不良漫画の世界に転生したら、貞操逆転してたうえ全員女の子になってた 作:音塚雪見
「ふぅ……」
夜の空にため息をつく。
ベランダの柵に体重をかけ、俺は外を眺めていた。
脳裏を駆け巡るのは夜宵とのやり取りだ。
あたしは応援するぜ。
彼女の笑みの混じった声がフラッシュバックする。
そして湊と尊の顔もまた。
「俺でいいのか……?」
柴方高校の番長という、この肩には重すぎる名前。
葛藤が止まらない。
どこへ歩けばいいのか……道が見えないのだ。
再び嘆息した。
「ん……?」
そのとき、見慣れたベランダに異物を発見する。
しゃがんでみると姿がはっきりとした。何かの箱である。
紙製で、英語が書いてあった。
「煙草じゃん」
どうしてこんなものが?
一人首をひねる。
俺の家族に喫煙者はいなかったはずだ。
拾い上げて観察する。
開いてみた。
中身が入っている。
「………………」
逡巡があった。
実は、前世で喫煙をしていたのだ。
それもかなりのヘビースモーカー。
しかし煙草が原因で体を悪くした。
ゆえに転生してからは、たとえ周りが煙をくゆらせていようが、決して吸うまいと心に誓っていたのだが――。
「……吸ってみるか?」
ストレス解消。
悩みの打開。
表現は何でもいいが、俺は助けを求めていた。
今までやっていなかったことをしてみれば、もしかすると解決策が見えてくるかもしれない。
そんな思いが胸中に湧く。
「いや、だけど……うーん……」
どれくらい悩んでいたのだろうか。
空の底近くに浮かんでいた月が、天上に手をかけそうなほど、居場所を高くして輝いていた。
「――やろう」
男は度胸。
この世界においては存在しない言葉だろうが、こと俺に関しては、頼りにすべき言葉なのである。
つばを飲み込んだ。
手が震える。
煙草の箱が鉛の塊ほどに重くなった。
ベランダから部屋に戻り、リビングを目指す。
引き出しを開けるとライターが置いてあった。
停電になったときに、蝋燭に火を灯すためものものだ。
「…………」
誰もいないとはわかっている。
わかっているけれども、周りを確認するのが止められなかった。
ポケットに突っ込んで階段を登る。
明かりはつけない。首の裏が固くなった。
登り切り、後ろ手に扉を閉め、目を瞑る。
自分の呼吸音が大きく聞こえた。
ポケットの中。
ライターの存在感が増大していく。
「……よし」
ベランダに出た。
煙草の箱を睨みつける。
震える指で蓋を開け、一本取り出した。
夜風が吹き抜けていく。
月光に煙草が照らされて、白が眩しい。
俺は双眸を細めため息をついた。
ライターをつける。
風のせいでなかなか火が出ない。
手でそれを覆い、何度か押した。
カチ。
カチ。
カチ。
カチ。
「……ついた」
煙草を差し込む。
紫煙が立つ。
「ゴホッゴホッゴホッ!!」
咳き込んだ。
そりゃそうだ。
今生では一回も吸ったことがないのだから。
「カハッ……あ゛あ゛ー……まっず」
知らない銘柄だったから仕方ないのかもしれない。
舌に残る苦みに辟易としつつも、思考がクリアになっていくのを感じる。
「番長……ね」
柵に肘を乗せ体重をかけた。
夜の住宅街に柵が軋む。
ゆっくりと煙を吐きながら、俺は月を見上げた。
「やってみるか」
漫画の世界。
自分は異物。
すべてどうでもよくなってきた。
俺は俺で、今この世界を生きている。
傍観者じゃない。
自分こそが登場人物なのだ。
生きているだけで誰かに影響を与える。
であれば、俺が番長を目指したところで、致命的な変化が起きるわけがない。
「ふぅ……」
煙を吐ききって、気づいた。
「どうやって火ィ消そう」
