奴隷迎合 - The Servant above Slaves   作:紙谷米英

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奴隷迎合【1】(改訂版)

【1】

 

二〇一一年七月某日 アラビア半島北部

 

 ネフド砂漠の夜更けの空は、雲ひとつなく澄み渡っていた。ビロードめいた群青色を背景に無数の星々が瞬き、手の届きそうなほど輪郭のくっきりした半月が、砂一面の荒涼たる地を照らしている。一陣の風が砂丘の谷間に吹き込み、粒の細かい砂が煙をくゆらせる。巻き上がる砂塵が小高い尾根を越えては、すうと尾を引いてたなびき、おぼろげな霞となってかき消える。

 砂漠が地球上で最も過酷な自然環境の代表格であるのは真実であり、ふとした折に幻想的な一面を垣間見せることもまた事実である。この乾ききった半島に千夜一夜物語が誕生し、今日まで連綿と語り継がれてきたのは、決して偶然ではない。

 とはいえ、聞き心地の良い伝記や説話は概して歴史の勝者が著すのが常である。輝かしい栄華は、それに先立つ後ろ暗い謀略あっての結果でしかない。裏を返せば、明確な記述のない行間には何かしら、民草へ開示したくない不都合が潜んでいる。英雄譚の栄光の裏にはそれと等しい、あるいはもっと底暗いな陰が共在する。だが、不都合な秘め事をあえて後世に残す道理はない。

 そんな史実の鼻つまみ者の一派がまたひとつ、この砂漠の夜闇に紛れ込んでいた。強化繊維のヘルメットを被る西洋人ふたりは、砂丘の稜線ぎりぎりに目線を据えて、じっと息を潜めていた。ひとりは顎幅が広く、高倍率の双眼鏡を通して稜線の先を睨んでいる。

「シエラ・ワンよりブラヴォー・ワンへ。感明度は?」

 双眼鏡を構える男が、顎先で揺れるマイクに囁く。その隣で相棒が、狙撃銃に装着した熱線映像《サーマル》スコープの接眼レンズに目を凝らしている。

 数秒遅れて、くぐもった男声の応答があった。

〈ブラヴォー・ワンよりシエラ・ワン。感明度は良好。目標に動きはあるか〉

「ネガティブ。三十分前と何も変わらない」

〈うちのボスは三十分前の状況なんか憶えてない。もっと具体的に頼みますよ〉

 ブラヴォー・ワンの口振りは不服そうではあっても、頭ごなしに咎めるものではなった。自分にはその資格がないという、遠慮が窺えた。

 顎の広い兵士は双眼鏡から目を離すと、狙撃手の肩を叩いて、状況報告の任を押しつけた。狙撃手は露骨にいやな顔をしたが、上官に頼られること自体はやぶさかではなかったので、ため息で拝命の意思を示した。

「シエラ・ツーが、目標について供述する」

 シエラなる二人組が見下ろす前方には、砂丘に囲まれた縦横百メートルほどの盆地が開けていた。盆地の中央には、長方形のテント八張が密集して設営されている。そこから少し距離を置いて、他より幾らか大きなテントがひとつ張られている。敷地の左端に目を向けると、幌張りのトラック二台と、荷台に機関銃を据えつけたSUV一台が駐まっている。複数の轍が、なだらかな上り坂を経て盆地の外へと延びている。その粗末な車回しが、砂漠と盆地を繋ぐ唯一の経路だった。坂を上がりきると、二本の鉄杭に太い鎖を渡しただけの検問が設けられており、"トーブ"と呼ばれるゆったりした装いの男ふたりが立っていた。

 狙撃手はスコープの倍率を落として盆地を見渡した。まったく同じ動作を、三十分前にも取っていた。電源駆動のスコープが、人間の熱特徴を白い影として捉える。狙撃手は熱源の数を勘定しながら、ヘッドセットのマイクを口元へ寄せた。

「……立哨は盆地の四隅にひとりずつと、検問所の両脇にふたり。前回の報告とおんなじだ。銃をペンダントみたいに胸の前で揺らしてる。呑気なもんだよ」

〈でも、武器はある訳だ。ちっちゃくなって棺に収まるボスを拝みたくなけりゃ、しっかり見張るんだな〉

 ブラヴォー・ワンの控えめな叱責に、シエラ・ツーこと狙撃手は苦笑した。

「分かってるよ。ヘマなんかしない」

〈そう願うよ。目標に動きがあったら、逐一報せてくれ。いいな?〉

 呆れと疲れの入り混じった声が通信が終了させると、狙撃手は銃を構えたまま肩をすくめた。

「いやはや、我らが"ボス"は手厳しいね」

 相棒の軽口に、双眼鏡の兵士は口角を上げた。

「そのボスに褒められたくて息巻いてるのさ。分かってやれ」

「面倒な職場だね。ここ以外に行くあてもないけど」

 狙撃手は一転して表情を引き締めると、盆地の監視に全神経を集中した。高価なスコープ越しの眼光が、あくびを欠いて鼻をほじる立哨に語りかけた。

「ちゃんと拝んでおけよ、間抜け。最後の鼻くそかもしれないからな」

 

