不良漫画の世界に転生したら、貞操逆転してたうえ全員女の子になってた 作:音塚雪見
赤城夜宵は喧嘩に飢えている。
戦闘狂である彼女が、表舞台から退いて何ともないはずがないのだ。
俺は乾いた唇を湿らせた。
汗のにじむ手のひらをスラックスにこすりつけて、どくどくと血の流れる音を耳に聞きながら、痛む頭を回す。
失敗はできない。
いくら夜宵が俺に好意を示してくれているといっても、都合のいい要求をし——それが失敗したら。
いかな彼女であろうと許しはしてくれないだろう。
チャンスは一度きり。
すでに「赤城夜宵の飢え」というカードは切った。
俺が持っている手札はあと一枚だけだ。
これが空振りに終われば、湊と尊の正面衝突は避けられなくなる。
それを思えば緊張もするというものだ。
無理やり口角を上げ、まっすぐな眼差しを夜宵に向ける。
「さァ、他の説得材料はあるのか、高群拓馬……!」
ソファに座る夜宵。
彼女の姿が、彼女自身の覇気によって大きく見えた。
この世界に来る前の自分では、つまり不良たちとの出会いなどの経験がない俺では、委縮してしまい言葉なんて吐けなかっただろう。
しかし今は違う。
様々な経験をして、俺は強くなった。
もちろん喧嘩的な意味の強さではない。
精神的な——例えば
「俺が夜宵に提示できるものは……」
記憶が回る。
積み上げてきたもの。
偶然の出会い。
「——谷川詠さんの存在だ」
「……ほぅ?」
夜宵は面白そうな顔をした。
黙って鼻を鳴らし、続けてみろと顎をしゃくる。
「谷川さんは……夜宵に対して引け目を感じている。それは中学時代の経験から来たものだ。同じ学校にいた赤城夜宵という絶対存在。夜宵の跡を継いで番長になった谷川さんは、金魚のフンだと呼ばれていたらしい」
それは谷川さんと会って初めて聞いた話だ。
妙義派を出て谷川派に乗り換えろと要求された時のこと。
彼女が夜宵に対して抱いているコンプレックス——それを夜宵本人に告げるというのは気が引けたが、俺にはこれしか赤城夜宵を動かす材料を見つけられなかった。
谷川さんの姉貴分である夜宵であれば、谷川さんがコンプレックスを抱いているという状況を放っておくはずもない。
夜宵が俺に協力してくれれば、おのずと谷川さんと本気で戦う場面もあるだろう。そうなれば周りに「谷川詠は赤城夜宵の腰巾着ではない」と印象付けることができるはずだ、と説得した。
もろもろが終われば、谷川さんに殴られる覚悟はある。
けれども今だけは、俺の愚かな行いも許してほしい。
「………………」
夜宵は黙りこくった。
黙りこくって、目をつぶる。
腕を組んだままで沈黙が流れていった。
壁に掛けられた時計だけが動いている。
秒針が何周かして、やっと夜宵は口を開いた。
「……それは、本当か?」
彼女はひどく冷静な声で言う。
あるいは、意識的に冷静であろうとしているのだろうか。メトロノームのように指が肘を叩いていた。まるで自分を落ち着かせるかのように。
「本当だよ。本人から聞いた」
「……そうか」
夜宵はソファの背もたれに体重をすべて預ける。
きつく引き締められた唇。閉じられたまぶた。
やがてその両方が緩み、彼女はため息を一つついた。
「わかった。拓馬、お前の方便に乗ってやろう」
髪をかき上げる。
ふわりと夜宵の柔らかい香りが漂ってきて、俺は今までの緊張感も相まって、腰を抜かすほど安心した。
「——はぁ……死ぬかと思った」
「あたしを何だと思ってんだコラ」
