奴隷迎合 - The Servant above Slaves   作:紙谷米英

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奴隷迎合【10】

【10】

 

 三日間。ブリジットが中東を発つまでに、俺が彼女に訓練を施せる制限時間だ。親父の権力で臨時の選抜訓練が催されたところで、彼女が試験パス出来なければ意味がない。協力を引き受けた以上は、先達として試験対策に付き合ってやるのが筋であろう。

 幸い、臨時選抜で課せられる試練の概要は報されていた。正規のSAS選抜なら半年は掛かる課程を僅かひと月で履修する為、社会情勢や言語修得の座学は切り捨てられる。作戦地を砂漠に限定するので、ジャングルや極地を想定した範囲も除外される。彼女に要求される技能は近接戦闘・市街戦・小火器の扱いで、専門部隊並みの通信やナビゲーション能力に日程を割く余裕はない。とどのつまり、この訓練は純然たるテロリスト殲滅レディを即席で養成する穴だらけの計画であり、ブリジットは女性参画による軍の予算拡張を目的とした体のいい実験台にされたのだ。他人の恋人を何だと思っていやがる。

 心の療養を名目にしたブリジット専属教官の日々は、一夜漬けに等しい七二時間であった。早朝かブリジットと基地内を数キロ走り、休みなしに銃を撃たせる。大量の食事を摂らせたらすぐに射撃場に戻り、再び何千発も鋼板のヒトガタを攻撃させる。徹底した反復演習で、敵味方の識別と無意識の迎撃を修めさせた。

「ぶち込むのは常に二発以上、出来れば四発やれ!」

「弾を無駄にするな、持てるだけしかないんだ!」

「頭なんか狙うな!真ん中に中(あ)てれば殺せる!」

 自分の脳が悲観に沈む隙を与えない為に、一日を通してがなった。今ここでブリジットに達成出来ない課題を出せば……それとも、事故で骨の一本でも折れば、自殺めいた望みを断てるのではないか。確かに、そういった囁きに揺れもした。悲しいかな暗い目論みは、土にまみれて銃を握る彼女への見込みに、居場所を奪われた。上層部のモルモットに過ぎないが、ブリジットは連隊に必要とされている。過程はどうあれ、彼女は特殊部隊の一員を、連隊への加入を志した。俺により近い場所まで、歩み寄ろうとしてくれた。

「不必要に身を乗り出すな!弾倉の交換には仲間の掩護を頼れ!」

「五月蝿いだけの脳が急かしたって焦るな!お前の方が敵より早い!」

「弾の残りなんか考えるな!どうせ憶えてる余裕はない!」

 怒声を張り上げてブリジットの生存確率が上がるなら、喉が涸れるのなんか屁でもなかった。時たま通り掛かる米兵からは、奇異の視線を向けられる。日が沈んでからもNVG(暗視装置)を装備しての射撃訓練を続け、ブリジットの銃は何度も整備に分解された。

「装備はこっちが勝ってる!落ち着いて狙え!」

「走ってるやつは後回しだ!恐らく向こうの弾も中らん!」

「敵はプロかも知れない。だが連隊には劣る!」

 深夜に二人揃って泥の如く眠り、日の出と共に肉体をいじめ抜く。CQB(近接戦闘)訓練用の家屋で、埃だらけになって駆けずり回るブリジットに、何度も涙を零しそうになった。何だって、こんな良い子が俺を慕ってくれたんだ。

