不良漫画の世界に転生したら、貞操逆転してたうえ全員女の子になってた 作:音塚雪見
「お前、何かあたしに対して思ってることがあるんじゃねェのか」
夜宵はいきなり切り込んでいった。
空気が凍る。ここには事情を——谷川さんが夜宵に引け目を感じているという——知っている者しかいないようだ。
俺はつばを飲み込んだ。
「…………さァ」
谷川さんは首をひねる。普段の彼女の言動からは考えられないほど、感情が見えない表情だった。
どうやら夜宵にはお見通しだったようで、「本当は?」と続ける。
さすがに圧に耐えられなくなったのか、谷川さんが目をそらした。
「……それを聞いてくるってことは、知っちゃった感じですか」
「何のことだよ」
「いやァ、私に言わせるんですか」
厳しいなァ、と谷川さんは頬を掻く。
苦笑が口元に浮かんでいた。
「赤城さんに対して何か思ってること。まァありますよ」
「せっかくだから教えてくれよ」
「……教えない、って言ったら?」
「口を割るまで追いかけ続ける」
「赤城さんはマジでやりそうだからなァ……」
ため息が響く。
「私、赤城さんと仲良かったじゃないですか」
「おう」
「それで中学の番長を譲ってもらって」
「おう」
「金魚のフンとか、親の七光りとか呼ばれてたんですよね」
もちろん直接は言ってこないですよ。でもこそこそ陰で言ってるのが耳に入ってくるんです。
谷川さんは肩をすくめた。
怒りや悲しみなどを無理やり抑え込んだ、そんな表情である。
夜宵は舌打ちを一つして、
「あたしが実力を無視して番長を譲るわけねェだろ」
「そりゃそうです。理解してますよ」
「じゃあなんでそー他人行儀なんだよ」
「……うーん、やっぱり引け目ですかね」
顔をくしゃりとゆがめる谷川さん。
「やっぱねェ、赤城さんがそんなことするとは思ってなくても、あれだけ言われちゃ心に来るものがあるわけで」
面と向かっては話しづらいっすわ。
と彼女は後頭部を掻いた。
夜宵の表情はこちらからはうかがえない。ただ背中だけが視界に映るが、それでも童女じみた背丈からは想像もできない圧が感じられる。
離れている俺ですらそうなのだから、いわんや谷川さんをや。
彼女は続く言葉も出せないかのように、たじろいで黙りこくっていた。
「……それで、今の今まで挨拶もなかったわけか」
「申し訳ないとは思ってますよ」
「だろうな。そうじゃなければ同じ校舎に通ってるのに、二年間も顔を合わせないなんてことはないだろうよ」
夜宵はため息をつく。
それは誰に向けてのものなのだろうか。
谷川さんか、彼女を下に見た者か、あるいは。
すぅと肺を膨らませて、夜宵は両手を広げた。
「——喧嘩をしよう」
「……あれ、そんな流れでしたっけ」
「流れなんて関係ねェよ。やろう」
あまりにも無理やりな話だった。
さすがの谷川さんも顔を引きつらせている。
しかし夜宵はまったく引くつもりがないようで、
「今のあたしは高群派の人間だからなァ、大将を
「赤城さんが誰かの下についたんすか!?」
「そうでもなければ、おめおめとお天道様のもとに出られないだろうよ」
谷川さんの視線が飛んできた。
俺は気まずくて彼女の眼差しから逃れる。
うつむき、転がる小石の数を計測しはじめた。
意気地なしと笑いたければ笑うがいいさ。でも谷川さんのあの目線を、直に受け取ってなお堂々としているやつだけが笑え。
それだけ彼女の双眸は鋭さをたたえている。
「それに、証人もいるだろ」
「え?」
「あたしとお前が戦って、どっちが強かったのか。そんなのはどうでもいい。いやどうでもいいってわけでもねェが、そこまで大事じゃない」
ごめんな?
