都内の歓楽街に住居を移すその人生を、果たしてどう思うのか。一個人の意見で言わせてもらうと、自分としてはそんなに悪い気がしていなかった。何であれ東京に住むというシチュエーションは、日本人なら誰しも一度は思い浮かべるであろう空想でもあるだろうから。
営業中のダイニングバーを横目にして、カツカツと階段の音を立てていく。見上げた視線の先には冷え切ったように簡素なビル内部の空間が映し出され、2階に到着すると共にボウッと光る蛍光灯とツルツルな床、奥へと続く間隔が狭くて短めの廊下と、左手に並ぶ4つの扉という光景が広がった。
案内役のラミアが、提げているボストンバッグの中をごそごそしながら淡泊な調子でそう説明してくる。
「コチラのビルには4つのお部屋が用意されておりまして、主にキャバレー龍明の関係者が宿泊ないし居住できるよーになってます。現在は2部屋が居室となっておりまして、それぞれ、ウチを含めた3名のホステスが同居するお部屋と、ホステスと用心棒を兼任している人気No.1の女性が単身でお住まいになっているお部屋とがあります」
「ホステスと用心棒を兼任? それって、ホステスをやりながら用心棒もしているってこと?」
「まさに、そのとーりです」
ラミアはバッグから鍵を取り出し、階段を上ってすぐにある手前の扉へと歩み寄りながら話を続けてくる。
「歌もダンスも戦闘もできる、完璧超人のお方ですよ。しかもウソみたいな美人さんです。カノジョはラヴさんに心酔しておりまして、カレの親衛隊みたいなポジションのヒトでもありますから、カンキさんとお会いするコトを心から楽しみにしている様子でした」
「なんか、そこまでの人にそう思われてると、かえって緊張しちゃうな」
「まー、カオ合わせは明日になりますけど。と言いますのもカノジョと、ウチの同居人のお二方はお仕事の関係で出払っておりますから、今日はコチラに帰ってきません」
「それじゃあ、今日ここにいるのはラミアだけ?」
「そーいうコトです。なのでカンキさんは今日、ウチのボディガードとして傍についてもらうコトになります」
扉のロックを解除し、ドアノブを捻じってガチャッと開く。ラミアは淡々とした面持ちで入るよう手で促してきたものだったから、自分は若干の高揚感を伴いながら新居となる部屋へと進入した。
電気を点けたパッと見の印象では、1Kのリビングを少しだけ広くしたような部屋に思えた。足元の玄関と奥に続く狭い廊下。その廊下の途中に、左手にはトイレと繋がる扉と、右手には洗面所と浴室に繋がる扉とがある。あとは廊下に台所や冷蔵庫が設置されており、奥にはゆとりのある空間が広がっている。
部屋のど真ん中に置かれたローテーブルと、1人暮らしなのに存在感を醸し出すダブルベッド、シンプルなチェストとその上にあるテレビモニターという最低限の家具が揃えられた景色にその手厚さを有難く思う反面、ローテーブルの上には大量のコスメや美容グッズ、見覚えの無い紫色のモコモコなルームウェアから、手鏡や充電ケーブルなどの日用品などが既に散乱している様子には疑問を抱かざるを得ない。
まずは一息。部屋の前に立ち止まってフゥッと息をついていく。今日からお世話になる一種の感謝を胸に自分は内なる感傷にじんわりと耽っていくのだが、直ぐにも後方から聞こえてきたロックを掛ける音と共にして、さも当然のようにラミアが部屋へと上がり込みながらそう喋り出してきたものだ。
「これでやっと落ち着けますねー。本日はお疲れ様でしたー。また明日からよろしくお願いしますねー」
「え? いやいやいやいや。……え? ラミアの部屋はここじゃないよね?」
「ハイ、ウチの部屋は違いますけど??」
「え? じゃあなんでここにいるの?」
「なんでって、なんでですか?? ウチがココに居ちゃダメなんですか??」
困惑ばかりが先行する。半ば思考停止に近い感情でフリーズするこちらに構うことなく、ラミアは猫耳付きの黒色キャスケットとボストンバッグを投げ捨てるようにダブルベッドの上へと放り出しながら、着ていたポンチョも脱ぎ散らかしてノースリーブの白色ブラウス姿になりながらそそくさと動き続ける。