 シエラの後方一キロメートルの地点、低木がまばらに生えた川床に、岩脈が落とす陰を隠れ蓑に、十四人の男が活動していた。周囲にそびえ立つ岩脈と砂丘が、彼らの存在を包み隠していた。地面と同色の偽装網を被った見張りが、高みに配置されていた。

 集落の中央は砂礫に覆われた低地で、いかめしい装甲車輌四台と、全地形対応型の四輪バギー(ATV)が円陣を組んでいた。車体はもれなく所々で砂色の塗装が剥げ落ち、ヘッドライトを分厚い布で覆われている。

 この男臭い集落だが、実はその誕生から二時間と経っていない。現代に適応した遊牧民と偽るには、男衆の外見はあまりにおっかなすぎた。全員が迷彩プリントの戦闘服に身を包み、杖の代わりに銃身を短く切り詰めたアサルトライフルを携えている。運び手に引き連れているのは痩せたヤギではなく、バッファローをも轢き殺せる〈ブッシュマスター〉の装甲兵員輸送車であった。

 男たちは互いに口汚く罵り合ったりせず、自分の作業に没頭していた。毛穴から紅茶とジャガイモの臭いを漂わせているので、英国紳士には違いない。対テロ任務を専門とする戦闘中隊の一部門というのが、この異邦人らの身上であった。

 

 二〇一〇年一二月十七日、チュニジア中部でひとりの若者が独裁政府への抗議に焼身自殺を図った事件を皮切りに、周辺地域で民主化を掲げる反政府運動が勃発した。後に"アラブの春"と称されるこの動乱はイスラム教圏全土に波及し、瞬く間にエジプトのムバラク政権を打倒した。結成間もないコミュニティが独裁国家に終焉をもたらしたことで、各国は軍事予算の再検討に追われた。

 ところが、この民主化運動を手放しに歓迎する声は少なかった。統制なき革命運動――自分たちの息の掛かっていない勢力による反乱は、従前のシステムを破壊する外部不経済でしかない。脚本にないハプニングはゲーム進行を阻害するばかりか、後の展開に悪影響を与える。

 反政府運動の活発化から間もなく、革命が偽りの三文芝居であったという諸外国の想定は的中した。現地の有力者や軍閥に、崩壊後の治世を正す意志はなかった。政治犯の多くは私財を国外へ移して地下に潜り、SNSの先導者は数多のテロリスト集団が権力の空白地帯を跋扈し、彼らの標榜するエゴを迎合しない人々を虐殺していた。先の対テロ戦争で衰弱したはずのアルカイダ系組織も、この混乱に乗じて勢力を拡大させた。"アラブの春"は、訪れた国々に死の氷雪を振り撒くだけの災厄と成り果てた。

 インターネットの普及により、無辜の市民なる概念は失われた。全ての国民は何らかの形でメディアに接しており、過激な表現を用いれば、彼らを国家が潜在的なテロリストとして監視する依拠となる。衆人環視での暗殺や殉教さえなく、数秒間のタイピングで暴動を煽れるのだから、これほど低リスクで懐に優しい大量破壊兵器が他にあるだろうか。唯一の欠点といえば、実際の威力が使用者をして未知数というくらいだろう。媒体次第で地球全土を射程に収める無形の生物兵器、それが情報である。

 危うくも安定していた支配の復旧、それを軽率に壊し続けるならず者の対処に、東西列強は不承不承ながら膝を突き合わせての交渉を迫られた。アメリカ主導の多国籍軍を組織する西側に対し、シリアを中心に傀儡政権を擁する東側も我関せずとはいられない。かくして、地球規模の外部不経済の緩和を本願とする代理戦争が開演する訳である。

 この不始末の参加国がひとつ、かつて七つの海を制したイギリスは、嫌われ者を演じるのに辟易していた。幸い、英雄の肩書きを手放したくないアメリカと、悪役であることがステータスのロシアが同じ次元に存在したので、女王の民は脇役に徹せられた。

 イギリスに、動乱を通じて経済圏を拡大する目論見はなかった。爆心地には旧ソ連製の武器が溢れ、暫定政府の機能不全も相まって、新規の販売契約は見込めない。アフリカ大陸への過干渉で火傷を負った経験から、英連邦が本件に積極的でないのは極めて自然な成り行きであった。

 UAE(アラブ首長国連邦)やドバイ、イエメンといった湾岸諸国の要人を救出し、パイプラインなどの重要インフラの警護を強化……これらの雑務を、イギリスはメディアの追求を避けつつ、しかもアメリカの機嫌を窺いながら用事を片付けなければならなかった。

 幸か不幸か、こうした荒事を十八番とする飲んだくれ騎士団が、ウェールズ近郊に兵舎を構えていた。英国防相は酔い潰れる少数精鋭部隊を叩き起こし、彼らにアラブの春を画策した黒幕の排除と、女王に仇なすテロリスト掃討の任を与えた。英国陸軍が誇る聖剣のひとつ、第22SAS連隊に。

 

 偽装網を被った四輛の兵員輸送車、その一輛の運転席で、SAS隊員のひとりが車載の衛星通信機をせわしなく操作していた。助手席――指揮官の席では、旅行用のアイマスクで目を覆った男が、ダッシュボードに両脚を投げ出していた。狭い運転台で息苦しそうにくつろぐ男を横目に、助手席の兵士はヘッドセットのマイクへ語りかけた。