とでも言いたげな表情で、夜宵はこちらに目をくれてきた。
谷川さんのほうへ向き直り、
「大事なのは
谷川さんは瞠目した。
そして微笑んだ。
まるで「変わってないな」とでも呟くように、困り眉で破顔した。
「相変わらずですね」
「はぁ?」
「そうやって人に手を差し伸べるところ。指摘されたらそっぽ向いて知らん顔するところ。全然変わってないです」
「まだそっぽなんて向いてないだろうが!!」
「時間の問題でしょ」
「………………」
夜宵は黙りこくった。
ふてくされてます、と全身で表現するように腕を組んで。
谷川さんは無言で目を細める。
「やりましょう、喧嘩。せっかくのお誘いなんで」
「……なんか釈然としねェが、乗り気ならいいか」
懐から飴玉を取り出して口に放り込んだ。夜宵は肩幅に足を開き、仁王立ちになる。どこからでもかかってこいと言うつもりか。
対する谷川さんは自然体だ。余計な力は入っておらず、実にしなやかな印象を受ける。おそらく俺以外の観覧者もそうだろう。
気づけば堤防の上には人が多く集まっていた。
何だ何だと口々に騒ぎはやしたてている。
中には柴方高校の制服をまとった者も見えた。夜宵の狙いが谷川さんを周りに認めさせることなのであれば、これは好都合だろう。
谷川さんは人の壁を眺めながらファイティングポーズをとった。
「なんだか人気者になったような気分です」
「実際にそうなんだろうさ——!」
二人の喧嘩が始まった。
三年越しの決着をつける戦いが。
空気が唸る。二人の喧嘩はあまりにも速すぎた。
傍から見ている俺にとっては、何が起きているのか理解できないほどに。
彼女らは口元を歪めている。まるで獣だ。繰り出される拳や蹴りには理性が感じられず、ただ本能のままに戦いをしている印象。
夜宵は目をかっぴろげ笑った。
「おい、おい、おい! 久しぶりだなァこの感覚!」
「ずいぶんと楽しそうですねッ!」
「楽しいぜ可愛い後輩と喧嘩してんだからァ!!」
前蹴り。
谷川さんは冷静に半身になると、夜宵の足を掴もうと距離を詰める。
「——オラァ!」
しかしもう片方の足で跳躍し、夜宵は二度目の攻撃を繰り出した。
谷川さんは反応できずに腹に食らう。
数歩後ずさり、頬に張りついた髪を弾いた。
一進一退。
俺にはそう見える。
ところが当人たちにとっては違うようで。
「……やっぱり勝てないか」
谷川さんが呟いた。
諦観が満ちている。自然と漏れ出たような声だった。
両手を腰に当てて、夜宵が唇を尖らせる。
「なんだ、諦めるのか」
「諦めてるつもりはないんですケド、ただ、まァ、勝てないだろうなと」
彼女は顔をくしゃりとした。眉を下げて笑う。少しだけ傾けられた首が、谷川さんの困った気持ちを表現しているようであった。
対して夜宵は納得していない。飴玉をかみ砕き、棒を吐き捨てる。
「いつの間にすぐ白旗を挙げる奴になったんだ?」
「白旗……そう見えます?」
「ちょー見えるぜ。辛気臭ェ雰囲気を醸しまくりだ」
夜宵は肩をすくめた。バタ臭い振る舞い。明らかに「わざとしています」という意志が込められた動きである。
谷川さんは自分の頬を張った。
「ッし」
「……どうした?」
「いや、抜けてた気を入れなおしただけですよ」
彼女は首をぐるぐると回す。
続けて肩も回し、ジャンプした。
「ふぅ……」
開いた双眸は光が宿っていた。
先ほどまでとは違う。潮垂れた面差しは影も形もない。
谷川さんが変わったことは夜宵にも理解できたようで——むしろ夜宵のほうが理解できるか——彼女は口元を歪めた。
「懐かしいなァ、三年前のお前だぜ」
「自分ではあんま変わってないつもりなんですケドね」
「鏡とか見たことない感じか? 芋虫かってくらい変わってるぜ」
「その形容嫌だなァ。せめて蝶とか可愛いやつにしてくれません?」
「お前が蝶なんて玉かよ」
軽快なやり取りである。
数年来の関係を感じるそれに、俺は握りしめていた拳をほどいた。
心配していたのだ。たとえ喧嘩が終わったとしても、彼女らの間にぎくしゃくとした空気が流れて、以前のような仲に戻れないのではないかと。
