「あ~肩が痛い」
最近、エリノラ姉さんが天井に張り付くようになってから、上の方を警戒するようになった。そのせいで肩回りの普段使わない筋肉を使い、絶賛肩こり中だ。
しかも、エリノラ姉さんの隠密技術自体もかなり上がってきている。前までとは違って、趣向を凝らしたりするようになったため、転移もおいそれと使えなくなった。
……よく考えれば、肩だけでなく全身がだるい気がする。転移を使わなくなってから移動距離が増えるようになったせいだろう。
──いったいいつまでこの生活が続くのだろうか。
「あ」
「げっ」
そんな風に嘆きながら廊下を歩いていると、偶然エリノラ姉さんと遭遇してしまった。なにやら不機嫌そうだ。
……どうしよう。嫌な予感しかしない。
その上「げっ」とか言ってしまった。確実に絡まれる。
対処方法は……3つ。
①何もなかったように通り過ぎる。
②即座に反転して逃げ出す。
③お菓子か何かで話を逸らす。
②は既に前に試して惨敗している。やるとすれば①か③だが、どれも成功確率は低そうだ。
「ねぇ、アル」
「あっはい」
なんて考えていたら先手を取られてしまった。残りの手段は③のみ、ポケットの中で亜空間のクッキーとアメを取り出し、いつでも話を逸らせるように準備する。
「私に隠し事、あるんじゃない?」
「隠し事?そんなことしないよ。そういえばさっきクッキーを焼いたんだ。今回はショウガを加えたジンジャークッキーなんだけど、よかったら──」
「透明になるとか、時間を止めるとか。そんな魔法知らない?」
「そういうのは古代魔法って言って、既に使える人は存在していないんだよ。俺が使えるはずないじゃん。それよりも、このキャンディー見てよ。アメの中央部分にはちみつを閉じ込めたんだ。舐めて溶かすと段々とはちみつの味が強くなっていく2段構造になっていて──」
「ふ~ん、古代魔法ってのがあるんだ。で、アルはそれが使えるのね」
「そんなわけ──」
「あたり、ね」
「……」
やばい、失言した上に言葉が詰まってしまった。これじゃあ古代魔法が使えると言ったようなものだ。
「……」
「……」
無言の時間が続く。エリノラ姉さんはあまりにも綺麗すぎる笑顔を浮かべており、何を考えているのかわからず、次の行動が読めない。
対する俺はいつでもバックステップで逃げられるように構えている。その体勢を見ても何もしないエリノラ姉さんも不気味だ。
くっ、引くべきか、それとも攻めるべきか……このままでは、いつ手に持っている木剣が猛威をふるうかわかったもんじゃ……
……ん?エリノラ姉さん、さっきまで手ぶらだったよな?いつのまに木剣を……
「ってあぶな!」
「ちっ!」
その瞬間、全細胞が警鐘を鳴らし、過去一の速度でバックステップをやり遂げる。すると、さっきまで俺の首があったところを木剣が撫で、空気が切れる音がする。
やばい、ヤル気だ。
俺は全身に身体強化を張り、全速力でエリノラ姉さんから遠ざかる。するとコンマ遅れで背後から爆発音が聞こえ、エリノラ姉さんの気配がすぐ後ろに迫ってきた。
無意識で背中にシールドを作ると同時にシールドが割られるのを感じる。だが、その一瞬で自分の服を前方に引っ張り、遅れるように自分の体が前に吹っ飛ぶ。
「ちょっと!かわいい弟になにすんのさ!」
「だったら秘密にしている魔法を見せなさい!」
……なるほど、転移の現場をおさえるのではなく、命の危機に瀕した俺が魔法を使うように仕向けているというわけだ。
あきれるほどにエリノラ姉さんらしい作戦だが、こっちはたまったもんじゃない。どうやってもエリノラ姉さんの前で魔法を使うつもりはないが、かといって痛い思いをするのも嫌だ。
で、あれば……
「絶対に逃げ切る!」
「ひねりつぶしてあげるわ!」
……さすがに憂さ晴らしではないよね?
さて、とりあえずは魔法で応戦するわけだけど、さすがに屋敷の中で火や水や土魔法を使うつもりはない。ということで。
「脱出!」
「待ちなさい!」
窓を開けて外に自分の体を放り込み、シールドで屋敷の外、空中を走る。
負けじとエリノラ姉さんも追いかけてくるが、既にそこにあったシールドは消えている。あわれエリノラ姉さんは雪の積もった中庭に……
「はっ!!!」
落ちることはなかった。エリノラ姉さんが下方向に木剣を振り下ろすと、衝撃波でその体が浮かびあがり、俺の動きについてくる。
さらに放った剣戟が俺が立っているシールドを粉々に打ち砕く。
まさか空中機動力も確保してきているとは……
シールドでの空中歩行が相手に意味をなさないとわかった今、不安定な空中にとどまる理由はない。俺は足元からの衝撃波に吹き飛ばされ、風魔法を発動しながらも不格好に地面に落ちる。僅かに遅れて、エリノラ姉さんが雪の中に音もなく着地した。
「さあ、観念しなさい。かくれんぼも追いかけっこも終わりよ。弟なら大人しく姉に服従しなさい」
獰猛な笑みを浮かべながら、声色だけは優しく諭してくる。
木剣を一振りすると、周囲の雪が吹き飛ばされた。雪の中に埋まっていた自分の足が露出し、膝の震えを相手に晒す。
ここまでの威圧は久しぶりだ。手のひらにもびっしりと汗をかいてるし、背中なんて真夏を思わせるようだ。
このまま、屈してしまいたくなる。
……だけど突然、震えがピタリと止まった。
思わず見下ろすと、俺の足は震えることなく、地面を踏みしめ、逃げようとしていたつま先はエリノラ姉さんに向かっていた。
──前世の知識で、パニックから冷静な思考を取り戻すのに90秒かかる……と聞いたことがある。脳の偏桃体が感情や情報を処理するのにそれだけかかるそうだ。
まだエリノラ姉さんに襲われて数秒もたっていないが、今の俺はパニック状態でも、恐怖に陥っているわけでもなく、ひどく冷静だった。
「……いい加減にしてよ」
思わず口から零れた言葉がエリノラ姉さんの表情をゆがませる。
さっきの言葉が逆鱗にでも触れたのだろうか。いや、おそらく頭のどこかで理解していたのだろう。そのうちあの姉がしびれを切らして襲い掛かってくることを。
そして、朝も昼も夜も、食事中も休憩中も就寝中も……常に監視されている中で、きっと俺は心のどこかで、その度に考えていたのだろう。
「さすがの俺でも我慢の限界だよ。これ以上は許さない」
「……許さなかったら、どうするの?」
「これ以上は……」
今日、エリノラ姉さんと顔を合わせたとき、反射的に考えたことがある。
どうやって逃げようだとか、どうやってごまかそうだとか、それよりももっと前の⓪の解決方法。
きっと、これが一番簡単な方法なのだろう。
「少しは痛い目を見てもらうからね」
「かかってきなさい」
その日、俺は初めてエリノラに反抗した。
すぐに戻ります。