申し訳ありません。次回で最終回です。
長かったので、前編と後編に分けました。
本当の最終回は、明日の12時に上げます。
最後の最後まで、締まりがない……。
落ちて、落ちて、落ち続けた。
その時間は一瞬にも、永遠にも思えた。
気が付くと、頭上には星空が広がっていた。
どうやら俺は、あそこから落ちてきたらしい。
まるで、星空から零れ落ちた流星のように。
「……地獄にしては、静かな場所だな」
俺はゆっくりと身体を起こした。
そこは、喧騒とは程遠い場所だった。
聞こえてくるのは風の音だけ。
その風も、何処か心地よい。
「……とはいえ、天国って訳でもないか」
俺は自分の足元を見て、軽く笑った。
そこには、赤と白の彼岸花が咲いていた。
それも一輪や二輪ではない。
辺り一帯を埋め尽くすほどに、咲き誇っている。
世界そのものを包み込んでいるかのようだ。
これはこれで綺麗だが、少々おどろおどろしい。
「彼奴の顔を……見ずに済むだけマシか」
ふと脳裏に黒羽の影がよぎった。
こんな所で彼奴と会うなんて御免だ。
俺は邪神に救いも助けも求めない。
連中の居る場所に行くぐらいなら、地獄に行く。
もし顔を見せるようなら、即座に埋める。
せめて花の養分にしてやるのが最良だ。
彼奴が現れないならそれが一番だが。
「一人きりになるのは……久しぶりだな」
俺の言葉が、誰かに届く事はない。
あっちの世界では、それが当たり前だった。
誰もが俺を嫌っていたし、俺も全てを嫌っていた。
自分勝手な嘘で、俺を地獄に叩き落としたから。
そんな俺の言葉を、誰も信じてくれなかったから。
あの世界は、嘘で何もかもを奪っていった。
思い出すだけで、吐き気と殺意が湧く。
だが、この世界ではそうじゃなかった。
俺の傍らには、何時だって誰かが居た。
孤独というものを、感じる暇がなかった。
こんな俺と一緒に、馬鹿笑いをしていた。
その中には、傍迷惑な奴も山ほど居たが。
平穏とは程遠いのに、悪い気はしなかった。
奪う嘘ばかりだったが、与える嘘もあった。
かつての悪党も、随分と丸くなったものだ。
「だったら、私とお話しする?」
俺が一人で星空を見上げていると、声がした。
能天気で、何も考えてないような声だ。
相も変わらずアホをやってるに違いない。
その声を何度聞きたいと願ったか、分からない。
俺は振り返らず、笑みを浮かべてみせる。
「それは構わないが、その前に言う事があるだろ。散々面倒を掛けやがって。謝罪の一つも無しか。アレは本来、お前の役だ。途中で仕事を投げ出しやがって。保護者役なんぞ柄じゃないし、俺には似合わん」
「あはは。ごめん、ごめん。でも、悪くなかったでしょ?だって君、捻くれ者の頑固者で、お人好しだもん。あの子達を任せられる相手なんて、君くらいしか思いつかなかったし。口も性格も超絶最悪だけど」
「人たらしの性悪能天気女にだけは、言われたくねぇよ。誑し込んだ分の責任ぐらいは取れ。しかも、妙なところばかり、彼奴等に遺伝したせいで、こっちがどれだけ苦労したか。ルビーはともかく、アクアは何時か女に刺されるぞ。芸能界とは関係ない別件で」
「それはちょっと困るな。アレ痛いし」
「そりゃそうだ。俺も二度と御免だ」
けれど、そいつは気にせずケラケラ笑った。
俺の悪態ごと、笑い飛ばしてみせる。
取り繕っているのが、次第に馬鹿馬鹿しくなった。
このアホの隣に居ると、毒気が抜ける。
どうも、悪役は主人公には勝てない。
「……ごめんね。またねって言ったのに、会いに行けなくなっちゃって。君に色々と背負わせちゃって」
そいつはふいに、星空を見上げた。
赤と白の彼岸花が、吹き抜ける風に揺れる。
舞い上がった花弁が、星空へ溶けるように飛ぶ。
「それは俺も同じだ。俺達はお前に、色々背負わせ過ぎた。お前の頼みだって、ちゃんと果たしてやる事が出来なかった。……人間なんて間違えてばかりだ」