「ブラヴォー・ワンよりアルファへ。シエラ・ワンの定時報告を受けた。目標に目立った動きはあるか」

 アルファとコードを振られた作戦本部が、芯のある官能的な女声で応じる。

〈アルファよりブラヴォー・ワン。上空からシエラ・チームのストロボを確認している。作戦区域の敵影は、六つのまま変わりない〉

 アルファの言う上空は文字通りの意味ではなく、地上数千メートルを飛翔するUAV(無人航空機)が撮影している熱線映像を指していた。モノクロ映像では敵味方の区別が困難なので、同盟勢力は赤外線灯を装備して同士討ちを回避する。原始的だが、天上から愛国者とならず者を判別するには、それしか術がない。前線にいる兵士の眼球が、未だ最も優れたセンサーであり続ける所以である。

〈アルファより全部署、次の命令まで待機、その場を固守せよ。それとブラヴォー・ワン、聞いているな? 怠けるな〉

 冷淡な声音を最後に、通信が沈黙する。運転席の兵士が、助手席の男に苦笑を向けた。

「……だそうです」

「聞こえてるよ」

 助手席の男はのそりと上体を起こすと、分厚いアイマスクを不満も露わに剥ぎ取った。安眠グッズの下から現れたグレーの瞳が、フロントウィンドウ越しの夜空を恨めしく見上げる。夜闇に紛れたUAVを見つけられる訳もなく、男は肩を落とした。

「少しは眠れましたか、ボス?」

 運転席の兵士――ダニエル・パーソンズ伍長の問い掛けに、男は恨めしげに呻いた。

「お前さんがブラヴォー・ワン代理だった十五分間はな」

 欠伸を発する男は、右顎から首にかけて、古いぎざぎざの傷跡がのたうっていた。けだるい呻きを伴って強張った節々を解し、本来のブラヴォー・ワンこと、ヒルバート・クラプトン少尉は軍務に復帰した。

 ヒルバートは飲みかけの水のボトルを拾い上げると、少し口に含み、すぐに車外へ吐き捨てた。砂混じりの水が、瞬く間に地面へと飲み込まれてゆく。不純物にまみれた口内をゆすいで、そこでようやく目覚めの清水を嚥下した。

「まさか、今度もハズレじゃないでしょうね、ボス?」

 無香料のボディシートで顔を拭きながら、ダニエルが不安に眉根を寄せた。「三回だ。もう三回も空井戸《ドライホール》が続いてる。みんな参ってる」

 彼らの業界で徒労を意味する俗語に、不良騎士団の長は乾いた笑いを発する。

「焦ったところでツキは来ない。くその塊にケツを突っ込んで、お上の指示をじっと待つ。それが俺たちの仕事だよ」

「でも――」

 身を乗り出そうとするダニエルの鼻先に、ヒルバートが一本指を立てた。

「落ち着けダニー・ボーイ。これが最後って訳じゃない。然るべき時に、無事にやり抜くことだけ考えればいい。水も残り少ないんだ。舌をぶん回すのは、帰ってからでも遅くない」

 部下をなだめすかしながら、ヒルバートは未開封の水をダニエルに掴ませた。

 小隊長の安全志向に、舎弟は満足していなかった。まだ二十代半ばのダニエルは、その若さゆえ戦果に飢えていた。ついでに、アイルランド民謡めいた呼び名も好いておらず、その唇は鋭利にとがるばかりである。

 ダニエルが躍起になるのも無理はない。この二週間、彼ら第一七航空小隊は国際テロ組織がひとつAQAP(アラビア半島のアルカイダ)の幹部を捜索・拿捕する任にあたっていた。軍事衛星やUAVから不審な集落の発見を受けると、彼らは夜を待ち、そしてヘッドライトも点けずに、指定された座標付近へと急行する日々を送っていた。

 小隊はこれまでに小さな敵拠点を三度を襲撃するに至ったが、いずれも軍上層部のお眼鏡に適う収穫は得られなかった。襲撃が実行される日は、まだ幸運な方である。高空からのカメラ映像だけでは、そこがテロリストのキャンプかどうかは断定できない。特殊部隊員が実際に現場を偵察すると、捨て置かれたテントの残骸だったり、驚くほど家屋に似た岩だったりということもある。

 この二週間において、彼らはテロリスト見習い二八人を圧倒し、それと同じ数のAK-47を破壊していた。世の軍人の大半が敵との戦闘を経験しないまま退役する現実を鑑みれば幸運に違いないが、血気盛んな年頃の戦闘員の溜飲が下がるはずもない。

 若手たちが痺れを切らしている最大の理由は、彼らに残された時間であった。今回の遊撃任務に際して、作戦本部は二週間という明確な期限を設けていた。十二時間後の彼らがいるのは砂漠ではなく、北へ三〇〇キロ離れたキング・ハリド軍事都市の兵舎である。泣いても笑っても、明朝には自軍の拠点へと急ぎ帰らなければならない。

 基地に戻ったからといって、またすぐ遊撃任務に出られる訳ではない。そこからの二週間は、別のSAS小隊が遊撃任務を帯びることになっている。ダニエルたちが再び敵地襲撃に携われるのはさらに二週間後、あるいはもっと後になってからかもしれない。それまでは戦線の後方で要人警護や、現地の兵士の訓練といった実りのない苦役が待っているのだ。