「怒らせたらヤバイ
「まったくもぉ~全然違うでしょ~?」
きゃるるるる~ん、と彼女はしなを作った。
あえて断言しよう。まったく似合っていない。
赤城夜宵を知らない頃ならまだしも、こうしてそれなりの関係を築いた後であれば、なおさら違和感に苛まれる。
例えるならばカンガルーの袋の中のような。
あるいはペンギンの口の中のような。
「そうじゃない」感を伴って、彼女は腰をくねくねさせた。
「…………」
「……なんだ拓馬、何か言いたいことでもあるのか」
「割と初めの頃から気になってたんだけど」
俺は宙に視線をさまよわせる。
「その
「演技じゃないよ~!!」
聞くな。
そんな意思が読み取れる表情だった。
端的に表現するなら脅迫だった。
俺は無言で両手を上げる。白旗だ。
交渉をしていた間気配を殺していた浅間さんが、「お疲れさまでした」と言いながら飲み物を渡してきてくれた。
喉が張り付くように渇いていた俺は、笑顔で感謝を伝え受け取る。
缶のラベルを確認することなくプルタブを開け、砂漠で遭難した旅人のように、躊躇なくそれをあおった。
「うごっほッう゛え゛っ!?」
即座に吐き出す。
困惑して缶を睨みつけると、そこにはまぁずいぶんと見慣れた名前が記載されていた。主に悪い記憶を引き連れて、俺の脳裏を駆け回る。
「……浅間さん」
「はい。どうしましたか」
「これ未成年飲酒ですよ」
「そうですね」
「そうですねじゃなくって……」
手の中にあったのはビールだった。
ノンアルコール、なんて生易しいものじゃない。
そもそもこの時代にノンアルは存在しない。
鼻から抜けていく酒臭さに辟易しつつ、俺は浅間さんに問いかける。
「俺、一応成人するまでは飲酒しないつもりだったんですけど」
「でも未成年喫煙はしたのでしょう」
「……………………」
まぁ、何というか。
それを言われると弱いというか。
途端に黙りこくった俺に構わず、彼女は続けた。
「私も拓馬さんにお酒を飲ませることは悩みました。しかし憔悴した様子のあなたが心配だったのです。何かしら飲み物を渡そう、と決意したものの、この空間にあるのはビールばかりで……」
「気遣いありがとうございます。これからは水とかも置いていただけるとありがたいです」
飲み物が酒しかない空間って肝臓がやられそうだなぁ。
唇の端を引きつらせながら、飲みさしの缶ビールを眺める。
まさか誰かにあげるというわけにもいくまい。
覚悟を一つ決めて、俺はそれを飲み干した。
「………………」
前世ぶりのビールは、思わず顔をしかめてしまうほど苦かった。
現在の柴方高校を支配する派閥——妙義派と谷川派の連合——と白根派の戦いは静かに始まっていた。
日を重ねるごとに校内に喧嘩が増えていく。
俺は授業中でも感じられる
放課後になり皆が騒ぎ出す。
隣の席の千明とは、その距離に反して会話をしていなかった。
おそらく派閥のうんぬんがあるのだろう。直接宣戦布告をした俺と、妙義派に属する千明とで仲良くするわけにもいくまい。
黙って立ち上がり、帰ろうとしたその時。
向こうから歩いてくる影に気がついた。
「……湊」
「よォ、拓馬クン。ちょっといいか?」
湊は落ち着いた声で廊下を指差す。
まさか宣戦布告したからリンチします、なんてことはないだろう。俺はおとなしく彼女の背を追いかけた。
すると後ろから千明もついてくる。ちょうど挟まれたような形だ。
兵法的にはおしまいだが、別に問題はない。……ないよな?
