ナギの大団円〜乙女ゲームに転移した女子高生は、推しに飼われながら大団円エンドを目指したい〜 作:どくはら
「くふっ、ふ、ふふふ……っ」
またしても、笑い声が聞こえてきた。
ヤタの方に向き直る。そこには、体をくの字に曲げてめちゃくちゃ笑いを堪えている黒幕系イケメンがいた。
「いやあ、凪ちゃんは実際におもろいもん見せてくれるから説得力がちゃうなあ」
「えーっと、それはつまり、残ってくれるってこと……?」
「おもんないと思ったらすぐ出てくから、せいぜい僕を飽きさせんようにしてな?」
「っしゃー! ひょわっ!?」
ガッツポーズをした直後、べしんという音とともにまた建物が振動した。
ヤタのことを警戒していたのか、三つ編みコールから一分も経たずに辰が顔を出した。こんな短時間に何度も呼び出されると、忠誠萌えより可哀想という気持ちが先立ってくる。
「何用で?」
「それの住む場所を適当に見繕え」
「おっ、わざわざ住むところを用意してくれるんです? さすが頭目さん、太っ腹やなあ」
「勝手に寝床を作られたら不愉快だからな」
そう言いながら、推しはさっさと出て行けと言わんばかりにシッシッと手を振る。
それを見た辰が不思議そうな顔をしている。わたしが来る前に推しと辰の間でどういうやりとりがあったかわからないけど、最初は会う気すらなかったのは辰の言葉で察せられる。それが急に住む場所を見繕えなんだから、首の一つや二つ傾げたくもなるだろう。しかも推しは露骨にヤタのことを煙たがっているし。
「承知しました。では西からのお方、どうぞこちらへ」
でも、そこはできる右腕。推しに言及はせず、ヤタに向かって恭しく声をかける。ヤタも幻術がきいている辰の前でちょっかいかけるのはよろしくないと思ったのか、素直に従った。
「それじゃあ凪ちゃん、また今度楽しゅうお話しよな」
「あ、うん、またね」
去り際、へらへらと笑うヤタが、ひらひらと手を振ってくる。それに手を振り返していると、二人が出て行った瞬間、首に三つ編みが絡みつき、後ろの方に引っ張られた。
いつの間にお面を外したのか、露わになったご尊顔に見下ろされる。
顔が良い……。何度見ても顔が良い……。
一瞬見惚れかけたけど、不機嫌そうな声がわたしを現実に引き戻す。
「不審者に尻尾を振るな、駄犬」
「不審者」
「あんな手妻師気取りの性悪烏が不審者以外のなんだというんだ」
「否定できない……」
「従順なのは犬の美徳だが、お前は見境がなさすぎる。飼い犬なら飼い犬らしく、もう少し利口に振る舞え、この駄犬が」
「二回も駄犬って言われた……」
「は、事実だろう」
馬鹿にするような笑いとともに、推しの手がわたしの髪に触れた。イケメンしぐさにときめく暇もなく、今朝より少しだけ小さくなった犬耳ヘアーがぐいっと引っ張られる。さすがにむしり取るとかそういうレベルじゃないけど、遠慮がないからそれなりに痛い。
「いたたっ」
「烏の臭いだけでも不愉快極まりないというのに、その上妖火の気までつけて帰ってくるんだからな。お前が色気と無縁でなければ、体に直接躾けてやるところだ」
「えっ、なんで」
「
そう言って、推しはもう一度、今度はさっきより強くわたしの髪を引っ張った。
だから辰は娟に髪を切ってもらえって言ったり、珊を部屋によこしたりしたのか……。
そう納得する一方で、冷や汗を流しながら推しがやけに不機嫌だった理由も察する。推し視点だと、わたしは危険人物のにおいや火の玉の妖気を姉妹の匂いでごまかそうとしていたってことになるもんね。そりゃあおこにもなりますわ。
「お前への処罰はあとで考えるとして。報告を怠った辰の奴にも灸を据えてやらんとな」
「ちぇ、辰さんは悪くないです! わたしが黙っててくださいってお願いしたの!」
慌てて声を荒げるけど、推しはそんなわたしをハッと鼻で笑った。
「俺の右腕に命令とは、お前も随分と偉くなったものだな?」
「め、命令したつもりは……。ただ、小龍さまの耳に入ったら狐鍋と狸鍋ができかねないので……髪が焦げたくらいでそれはやりすぎだなあと凪ちゃん思うわけで……」
「……まさかお前、またあの妖狐と妖狸に絡まれたのか?」
「覚えてるの!?!?」
「喧しい。時間を考えろ」
普通に怒られた……。
まっとうなお言葉だけど、倫理観に乏しい男に言われるとなんだか釈然としない。
「いや、だってまさか、天下の回礼の頭目様があんなチンピラ妖怪のことを覚えてるなんて思わないじゃないですか。そりゃあびっくりしますよ。っていうかなんで覚えてるんですか?」
「あの日はキャンキャン煩い仔犬を拾ったからな。他の日よりは印象に残っている」
「もっと有意義なこと覚えてましょうよ~!」
絶対にわからないと思ったから狐だの狸だの軽々しく口にしたのに、まさか普通に覚えていたなんて。冷や汗を流しながら推しの方を見れば、あいつらどうしてくれようか、みたいな顔をしていた。
まずいまずいまずい。このままだと本当に狐鍋と狸鍋ができてしまう。
「鍋はやめましょうよ、鍋は。おいしくないですって! せめて半殺しにしましょう!」
「半殺しはいいのか」
「だってあいつら、可愛い女の子に絡んでたし……」
「……よくもまあ、躾けられている最中に他の奴の話ができたものだな」
苛立ちを隠さない声とともに、空気がひりついたものになる。
気づいた時には、再び推しに組み敷かれていた。紫色の目が不機嫌そうに細められている。
「よその畜生に噛みつく程度のやんちゃは許してやるが、俺以外の者のために身を挺するなど許せたものではないし、わざわざ懐に凶鳥を招き入れるなど論外だ。俺の犬であるうちは、もっとその身を丁重に扱え」
「そ、粗末にしてるつもりはないんですけど……」
「は、だろうな。何しろ、我が身可愛さに烏丸小夜を売るくらいだ。駄犬にも駄犬なりの打算と生存欲求があることくらいは俺も把握している」
「――――」
「だが、お前は根深いところで自分を蔑ろにしている。理由などどうでもいいが、俺の所有物が軽んじられるのは不愉快だ。その悪癖は早急に直せ」
「――――……」
「返事は?」
威圧的な声に合わせて、首に絡んでいた三つ編みに顔を上げさせられる。奥底まで射抜いてくるような紫色の眼差しに耐えきれず、わたしは何も言えずに視線だけを逸らした。
……それから、どれくらいの時間が経ったか。
長い時間を錯覚するような沈黙の後、呆れたようなため息が降ってきた。しゅるりと、首に絡まっていた三つ編みがほどけて、わたしに覆いかぶさっていた大きな体が離れる。
「もういい。俺が許すまで、お前は外出禁止だ。出迎えもいらん。飯は姉妹に用意させてやるから、部屋に引きこもっていろ。一応言っておくが、烏が来ても部屋に入れるなよ?」
「……」
「仔犬」
「は、はいっ」
冷たい声に追い立てられるまま、わたしは慌ててベッドから降りてドアへと向かう。
ノブに手を伸ばす直前、おずおずと推しの方を振り返る。推しはわたしのことなんて知らないと言わんばかりに、不機嫌そうな横顔で窓の外を眺めていた。失礼しますの一言さえ喉でつっかえてしまい、結局何も言わずに部屋を後にした。