 ――こんなことをするために、特殊部隊に志願したんじゃない。そう逸る子分の気持ちもよそに、ヒルバートは狭い車内で柔軟体操を始めた。肩周りの筋肉がほぐれるより先に、シエラ・チームからの無線通信が届いた。

〈全部署へ通達する。孤立したテントに動きが見られる〉

 敵に最も近い目が発した仕事一辺倒な声に、ダニエルは息をのんだ。

〈テントから男がひとり出てきた……どうも妙だな。精査する、"ブレーク"〉

 「次の送信まで他の者の発言を禁ずる」という意の通信用語に、襲撃隊の緊張が高まる。斥候隊の次なる言葉を聞き逃すまいと、ダニエルはヘッドセットを耳に強く押しつけた。隣のヒルバートは、悠々と肘の関節を伸ばしていた。「さて、どうかしら」

 二十秒の沈黙を経て、シエラが追加の情報を寄越した。

〈さっきの男だが、初めて見るやつだと思う。熱線映像での人相の判別は困難だが、腰を折っていて、だいぶ年かさな感じだ。すぐ両脇に、武装した男ふたりを連れている〉

 ダニエルの鼻筋を汗が伝う。「護衛だ。重要人物に違いない」

「気が早いぞ、若いの。どこぞのじいさんが、月光浴に出ただけかもしれん」

 上司のまるで取り合わない口振りに、ダニエルが憤りの視線を投げた。勢い任せに反論しかけ、そしてはたと口をつぐんだ。青白い月光に、ボスの勝ち誇った笑みが照らされていた。

 盆地の動向が追って報された。〈複数の人影が他のテントから出てきた。数は六……いや、七人。全員、例の男の前で横一列に並んだ……説法か何からしい……おっと、もう終わったようだ。

 例の男が、孤立したテントへ戻っていく。付き人ふたりも一緒だ。待て……やつは左足を引きずって歩いている……〉

 男の仕草を聞いた途端に、ダニエルの目がぎらりと輝く。興奮に鼻腔の拡がる舎弟をよそに、ヒルバートはいかつい軍用ラップトップを膝に置いて、蓋を開いた。

〈三人がテントに入った。整列していたやつらも自分たちのテントに戻って……いや、そのまま盆地の外周へ散開した。見張りの交代時間らしい。今まで立哨を務めていたやつらが、テントに向かっている〉

 シエラの報告がひと息つくと同時に、ヒルバートが通信機の送話スイッチを押し込んだ。

「その男の映像は?」

〈もう送ったよ〉

 ヒルバートが視線を落とすと、ラップトップが一件の動画ファイルを受信していた。ヒルバートの操作を待たず、ダニエルが脇から腕を伸ばして、ラップトップのキーを叩いた。

 低輝度の液晶画面いっぱいにモノクロの熱線映像が表示され、シエラ・チームが見たままの光景が再現された。二分足らずの映像が流れる間ずっと、ダニエルの鼻息が車内に反響していた。

 映像の確認を終えると、ヒルバートは満足げにほくそ笑んだ。老人の動画ファイルを上空のUAV経由で作戦本部へと送信しながら、送話スイッチを押す。「シエラ・ワン、お前はどう思う?」

〈どうだろうな。我々が探していた男かもしれないし、そうではないかもしれない〉

「お前の勘に訊いてるんだよ」

 ヒルバートが苦笑していると、作戦本部のメッセージがラップトップに寄越された。

 ――照合の結果、HVTと断定。

 味気ない文言であったが、それで事足りた。

 ヒルバートは口角をいびつに持ち上げた。「シエラ・ワン、後でそっちへ届け物に行く」

〈新鮮なキュウリのサンドウィッチを頼む〉

「お前らへの差し入れじゃないよ」ダニエルへ目配せしつつ、語を継いだ。「VIPへ英国料理の出前さ」

 小隊長の意地悪い声音に、ダニエルの砂まみれの顔が輝いた。

「ブラヴォー・ワンより全部署へ。お上の許しが下りた。基地に帰る前に、ひと仕事やるぞ」

 

 宵闇の岩脈に、静かな活気が満ちあふれた。戦闘員は各自が銃の点検に躍起になり、装備品が正しい場所にあるか確認作業に執心した。若い部下がアドレナリンを抑えられないでいるのを、ヒルバートは日中の熱気で溶けたチョコレートバーを囓りつつ見物していた。

 作戦本部がHVT――高価値目標と指定した人物はAQAPの幹部のひとり、ハミド・イブン=ハーディ・ジャラールなる人物であった。ジャラールは爆弾製造を専門するテロリスト養成顧問であり、AQAPのみならず、他のテロ組織とのパイプをも有すると目されていた。このジャラールの拿捕こそが、SASが中東に派遣された最大の理由であった。

 ヒルバートは数人の隊員を盆地の中央に集めると、作戦地図を地面に広げて、襲撃計画の立案に取り掛かった。焚き火めいた光源で外部に存在を主張しないよう、遠方から視認しづらい赤色のLEDで地図が照らされた。

