に内緒で家族会議を開く始末だ。
あんな顔の2人は見るのは初めてだった。
なお、当の本人は反省する気ゼロ。
それどころか、もっと稼ぐ気満々。
何なら意気揚々と、苺プロの株まで買ってた。
ついでとばかりに、鏑木さんの会社の株まで。
同じ転生者として、本当に申し訳ない。
「彼奴、前世の境遇が境遇だから……気持ち自体は分からなくもないけどな。明日食う飯にも困ってたらしいし。これっぽっちも……理解したくないけど」
「本当に酷い時は、土手の雑草を口にして、公園の水で無理矢理空腹を誤魔化してたんだっけ。金の亡者にそりゃなるよね。……だからって、酷いけど」
「あのゲス顔さえ……どうにかなればな」
真の前世の話はアクア経由で聞いた。
てっきりアクアの時みたく、病院の関係者かと思ってたから驚いたけど、その境遇には妙に納得した。
あんな性格になるのも、無理はない。
(真は多分、平穏に生きたいだけなんだよね)
その話で、真の根っこが何となく分かった。
金や権利にやたら執着する理由も。
何かにつけてご飯を食べている理由も。
言葉の重さの理由も。
根っこの部分は、私と全く同じだ。
餓えや貧しさや恐怖に、苦しめられる事も無く。
自分が積み上げたものを、奪われる事も無く。
誰からも、脅かされる事も無く。
ただ
ただ、幸せになりたいだけ。
当たり前みたいで、切実な願いだ。
きっとアクアも、そうなんだと思う。
それどころか、生きている人は皆そう。
幸せになりたいっていう、当たり前の願いさえ叶えるのが難しいなんて、この世界はつくづく残酷だ。
もう全部、何を言っても今更遅いけど。
「さーて。溜まりに溜まった金を何に使うか。やっぱりまず、いざという時に現金化しやすい宝石類?最近だと
「お前……そういうのは適当にしとけよ。このままだと有馬より金遣いが酷くなるぞ。色んな意味で」
「私達にはびた一文渡さないクセに」
「要らないって言ったのはお前だろ。数秒前の自分の言葉ぐらい覚えとけ。金は天下の回り物だぞ?経済回してるんだからありがたく思え。羨ましかったら精々それぐらい稼いでみせろ。
「「このクズ……ッ!!」」
まぁそれはそれとして、やっぱりクズはクズだ。
私達はクズの挑発に、思わず青筋を浮べる。
根っこは同じでも、此奴と同じとか絶対嫌だ。
そのゲス顔を今直ぐにでも殴りたい。
少しでも同情するだけ時間の無駄だ。
前世は前世。今世は今世。
それが私達の出した結論だ。
無かった事にするつもりは一切ないけど、どうしようもない過去をいくら振り返っても何にもならない。
アクアはアクアとしての人生を選んだ。
私はルビーとさりな、両方の人生を選んだ。
真はどっちでも変わらないから、どうでもいい。
それだけで、私達にとっては十分だ。
「さてと。そろそろ飯の時間か。今日はミヤコもグラサンも帰って来るの遅いらしいし、こっちで適当に作るか。冷蔵庫の中身は……ほぼすっからかんだな。ちっとスーパーに買い物行くけど、お前達も来るか?」
当然、これまで色々と大変だった。
嫌な思いもしたし、苦しい思いもした。
でも、今は、毎日がすっごい楽しい。
病院の中で生きてた頃も想像出来なかった。
何だかんだで、これまでの全てが楽しかった。
「お前に全部任せたら節約料理になりそうだからな。いや、それはそれで悪くないけど、材料費の解説をされるのも面倒臭い。分かった。付いてく」
「お兄ちゃんが行くなら私も行く」
「よし。人手確保。期間限定、MEMちょクリアファイルの当たる確率がアップした。全て狙い通りだ」
「欲しいなら事務所のやつ貰えばいいだろ」
「こういうのは買って当ててこそなんだよ」
「それで喜ぶの販売企業だけでしょ」
とはいえ、まだまだ人生は長い。
私の芸歴なんて、5年にも満たない。
何もかもが始まったばかり。
「はい。ストップ。菓子は2000円までだ」
「ぐっ………家計管理の鬼め」
「十分過ぎるぐらい譲歩してるだろ」
「特売の大根あったぞ」
このまま行けば、ドームに立つ日だって遠くない。
それまでは立ち止まってる暇はない。
その先の未来にしたってそうだ。
慌ただしく、毎日は流れていく。
だって私達は、今を生きてる。
「見事に綺麗な狐色だ。揚げ物はこれで完成だな」
「味噌汁の味は……これぐらいでいいか」
「おい、ルビー。大根おろしは出来たか──」
「うおおおおおおお!!ちょっと待って!!」
「何やってんの?馬鹿なの?切ってから卸せよ」
「……とりあえず、その大根をこっちに貸せ」
天童寺さりなは、もう居ない。
せんせーも、この世界には居ない。
ママも遠い場所に行ってしまった。
一度失ったものは、もう戻って来ない。
転生なんてものが、あろうがなかろうと。
それでも、一瞬一瞬を積み重ねていくしかない
私達は前世も今世も、そうやって生きてきた。
生きるって、きっとそういう事だから。
「はぁ……お腹一杯。ごちそうさまー」
「人のから揚げにまで手を出しやがって……」
「食べ盛りだからな。成長期だし」
「これ以上このアホが成長してどうすんだよ。脳みそはどうやったってデカくならねぇぞ。デカくなるのは腹ぐらいのもん───ッ!!すね蹴りやがった!!」
「今のはどう考えてもお前が悪い」
私の名前は、星野ルビー。
不器用なお母さんとアイドルのママ。
優しい義母とサングラスの義父。
世界で一番大好きな双子のお兄ちゃん。
そして多分、世界で一番クズの義兄ちゃん。
「眠くなってきた……ちょっと寝る」
「おう、そうか。なら、好きにしろ」
「兄妹仲良く18にもなって膝枕かよ……ブラコン、シスコン共め。まぁなんだ……毛布は羽織っとけよ」
ちょっと普通じゃないけど大切な家族。
そんな家族と何でもない日々を過ごしたい。
そう思うだけの、ごく普通の
こんな日々が、これからも続けば良いと思う。
「じゃあそういう訳で、分かってると思うが12月25日のクリスマス。ライブツアーの最終日。ステージは国立競技場だ。規模で言えばこれまでやって来たライブの中で一番デカい。全員気張らず気合い入れとけ」
そして季節は更に巡り、あっという間に冬。
『B小町』のライブツアー最終日まであと僅か。
天気は快晴。夜になれば星が綺麗に見えるだろう。
そんな何でもない日の事だった。
「やり残した野暮用を済ませて来る。心配すんな。大した事じゃない。直ぐに終わる。だから、待ってろ」
その日、