「化粧を落としたりしたいので、先にお風呂沸かしちゃいますねー。あと適当なおつまみも冷蔵庫の中にありますから、カンキさんの好きな時に利用してください。ただリンゴ味のアイスだけは食べないでください。それはウチのですから」
「え? あ、うん……」
「それと、ウチの物品を物色するのは基本的に構いませんけど、コスメだけは慎重に扱ってください。どれも小さかったりするので、紛失したり壊されたりしたら堪ったモンじゃありませんから。あと下のフロアに生活音が聞こえてしまう可能性も考えて、テレビの音や足音なんかにも気を付けてください。それ以外でしたらご自由に過ごしてもらえればそれでイイです。ウチも自由にしますから、ごゆっくりどーぞ」
「いや、だからその」
当たり前のように部屋の収納を開き、バスタオルを取り出していくラミア。平然とした様子で部屋と洗面所を行き交う彼女に自分が呆気に取られていると、直にも給湯器が鳴り始める。
「カンキさん」
「な、なに?」
「お風呂、一緒に入ります??」
「えっ」
「一緒に済ませちゃった方がわざわざメンドーにならないと思いますけど、どーします??」
「俺はー…………後で入るよ。ちょっと疲れちゃったから今は休んでようかな」
「りょーかいでーす。じゃー、お先に頂きまーす」
本音を打ち明けると、この数秒でかなり悩んだ。ただ、世間一般の常識諸々を考慮して~……とかいう冷静な決断とまでは至っておらず、純粋に親父が面倒を見ている女性に不埒な目を向けられないという使命感に駆られて、瞬時にそんな返答が思い付いただけのことだった。なので、今となっては少し後悔している。
着替えを持って洗面所へと消えていくラミアを見送り、自分はもどかしいような、これで良かったと己に言い聞かせるような、とても複雑な念を悶々と抱え込んでいた。尤も、疲れているのは本当だから、ラミアの私物であるコスメや美容グッズといったフェミニンな輝きを意識してしまいながらも、ひとまず休息を得るために自分はその場に座り込んで、天井を仰ぎながらダブルベッドに寄り掛かったものだった。
泉楽町に移住した最初の日。初日から問題に見舞われたりと大変な思いをしたが、こんな生活にどこか冒険心のようなものを掻き立てられた気持ちでもある。ともあれ自分は残すところあと数時間という1日目を、ラミアというお人形さんのように可憐な人物と共に穏やかなひと時を過ごした。
お風呂から出てきたラミアは、ホカホカと湯気を纏いながら姿を現した。彼女は灰色のヘアバンドとモコモコしたつなぎのようなルームウェアを着用しており、服は猫耳が付いたパーカーと、下腹部まで下げたファスナー、その隙間から覗かせた黒色のナイトブラという格好でとてとて歩いてくる。小柄で可憐な彼女からお披露目されるラフで露出の多い無防備な姿だが、一方でイカのようにツルツルとしたお腹から垣間見える腹筋やくびれが、彼女もダンス&ボーカルのパフォーマンスでステージに立つ人間であることを改めて思い知らせてきたものだ。
すっぴんになっても全然可愛いラミアに男として見惚れてしまう。その熱い視線をものともしない彼女がお風呂を勧めてきたことから、自分も続けて入浴を済ませていくと、彼女はスチーマーや美顔ローラーなど大量の美容グッズを手で掻き分けながらスキンケアを徹底している最中だった。彼女曰く、「カオは特に大事な商売道具なので」とのこと。その業界で必要とされる努力を欠かさないその意識こそが、ラミアの可愛さや美しさ、そして人としての
彼女はスキンケアを終えると、「アイスでもいかがです??」と言って冷蔵庫からアイスを取り出してきた。彼女は某ガリガリのそれをこちらに手渡してくると、腰を下ろしてダブルベッドに寄り掛かっていたこちらへ近付いてくると同時にして、さも当然のように背を向けた状態で座り込んではこの懐に収まったものだった。
ラミアのフェロモンが香ってくる至近距離に、戦闘の時とは全く異なる心臓の鼓動……所謂、高鳴りが激しくなる。しかも彼女はこちらを背もたれのようにして寄り掛かってきたことから尚更、自分は意識し過ぎるあまり口にしたアイスの味もよく分からないまま食べ終えてしまう。