「現地の襲撃には十人を割り当てる。内訳はヴェストの分隊と、今まで偵察の置いてけぼりを食っていたシエラのふたり、それから俺の分隊だ。エコーの四人はここの固守を続けつつ、不測の事態に備えて待機する。……どうも、文句があるやつがいるな。聞きたくないけど言ってみろ」

「うちのチームがお留守番なのはどうしてだい?」

 ヒルバートの向かいで、ラテン系の隊員が下唇を突き出していた。男は、盆地に居残りを命じられたエコー・チームのリーダーだった。

 男の質問に、ヒルバートはこめかみを掻いた。幸か不幸か、二週間洗っていない頭にシラミが湧いていたからではない。小隊長としての顔を取り直すと、にべもなく応じた。

「三日前の襲撃でお前らがどんちゃん騒いだ時は、ヴェストのチームが留守番だった。単に順番が回っただけだ。

 それに、このVIPは丁重も扱わにゃならん。手厚く迅速……何より穏便に。お前を連れて行ったら、それこそ乱交パーティになる」

 イタリア男が肩をすくめて引き下がったので、ヒルバートは要旨説明(ブリーフィング)を仕切り直した。

「目標へは徒歩で向かう。三日前の、第二次大戦みたいなやり方は忘れろ。機銃をぶっ放しながら装甲車でテントを轢き潰すのは、あれっきりだ。……まあ、悪くない体験ではあったな」

 方々で乾いた笑いが上がり、この暴力を考案したイタリア男に、したり顔が浮かぶ。

「……とにかく、この襲撃は静かにやり通す。暴力のぶつけ合いはなしだ。現時点で確認できている敵は、ジャラールを除いて二六人。向こうは数の有利があるんだから、寝込みを襲われても文句はあるまい。

 目標への侵入だが、正面から行う。隠密とは程遠いが、地雷原が敷設されている可能性を考慮して、安全策を採る。

 まずは敵の歩哨を無力化して、検問所を確保する。見張りとして検問所にふたりを残し、他の八人で下っ端のテントをひとつずつ制圧する。雑兵の掃討を終えたら、ジャラールのテントに押し入って、やつを捕らえる。要するに、敵の根城にこっそり忍び込んで潰滅して、VIPを拉致するって寸法だ。まかり間違っても、ジャラールを殺すなよ。分隊長四人のクビが一挙に飛ぶぞ」

 小隊長が覇気のないブリーフィングを続ける傍らで、その右腕たるダニエルは衛星通信機を弄くり、作戦本部と偵察班へ以後の行動計画を送信していた。彼らにとって幸運なことに、作戦本部はにわか作りの襲撃計画を全肯定した。

「万事が上手く運べば、事後処理の部隊の到着まで三時間も掛からん。そうすりゃ、二週間ぶりのまともな食事にありつける。万が一に窮地に陥っても、数十人のQRF(即応部隊)が一時間で飛んできてくれる。それに、我々はあんな付け焼き刃の連中におくれなんか取らない。そうだな?」

 小隊長の言に部下は一様にかぶりを振り、落ち着いた表情を向ける。互いの判別が利かないまでに伸びた髭面を見渡し、ヒルバートは作戦地図を畳んだ。

「居残り連中も警戒は解くなよ。雑兵とはいえ、何が起きるか分からん。攻撃のタイミングは無線で連絡する」

 それだけ言い残すと、ヒルバートは腕時計へ視線を落とした。放射性物質により微弱な光を発する針が、午前一時半を指している。顎の傷跡に付いたチョコレートを指で拭い、ヘルメットに装着したNVG(暗視装置)の電源を入れ、小隊長は九人の部下を率いて潜伏地点を発った。

 

 遮蔽物ひとつない砂礫を、屈強な兵士らが(やじり)型の隊形を取って進んだ。各自が割り振られた方角を厳戒し、不意の攻撃を期して銃口を振る。巨大な砂丘の月影に自ら呑み込まれると、その姿形はヒトの認識から消え去った。特殊部隊の祖と崇められるSASは、その根元を第二次大戦中の北アフリカの砂漠地帯で発足した部隊に端を発する。生命を否定する劣悪な環境は人類の敵であったが、SASは己を隠匿する簑として利用した。二一世紀を迎えて尚、砂の海は彼らにして絶好の狩り場であり続けている。

 鋼鉄製の武器を携えた十人が、敵キャンプの西側五十メートルの砂丘に身を屈める。ダニエルが秘匿性の高いバースト通信で偵察班へ連絡を入れると、十人が装備する赤外線ストロボを確認したとの報せが返された。ヒルバートはカービン上部に装着した赤外線レーザーを起動し、敵キャンプへと不可視の矛先を向けた。

「ブラヴォー・ワンより全部署へ。シエラが立哨を片付け次第、侵入可能だ」

〈まったく、待ちくたびれたよ〉

 連絡から程なくして、偵察班の返答が寄越される。それから何の前触れもなく、盆地の四隅で立哨が糸の切れた人形の如く崩れ落ちた。

〈歩哨の無力化を確認。新たな脅威はなし〉

 偵察班の二人が、まだ発砲の余韻の残る身で通信を入れる。作戦本部からも同様の報告を受けると、襲撃部隊は血液が沸き立つのを感じた。

「ブラヴォー・ワンは、車輌の轍を辿って目標に接近する」

〈駄目だ、その場で待て〉

 シエラチームから通信が飛ぶと同時に、隊員の耳元のスピーカーから「ぱしん」と、空気の千切れる音が立て続けに生じた。ヒルバートは即座に銃の照準器を覗き込んで視線を巡らせ、すぐに一点を注視しつつ送話スイッチを押した。