「君は自分の人生に後悔してる?」
「当たり前だ。沢山のものを掴み損ねた。でも、大方、満足してる。不満はないな。そういうお前は?」
「君と似たような感じかな。やり残した事は沢山あるけど。ちゃんとあの子達に、言ってあげられたから」
俺と彼奴の手が、何時しか重なり合う。
その手は温かくて、何処か優しい。
心の空白が静かに満ちていく。
やっと仮面を外せた気がした。
その瞳は、どうしようもなく眩しい。
その全てが、愚かささえも愛おしい。
此奴と見る世界は、やはり綺麗だ。
やっぱり此奴には、こういう笑顔が似合う。
「……ようやく、また会えたな」
「……うん、そうだね。また会えたね」
伸ばし続けた手が、ようやく届いた。
この目で見たかったものを、遂に見られた。
星空からまた二つ、流星が零れてゆく。
遠く彼方の、明けの明星へ向かって。
あのライブが終わってから、2週間近く経った。
真が私の前に現れる時は、決まって碌な事が無い。
今回の件も、その例に洩れなかった。
私達のライブまで放り出して。
厄介事に首を突っ込んでばかりだからそうなる。
『次のニュースです。苺プロ所属、元マネージャーの斎藤真さんが、ナイフで刺され、意識不明の重体となりました。犯行に及んだのは株式会社メディアEYES代表取締役、神木輝容疑者であり、警察は殺人未遂および暴行の疑いで、取り調べを進めています。また、神木輝容疑者は、同日に殺人未遂で逮捕された新野冬子容疑者とも関係があり、殺人教唆の疑いもあるとして、並行して捜査が進められており────』
「アンタ、ネットじゃ、義妹を守ったヒーローだって。実際のアンタは、そんなのとは程遠い悪役なのに。馬鹿みたい。世間の連中は皆して勝手よね」
私は病室のテレビに思わず悪態をついた。
ここ数日、ニュースは件の事件ばかりだ。
真の立場がアイの義弟であり、同日に逮捕された新野冬子の供述によって、神木輝がルビーを殺そうとしていた事が、世間の連中に知れ渡ったからだろう。
どいつもこいつも、リアリティに溢れる、
何とも自分勝手で、アホらしい。
そんな真は、呑気にベッドで眠っていた。
まるで本当に、眠っているようにしか見えない。
少し前にも、こんな事があった気がする。
あの時のクズも、こんな風に寝ていた。
ほんと、クズには学習能力が無い。
無機質な心電図の音だけが病室に響く。
「アクア達から連絡が来て、大変だったんだから」
ライブが終わり、会場の撤収も済んだ頃。
その知らせは突然、飛び込んできた。
それを聞いたミヤコさんは、その場に崩れ落ちた。
MEMちょは何も言えず、ただ黙りこくっていた。
ルビーは何を言ってるのか、理解出来てなかった。
理解したくなかったのかもしれない。
『真さんが、ナイフで、刺されて───』
電話越しのあかねの声は、激しく震えていた。
アクアの声が、電話越しに聞こえる事は無かった。
ルビー同様、話す余裕すらなかったのだろう。
真はそのまま、救急車で緊急搬送された。
ほぼ同時刻、神木輝も警察の管理下で搬送されたそうだが、遅れて来た社長含め、誰も興味が無かった。
数時間に及ぶ手術の末、真は一命を取り留めた。
待合室の時計の音が、今でも忘れられない。
アクアの止血が、辛うじて命を繋いだらしい。
でも、彼奴が目を覚ます事は無かった。
首元の傷に加え、殴られた影響が大きいらしい。
頭にも少なからず、ダメージがあったそうだ。
何時起きるかは、真以外、誰も分からない。
明日にも意識が戻る可能性はある。
でも、そんな保証は決して無い。
本人の体力と、回復力に懸けるしかない。
申し訳なさそうに、医者はそう言っていた。
あまりに曖昧で、残酷な言葉だ。
もしかすると、目を覚ますのは1ヶ月後。
あるいは、半年後。1年後。10年後。