「速くやろうなんて考えるな!つっかえなければ問題ない!」

「パニクったらお陀仏なのは敵も同じだ!猛攻で戦意を挫け!」

「いいぞ、最高に人殺しの顔だ!」

 食事の時間とて、無駄には出来なかった。奇跡の脳内麻薬――アドレナリンが副腎髄質から爆発的に分泌されると、人体にどういった現象が起こりうるかを仔細に説いた。個人差はあるが、極度の緊張は集中力の低下・時間感覚の喪失・視野の狭窄・大小失禁など、戦闘におけるデメリットが続出する。過剰なカンフル剤の摂取は害悪でしかない。逆に、適量のアドレナリンは認知能力の上昇・運動機能の活性化をもたらす。天然の増強剤は肉体に多大なストレスを掛けるが、文明と引き替えに退化した生存本能を底上げしてくれる。金メダリストの常連でもなければ、ホルモン分泌を司る交感神経系の制御は叶わない。それでも、極限の状況下で心身に何が起こるかを事前に聞きかじれば、律動的な思考を放り出すリスクを減じられる。口惜しい事に、用兵において真に貴ばれる要項の数々は、士官学校の大事なカリキュラムを割くに値しないらしい。兵を導く将校がその兵の人心を知らずして、どうして勝利を確約出来ようか。どんぱちの最中で老兵がうんこを垂らしたって、恥ずかしい事ではない。生き延びれば、次は水洗トイレで用を足せる。死体は下着を洗濯する権利さえない。

「お前の敵は連隊の敵だ!仲間を殺させるな!」

「撃たれてもすぐには死なない!這ってでも逆襲しろ!」

「負傷したって、味方がすぐ助けに来る!……スタン、お前自分より小さい女に殺されたぞ!」

 午後からは暇そうにしていた小隊に声を掛け、ペイント弾を使用する模擬戦を行わせた。連中は疲労から渋ったが、需品科の兵站部で仕入れたビールをちらつかせると飛び付いてきた。

 この業界ではお馴染み〈シムニション〉の訓練用ペイント弾の威力は、実弾には遠く及ばない。とはいえ、実際に銃弾が全身をどつく感覚は知っておいた方がいい。いざ戦場で撃たれた時には、次の命中弾が襲い来る前に射線から身を隠す必要がある。この退避動作を反射で行える様になったら、そいつは大量の名誉負傷章を見せびらかすだけで老後を送れる。訓練が辛いだけ、実戦は容易になる。一時の痛みが、明日の我が身を救うのだ。

 ただ計算違いだったのが、訓練兵ブリジットのど根性である。クラプトン兵卒は無数の被弾に屈せず立ち上がり、全身真っ青になりながら照準器に敵を捉え続けた。そして時間は彼女に味方し、執拗な反撃に耐えかねた仮想敵の同僚らは遂に痛みに降伏した。ブリジットの人外じみた執念が、打たれ弱い獅子を下した瞬間だ。どうした特殊部隊!一部始終を観ていたニーナが敗北者を椅子に縛り付け、噴射するビールでのインク洗浄なる懲罰が行われる。受刑者の一人が、発泡麦汁で溺れる感覚によがっていた。英国は変態まみれだ、救いようがない。

 二日目を終える時点で、ブリジットはライフルマンならぬライフルメイドへ完成しつつあった。屋内の掃討手順と立ち位置を憶え、移動しながらの射撃も十分な練度に達した。彼女が強くなる分、俺の人の心がすり減った。仲間のいびきが響く兵舎のベッドで嗚咽を漏らすまいと枕を噛んだ。

 三日目は戦闘訓練も程々に、無線通信での規則や味方との意思疎通の教練に費やした。作戦地で孤立した際に備え、付近を航行する友軍機へ救援を要請する手順を教え、古い車を盗んでエンジンを無理くり掛ける蛮行も伝授した。もっとも、これはSAS加入のずっと前に仕込まれた技能であったが。

 SAS選抜訓練における最大の関門は、気候の移り変わる大自然を相手取った長距離行軍だ。部隊創設から訓練課程の変更は度々あれど、この強行軍だけは変わらない。通称『ファン・ダンス』。本気で連隊を志す兵士に、この儀式を知らぬ者はいない。平たく言うと、時間内に決められた経路を踏破すればいいだけなのだが、この試練から帰らなかった者も多い。屈強な兵士を屠るファン・ダンスの実態は、雄大な自然との一騎打ちだ。刻々と気候の変化する険しい山野を、背嚢だけで二十キロは下らない装備を身に着けて歩く。高所の強風に身をこごめ、指定された複数の中継地点で将校に挨拶して周る。それも、複雑な山岳地図を読み解きながら。オフィスでコーヒーを啜っている限り、およそ要求されない技能のオンパレードだ。かてて加えてこれが月のない夜間にも行われるのだから、そりゃあ死人だって出る。かつて選抜訓練で命を落とした兵士が、霧の夜に合格の証であるベレー帽を求めて彷徨うという噂も、安易に否定出来ない。

