不良漫画の世界に転生したら、貞操逆転してたうえ全員女の子になってた 作:音塚雪見
無事に妙義派の巣窟——というには普通の教室過ぎたが——から戻ってきた俺は、ソファにどっかりと座っていた夜宵に迎えられた。
彼女は飴玉を舐めながら天井を見上げ、「よ」と右手を挙げる。
「生きてたんだな」
「え、死ぬ可能性がある場所に送り出したの?」
「人生何があるかわからないからな」
「そりゃそうだけどさ」
俺もソファに座り、ため息をついた。
「緊張した」
「お疲れ。どうだった」
「めちゃくちゃ喧嘩売ってきた。殺されるかと思った」
「生きててよかったな」
「本当にね」
いくら湊たちを信用しているからといっても、番長に目がくらんで凶行に及ぶ選択肢もあったわけだ。さながら飢えた肉食獣がはびこる檻に入っていくようなものである。小心者の俺が緊張しないはずがなかった。今さらながら汗が噴き出してくる。
「これが最後の戦いになるのか」
「それは拓馬次第だろ」
「というと?」
「拓馬があんまりにも情けねェ姿を見せてたら、
たしかに。
俺は腕を組んで頷いた。
「捕らぬ狸の皮算用だけど、たとえ勝ったとしてもそういう問題があるんだよね」
「まァ大丈夫だろ。ちょっと前の拓馬だったら心配もあっただろうが、今のお前だったら納得するはずだ。というかへなちょこだったら、あたしが拓馬の下につくはずもねェしな」
飴玉を噛みくだいて夜宵は笑う。
まるでオオカミのような、油断すれば喉笛を噛みちぎられそうな笑みだった。
頬に一筋の汗を流しながら、俺は問う。
「……まぁ勝った後の話は置いといて。これからどうする? 相手の準備が整わないうちに奇襲を仕掛けるのもアリだと思うけど」
「駄目だろうな。拓馬が堂々と喧嘩を売る前ならワンチャンあったが、もう相手も構えている状態だ。来るとわかっている奇襲ほど弱いものもねェよ」
「だよねぇ」
二人で顔を見合わせた。
二人で苦笑する。
「結局正面から戦うしかねェだろうな」
「これだったら喧嘩を売らないほうがよかったのかね」
「いや、どっちにしろ奇襲は通用しなかっただろ。三つの派閥が並び立ってた頃ならともかく、今はあたしたちだけが明確な敵だ。相手が確定してるなら、その分対策も簡単になる」
夜宵は指を一本立てた。
「だから正面衝突か……実際のところ、勝率は?」
「五分五分……と言えたらよかったんだけどな」
「やっぱり分が悪い?」
「まァな。高く見積もって三割ってところだろう」
「でも三割もあるんだ」
三十パーセント。
それは自分の運命を賭けるには十分は確率ではないだろうか。
俺は拳を握り、夜宵に眼差しを向けた。
彼女はニヤリと双眸を細める。
「いい目だな。諦めていない。勝つ気満々って感じだ」
「当たり前でしょ。ここまで来て勝負を捨てる奴がいる? たとえ勝つ可能性が一パーセントだったとしても、すべてを捨ててそこに賭けるよ」
夜宵は右手を挙げた。
どういう意図なのだろうと首を傾げてみると、彼女は物分かりの悪い子供に道理を教えるように、ため息をついた。
「この流れだったらハイタッチするだろ」
「あぁ、映画とかでよく見る感じの?」
「一緒に頑張ろうぜ、的な奴だ」
「なるほど」
俺は夜宵の右手に自分の右手を合わせる。
乾いた軽い音が響いて、彼女はますます笑みを深めた。
「さァ、ドンパチ始めようぜ」
「今さらながらゾクゾクしてきたよ」
「怖いか?」
「まさか。武者震いだね」
「クックック」
喉の奥に詰まったような笑い声。
夜宵は目尻に浮かんだ涙を掬うと、
「勝負が決まるのに一週間ってところだな」
「そんなに早いの?」
「むしろ長ェ。普通は一日で決着が着く」
一週間後にどっちが立ってるか楽しみにしてようぜ、と彼女は童女のように破顔した。あまりにも戦意が表情に満ちており、夜宵の背後に金剛像を幻視する。
「……女神はどっちに微笑むかな」
俺は天井を見上げて呟いた。
天秤がどちらに傾くか分からない。
戦局の行方は、どうなるのか。
不安が押し寄せてくる。しかし止まるわけにはいかない。
負の感情を押し殺すために、俺は懐からたばこを取り出して、思い切り煙を吸った。
◇
柴方高校は日に日に混乱に落ちていった。転がる石が速度を増していくように、二つの派閥が引き起こす戦いは、その戦禍をどこまでも広げていく。
俺は夜宵たちと教室で座りながら、窓から校庭を眺めていた。
「一週間が経ったね」
「あァ、もうすぐ決着が着く」
「状況は五分五分……本当にどっちが勝つか分からないや」
高群派——と自分で呼称するのは恥ずかしいが——に属する戦力は少なくない。むしろ多いだろう。敵である妙義派に比べれば圧倒的な数を誇る。
それでも枕を高くできないのは、この数が見かけ上のものであり、実際には自由に動かせないからだ。彼女らは谷川派や白根派から合併吸収した存在ゆえに、俺の指示には従わない。
しかし中には従ってくれる者もいた。
湊が番長になるのを嫌ったり、とりあえずは俺を番長にさせて、後々謀反を起こすつもりなど、理由は多岐にわたる。