自分も知らないところで不興を買っているという可能性を否定しきれない。
じわじわと寒気が背筋を登ってきた。
口角が引くつき、脂汗が額ににじむ。
「取って食おうなんて思ってないぜ?」
「……そう、よかった」
「何か勘違いされてそうな雰囲気だったからな」
湊は肩をすくめた。
表情に出ていたか、と俺は頬に血が集まるのを感じた。
ポーカーフェイスは得意なつもりだったのだが。
彼女は誰もいない教室の前で止まり、
「ここで話でもしようぜ」
と振り返ってきた。
しばらく逡巡し、決断。
迷うこと自体が彼女らに対して失礼だ。
俺は心を入れ替えるような気持ちで呼吸を一つし、背筋を伸ばして教室へ足を踏み入れる。電気は付いておらず暗かった。
学校の教室にはカーテンがあるけれども、普段の生活ではあまり使用されていない。こうして締め切られていると、どこか異世界に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚える。
湊は乱雑に積まれた椅子をどけ、机の上に腰を下ろした。
「拓馬クン、私も考えたんだ」
「……何を?」
「どうして裏切られたのか」
裏切り。
こちらとしては、そんなつもりは。
しかし客観的に見ればそうなるだろう。
俺は唇を食いしばった。
「まァ拓馬クンの性格的に、私たちのことを想ってのことだろうとは理解してるぜ。でも浮気性だから、その『私たち』の中には白根尊も入ってるんだろうけど」
「浮気性って……」
「否定できるか?」
浮気と聞いて初めにイメージするもの。
異性をとっかえひっかえして遊ぶ人間。
そういう意味合いでは浮気性でないと断言できる。何せ俺は今まで——前世も含めて——恋人ができたことなどないのだから。
しかし湊が意図しているのは違うだろう。
俺は言い返すことができず、肩をすくめるしかなかった。
「どうせ拓馬クンのことだ、白根尊に同情でもしたんだろうさ。あるいは私と白根尊の両方と仲良くなっちまって、どっちを応援するか決められなくなったとか」
「………………」
頭の中でも読まれているのか?
と身じろぎした。アルミホイルでも巻こうかな。
正直彼女がそこまでの賢さを発揮するとは思っていないかった。
妙義湊の普段を知っている者であれば、皆そうだろう。
かくいう俺も例外ではなく。
他人にバレてしまえばあまりに恥ずかしいことを、当人である湊にバレてしまった俺の感情はジェットコースターだった。
今すぐにでもこの場から姿を消したいと思うほどに。
窓を突き破って空にでも駆け出そうかしら。
現実逃避に馬鹿げたことを考えていると、後ろに立っていた千明から声をかけられた。肩に手を置かれ、耳元でささやかれる。
「とまァ、あれこれ言ってッけど。まとめると『こちらに気にせずご自由にどうぞ』って意味だ。素直に話すのが恥ずかしいからごまかしてるケド」
「ちょっと千明聞こえてるぞオイ!」
「聞こえるように言ってるんだよ」
「なおさらたちが悪いじゃねェか!!」
顔を真っ赤にした湊が、ずかずかと歩いてくる。
俺は動くこともできずに千明に視線をやるばかり。
彼女は肩に手を置いたままニヤニヤとしていた。
「お前はいつもそうだ! さりげなく拓馬クンとボディタッチして、さりげなく好感度を稼ぎやがる! この女狐め!」
「おおっと本音が出たな。クールに振舞ってたケド、結局は拓馬クンと関われなくて寂しんぼしてたんじゃねェか」
「はあああああっ!? 誰が寂しんぼだコラお前表に出ろやァ!!」
「私に勝てるとでも思ってんのか湊ォ!? ほんとは妙義派じゃなくて榛名派だってこと思い知らせてやるぜ!?」
あぁ、懐かしい。
懐かしいコントのようなやり取りが目の前で繰り広げられている。
いや割と二人はマジの殺気を放っているが、きっと俺を安心させるためにわざとそういうふうに演技してくれているのだろう。そうに違いない。
俺は感動に涙をちょちょぎらせながら、口元に小さな笑みを浮かべていた。
カーテンの閉め切られた教室に響き渡る怒号。
傍からすれば喧嘩でも起きていると間違えてもおかしくない。
しかし、実際は喧嘩ではなく猫のじゃれあいのようなものだ。
うん。きっとそうだ。
「テメェ二度とお天道様の下に出られない顔にしてやらァ!!」
「できるもんだったらやってみろワッパァ!!」
「お前のほうが年下だろうが!!!」
「………………」
俺はそっと退室した。