大学生の男が酒の魚になる話。

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酒の魚になる話

 海を泳ぐ魚ってのがいるだろう、マグロなんかがそうだな。

 川を泳ぐ魚ってのもいる、アユなんかがそれだな。ニジマス釣りとかしたことないか? 

 

 じゃあ、酒を泳ぐ魚ってのは知らねぇか? 

 

 十年来の友人が唐突に変なことを抜かすものだから、僕は妙な形に顔を歪ませた。

 あまり冗談を言わないようなやつだったから、なかなか面白い事を言えるようになったなと新鮮な気持ちになる。

 

 部屋の中には空き缶が四本、三度グラスは空になった。

 つまみはポテチと手製のあじのなめろうが無くなり、コンビニのさきいかの封を先程開けたところだ。

 

 酒の場であっても別に特段面白いというようなこともないんだけれど、普段から堅物の奴が言うと対して面白くもない話でもいやに笑える。

 酒を魚が泳げるわけなんぞないんだから、いやはや馬鹿なことをいうものだと軽快に笑い飛ばして終わりになる話だ。

 

 深刻な表情でもう一度、酒を泳ぐ魚って知らねぇか? と聞いてくる姿を見るに、悪酔いってわけじゃないのだろう。

 

 少し真剣に聞いてやると、酒蔵の友人が最近樽の中に魚が泳いでいるという話があるんだと言ってきたらしい。

 あのタンクの中に魚なんぞが勝手に入るはずもなく、誰かが入れたというのも酒蔵の警備を考えると厳しいものがある。

 

 魚も選り好みがあるのか、一等良いところにだけ現れるのだという。水面に姿は現さず、僅かに何かが動いているような水の流れが確かに"いる"と思わせるのだと。

 

 馬鹿らしい。酒の場の冗談か何かを本気にしているのだろう。

 タンクの中に魚がいるのだとして、その酒を出荷するときにタンクを空にするのだからいるかどうかは分かるだろうし、それがないのだから作り話に決まっている。

 

 だが、そいつ本人も見たことはないし、その友人の叔父が最近失踪したという話が付け加えられると、面白い与太話になってきた。

 

 なんだ、もしかしてその叔父が魚になったってんじゃないだろうな。人が魚になるなんてそんな馬鹿な話があるものかよ。

 

 そう言うと、まだ何か気にかかるような顔をしながら、酒をまた飲み始めた。

 

「でもよぉ、そいつ言ってたんだぜ。酒造りの間じゃ、酒に取りつかれたような奴は最後に魚になるんだとかいう話があるんだとよ」

 

 それなんじゃないかと思って不安なんだとわめくやつは、確かに何か憑かれたように毎日酒を飲んだくれてるようなろくでなしだった。

 不安になるのも分かるが、そんな与太を信じて苦しむようじゃあ酒も終わりにした方が良いなと言い、煙草に火を点けた。

 

 恨むような顔でグラスに残った酒を飲み干し、そいつも煙草を吸い始めた。

 

 曰く、魚が棲む酒樽で作った酒は旨くなる。

 曰く、魚は酒樽の間を自在に移動する。

 

 話しているうちにやつが何が言いたいかだんだんわかってきた。

 つまるところ、この魚が入った酒を飲んだら旨いんじゃないのかってことだ。

 

 呆れた酒飲み根性に一笑すると、何がおかしいのか分からないと言ったつらで口を曲げる様に更に笑いが込み上げてきた。

 

 いや、悪い悪いと片手をあげて謝ると、今度その酒蔵に行くのだという。

 それを聞いて馬鹿笑いをしたら、腹を立てたやつは灰皿に煙草を押し付けて出て行ってしまった。

 

 そんなこと言いやがって、旨い酒があったってやらないぞと言いながら行く姿に暫く笑ったところで気づいた。

 片付けは僕が総取りか、と。

 

 

 

 それからしばらくして、やつは行方不明になった。

 メッセージアプリの返信が数週間なく、大学にも来ていなかったので共通の知人に確認をとったがそいつも知らなかった。

 

 人伝いに酒蔵の友人とやらに会って聞いてみたら、確かにやつは蔵には来ていたみたいで。

 僕もここまで来ると気になって、そこで何があったのか話を聞くことにした。

 

 やつは、蔵にきて噂の酒樽を覗いてみることにした。

 梯子を上り、そこで不思議なことを抜かした。

 

「魚だ、魚が泳いでいる」

 

 はぁ? と奴を押しのけてそのタンクを覗いてみたが、さっぱり泳いでいる魚なんかは見当たらない。

 何も見えないぞとやつに言う。

 

「そんなはずはない、絶対に魚はいた」

 

 そう言ってやつがもう一度タンクを覗くと、何かぶつぶつ喚きながらそのまま外に出て行った。

 

 それがやつを見た最後だっつうんだから、どうしたものか。

 ホラー小説だってもう少し出来がいいものだぜ、ほんと。

 

 その話を聞いて、僕は何か直感のようなもので悟った。

 

 あぁ、やつは魚になってしまったんだ。

 

 そう感じた僕は、それ以来彼を探すことは無かった。

 単なるイチ失踪事件として片づけられ、大して話題にもならずにやつは消えてしまった。

 

 それから数年経っても、家で日本酒を飲むたびにやつを思い出す。

 何がやつを魚にしたのか、それからどうなったのか、何も分からないままだ。

 

 だが、少し思う所があった。

 酒が人を魚に変えてしまうんじゃないか。僕らがただ飲んでいる酒が、人を逆に飲み干した時に人間は魚になるんじゃないだろうか。

 

 酒を飲んでも吞まれるな、なんて言葉があるけども。

 酒飲みにとっては、吞まれてしまった方がきっと幸せなのかねぇ。


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