さもなくば、15年後なんて。
嫌な想像ばかりが、脳内で飛び交う。
(これなら死んでた方が、マシだったかもしれない。……アクア達に、あんな顔をさせるぐらいなら)
一瞬、そんな最低な考えが頭を掠めた。
そんな事を考えてしまう自分が、心底嫌になる。
ここ最近、上手く眠れていないからだろう。
寝不足はタレントの天敵だというのに。
それもこれも全部、クズのせいだ。
人に迷惑を掛ける事しか能がない。
説明不要の自分主義者め。
「……じゃあ、そろそろ仕事だから」
そうこうする間にも、時間は過ぎる。
世間が慌ただしく、騒ぎ立ててる間にも。
MEMちょはしばらく、動画配信を止めてる。
どうにも、やる気が起きないらしい。
まぁそれでも、事務所に来てるだけマシだ。
顔合わせて、ネタ会議くらいは出来るし。
あの様子なら、いずれ自力で復活するだろう。
なんやかんやで、年長者なだけはある。
アクアはどうにか、役者業をやってる。
倒れそうなのを、必死に堪えながら。
あかねもそれに、続くように踏ん張ってる。
どうやら、真に何かを言われたらしい。
ある意味では一番、真の帰りを信じている。
彼奴等にしては珍しい義兄弟愛だ。
本人に言ったら、嫌な顔するだろうけど。
『ごめん……先輩。……今日もキツイや』
「そっか。わかった。なら、こっちで進めとく」
『うん、ごめんね。……内容は後で見るから』
「謝んなくていいから。ご飯は食べなさい」
ルビーはというと、家に閉じ籠ってる。
あの子が一番、人の悪意を知らないから。
初恋の人の事件と、今回が重なったのだろう。
病院の待合室で、自分をずっと責めてた。
自分が不幸しか運ばないからだって。
「いいや、違う。お前が皆を不幸になんて出来るか。自惚れるな。お前が居なきゃ、意味が無いんだ。アイの人生も、雨宮五郎の人生も……俺や真の人生も。だから、ルビー。頼むから、そんなこと……言わないでくれ。……どれだけでも、俺が受け止めるから」
でも、あの子なら、きっと大丈夫。
ルビーの傍らには、アクアが付いてる。
辛い時は肩を貸し合って、前に進んでいける。
待合室のアクアを見て、私は確信した。
その背中は昔よりずっと大きくなってる。
あの子達は散々、彼奴に虐められてきたから。
何時か自分の足で立ち上がる事ぐらいは出来る。
あの子はもう、それぐらい大人だ。
厳しさも優しさとは、よく言ったものだ。
クズのクズっぷりも、偶には役立つ。
上手く噛み合っただけで、基本最悪なのだが。
(むしろ、立ち上がれてないのは私の方か)
私は自分で荷物を持ち、現場に入った。
何時も通り良い演技をして、愛想を振りまく。
後者はやりたくないが、最早習慣だ。
どうという事は無い。あくまで何時も通りだ。
「社畜根性上等。天下人気取りすんな。お前は上から目線が見え透いてんだよ。お前の天下はもう終わった。まず現実を見ろ。自分を評価してくれる奴のとこに逃げんな。媚売ってでも、何百回負けてでも、二度目の天下を自力で取ってみせろ。傲慢なクセにクソ真面目なのがお前の取り柄だ。最後に勝てば官軍だろ」
私のマネージャーになった最初の日。
真は私に向かってそう言い放った。
何様のつもりだと、当時は本気で腹が立った。
当然、文句の言い合いに発展した。
勢い余って、馬乗りになりかけた気もする。
(でも、案外、今思うと当たってたわね)
あの頃の私は、安く使える役者が精々。
自分を抑えて、引き立て役に徹していた。
悪い言い方をすれば、都合の良い道具だった。
そうする事でしか生き残れないと思ったから。
実際、それで生き残れたから。
周りの大人は、そんな私を求めたから。
彼奴の言い方を借りるなら、大人ぶってた。
全力でやって傷つくより楽だから。