ラミアはふと自身のスマートフォンを手に持って、インカメラを起動した。端末を持ち上げながら「コッチ見てくださーい」と言ってシャッターをカシャリ、明らかにカメラを意識したぎこちない自分の顔に恥ずかしくなっていく中で、ラミアは撮影した写真をあろうことか外出中の同居人へと送信までした。一体どこまでドキドキさせられるのか、未知数である。
何というか、あらゆる点においてラミアという存在は他に類を見ないタイプの人物だったことは確かだ。彼女の近すぎる距離感に終始と感情を揺さぶられていると、直にも就寝する時刻になったので自分らは寝る準備を一緒に済ませた。
床に布団を敷こうと思い、収納を確認する。だが、布団が見受けられなかったので自分は困ったなと思っていると、ダブルベッドに入ったラミアが淡泊な面持ちでこちらを見遣りながら声を掛けてきた。
「ナニしてるんですか?? 寝ないんですか??」
「いや、寝ようと思ったんだけど、床に敷く布団が無かったことを知らなくて」
「お布団ならベッドがあるじゃないですか」
「ダメだよ。ベッドはラミアが使って」
「もしかして、気を遣ってくれてます??」
気遣いというか、当然のことというか。
そもそもとして、どうしてこの部屋で寝ることが前提になっているのか。初歩的な疑問も去ることながら言葉が定まらないまま上手く返答できずに口ごもっていると、ラミアは布団を持ち上げながら平然とした様子でその言葉を口にしてくる。
「カンキさんがお相手なら、ウチは気にしませんよ??」
「さすがに、モラル的に問題があるよ」
「カンキさんはボディガードなんですから、護衛対象の近くに居てくれないと困ります。それが理由でもダメですか??」
「…………それなら、まぁ」
親父、どうか今回は目を瞑ってほしい。
内なる欲望に負け、自分は渋々という
照明を消し、暗闇と静寂に包まれる部屋。これまでの生活と一つ違いを挙げるならば、もはや言うまでもなく美女が隣で寝ている状況にあるだろう。
意識し過ぎてしまって、かえって眠れないかもしれない。就寝するというのに内心で心臓をバクバクさせている自分が必死に沈黙を貫いていると、横がもぞもぞと動き出すと共にしてその気配は密着し、明らかにこちらを見つめる眼差しを熱烈に感じながら、次にもラミアにその言葉を投げ掛けられた。
「カンキさん」
「どうしたの?」
「今日頑張ったご褒美をください」
思わず振り向いた。首を横に曲げてラミアとゼロ距離で見つめ合いながら会話を交わし続ける。
「ご褒美……?」
「ウチが、今日という日を乗り越えたご褒美です」
「それって……どうすればいい?」
「頭を撫でてください」
「いいの?」
「なんでダメなんですか??」
「いや、モラル的に……」
「カンキさんはマジメなヒトですねー」
「ごめんね、融通が利かなくて」
「謝らなくてもイイですよー。そこがアナタの長所じゃないですか。それにアナタのコトは、ラヴさんのムスコさんとして信用してますから大丈夫です」
「親父の子供として、恥ずかしくない人間で在りたいんだ」
「立派な心意気ですねー。さてはカンキさん、オンナのコから相当モテてましたね??」
「それが全くだよ」
「そーなんですか??」
「それこそ、こんなに女の人と近付いたのはラミアが初めてだったから、正直のところ今もかなり緊張してる」
「じゃー、そんなカンキさんにもご褒美が必要ですね??」
「俺に?」
「カンキさんは本日、ウチのために頑張ってくれました。ですからご褒美として、今日はオンナのコに好きなだけお触りできる権利をあげちゃいます。そーいうワケで、ウチの頭をどーぞ」
「……ラミアは交渉が上手いね」
恐れ多い気持ちもありながら、自分は無意識の内にこの手をラミアの頭に移していた。
そして、繊細な芸術品を触るかのように慎重な手つきで彼女の頭に触れていく。
ヴァイオレットカラーのセミロングヘアーはきめ細かにサラサラで、触れただけで溶けてしまいそうなほどに指の中で流れ落ちていく。その手で触れた頭部は小さくて、か弱くて、いたいけで直ぐにでも壊れそうで、それでいて温かい。