結局ボウルに水を貯めて、そこに煙草をつけることになった。
最後まで締まらない。
まァこれも俺らしいと考えれば、俺らしいのかもしれない。
◇
不良たちの巣窟で、治安が最悪なことで有名である。
俺は校門を通り校舎を睨みつけた。
何だかやけに視線を受けている気がする。
こういう場合は勘違いなことがほとんどであるが、それにしても、やたら皆に見られているような気がするのだ。
舌打ちを一つして首を振った。
駄目だ、気がぶれている。
頬を張って俺は意識を集中させた。
「…………」
黙りこくったまま教室を目指す。
見えてきた一年七組の室名札。
扉をくぐった。
「おはよう」
「……拓馬クン?」
湊の机に手をかけた。
すでに座っていた彼女は困惑したようにこちらへ双眸を向けてくる。
それはそうだ。今まで仲違い――と表現するほどではないと思うが、話していなかった相手が突然来たのだから。
昨日までの自分であれば萎縮しそうな場面。
しかし俺はあまり緊張していなかった。
ニコチンで軽くなった舌を回し、
「悪かった」
「え?」
「妙義派を裏切るような真似をして。すまなかった」
頭を下げた。
殴られる覚悟すらあった。
それくらいしなければ許されないだろうと。
「えっ、ちょっ、頭上げてくれッ!」
けれども湊はわたわたと手を胸の前で振る。
俺が頭を上げないと見ると、側頭部を手のひらで挟み、強制的に視線を合わすことすらした。
「ど、どうしたんだ? 急に……」
「自分が裏切ったのに、謝罪の一つもないのはおかしいでしょ」
「いや私は気にしてないって!」
きっと本当だろう。
妙義湊はそういう人間だ。
でも俺が
彼女は驚いたように浮かせていた腰を下ろし、やがて破顔する。
「……びっくりしたケド、これで仲直りだな」
「うん」
「じゃあ拓馬クンは私と一緒に白根派と戦うってことでいいか?」
疑いの一切こもっていない声。
湊は、俺が帰ってくると確信しているようだった。
胸が痛む。
だが、しかし、言うしかない。
「いや――」
「……拓馬クン?」
数歩机から離れる。
困惑した様子の湊。
縮こまりそうになる声帯を無理矢理動かして、俺は宣言した。
「――俺は、高群拓馬は、番長を目指すよ」
「ずいぶんと思い切った決断をしたものだな」
「千明は反対する?」
「いや、いいと思うぜ」
千明はケタケタと笑う。
昼休み、屋上。
俺と彼女は柵に寄りかかって喋っていた。
他には誰もいない。
校庭で喧嘩をする不良たちを眺めながら、俺は口を開く。
「湊はキレてたね」
「あれはキレてたってより、驚いてたんじゃないか?」
金魚のように口をパクパクさせていた湊。
彼女の姿が脳裏をよぎった。
「拓馬クンが宣戦布告――番長になる宣言をしてから、あいつ何も喋らなくなったからな。だいぶ考え込んでるんだろうよ」
「意外な言動だったかな」
「意外も意外、驚天動地で明日の天気は槍だよ」
千明はオーバーに肩を竦める。
「……それで、番長になるって大口を叩いたわけだが」
「うん」
「何か策はあるのかよ」
ふむ。
俺は少し考えるふりをした。
あるいは誤魔化す方法を考えていたのかもしれない。
しかし思いつかなかった。
わざとらしく顎に手を添える。
意味ありげに空を眺めて、静かにため息をついた。
「――ないよ」
「だと思ったよ」
千明は馬鹿を見るような目を向けてくる。
事実、俺は馬鹿だった。
何も考えずに「番長になる」なんて宣言してしまったのだから。
「どうしたよ拓馬クン。ちょっと前までの……臆病とも表現できる慎重さはどこへ行ったのさ」
「ヤニ吸ったら吹き飛んじゃった」
「もう脳みそスポンジになったのか??」