「検問所のやつらか?」

〈ああ。片方が、夜目の利くやつだったらしい。歩哨が死んでいるのに気付いたんだろう〉

 ヒルバートは検問所で仰臥するふたつの死体から、盆地のテント群へ視線を移した。騒ぎが起きている様子は見られない。

「そちらから見て、攻撃目標に動きはあるか?」

〈……ネガティブ。今のところはだが〉

 偵察班の評価を聞いたダニエルが、重い息を漏らした。ここまで来て襲撃が中止となっては、長らく溜めた憤懣をぶつける対象がなくなってしまう。いやな汗を額に生じさせた舎弟の肩を、小隊長が小突く。

「心配するなダニー・ボーイ。もう六人も殺っちまったんだ、最後まで付き合ってもらうぞ」

 呼び名こそ不服であったが、ダニエルにとってはありがたい保証であった。

 十人の特殊部隊員は砂から身を起こし、トラックの轍を案内に盆地への接近を再開した。間もなく検問所へ到達すると、胸に風穴の空いた死体ふたつを付近の岩陰に隠し、シエラ・チームのふたりをその場に残して、八名の襲撃隊は盆地への下り坂をネズミの如く颯爽と駆け下りた。

「ブラヴォー・ワンより全部署へ。目標地点に到達した。これより四手に分かれてテントを掃討する」

〈アルファ、了解。迅速に行動しろ〉

 作戦本部への返答に、ヒルバートは通信機を使わなかった。「分かっているよ、お姉様」

 襲撃隊は四つの二人組《バディ》に分かたれ、各々が別方向からテント群へと接近を開始した。ダニエルも南東のテントへと一歩を踏み出そうとしたその時、ヒルバートがこれを制止した。

「おい小僧、忘れ物だ」

 小隊長は茶目っ気を露わに、脇腹のポーチから小型のビデオカメラを取り出した。

「着けなきゃ駄目か?」

「スポンサーのいない組織はわびしいぞ」

 ダニエルは不承不承にカメラを受け取り、自分のヘルメットの側面に取り付けた。この追加装備は、実際の戦闘映像を兵士の視線から撮影し、戦術の改善に発展を促す事由から支給されたものだ。ダニエルはその栄えあるカメラマン役に抜擢されていた。

「戦場ってのは、最前線だけが覗ける聖域じゃあなかったのかい?」

 カメラを暗視録画モードで起動するダニエルに、指揮官は苦笑した。

「お偉方を喜ばせて同胞の扱いが良くなるなら、悪い面ばかりじゃないさ」

 「それが反映されたためしはないが」と付け加えたところで、師弟は声を殺して笑った。

 四つの|バディが前進し、各々が最初に攻撃するテントの入口に到達すると、

 弾倉が銃へ確実に挿さっているのを確認し、師弟は先行したスタン軍曹らのバディと距離を空けて前進する。各々の銃から眩い赤外線レーザーが延び、光芒が絶えず敵キャンプを横切る。彼らが携える制式小銃――L119A1は優れた兵器だ。羽の様に軽く、剛健で如何なる自然環境にも耐える設計で、精度が群を抜いて良い。使用する弾薬はアメリカが新設計したM855A1で、これは弾丸が対象の体内で複数に断片化することで、大きな殺傷能力を発揮する。ヒトの腹部に命中すれば、まず助からない。

〈デルタ・ツー、スタンバイ。テント内部に動きはない〉

 スタン軍曹のバディが、偵察班から最も近いテントの入り口の真横に控えた。ヒルバートらブラヴォー・ワンが、その真逆の位置のテントを担当する。

〈デルタ・スリー、スタンバイ。問題なし〉

〈シエラ・スリーも位置に着いた〉

 他のバディに数秒遅れて、ヒルバートとダニエルも攻撃目標に到達した。ダニエルがテントの布越しに耳をそばだて、やがてボスに向けて親指を立てる。舎弟の合図を受け、ヒルバートは送話ボタンを押し込んだ。

「ブラヴォー・ワン、スタンバイ。いつでも行ける。……ダニー、お前が先だ」

 月光を反射するNVGのレンズに頷き、ダニエルは銃の安全装置(セイフティ)を解除した。

「ブラヴォー・ワンよりアルファ。全部署、スタンバイ」

〈アルファ、了解。タイミングはブラヴォー・ワンに一任する〉

 ダニエルが、すぐ背後に控えたヒルバートを一瞥する。小隊長は天を仰ぎつつ、首肯で応じた。導火線の着火役は、ダニエル・パーソンズ伍長へと委ねられた。強烈な重責に汗が滲む手で銃を握り直し、砂で乾燥した唇を舐める。