大人びた風貌から、自分は勝手に彼女から頼り甲斐を見出していた。しかし、ラミアもまた外部からもたらされる理不尽に脅かされている女性の一人であり、だからこそ彼女を守るための騎士が必要ともされている。
俺が、彼女を……“彼女達”を護る。
己の立場を実感すると共にして、決意を固めた瞬間でもあった。この時に向き合っていたラミアもまたくりくりとした大きな目でこちらの様子をまじまじと見つめており、可憐で無機質な面持ちにどこか安堵するような、そんな雰囲気を所感ながら感じ取れたものでもあった。
歓楽街『泉楽町』で送るエージェント生活。生まれ出でた時から背負いし守護の宿命と共に、自分はその第一歩を踏み出した。
「泉楽町のケンカで“
宵闇の漆黒に浮かび上がるようギラギラと蛍光色を描いたフードホール。酒気と色気に溺れ理性がトんだ性欲剥き出しの人間達でさえ、見なかったフリをしながら露骨に避けていく一角のスペース。
至る箇所に痣や傷を付けた5名の若者が、地面に正座をして俯いていた。彼らはひどく怯えており、今にも殺されないかと自分達の身を案じているようにも伺える。それもそのはずであり、厳つい顔つきの男達が彼らを囲うように佇んでおり、殺気立てた眼光で常に見下ろしていたからだ。
一言でも申したら、その瞬間には指の一本でも飛びそうなほどに張り詰めた空間。だが、立ち込めた殺意の中でたった一人、右脚を折り畳むような座り方でイスに乗っかる青年が気だるそうに頭を左右に揺らしながら先の言葉を口にした。
地べたで正座する彼らの前でスマートフォンを弄る男。その画面には数時間前に撮影された“乱闘”の様子が映し出されており、SNSに投稿されていた騒ぎの映像を再生していた。今も、5名の若者が“たった一人の好青年”を相手に苦戦するそれを眺めながら、男は丸めた身体を前後に揺らしながらボヤくように言葉を喋り続ける。
「生憎やけど、銀嶺会の看板は安売りしとらんで。せやのに、こないにくだらんいざこざに銀嶺会の名前を使われた言うもんなら、その連中が2度と銀嶺会と言えんようにその歯ァ全部ペンチで抜き取ったろかとも思ったもんやけどな。せやけど、ワシは銀嶺会の中でも特に慈しみを売りにしとるからな。今回は特別に有り金全部ココに置いてってもらうだけで勘弁したる。な? 別に
5名の若者が自身らの顔を見遣り、誰が言葉を発するか無言で譲り合う。その沈黙が周囲の
「あぁええてええて。ほんまに大丈夫やから。確かに銀嶺会の看板をこない粗末に扱われちゃあワシらのメンツにも関わるからな。気持ちは分かる。せやけど、今は“これでええ”。これでええんや。――お手柄やで、馬の骨グループ。骨は骨でも、どうやらダシくらいは取れるらしい。ワシはこれからそのダシを美味しく頂くさかい、もうアンタらは用済みやからさっさと帰ってもらってええで」
そう言って、青年は飛び跳ねるように勢いをつけて立ち上がった。今にも爆発してしまいそうなほど、抑え切れないくらいの活力に満ちた全身からのエネルギーを周囲に放つ彼は、テーブルに立て掛けていた鎖をグルグルに巻き付けた金属バットを右手に携えながらそのセリフを口にする。
「キャバレー龍明の関係者。そう名乗る謎の男。動画で観る限りでも、ケンカの腕は相当なもんやで。あないに洗練された戦い、一体何処から仕入れてきたっちゅうんや? ――アニキ達に味見される前のタイミングで知れてほんま良かった。こう、覇気っちゅうか、やる気っちゅうか、心の底から身震いさせる“覚悟”を感じさせる相手は久しぶりで、ワシぁめっちゃ嬉しくなってきたわぁ!!! はよツバ付けとかなあかんから、味見がてら挨拶にでも行っとこ!!!」
意気揚々と昂るあまりに、青年は行く先のテーブルやイスをドカドカと押し退けて悉く倒していく。ゴトゴトと盛大な音を立てるそれに周囲の人間達が道を開けていく光景の中、青年は凶暴な印象を与える右目の眼帯と、その奥に秘めた虚構の眼光で前方を真っ直ぐ見据えながら力強い大股で大地を踏みしめた。