まぁそんなものはどうでもいい。妙義派と戦ってくれるなら理由なんて。
校庭ではぽつぽつと喧嘩が勃発していた。
一週間前はもっと数が多かった。終わりが近い証拠だ。
俺はもはや癖となった喫煙をしつつ、迫りくる最後に胸を緊張させていた。
柴方高校に沈黙が下りていた。普段は動物園と聞き紛う喚声が響き渡り、近隣住民に迷惑をかけている柴方高校に、である。近くに住む人々は敏感に違和感を察知し、呼吸を潜めて事態を見守っていた。
校庭にいくつかの影がある。その中には高群拓馬の姿もあった。彼は緊張に喉を鳴らし、額を流れる汗を拭う。見つめる先には妙義派の面々が肩を並べていた。彼女らの双眸に油断は一切存在しない。
風が吹いた。砂埃が舞う。
圧倒的な覇気を纏った赤城夜宵が、腕を組んで仁王立ちしている。従者のようにすぐ後ろに付き従う浅間忍が、残忍に眼鏡を光らせた。
「——長引いた戦いもここまでだ」
夜宵が口を開く。声を張り上げていないのに、不思議と校庭に響く彼女の言葉。向かい合っている妙義湊も、神妙な表情で呼吸を止めた。
拓馬が数歩前に出て、夜宵の隣で足を止める。まさしく一つの派閥の長だった。そうとしか表現できない覇気を、彼もまた纏っている。
妙義湊は拓馬の成長に驚いたのか、口元を歪めて両手を広げた。
「拓馬クン、ずいぶんと男前になったじゃん?」
「ありがとう。無事に不良に染まったよ」
「まるで都会に染まった息子を心配する母親の気持ちだよ。どうよ、今からでも仲良くしない?」
「無理だね。ここまで来たんだ、どちらかが倒れない限り、話は終わらない」
一切の躊躇がなかった。
拓馬は間髪入れず、
「投降してくれないかな。
「……戦ったらそっちが勝つ、みたいな言い方だな?」
「勝つさ。確信してる」
戦場——校庭に緊張が走る。両派閥は急激に高まるボルテージを感じていた。今すぐに戦いが始まってもおかしくない。夜宵は静かに腰を落とし、榛名千明は首の骨を鳴らす。
ただ拓馬と湊だけが、ゆったりと距離を詰めていった。二人は戦力に数えられていない。おそらく喧嘩をすれば小学生にも負けるだろう二人である。ゆえに陣営のトップ同士なのにもかかわらず、一切の警戒なしに近づくということが可能だった。
「………………」
「………………」
不敵な笑みを浮かべながら彼らは向かい合う。
堂々とした立ち姿は、どちらが番長になってもおかしくないもので。
「…………やっば気絶しそう」
いや、湊が泡を吹きそうな表情で涙目になった。彼女の小さな声は、近くにいた拓馬だけが耳にした。
実に趣深い顔色で拓馬は頷く。彼もまた同じ気持ちであった。格好付けて歴戦の不良の振りをしてみたが、プレッシャーが襲い掛かってくるのだ。夏の夜に耳元で飛び回る蚊のように、振り払っても消えないプレッシャーが。
しかし二人の様子など分からない妙義派と高群派の各々は、派閥のトップが最接近したことで戦意を高めていく。校庭に籠った熱が際限なく上がっていく。
まもなく爆発をしそうな雰囲気に、湊はついに涙を流した。
「なァ……拓馬クン」
「何」
「どうしてこうなっちまったんだろうな……」
「俺達が番長を目指したから、かな……」
「だよな……」
言葉の裏に『もはや融和はない』という確認が含まれていた。それを認識した湊は自分の頬を張って、キッと眦を釣りあげる。
鋭い眼差しを向けられた拓馬も表情を深め、無言の睨み合いが始まった。
一秒、二秒、三秒。
音のない時間が流れていく。
誰かが唾を飲み込んだ。首筋を汗が伝う。
平和の象徴である鳩が校庭に降り立ち、それが皮切りとなったように、両陣営の不良達が走り出した。さながら戦国時代の開戦である。一番槍となった夜宵が妙義派の群れに突っ込み、一気呵成の声を上げた。
「………………」
「………………」
戦場の真ん中、孤立無援に取り残された拓馬と湊は、気まずげに見つめあっている。まるで気持ちを視線で伝え合う恋人のように、あるいはそれ以上の繋がりをもって、二人は黙りこくっていた。
やがて二人は示しあったかのように歩き出す。向かう先は校庭の隅。自らが戦いに参加することは諦め、諦観の構えであった。
数多くの不良達が走り回っているせいで、校庭には砂埃が激しく舞っている。薄くかかった砂の幕の向こうでは、血で血を洗う戦いが繰り広げられている。一方隅でぽつんとそちらを眺めている二人組。
拓馬と湊は子供の運動会を観覧する両親のごとく、面差しに強い応援の気持ちを込めながら、並び立ってそこにいた。
「これ……私達お邪魔虫じゃね?」
「言わないでね。悲しくなるから」
「一応ここにいるのって妙義派と高群派のリーダーってことで合ってるよな?」
「そうだよ。なんか
「なのに校庭の隅で寂しく観戦してるだけって……昔のお飾りの将軍って、きっとこんな気持ちだったんだろうな」
無力感に苛まれているのか、拳を固く握る湊。
しかし前線へと向かう足に力はなかった。彼女も理解しているのだろう、自分が馳せ参じたところでお荷物になるだけだと。
戦局は二人に左右されないまま、複雑に複雑に変わっていった。