不良漫画の世界に転生したら、貞操逆転してたうえ全員女の子になってた 作:音塚雪見
赤城夜宵の心中は狂喜乱舞していた。戦場を駆ける足取りに淀みはなく、むしろ久しぶりに喧嘩をしていることで鋭さが増しているほどだ。
髪を棚引かせ彼女は走る。すれ違いざまに拳を振るい、一人の不良を地に落とした。少しの疲れも見せないまま夜宵は次の獲物を探し出す。
そこに浅間忍が声をかけた。彼女は自らが戦うタイプというよりも、情報を集めて後ろから指示を出すほうが向いているのであるが、最終決戦をしている現在、使える手駒が存在しなかった。
ゆえに忍は夜宵達とともに、戦場に立っているのである。
「夜宵、あまり動きすぎるな」
「あんま無理言うなよ忍。どれだけあたしが喧嘩してこなかったと思ってんだ? 禁酒明けにビールを流し込んでるようなものだぜ、我慢なんてできるかよ」
「体力を消耗しすぎるな、と言ってるんだ。楽しいのは理解しているが、最後には妙義派の幹部——榛名千明と戦わなければならないんだぞ」
その言葉に夜宵は動きを止めた。何かを思い出すかのように額に手を当て、口角を歪める。悪鬼羅刹のごとく、気の弱い者が見れば気を失いかねない
「榛名千明……そうか、そうだった。忘れてた。あたしは千明と戦わなくちゃ——リベンジマッチをしなきゃならないんだった」
「一度目は敗北したが……二度目はないだろう?」
「当たり前だァ。赤城夜宵に土汚れを付けた代償は重いぜ……今度は完膚なきまでに、完璧で完全な勝利をしてやらァ」
音をなくせば可愛らしい少女のような姿なのにもかかわらず、耳に飛び込んでくるのは任侠映画もびっくりのドスの利いた声。
夜宵は犬歯を鈍く光らせ、同様にぎらつく眼差しを千明に向けた。
「——ッ!」
殺気を感じ取ったか、高群派の不良と拳を交えていた榛名千明が一瞬だけ体を硬直させたかと思うと、夜宵に鋭い視線を返す。先ほどまで彼女と戦っていた不良は地に伏せていた。わずか数秒の攻防で負けたのだ。千明の実力のほどが知れる。
「………………」
「………………」
二人は無言だった。しかし『次に勝つのはあたしだ』『また地面の味を教えてやるよ』と雄弁に瞳が語っている。
近くで様子を眺めていた忍が体を震わせた。そこに込められた濃密な殺意と闘気とが、彼女の神経にさわりと触れたのだ。寒さを耐えるかのように忍は自らの体を掻き抱き、けれども夜宵の勝利を確信しているのだろう、面貌はどこまでも晴れ渡っていた。
時が流れるにつれて戦局は傾いていく。いや、かと思えば天秤が水平になる。そしてまた違うほうへ傾くのである。驚くほど二つの派閥は拮抗していた。シーソーのように妙義派が有利になったら高群派が押し返し、高群派が有利になったら妙義派が押し返す。いまだどちらが勝つか先が見えなかった。
ところが戦力は有限であり、ダウンした不良の数が増えれば増えるほど、戦いの終わりが近づいてくる。
拮抗した状態であろうが、立てる者がいなくなればそれは終わりなのだ。現在両陣営合わせて十人にも満たない不良達が、自らの派閥を勝利させようと藻掻いていた。
「……はぁ、はぁ」
浅間忍が肩で息をしている。
やはり通常は喧嘩をしないせいで、体力に限界が訪れたのだ。眼鏡がずれているが直す気力もないらしい。膝に手をつき片目を閉じている。額が切れ流れた血が目に入ったのだろう。
「もう限界じゃないんスか? 浅間さんはボクらに後を任せて、そこら辺で休んでてもいいッスよ」
「……命、そういうわけにもいきません」
「やだなァ、そんなに信用ないッスか?」
「そんなことは……ありませんが」
「そんなことある感じの間ッスよね、それ」
嫌ッスねー、信用されてないのは悲しいッス~。と鳴神命が肩を竦めた。バタ臭い動作にはわざとらしさが満ちている。
何が言いたいのか理解していない様子の忍は困惑した表情を浮かべていたが、まるで幼馴染に告白する少年のように、命が視線を逸らしたまま頬を掻いた。
「……さっきも言ったッスけど、ボク達を信用してほしいんスよ。たしかに赤城さんとのし上がってきた浅間さんにとっては、ボクらは雑魚に見えるかもしれないッス」
でも、いつまでも親に守られてるなんて格好悪いでしょ?