てしっと手刀を食らった。
額を擦りながら、俺は言い訳をする。
「でも勝算はあるんだ」
「ほう?」
「今は妙義派と白根派がしのぎを削ってるから、いい感じに両者が疲弊したところで、漁夫の利を狙っていく」
「それができたら誰も苦労しねェんだわ」
千明は普段の飄々とした態度も忘れたようで、眉を下げながら嘆息した。
まるで子供の将来を心配する親のように。
「まァ、失敗したら失敗したで、別にたいしたことないだろうが……」
「でしょ? ローリスク・ハイリターンだね」
「効率的市場仮説に従えば、一瞬でローリターンになるけどな」
そんなもの百も承知である。
理解したうえで言っていたのだ。
類義語は現実逃避。
酒に酔った勢いで黒歴史を製造するのは非常によく聞く話だが、どうやらニコチンにも似たような効果があるらしい。
俺は煙草を吸った勢いで番長になる宣言をした。
それが最も効果的な手段だと思ったのだ。
しかし具体的な方法はない。
いわゆる無鉄砲。
俺は目を逸らして頬を掻く。
千明の視線が痛かった。
「……まぁでも、本当に一つあるんだよ。この状況を何とかする――俺が番長になれるかもしれない方法が」
「今までの流れを考慮すると、まったくもって信用できねェけど?」
「本当だって。
胸を張る。
可能性は低いが、ゼロではない。
けれども彼女はまったく信じていないようだった。
当たり前か。
「じゃあその『方法』とやらを教えてくれよ」
「えぇと、それはね――」
◇
俺はこれ以上ないくらい緊張していた。
首筋を流れる汗が鮮明に感じられる。
シャツが背中に張り付き、喉は乾燥して痛みを発していた。
「…………」
ソファに座るは赤城夜宵。
元柴方高校番長にして、依然として影響力を持つ重要人物である。
彼女は腕を組んで黙りこくっていた。
傍らに控える浅間さんも、眼鏡の位置を調整して沈黙を保っている。
時間が経つのをこれほどまでに遅く感じたことはない。
堰にとどめられる水のように、ゆっくりとしか流れないのだ。
「……つまりなんだ、拓馬」
夜宵は唇を湿らせて、
「お前はあたしに表舞台に戻るよう言いたいワケだ。妙義派と白根派で分断されている
彼女は言葉を探しているようだった。
頭を捻るように眉を寄せて、結局ため息をつく。
「しかも――お前の下について」
「あぁ」
「ふざけてるのか?」
夜宵はその身長ゆえに、上目遣いで睨めつけてきた。
一般人であれば子供の格好つけたがりと映るところ、彼女の迫力が伴えば、たちまち不良そのものになる。
後退りしてしまいそうなオーラに、しかし俺は口の端を歪めた。
「ふざけてないよ。だってこれは夜宵にもメリットがある」
「何だと?」
「自分でもわかってるでしょ。胸の奥が疼いてるはずだ。
理想と現実の乖離。
赤城夜宵は葛藤しているはずだ。
それこそが、俺の勝算である。
こちらの発言内容を噛み砕いているのか、夜宵は口を半開きにしたままで、何かを言うことはなかった。
長針がまもなく一周する。
そんなとき、彼女はまぶたを閉じた。
「――言うねェ。もしあたしが疼いてなかったらどうするんだよ」
「一世一代の大博打だから。失敗したらどん底だね」
「クハハ! ちょっと前までの拓馬はどこ行ったんだよ!」
こんな賭けできる男じゃなかっただろ!
と夜宵は哄笑する。
涙の混じった眼尻をこすり、
「……さて、たしかにあたしは焦燥感を覚えていた」
彼女は大きく足を組み替えた。
威風堂々とこちらを見据え、口角を上げる。
「だがその程度じゃあ拓馬の下につくなんて選択肢は取らないぜ。お前に他の説得材料はあるのか、高群拓馬ァ?」
俺は指を突きつけた。
「それは――」