 そういう訳で私物のラップトップで〈Googleアース〉を開き、左脇にブリジットを控えさせて経路の予測と注意箇所の確認を行った。訓練地に指名される山野は幾つか挙げられるが、十中八九ウェールズ南部のブレコン・ビーコンズ自然公園があてがわれる(ファン・ダンスの名は当地の最高峰『ペン・イ・ファン』から来ている)。主要な三角点を押さえ、紛失に備えて予備の地図を持ち、山の斜面を垂直に登らず遠回りしてでも緩やかな箇所を探せとの講釈を、ブリジットは整然とノートに綴った。

 頭脳労働のストレス解消に射撃で筋肉を解させていると、弾倉を交換するブリジットが問い掛けてきた。

「ヒルバート様は、何を兵士の仕事を捉えられてます?」

 特殊部隊に何を問うと思えば、甚だ愚問であった。

「三つある。歩いて、耐えて、寝て……それから考えない事だ」

 テロリストから鹵獲したAK47を再び構え、ブリジットは眼を細めた。

「じゃあ、簡単ですね」

 何処の国でも、兵士に向かない人種というのがいる。言われた命令にだけ従っていればいいのに、勝手に四つ目の課題を作ってしまうやつらだ。目の前の特殊部隊候補生の背中が、この数日で急に大きくなった。

 

 走って、撃って、怒鳴って、食って、聞かせて、寝て、また走って……。そうして、付け焼き刃を磨く三日間が終わった。早朝、ブリジットはダニエルと俺の見送りで砂漠の滑走路を発つ。舎弟を伴ったのは、阻止機構としての苦肉の策だ。甲斐性なしが恋人を引き止めるかもしれない暴挙に及んだら、ダニーが身を挺して俺に組み付いてくれる。本当は母国の恋人に抱き付きたいだろうに。

 雑多な積み荷を満載する輸送機が発つ直前、ダニエルに少し離れた所で待って貰い、ブリジットと二人きりになる時間を設けた。感情を殺すのに必死で何を言ったか定かでないが、最後に彼女が頬にキスをして「一人でしちゃ駄目ですよ」なんて囁く。反論に喉が音を結ぶのを待たずして、教え子は輸送機のタラップの奥へ消えていった。

 翼下に備える四基のターボプロップ・エンジンを唸らせ、柔らかな輪郭のハーキュリーズが悠然と滑走路を離れる。恋人を乗せた輸送機が晴天に呑み込まれ、一秒毎に俺との繋がりが弱まる。輸送機の尻が八倍率の双眼鏡から失せるのを見届け、舎弟に先立って兵舎へと踵を返す。

「早く戻ろう。ここは眼が乾く」

 背を向けてわざとらしく点眼液を注し、左手で顔を覆う。もう一言も発せなかった。極端な早足で帰路に就く小隊長に、ダニーが距離を空けて着いてくる。唇を噛み締めると、指の隙間から人間らしい感情が漏れた。

 

 そこからの一箇月は仲間曰く、気質の荒いボケ老人の介護がD中隊の任務に加えられたらしい。クラプトン小隊長殿は常に血走った眼で射撃に没頭し、高濃度のアルコールを摂取しても寝付けず、深夜に仲間が寝静まった兵舎を抜けて走り回っているのを兄弟に連れ戻された。次男の病状を深刻と判じた親父はヘリフォードの連隊本部から軍医のベンを召喚し、昏倒するレベルの睡眠薬が夜間の馬鹿息子に投与された。これが老害への対処か。

 そんな始末であったから、俺は現地軍を訓練する任を解かれ、起きている間はカウンセリングを受け、先の作戦でトラウマを負った同胞と傷の舐め合いに従事していた。その場の誰もが他者を責めず、示し合わせた様に上層部への不審を言葉にしなかった。ただ、疑念に怯える視線が全てを物語っていた。士官として緊張の緩和に助力したくとも、不用意な発言は厳禁であった。現状、水面下で動く上層部の企図は知れず、連隊内部で根も葉もない憶測が飛び交う。迷えば兵士は駄目になる。そこに来て小隊長が躁鬱に喚くのだから、これ以上の負債は抱えられない。