「てめぇがドジ踏むようなら、新しい仕事を俺が引っ張ってくる。それが俺とお前の契約だ。それを使って零か百しか出来ない自分を変えろ。そうすりゃ勝手に自分を評価してくれる奴なんぞ、幾らでも出てくる。どいつもこいつも、手のひら返しだけは早いからな。そして俺は楽して稼げる。契約分はきっちり貢げ」
そんな私を彼奴は鉄火場に放り出した。
引き立て役と主人公役の両方。
どちらも演じなきゃ生き残れない場所に。
あの1年は短いようで本当に長かった。
選り好みしてる暇なんて無いぐらい。
そして私は今に至るまで経験を積んだ。
両方の演技を使いこなせるようになるまで。
因みに仕事の選考基準はクズのギャラ優先だった。
数回ほど、蹴り飛ばした記憶がある。
「かなちゃんお疲れ!最高の演技だったよ!」
「ありがとうございます。また呼んで下さい」
(高1の時は見向きもしてなかったクセに)
私は笑顔で応じつつ、内心で悪態を吐いた。
この監督とは以前、仕事をした事がある。
私の事なんて、この人は少しも見てない。
この監督が見ているのは数字だけだ。
それもそれで、仕事としては間違ってないけど。
「ついさっきの演技?まぁ普通じゃねぇ?」
真がそう言って、鼻で笑ったのを思い出した。
あんなのでも、私の事を彼奴は見てた。
見る目が無いとは、今でも心底思うけど。
でも、だから、私は孤独じゃなかった。
観客席で、誰かが私を見ていたから。
自分の役を演じ切る事が出来た。
「あっ、かなちゃん。今日も来たんだ」
「まぁね。暇だったから。アクアはどうしたのよ?」
「ルビーちゃんと先に帰ったよ。まだ、どうしても、辛いみたいだから。これでもだいぶ良くなったけど」
「だったら、さっさと復帰して欲しいものね」
私は仕事帰りに病院を訪れた。
扉を開けて病室に入ると、あかねが居た。
アクアとルビーも、さっきまで居たらしい。
相も変わらず、真は眠ったままだ。
戸棚には見舞いの品が積み上がっている。
ここ数日、誰かしら来ているからだろう。
このままだと、戸棚が溢れ出しそうだ。
「こんなクズを心配するだなんて物好きよね」
「何だかんだで、一番お見舞いに来てるかなちゃんがそれ言う?あの2人と社長達以上に来てるクセに」
「私はただ、クズが起きた時にどうせ面倒起こすから見張ってるだけよ。碌でもない事を絶対言うもの」
「変な信頼ばっかり真さんにしてるよね」
「彼奴との付き合いは、それなりに長いもの」
私はしかめっ面で、眠る真を見た。
此奴との付き合いはアクアより長い。
その関係性は、腐れ縁としか呼べない。
アクアと比べて、碌な思い出がほぼ無いけど。
特にドッキリ企画で仕掛け人をやって、二度も私の顔にパイを投げてきた時は、本気で殺そうと思った。
思い返すだけで、殴りたくなってくる。
「まったく、いい気なもんね。自己満足で、わざわざ死にに行くような事をやって。色んな人に迷惑を掛けた挙句、当の本人は眠り姫。こんなクズを起こしに来る王子なんて居ないってのに。ほんと最低な奴」
「……真さんは、死にに行った訳じゃ──」
「私にとってはどっちも同じよ。だって此奴は、私達のライブに来なかった。どんな理由であれ、ルビーを沢山泣かせたんだもの。ざまぁないわ。……それで皆、幸せになるって思ったのなら、本物の馬鹿よ」
私は怒りに任せて、そう吐き捨てた。
こんな状態じゃなかったら半殺しにしてる。
アクアとあかねは、おそらく裏事情を知ってる。
警察なんかじゃ、到底調べようがない。
もっと悍ましくて、救いがない真実を。
そうでもなきゃ、真はこんな事をしない。
でも、私にとってはそんな事、知った事じゃない。
そんな真実、初めから興味が無い。
どんな理由があっても結果は結果だ。
それは決して覆せないし、覆させない。
私は生涯、真を許さないだろう。
間接的に、自分の命を救われてもだ。
誰かが定めた運命なんて必要ない。
必要なのは自分の足で歩く事だけ。