「全部署は、俺の合図で侵入してくれ。三……二……」

 減音器(サプレッサー)を装着した銃口がテント入り口を塞ぐ垂れ幕に差し込まれ、テロリストのねぐらに蒼白な月明かりが割り入る。

「……一……始めろ」

 ダニエルの身が垂れ幕を押し退け、布の内側へと滑り込む。ヒルバートがそれに続き、ナイロンの擦れる音だけがかすかに響く。

 テントに侵入したダニエルは、三人のアラブ人が寝袋で寝入っているのを視認した。NVGの脱色されたの視界でそれらを具に観察し、重要人物が紛れていないのを確認した。セイフティは既に解かれている。カービンをしっかと肩に構えると、赤外線レーザーを敵の胸へ重ねて発砲した。老人の咳に似た、くぐもった音がテント内部に反響する。抵抗はおろか目覚める素振りもなく、敵兵は着弾の衝撃で僅かに姿勢を変えただけで、そのまま眠り続けた。

「ブラヴォー・ワン、三人を排除」

〈アルファ。三人を排除、了解〉

 本部の復唱を合図にダニエルはバディへ振り向き、今度は彼を先駆けにしてテントを去った。

 彼らが第二のテントに向かう途中で、他のバディから二人の敵を処理した報せが入った。これで、十一人のならず者が地上を去ったことになる。ダニエルと配置を交代したヒルバートが二張りめのテントの垂れ幕に手を掛け、舎弟へ目配せする。舎弟は間を置かず頷き、小隊長は内部へ突入した。襲撃を知らずに眠る敵兵らを視界に入れるなり、ヒルバートは小口径高速弾で心臓を穿ち、続けて腹部にも銃創を空けた。くぐもった銃声の他に音はなく、キャンプ全体は沈黙を保っていた。

「ブラヴォー・ワンより全部署へ。新たに三人を無力化」

〈アルファ、了解〉

 清らかな女声と共に、ヒルバートのバディは再びダニエルを斥候に任務を続行する。数で言えば既に二張のテントの静圧を終えた彼らは役目を果たしたのだが、ダニエルは勢いに乗じて第三のテントへ足を踏み入れようとした。先のふたつと同様、寝袋に包まれたテロリストの卵が、自らの最期を知らずに寝息を立てていた。

「ここまで苦労したってのに、最後は拍子抜けだな」

 決して経験の多くない舎弟に小言を囁こうと、ヒルバートが肘で小突こうと左腕を伸ばしかけたその時、大気が弾けた。夜のしじまを引き裂く破裂音は、彼らから三十メートル離れた場所で生じ、テロリストのキャンプが息を吹き返した。

 緊急事態に寝袋から這い出ようともがく男らへの対処を、脳では理解していながら、ダニエルは唖然と立ち尽くしていた。呆然とする肩越しに突き出された銃身が火を噴き、芋虫めいた敵へ目覚めの死をばら撒いた。

「馬鹿たれ、死にたいのか!」

 ダニエルは上司の怒号に正気を取り戻し、ヒルバートが撃ったのと真反対で起き上がろうとしていたひとりを射殺した。形勢が覆り得る状況に、冷たい汗がダニエルの首筋を伝った。

〈こちらデルタ・ツー、便所に起きたやつがいる! 今いるテントで四人を無力化したが、隣でえらい騒ぎがある!〉

 スタンの叫びと同時に、ヒルバートはダニエルとテントを飛び出し、まだ襲撃部隊が手を入れていないテントを視界に捉えた。着の身の乱れた若者の集団が銃を手に戸外へ転げ出て、侵入者を狩り出そうと虚空へ銃弾を放っていた。その内のひとりが、人体には困難な動作で地面へと崩れ落ちる。その頭部は、南国の花の如くばっくりと赤く開かれていた。一拍を置いて、彼方より鞭を想起するの打撃音が盆地に木霊した。影に潜む偵察班は、白兵戦で最も影響力のある狙撃部隊へと変じていた。

「ブラヴォー・ワンより全部署。盆地全体の敵が起きちまった。我々の所在は露見していないが、すぐ近くで四人が暴れてる」

 ヒルバートの無線連絡の最中に、敵がもうひとり喉に大口径弾を受けた。「……いや、三人がパニくってる」

〈アルファより全部署へ。HVTが潜伏していると思しきテントから、多数の敵が出てきた。十人以上いる〉

 狙撃部隊によって敵兵力が減損しつつあったが、作戦本部の報告に襲撃部隊は戦慄した。

 報告のままに、最も大きなテントから敵兵が続々と飛び出してきた。襲撃部隊は必死に遮蔽を探して、狙撃部隊が敵の頭数を減らすのを待つ他なかった。ヒルバートとダニエルも、腰の高さほどしかない岩にくっついて縮こまり、頭上をライフル弾が通過するおぞましい風切りの音から意識を遠ざけようとしていた。

「ボス、敵は想定より二十は多いぞ!」

「今までどこに隠れていたんだろうねえ!」

 敵からの一方的な弾幕から自身の精神の保護するために軽口を叩きながらも、ヒルバートは超短期的な生存戦略の構築を怠らなかった。そこかしこで生じている跳弾で通信機が故障していないのを確認すると、頸に張り付けたマイクへ向けて叫んだ。