 先の貨物船襲撃での殉死者の家族から、続々と訃報への返事が部隊に届いた。生き残った仲間は彼らの不条理な死を追想し、涙も流せずに困惑の無表情を貫いた。彼らの当惑と時を同じく、D戦闘中隊に補充要員が配属された。本国が我々に寄越したのは新米隊員ばかりで、左右はおろか自分自身も見えていない具合であった。にもかかわらず、特殊部隊としての日が浅い彼らは、先任の兵士に漂う違和感を察していた。ここはもう、かつてのベトナム戦線と変わりない。

 

 ブリジットの選抜訓練が本国で始まって、二週間が経過した。クラプトン兵卒の訓練進捗を告げる本部からの通達が、六通目に達する。写真の一枚もない書面を一目してシュレッダーへ放り込み、コピー用紙の千切りを灰皿へ空けて火を放つ。空に舞った指先大の紙片が、目の前で燃え尽きた。燃えさしを兵舎のすぐ外の砂に混ぜ、整備を済ませたC8カービンをたすき掛けした。月が雲に隠れており、NVG(暗視装置)なしには基地から一歩も出られないだろう。

「ボス!忘れ物か!」

 ランドローバーの運転席から、フル装備のダニーが叫ぶ。こんなに格好悪い不良士官を、あの弟子はまだ慕ってくれていた。

「歳を取ると小便が近くてしょうがない。その点、砂漠はいいよな。見渡す限り便所だ」

「ああ。砂漠の主成分って知ってるか?ラクダとヤギのうんちだよ」

「そこにテロリストの干物も入れとけ。抜群の肥料として売れるぞ」

 紳士らしい気品を漂わせ、ダニーの車輌の助手席へ尻を埋める。これから丸二週間、第一六小隊は再びテロリストの遊撃任務に砂漠を奔走する。小隊がキング・ハリドへ戻る頃には、選抜訓練を突破した教え子が中東へ戻ってくる手筈だ。高出力のエンジンが始動に唸り、前方偵察を受け持つ四台のバギーが検問を通過した。ダニーがアクセルを踏み込むのと一緒に、PTTスイッチに掛けた指に力を込める。

「アルファ・ワンより全部署へ告ぐ。これより、敵情偵察及び、遊撃任務へ出立する」

〈了解、全アルファの出立を許可する〉

 生理でもないのに機嫌の悪いシェスカの応答を合図に、全隊員がNVGの電源を入れる。ランドローバーのタイヤが地を掻き鳴らし、濛々たる砂煙を巻き上げた。急発進した四輪駆動の戦闘車輌が、前を行く偵察バギーの後を追う。攻撃車輌の車列が事故を起こすぎりぎりの速度で走り、後方で軍事都市が地平線の下へ沈んだ。そろそろ頃合いだろう。

「全アルファへ告ぐ、以後十分間、小隊を無政府状態とする」

 荒唐無稽な言を発し、小隊の全員が仲間内で取り決めた周波数へと切り替える。上層部の裏をかこうなどと、高等な目論みはない。我々には、懸念や愚痴を吐き散らす場所が必要だった。情報統制が敷かれた軍事都市を任務で離れる間、少しばかりのガス抜きを禁ずる規範はない。

 作戦用の無線に、仕事と無関係の汚い単語が飛び交った。ブレナン中将への中傷。貧弱な官給品への悪態。不味い食事を理由にした労働組合結成。シェスカのおっぱいに話題が及ぶと、普段から物静かなショーンがむきになってスピーカーを震わせた。新入りが呆然とするのを歯牙にも掛けず、小隊は貴重な六百秒で二週間分の鬱憤を精算した。俺は小隊の暴動には加わらず、早々に周波数を作戦用のチャンネルに戻した。通信が途切れた件に関して、作戦本部の追求はなかった。軍歴の長いシェスカはこの道のプロであり、事情を察していた。もっとも、砂漠のど真ん中で自分のおっぱいの姿形が論じられていると知れれば、その限りではないだろうが。優等生ぶった物言いで本部との通信を終了し、助手席に設置された機関銃に頬杖を突く。我が身の破滅なんぞ頭の隅にもなく、新たな教え子の安否だけが気掛かりであった。