そう教えたのは、此奴だから。
「かなちゃんと真さんの関係は、やっぱりよく分からないな。互いに嫌い合ってるのに、信頼し合ってる」
「私が此奴を信頼?そんな訳無いでしょ。ただ何となく、考えてる事が分かるだけよ。少し似てるから」
「両方、頑固で捻くれ者だもんね。妙に真面目でお人好しな所も含めて。2人まとめて分析不能だよ」
「私をクズの同類にすんな。その目やめろ」
あかねは私達を、見通そうとする目で見た。
思わず、背筋がぞくりと震える。
やっぱりあの目は、好きになれないし怖い。
もし悪役になったら、大変な事になりそうだ。
真がラスボスなら、あかねは裏ボスだろう。
怪獣大決戦は別の場所でやって欲しい。
真は多分、尻尾巻いて逃げるだろうけど。
というか、私も全力で逃げる。
「じゃあ私はそろそろ帰るよ。かなちゃんも遅くまで居すぎちゃ駄目だよ。明日だって仕事あるんだし」
「それぐらい分かってるわよ。此奴のやらかしで、無駄に仕事は積み上がる一方だし。実績を作る良い機会だもの。自分の面倒くらい、自分で見れる」
そう言って、あかねは椅子から立ち上がった。
皮肉な事に、事務所の仕事は以前より増えた。
真の事件で、苺プロに注目が集まったからだ。
社長とミヤコさんは、その対処に追われている。
怒る暇も、悲しむ暇も、まるで無いぐらい。
どいつもこいつも、話を面白がってる。
「ねぇ、かなちゃん。最後に聞かせて。前に海でも聞いたけど、かなちゃんは真さんをどう思ってるの?今のかなちゃんは、アクア達よりずっと歪。多分、誰よりも無理してる。……このままだと、壊れちゃう」
あかねは扉に手を掛け、去る刹那。
真剣な相貌で私を見つめ、そう言った。
その瞳は悲しげで、真のものと似ている。
どんな嘘を吐いても無駄な気がした。
上手く言葉を紡ぐ事が出来ない。
(これだから、あかねが昔から嫌いなのよ)
私は思わず、歯噛みして表情を殺した。
そうする事でしか、自分を保てない。
よりによって、一番触れられたくない所だ。
その感情がなんなのか、私にだって分からない。
その感情は、アクアに抱いていたものとは違う。
でも、ルビーに抱いているものとも違う。
とても曖昧で、言語化出来ない。
誤魔化す事は、いくらだって出来る。
けど、それを誤魔化すのは何かが違う。
だって、あかねは、それを自分自身で言っている。
他人の殻なんて、被っていない。
その言葉は紛れもない、本人のものだ。
そんなものを出されたら、嘘も吐けない。
どっちが臆病者か、まるで分からない。
「やめて。聞かないで。此奴への気持ちは、単純じゃない。今のアンタだったら、少しは分かるでしょ?だから、お願い。……それ以上は、何も言わないで」
そんな情けない言葉を、気づけば吐いていた。
よりにもよって、黒川あかね相手に。
遂には最後まで、顔を見る事も出来なかった。
そんな私に何も言わず、あかねは病室を去った。
何もかもを察したように、諦めたように。
残された私は、また一人で心電図の音を聞く。
「アンタが居なくても、私は一人でハリウッドに行ける。日本で頂点を取るのだって簡単よ。死ぬ時は総理大臣がお悔やみを出すぐらいビッグにだってなれる」
気付けば外はもう真っ暗だった。
消灯時間で病室も暗い。
あかねの言う通り、今の私は歪だ。
自分に自分が嫌になる。
「仕事の量も質も昔より良くなった。アンタの寄越すような、下らない仕事にだって行かなくていい。なのに、何でかしらね。……ちっとも楽しくないのよ。昔の方が、ずっと楽しかった。今はずっと詰まんない」
私は私の道を着実に進んでる。
なりたかったものに近づいてる。
でも、昔と比べて心は空っぽだ。
どんな仕事もモノクロに見える。
どんな評価もくすんで見えてしまう。
そんなものより、ガラクタの思い出の方が。
よっぽど綺麗で、輝いて見える。