と命が赤面する。いまだ眼差しは空に固定されていた。
ようやく彼女の意図を理解した忍は、ふっと口角を緩めると、まるで病床に臥す老人が息を引き取るように崩れ落ちた。体力も尽き果て、下半身に力が入らないらしい。
慌てて命が助けに入ると、「ありがとうございます」と存外に素直な感謝が忍の口から放たれた。
「なんですか、意外とでも言いたげな顔ですね」
「……そんなことないッスよ?」
「そんなことある感じの間ですね、それ」
先ほどのやり取りを真似したような発言。
冗談を言う余裕はあるみたいッスから、そこらへんに寝といてくださいッス。と命が忍を校庭の隅に寝かせた。さすがに立ち上がれない人間を襲う者は柴方高校にはいない。仁義を重んじない不良もいるが、基本的にはそれらを大事にするのが不良である。
「さァて——」
命が見やる先には因縁の相手がいた。
どうやら相手も彼女の視線に気が付いた様子で、のっそりと顔を上げる。
「命さん……」
「日向ちゃん、久しぶりッスね」
高岩日向と鳴神命のリベンジマッチが始まる。
不死身。
以前、高岩日向が鳴神命を形容した言葉である。
「——ッ!」
「どうしたんスか、さっきから避けてばっかで!」
「化け物が——ッ!」
日向が思わずといった様子で毒づく。
睨みつける先には命がいた。尋常ではない量の鼻血を流し、額は切れ、片目はすでにほとんど見えていないであろう。常人であれば立てないほどの傷だ。しかし彼女はしっかりと両の足で立っている。日向が「化け物」と表現するのも無理はない。
素早く命が足を踏み込む。
脊髄反射のように日向が一歩退いた。
それこそが命の狙い。
「……ッ!?」
長い前髪で隠された瞳がぎろりと光り、同時に拳が空気を唸らせ飛んでくる。懐に潜り込まれてしまい、回避は間に合わない。
歯を食いしばりながら日向は右手を滑り込ませた。何とか拳を防ぐことには成功したが、威力を殺すことは叶わなかった。掌を貫通してくる衝撃に、日向は肺の空気を吐く。
明らかな隙を逃す命ではない。
彼女は続けて最小限の動作で蹴りを繰り出した。
それでも腰の入った鋭い攻撃。
思い切り
ゴロゴロと転がったのちに立ち上がる日向であるが、目に砂でも入ったのだろうか、片目を閉じて膝立ちである。
傍から見ればまるで勇者と魔王のごとき様だった。下から睨みつける日向、頭上から見下ろす命。とくに命は怪我だらけだから、アンデットやらその類だと間違われてもおかしくない。
「……前とは違うッスね?」
「ペッ——そう、ですね」
膝に手をついて状態を起こす日向。
血の混じった唾を吐き出し、命に殺気に満ちた眼差しを差す。
二人の脳裏によぎっているのは前の喧嘩だろう。妙義派と赤城派とが代表戦を行い、命が敗北したあの喧嘩。
「ボクすごい恥ずかしいかったんスよ。情けなかったと表現してもいいッス。浅間さんは勝ちました。赤城さんは……限界まで戦ってくれたッス。ボクが千明と戦えって言われても勝つ自信はない」
空に上げていた視線を日向に下ろす。
「だから、あの負けはボクのせいなんスよ。ボクが君に負けたから、赤城派は負けて赤城さんは番長をやめる必要があった」
「……すげェ私舐められてねェか?」
「当たり前でしょ。調子に乗るなよ一年坊」
「クハッ——ちょー腹立つぜ」
人中に溜まっていた鼻血を指で拭い、日向は獰猛に笑った。
肉食獣のように唇を裂き、犬歯を鈍く光らせる。
普通の人間であれば恐怖に身を竦ませるところ、しかし相対する命は冷静沈着に、今にも爆発しそうな核弾頭のように、ゆったりと体を揺らした。
「…………」
「…………」
軽快な会話を交わしていた二人だが、油断せずに相手の様子を伺っている。
両者ともに悟っていたのだ。どちらも限界が近いと。
拳の一振りが、蹴りが一発でも入ってしまえば倒れてしまう。
そんな危機感とチャンスに興奮する気持ちとがせめぎあい、不思議な膠着状態が生まれたのである。
風が吹きすさぶ。
命の髪が乱れに乱れ、視界が埋まった。
「——ッ!!」
ここが最大のチャンスだ、と日向が地面を激しく踏みしめる。
何も見えなくとも音は聞こえる。命の身体が勝手に反応し、迎撃態勢を作り出した。
バランスを崩せば即座に転んでしまうほど上体を倒し、下から日向が襲い掛かる。あまりにも体勢が低すぎるものだから——およそ人間に可能な身ごなしだと思われない——命は瞠目した。
「ここだァ!!」
雲を突き抜けそうなアッパーカット。
何重もの空気の層を打ち破り、日向の拳が迫る。
轟轟と風を切り裂き、命の顎に衝撃が走った。
勢い盛んに日向は追撃を加える。
油断は敗北に繋がると確信していたのだろう。
彼女の表情には一切の隙もなかった。
だから、これは致し方のないことだったのだ。
誰であろうと対処のしようがない、天災のようなもの。
いや——。
「天才って奴ッスかねェ!?」
顎に食らった攻撃の勢いを利用して、力強く地面を蹴りつけた命は、そのまま宙を一回転した。サーベルのような軌道。鋭く彼女の爪先が日向の顎へと向かう。ちょうどカウンターのような攻撃が入った。いわゆるサマーソルトキックである。
さすがに意識の外から蹴りを食らってしまえば、さしもの日向といえども耐えようがない。
瞬間的に大腿筋の力が抜け、崩れ落ちるように腰を落とした。
眼球が回転し顔面から地に倒れこむ日向。
「……やったッスか」
傲慢さを欠片も見せることなく、命は構えてみせる。
しかし日向は動く気配がなかった。反応がない。
自身が勝利したことを数秒遅れで確信し、彼女は安堵のため息をついた。
「……はァ、勝ったッス」
緊張が急激に抜けたせいであろう、腰を抜かした様子の命は、情けなく息を漏らして天を仰ぐ。忌々しいほどの快晴だった。
辺りに不良が散乱し、鼻を突くような血の匂いが充満していなければ、絶好のピクニック日和と言えただろう。彼女はレジャーシートも敷かず地面に横になり、傷口が発する熱に眉間に皺を寄せながら、すとんと意識を暗闇に落とした。
やはり不死身と称される命であっても、強敵である日向との喧嘩は簡単ではなかったようだ。すぅすぅと胸を上下させる命は、まるで眠っているようである。その怪我に目を瞑れば、であるが。
——こうして、妙義派と高群派の戦いは、着々と終わりへ向かっていくのであった。