 

 払暁を前に、車輌の隠蔽に都合の良い自然物を探しに掛かる。偵察バギーを駆るオスカーが、左右を深い渓谷に挟まれたワジ(涸れ川)を発見し、他の住人の痕跡がないのを確かめる。干上がった河床は常に日陰があり、明け方の時分では寒いくらいだ。急激な豪雨の気配はなく、家畜が産み落とした糞の臭いもしない。満場一致で、その日の宿が決まった。

 車輌に偽装を施して寝床を設け、一時的な便所を掘るのに十五分と掛からなかった。最初の見張り二人を選定して一眠りすると、夢も見ない内に時分の見張り番が回ってきた。寝床から偽装ネットの外縁へ腹這いで移動し、双眼鏡を構える。昼間の太陽が眼下の生命を拒絶し、乾燥した大地が見渡す限り続いている。動くものは何ひとつなく。夜はあった霧散していた。環境保護団体は嘘ばかり吹聴する。北京の大気が汚染され、ロンドンの川にヘドロが流れているのは事実だ。それでも、我々は青空なんか欲しくない。二一世紀の澄んだ空気の下に、平和な国などないのだから。

 ひと月前の遊撃任務と、何ら変わりはない。日中に双眼鏡の静止画を眺めて過ごし、夜間に敵が拠点を造りそうな場所の付近へ移動する。NVGの不鮮明な視界で車輌を走らせていると、本部が無人機による敵拠点の発見を報せる。晩を使って指定座標の付近まで移動し、敵と目と鼻の先で野営する。次の夜に勢力の規模を査定し、本部へ指示を仰いで更に一日待つ。この一日が要らない。そして大概、次の夜で敵拠点に襲撃を掛ける。死の危険を顧みず渇望した特殊部隊の生活に、興奮を抱けなくなっていた。作戦の秘匿性からブリジットの現状は通信で窺えず、見張りに就いていない時は睡眠薬で脳を黙らせた。

 夜になると、連隊の中で浮いた自覚はことさら強まった。寝過ぎで気だるい自分に反し、仲間の殺気立った空気に股間が萎縮した。誰もが陰謀論と姿の見えない敵を抱え込み、やり場を失った苛立ちがその血中を巡っている。任務と仲間の死を楯に、彼らは憂さ晴らしの矛先を求めていた。幸と見るべきか毎晩の仕事には事欠かず、作戦本部は特定済みの敵キャンプを我々に報せ続けた。

 テロリストにとって、日没は悪夢の顕現に等しかった。事前に得た情報を元に襲撃計画を構築し、攻撃車輌が砂漠の闇を疾走する。寝静まった敵地を四輪駆動の巨獣が取り囲み、ヴェストの合図で怒濤の攻撃が火蓋を切る。狙撃なんて穏やかなものではない。初めから車輌に搭載した重機関銃と擲弾発射器が火を噴き、キャンプ中央に駐まる改造トヨタが無惨な姿で宙を舞う。辺り一帯で悲鳴と嬌声が上がり、テントが爆風に炎上する。アッラーへの叫びが充満する光景に味方は悪態を垂らし、更なる蹂躙を展開した。

 襲撃から数分も経つと、敵キャンプは地球上から消え去っている。過去にテロリストが居住していた座標には、瓦礫と死体があるだけだ。怒気の冷めやらぬ味方が死体を不必要に追撃し、書類や情報端末の一切合財がランドローバーへ積み込まれた。用済みのテントと死体には火を放ち、寝床を求めて残骸を後にする。傭兵まがいの十字軍もかくや、ヒトが壊れかけた第一六小隊の通行後に、えせジハーディストは例外なく皆殺しとなった。謀略に殺された仲間の仇討ちと称した復讐が、彼らへ捧ぐ哀悼でなかったのは確かだ。