何の価値も評価も無いのに。
「……あっ、そっか。そうなんだ。こんな事に、なんで気付かなかったんだろう。私って、何時もそうだ。大事な事に、遅れて気づく。直ぐ近くにあったのに」
私は思わず、掛け布団を強く握り締めた。
また同じ間違いをしてしまっていた。
馬鹿で、鈍感で、つくづく愚かだ。
「どれだけ良い役を貰えても、どれだけ箱が大きくても、一緒に演技をする誰かが居なきゃ、見てくれる観客が居なきゃ、意味がない。空っぽの宝石箱より、ガラクタの入った箱の方が、ずっと良いに決まってる。こんなの生きて、死んでるようなものじゃない」
それを口にした途端、涙が零れ落ちた。
泣き虫の有馬かなとは、さよならしたのに。
それなのに涙は、止まってくれない。
此処は舞台でも何でもないのに。
観客も、カメラも、照明も無いのに。
女優の涙は、そう安くないのに。
「アンタ、私と約束したわよね?私のマネージャーをまたやるって。私と一緒に、世界に行くって。忘れたとは言わせない。このままじゃ私、アンタが寝てる間、あっという間に、お婆ちゃんになるわよ?それでもいいの?良くないでしょ。金蔓が居なくなるわよ」
子供のように、私は喚き散らした。
こんな事をやっても、意味はない。
どれだけ叫んでも、届くはずない。
非合理的で、無駄でしかない。
あまりに愚かで、救いようがない。
「だから、さっさと、起きなさいよクズ……ッ!!お願いだから……ッ!!起きてよ……っ!!アンタが居なくても、私はハッピーエンドに行ける!!でも、それじゃあ、詰まんないッ!!観客の居ない舞台に、一人で立っても、一番の椅子に、一人で座っても、虚しいだけ……っ!!私との約束を守れ……ッ!!」
それでも私は、叫ばずにいられなかった。
情けなく、惨めに、ただ泣き散らす。
その涙が頬を伝って、シーツに染み込む。
あの日の約束が、鎖のように心を締め付ける。
世界がどうしようもなく、醜く思えた。
私にとっての大事なものを、奪う世界なんて。
いっそ全て、壊れてしまえばいいと思った。
空っぽになった心が、狂おしいほど痛い。
もう演技を続ける事も出来ない。
「……うっせぇな。人の耳元で泣きやがって。最悪の目覚めだ。泣き虫を推しにする趣味は俺にねぇぞ」
そんな時に、目の前から声がした。
心底機嫌悪そうな声色で。
誰かがこちらを、訝しげに見ている。
こんな惨めに、泣き散らすだけの私を。
けれど、私はその姿を上手く捉えられない。
「……ああ、そうだな。約束したもんな。じゃあ、仕方ない。破る訳にはいかない。先約も済んだしな」
星灯りが薄っすらと、その輪郭を照らす。
その輝きの中で、徐々に顔が露わになる。
心を締め付けていた鎖が、緩みほどける。
その男は、私の事を見つめている。
「………えっ、真?………どうして?」
「どうしたもこうしたも、ついさっき起きた」
私は真の頬を、思わず抓ろうとした。
けれど、真は即座に私の頬を抓る。
目が覚めるような痛みが走った。
ついさっきまでの思考が、全て吹っ飛ぶ。
中二病染みた考えが、跡形もなく消える。
「怪我人に怪我させようとすんなアホが」
「……人に怪我させる怪我人だって居ないでしょ」
全身の力が、一気に抜けていくのを感じた。
ベッドを掴む事でしか、とても立てない。
心の変化に、体が上手くついていけてない。
そんな私を見て、真は溜息ついた。
今の私に全力で、呆れ返っている。
まるで全部、見ていたかのように。
「……アンタ、何時起きたのよ?」
「ついさっきって言ったろ。一応言っておくと、お前が泣き喚いたから起きた訳じゃないぞ。ドラマじゃあるまいし、配役が終わってる。鈍感女はこれだから」
「……ちょっと待って。もしかして」
私の頭の中に、最悪な想定が生まれた。
安堵や喜びより、焦りが思考を上回る。
これだけは、絶対に許されない。