しかし今の二人を見ればありえないとわかった。
喧嘩なんて暴力的で、するべきではないと思う人もいるかもしれない。
けれども喧嘩でしか繋がれない人間もいるのだ。不器用で、それ以外のコミュニケーションの仕方を知らないような。
「っしゃあ——!」
言葉はいらなかった。
二人は無言で、同時に、動き出した。
地を駆け歯を食いしばり拳を振るう。
蹴りを繰り出しすんでに躱す。
互いに攻め、守り、カウンターを放っていた。
けれどもいずれ決着はつく。
彼女らは驚異的な身体能力を持っているものの、決して人間の範疇を超えているわけではない。
人間には体力がある。普段は一切疲れを見せない二人であるが、力量が同じくらいの相手と戦えば、消耗も激しくなるわけで。
二人は膝に手をついて肩を上下させていた。
「はぁ、はぁ……」
「赤城さん……なんか拳のキレが鈍ってんじゃないですか……?」
「抜かせ……手加減してやってんだよ……」
「手加減にしては……ずいぶんとまァ、余裕がなさそうですケドね……」
トラッシュトークにも精彩がない。
彼女らの額には汗が玉のように浮かんでおり、終わりが近いと俺はつばを飲み込んだ。
ふらふらと夜宵が立ち上がる。
目指すは谷川さん。一歩一歩進んでいく。
対する彼女も構えて、最後の戦いが始まった。
「——どらぁ!!」
「——うおおお!!」
互いの攻撃が頬に突き刺さる。
静寂があたりを支配した。
河川敷を恐ろしいほどの沈黙が満たす。
川の流れる音が、いやに大きく聞こえた。
あまりの緊張にまぶたが痙攣する。
俺は動悸を抑えられない。耳が熱い。
今にも駆け出してしまいそうだった。
どちらが勝ったのか。二人は拳を出した格好のまま動かないのである。
——あるいは、動けない。
「………………ぁ」
呼吸すら躊躇してしまう空気に、俺は喉を鳴らした。
「くそ、やっぱり駄目か」
ほとんど同時に谷川さんが倒れる。
糸が切れたような動きだった。
夜宵はまだ両の足で立っている。
つまり、これは。
「……あたしの勝ちだぜ、詠」
「えぇ、私の負けです。赤城さん」
地面に転がりながらも谷川さんは声を振るわせた。
まぶしいものを見るように目を細める。
偶然だろうか、二人の頭上を鳥が飛翔していった。
あたりがわぁと騒ぎ始める。
特に谷川さんの取り巻きなど大混乱だ。
自分たちのトップが負けたのだから当然だろうが。
彼女らは慌てて谷川さんに駆け寄っていく。
「ど、どうしましょう詠さん!」
「数では私たちのほうが上です! 今からでもこいつらを潰しましょうか!」
谷川さんは両目を手で覆った。
「……んな情けねェ真似できるわけないだろ。私は負けたんだ。私が負けたってコトは、谷川派が負けたのと同義だ。お前たちには悪いけどな」
「いや、そんなッ!」
「でも詠さんは——!」
「だってもヘチマもねェんだよ」
彼女は足を震わせながらも立ち上がる。
気高い、リーダーとしての風格を伴いながら。
「赤城さん」
「おォ」
「私は負けました。好きにしてください」
「じゃあ好きにさせてもらうぜ。お前たち、高群派に下りな」
急に水を向けられた。
飲み込もうとしていたつばにむせる。
俺は涙目で彼女たちを見上げた。
「え、えぇ……?」
「拓馬は各個撃破とか言ってたけどな。やっぱり数が多いに越したことはねェ。だったら相手の勢力を飲み込んじまえば、敵を少なくして味方は増やせる。一石二鳥じゃねェか」
「そりゃあそうだろうけど……」
相手が承諾するだろうか。
普通に考えればするわけがない。
俺は谷川さんに視線を送った。
「………………いいぜ」
彼女はしばらく黙ったのち、あっさりと首を振る。
「えぇっ!?」
「もう負けたんだ。することもないしな」
また赤城さんと一緒にいられるようになるんだから、むしろ願ったりかも。
と谷川さんは頭を掻いた。
「えぇ……」
こうして、不良の——もしくは谷川さんがおかしいだけなのかもしれないが——不思議な生態を目の当たりにしつつも、二人の喧嘩は終わった。
俺が番長を目指すうえでの壁はあと妙義派と白根派だけ。
握手をする夜宵と谷川さんを眺めながら、俺は拳を固く握りしめた。