奴隷迎合 - The Servant above Slaves   作:紙谷米英

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奴隷迎合【11-4】

 情報将校の合図でスクリーンのアラビア半島が消え、次のスライドに切り替わる。途端に、屈強な兵士らの余裕が消え去った。イギリスきってのごろつきが揃って沈黙し、隣のダニエルが息を呑む音さえ聞こえる。投射された灰色のスラヴ人に、連隊の兵士が放心していた。

 背面から撮られた長身の男は、何処かを指差している。幅広の肩越しの顔が左半分しか見えないが、おぞましい冷酷さが静止画から這い出ている。画質は荒くとも、網膜にその容貌を焼き付けるには十分であった。類を見ない強圧に、英陸軍の最精鋭らがすくむ。士官の立場から明かせる訳もないが、俺も背筋が総毛立っていた。照明が落ちていたお陰で救われた。

 情報将校が大袈裟な咳払いをやり、不良達の意識が現へ戻る。恐怖の伝染を、情報戦のプロの知略が断った。それでも、狼狽を仕舞いきれない兵士が散見されるのは事実だ。場を取り持った情報将校が、レーザーの光芒を走らせる。

「ミハイル・ペトロヴィッチ・バザロフ。キエフ出身の五四歳。元KGBの武器商人で、先のマフディ・アフメドの武器発注先だ。ロシア正教を重んずる厳格な家庭に育ち、若くして陸軍士官の地位を得る。その後間もなくKGB第一総局へ異動し、西側へのサボタージュ(妨害工作)等の秘匿作戦に従事。冷戦期から我々を手こずらせていた訳だ。ソヴィエト連邦崩壊の直前に本国から失踪、KGB時代に築いたコネを元に地下組織を講じて、世界各地のテロリストに武器を卸す現在に至る。

 気質は極めて残忍で、息をするのと同じ感覚で人を殺す。神出鬼没で地球上の至る場所に現れ、軍事衛星が直上に到着する頃には雲隠れしている。直近では先月、やつの位置情報を受けてチェチェンに飛んだロシア軍のUAV(無人航空機)が、逆に地対空ミサイルで木っ端微塵にされた。真偽はどうあれ相当な身の固めようで、ロシア側も手を焼いている。

 本題に入ろう。諸君らD戦闘中隊は二手に分かれ、アフメドとバザロフ双方の捜索・監視任務に当たって貰う。航空小隊と機動小隊はアフメドを担当、山岳小隊と舟艇小隊がバザロフを追う。先行部隊として、SRS(特殊偵察連隊)とSFSG(特殊部隊支援群)が現地入りしている。先方当局との外交処理は手配済だ」

 無意識で手許の耐水メモにペンを走らせ、航空小隊に割り当てられた作戦地域の情報を書き殴る。古参の隊員はさておき、若い連中はバザロフ・ショックから立ち直れず、誰も筆記具を手に要点の記録を取れていない。彼らを無闇に責められはしない。雛の成長を待たなかったのは、他ならぬイギリスだ。イエメンの最新情勢は、各部隊長が咀嚼して部下に飲み下させる他にない。

 情報将校はボトルの水で喉を潤し、襟を正した。右の目尻が一瞬引きつったのを、俺は見逃せなかった。

「イエメン国境と沿岸部は、二四時間態勢の監視下にある。我々の目を盗んでサヌアを出る事は不可能だ。だが、バザロフは話が異なる。事態を複雑にしているのは、やつが旧ソ連領に根城を構えている点だ。冷戦終結を機にロシアは衰えたが、未練がましくも旧共産圏へ兵を配置している。諸君らの技量を以てしても、特殊部隊の潜入はリスクが高い。ロシア側の穏健派と密約を結べば事は進むが、当方の外務省はプーチンを前に及び腰だ。失礼、話がそれたな」

 苦々しい表情をひと撫でして、情報将校はビジネスの顔を取り繕った。もしサッチャー女傑が現役であれば、即座にCOBRA(コブラ:内閣府ブリーフィングルームAで催される臨時の危機管理委員会)を招集して、先方のアポなしに大部隊を空輸するだろうに。彼女の即断に狼狽えたり、尻込みといった愚行は許されない。俺が背広組の一人であれば、かの貴婦人が臆病風に吹かれた官僚の胸ぐらへ掴み掛かり、見事なチョークスリーパーを掛ける御姿が拝めただろう。「早く兵を出しなさい!」と。来世ではプロレスのヒール役など如何でしょうか。リングネームは『アイアン・マーガレット』で決まりだ。そんなの、SASだって失禁する。

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