 任務を建前とした虐殺の二週間が終わり、連戦に汚れた車輌が軍事都市への帰路を辿る。道中を通して、新人らは初の実戦に興奮冷めやらぬ様子であった。古参連中の瞳に、光は戻らなかった。彼らは一〇〇に達する死体を捧げようと、失った戦友と心の平静が戻らない現実を悟った。小隊の大半が満身創痍に至り、数日前の俺みたいになっていた。ダニエルは不甲斐ない上司のお目付役を、変わらずに続けてくれた。可哀想な舎弟はハンドルで車輌の舵を取り、部隊運営のままならない小隊長の扱いに気を揉んでいた。事実、この遊撃任務の最終的な判断は、俺の兄と舎弟に懸かっていたとしても過言ではない。とにかく、基地へ戻ったらビールを小隊と支援部隊に奢り、積もる話を聴き回らねばなるまい。覇気を失ったベテランが、新人らの若気に勢力を取り戻す可能性だってある。

 夕暮れ時の基地は活気に溢れていた。何重もの検問の内側で米兵が腕立てに勤しみ、でっぷりとした坊主頭の伍長がよく分からない動物を丸焼きにしている。海賊版のDVDを売る現地民の屋台で、白人兵士が値切りに頭を下げていた。「ノーゥ!ユウハフトゥペエイ!」店番の子供は一歩も譲らず、持てる英語技能を総動員して値札を指差す。二ドル九九セント、買ってやれよそれくらい。和気藹々を体現する米軍の小集団を脇目に、マークの存在が恋しくなった。

 結局、この一箇月にマーク・ラッセル・ペイジの連隊加入は為されなかった。如何なる逆境にも耐えられる彼の忍耐――鈍感なだけかもしれないが――があれば、この内部離散の危機を乗り切る光明を見出せるやもしれないのに。

 マークは精神面のみならず、肉体も他に抜きん出た戦士であった。七・六二ミリ弾を使用する汎用機関銃を好み、アフガニスタンの急峻な山岳でも息ひとつ切らさぬ健康優良児だった。彼の機関銃が放つ弾幕は固定砲台と呼んで差し支えない密度で敵を圧倒し、所属するグリーンベレーでは『お喋りマシンガン』の二つ名で通っていた。補充要員に不足を感じる訳ではないが、心の拠り所を押し付けるのはお門違いであろう。ヒルバート・クラプトンは、いつだって女々しいのだ。

 ところがどっこい、今日からそんな暗澹たる日々とはおさらばだ。アメリカ様に間借りしている車庫へランドローバーとバギーを納めると、小隊の面々は各々のベッドで荷物の整理を始めた。俺は上層部に提出する書類仕事と報告を簡潔に片付け、その足で兵站部門へビールの催促に出撃する。敵から鹵獲したルーマニア製AK――ちょっとしたレア物だ――と引き替えに入手したビール籠を兵舎へ届けると、ちょっとした狂乱が起こった。ベッドで眠る隊員も一瞬で寝床を跳び下り、我先にと瓶詰めされた麦の恵みへ突っ込んでくる。興奮する気持ちは分かる。でも小隊の指揮官を突き飛ばして床に転がしたままっていうのは、よくないんじゃないかなあ。

 ビールを確保した連中は、綺麗に二つの派閥に分かれた。知性を捨てて騒ぎ立てる若造と、傷心の古参連中だ。適度なアルコールが会話を促し、多少なりとも彼らの精神が癒える事を祈った。空のビール籠を片付けてシャワーで身体を洗い流し、少しはましな姿になってから、俺も私物のドライジンをちびちびやる。時刻は十九時を回っていた。大事な荷物の到着予定が、二時間後に迫っていた。

 

 馬鹿騒ぎに興じた仲間は揃っていびきをかき、ダニエルを含めた顔馴染み連中もナメクジよろしく潰れていた。ショーンは自分のベッドで静かに寝息を立てている。その手に、マシューと肩を組んでいる写真が握られていた。ジェロームは……何であいつ全裸なの?急場凌ぎの措置として、やつが着ていたと思しき衣服を掛けてやり、股間を〈プレイボーイ〉で隠す。馬鹿野郎、凍えちまうぞ。

 床に散乱する酒瓶を蹴って音を立てぬ様に兵舎を抜け出し、車庫に駐められたランドローバー・ウルフの運転席に滑り込む。滞りなくエンジンが掛かり、ヘッドライトが夜の基地に灯る。付近を歩く影はなく、SASの借地一帯が静まりかえっていた。こいつは好都合と慎重に発進し、敷地南側の滑走路へ進路を取る。飲酒運転にはなるが、大荷物の迎車故に致し方なしである。憲兵さん見逃して。