もしあったら、私は我慢出来ない。
自分を抑える事が、決して出来ない。
「起きたタイミングは、お前がトイレに行った時だ。適当なタイミングで起きるつもりが、お前が急に一人語りやら、泣き喚くやら始めたせいで、起きるに起きれなかったんだよ。怪我人の俺が、健康優良児のお前に、どうしてわざわざ気を使わなきゃいけねぇんだ」
「ふっざけんな!!さっさと起きろクズッ!!今直ぐ地獄に送り返してやろうか!?というか送る!!」
「普通に嫌だっての。死ぬほど痛ぇし。何よりお前の、弄りネタが手に入ったからな。このネタであと10年は弄り倒せる。最高の見舞い品をありがとよ」
「殺すッ!!絶対殺すッ!!まず殴らせろッ!!」
「全力で断る。今殴られたら今度こそ死ぬ」
けれど、その想定は残酷なまでに当たった。
真はまたも溜息をつき、私を鼻で笑う。
呆れ混じりに、状況を楽しんでいる。
一方の私は、クズを殴る一歩手前の姿勢になった。
怒りや羞恥や諸々で、情緒がめちゃくちゃだ。
理性の二文字が何時消し飛んでもおかしくない。
こんなクズを心配していた、私が馬鹿だった。
此奴はいくら殺しても、死にやしない。
ゴキブリ並みのしぶとさなのを忘れていた。
ついさっきまでの涙を返して欲しい。
こんなのがヒーローのはずがない。
「何時までそこで、体育座りしてんだよ。少しは祝おうとか思わないのか?俺が三途の川を遡った記念で」
「うっさいクズ。黙れ。死ね。F○ck」
「拗ねた子供かよ。面倒くささの極みか」
私は何時しか、部屋の隅で体育座りをしていた。
弱々しくなっていた自分が、馬鹿らしくなった。
こんなのに時間を浪費したとか普通にショックだ。
これなら素直に、家に帰れば良かった。
この姿をルビー達に見られなくて良かった。
なんかもう、やる気が一気に失せた。
「そう言うなよ。こっちはようやく野暮用が済んで、帰って来れた。俺が彼奴に任された仕事はこれで終わり。これから先は自分の人生を改めて生きるだけだ。お前の手にした世界の半分。俺にくれるんだろ?」
そんな私に、真は軽く肩をすくめた。
こんなので大丈夫か、と言いたげな顔だ。
私は腹が立って、自ら立ち上がった。
こんなクズに、そんな事を言われるまでもない。
軋む体をどうにか心で、支えてみせる。
「その為には、たっぷりアンタにも働いてもらうから。報酬が欲しいならしっかり仕事しろ。次勝手にどっか行ったら、無給で働かせるから。覚悟しなさい」
「へいへい。おっかない雇用主だ。それがクライアントの意向なら従うけどよ。俺もこんな事は二度と御免だ。こっちが働く分、お前も働けよ。覚悟しておけ」
私と真の視線が、一直線に交わった。
此奴は私の事を、ちゃんと見てる。
それだけでなぜだか、満たされた気がした。
世界がほんの少し、また綺麗に見える。
心を締め付ける鎖が、変わりようがない要になる。
(真への気持ちは……やっぱり単純じゃない)
真の瞳を見つめるうち、そんな事をふと思った。
底無しの闇を映す瞳が、心を落ち着かせる。
その感情がなんなのか、やっぱり分からない。
嫌いだし、許せないし、好きでもある。
その感情に名前をつける事はまだ出来ない。
そう簡単に言っては、いけない気がする。
でも、もし、誰かの幸せを願う事がそうなら。
誰かの未来を、信じる事がそうなら。
見たい景色を共有したいと、思う事がそうなら。
愚かで、矛盾していて、温かい、この感情に。
「真、おかえり」「ただいま、かな」
人は愛と、名づけるのかもしれない。
赤の彼岸花の花言葉。
「情熱」「あきらめ」「独立」「再会」
白の彼岸花の花言葉。
「また会う日を楽しみに」「想うはあなたひとり」
読了後推奨BGM。
『シャングリラ・フロンティア』ED。
『ReoNa』さんより『Heaven in the Rain』。
最終回は前書きにも書きます。