 安全運転を心掛けつつ、襟を掴んで臭いを確かめる。戦闘服は洗濯済であるし、汗も流した。久々に合う好きな子に会うのだから、恥はかきたくい。下らない見栄に、間抜けな笑いが起こった。これから最も非道で陰惨な姿を晒すというのに、メッキを塗って身繕いとは。

 誘導灯が点々と灯る滑走路脇に車を駐め、使い込んだ双眼鏡を覗き込む。抜群の透明度のレンズには星々が輝くばかりで、輸送機の影は微塵もない。星見て涙する歳じゃないんだよ。

「早過ぎたかしら……」

 腕時計の針は通知された到着時刻、二一三〇時を指している。車内で待つ間に滑走路の警備兵に何度か誰何され、その度にIDカードを提示する羽目になった。おのれ新入りめ、少尉殿を待たせるとは何事か。そうでなくとも形式上とはいえ、あいつは俺のメイドだのに。普段は完璧なくせして、肝心な時に限って煩わせる。上空から航空機のエンジン音が襲来する毎に双眼鏡を構えたが、任務を終えた戦闘爆撃機をレンズに捉えては肩を落とした。

 退屈と逸りで暴れ出しそうになって三十分後、ようやく股間に響くターボファンの回転が轟いた。煮詰まった憤りに頭部が弾けそうになりながら、今度こそと双眼鏡を眼孔に引き付ける。歯軋りで視界が安定しなかったが、何とか機体の輪郭を捕捉する。ハーキュリーズにしては、随分とでかい影だ。恐らく、C-17グローブマスターだろう。巨鳥が滑走路に迫り、その図体からは不気味なまで滑らかな接地を見せて停止した。民間の航空機ではあり得ない手際で搭乗員が積み荷を降ろし、続いて英陸軍と見られる兵士が続々と地上へ降り立った。武器に欠陥まみれのSA80をぶらぶらさせている辺り、SASやSBS(特殊舟艇部隊)ではないらしい。三十人ほどの兵隊が列を成して、滑走路から移動してゆく。仲間同士で頻繁に会話している様子が散見されるから、機内で初めて顔を合わせたクチではないのだろう。

 そんなのはどうでもいい。降りてきたのがイギリス人でも火星人でも、こちとら関心なんぞからきしない。腹立たしく車の床に地団駄踏み、熱した血の冷却に車外へ飛び出す。と、英兵の最後尾に大分遅れて、小柄な人影がタラップを軽快に跳び降りる。幅が身体の二倍あるベルゲンを猫背気味に背負い、理想的なスタンスで滑走路を数歩行くと、グローブマスターの機内へ向けて大手を振った。可愛いというのは、時として罪だ。むさい男では誘えない油断が、あいつに掛かればちょっと口角を吊るだけだ。その彼女と、望遠レンズ越しに視線が合った。ほうら、ずるい。憤懣がすっかり失せてしまった。いかついライフルケースを片手に無邪気なものだ。空いている手でカービンを抱え、少女はこちらへ駆け寄ってくる。見て、すっごく良い笑顔!つくづく甘い自分に辟易したが、ともあれあの子はこちらの世界へ乗り込んできてくれた。今はその事実を快く受け入れ、ここに至るまでの努力を称賛してやるのが上官の責務だろう。

 だぶ付いた戦闘服はサイズの合ったものがあつらえられ、再三の洗濯で使用感が溢れている。そのくせやっぱり顔は日焼けせず、従順な微笑みを湛えたままだ。主人まであと三歩のところで彼女は姿勢を正し、社交界の令嬢もかくや、手慣れた所作で砂色のベレーを被り、見事な敬礼を披露する。

「お待たせ致しました。ブリジット・クラプトン上等兵、只今より第二二SAS連隊へ配属となります」

 形式なんざ知るものか。力の限り、愛しい新兵を抱き寄せる。真新しいベレー帽が、涙で揉みくちゃになった。

 

 

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