「エコー、聞いているな? 今すぐこっちへ来い!」

〈もう向かってる!〉

 エコー分隊の応答が聞こえるが早いかブレーキが軋みを上げ、盆地の西の縁に物々しい装甲車が砂煙を曳いて現れた。直後、装甲車の頂に装備された重機関銃が吼え、テントの周囲で防護を固めるテロリストを薙ぎ倒し始めた。五十口径弾の猛襲に耐えきれず、テロリストは大きなテントの内側へと急ぎ撤退していった。

「ボス、敵がぺらっぺらのテントに戻ってる」

「ああ、妙だな」

 「宇宙人の技術でも使っているなら別だが」と呟きつつ、ヒルバートは岩陰からそっと頭を覗かせた。味方の重機関銃が盆地を掃討したおかげで、戸外に生きている敵はいなくなっていた。ヒルバートは着いてくる様にダニエルへ手招きすると、HVTのテントへの一本道を見据えた。

「……自爆される訳にはいかん。ブラヴォー・ワンはHVTの拿捕に向かう。シエラ、掩護してくれ。テントを吹っ飛ばそうなんて考えるなよ」

 シエラの応答と同時に、ヒルバートは岩陰から這い出し、遮蔽のない開けた道を、舎弟を伴って進んだ。先の反撃が嘘の様に、敷地が静まり返っていた。第二の反撃が来るのを想定しつつ、ヒルバートは銃口をHVTのテントに定めて前進を続けた。

「……ブラヴォー・ワンより全部署へ。目標テントに到達した。内部に動きは窺えない」

〈アルファ、了解。襲撃部隊が掩護している。そのまま突入しろ。今回のHVTへの対応には、お前が適任だ〉

「だろうね」

 ヒルバートは冷笑を浮かべたまま、テント入口の垂れ幕を銃口で僅かに押しのけた。襲撃前に点いていた照明はなく、明かり採りもないせいで、テント内部は暗闇に包まれていが、第三世代のNVGはその帳を剥がして、真昼の様な視界を特殊部隊に提供していた。

「ダニー、そっちは?」

 戸口の反対に立つダニエルが、照準器を睨んだまま応じた。

「何も」

「よし」

 ヒルバートは銃の右側に装着した大光量のライトを点灯して、戸口の周辺を観察し、指を立てて引っ掛かるものがないか入念に調査した。

「……仕掛け線の類はない。レーザーも……ないな。ブラヴォー・ワン、目標テントに進入する」

 ブラヴォー・ワン、ツー両名がテントに押し入り、コンマ一秒で周囲の安全を確保した。テントの天井に吊り下がる裸電球が、何らかの要因で割れていた。

「ダニー、何にも触れるな」

 ヒルバートは再び銃のフラッシュライトを点灯して、内装を観察した。現代のNVGは、眩い光を受けたところで、像が焼けついたりなどしない。内部には五人分の寝袋、木製の家具が散らかり、化学的な臭いが充満していた。ヒルバートは臭いの元であろう金属製タンクの山に近づき、手近なタンクの蓋を開いて中身を検分し、「おえー」と顔をしかめてすぐに蓋を締めた。

「ブラヴォー・ワン、HVIのテント内に大量の液体タンクを確認した。多分、アセトンの類だ。かなり古いジェリカンに満たされている。市販の除光液より敏感だろうから、でかいテントへの射撃は一切禁ずる」

 ロシアの浮浪者さえ口にしない化学薬品からきびすを返し、ヒルバートはテント中央に置かれた古めかしい木製テーブルに着目した。

「地面に直置きのカーペットねえ」

「礼拝で使うのでは?」

 ダニエルの答案を一旦は認めつつ、ヒルバートはテーブルの検分に取り掛かる。

「だとしたら、テーブルで塞ぐのはおかしいだろう。くそ、重いな……無垢材とは贅沢な。ダニー、そっちを持ってくれ」

 ヒルバートはダニエルの助けを借りて、名匠の手造りらしきテーブルを脇によけた。「このテーブル、本国に持って帰れないかね」

 障害を除くと、ヒルバートは胸から鋭利なナイフを抜き、カーペットの縁に差し入れてゆっくりと持ち上げた。

「……ほうら、大当たり」

 陰鬱なボスの声に導かれてダニエルがカーペット下の暗渠を覗き込むと、木製の跳ね上げ戸が砂漠の地面に設けられていた。

「地下に逃げたんだ。すぐに追わないと」

 気の逸る部下の眼前に、ヒルバートは一本指を立てた。

「こんな罠がある以上、中に立て籠もっているとは考えづらい。どこかへ繋がるトンネルでも掘っているんだろう」

「だったら、なおさら追わないと」

「相手が南米の麻薬カルテルならともかく、ここは広大な砂漠だ。どこに出るか分からないし、追っている最中に地中で生き埋めにされる可能性もある。敵にとって好条件な環境で戦うべきじゃあない。それに……」

 言いながら、ヒルバートはナイフを跳ね上げ戸と戸枠の合間に差し入れ、刃先から伝わる感覚に神経を研ぎ澄ませた。やがて、刃先に違和感を感じたヒルバートは、隙間からそっとナイフを抜いた。

「……ビンゴ、ワイヤーが張られてる。やっとで爆弾魔らしいやり口のご登場だな。ワイヤーに繋がってるのは、手榴弾のひとつふたつじゃないだろう。ここを通るのは危険すぎる」

「じゃあ、みすみすHVTを逃すんですか」

 額から脂汗垂らすダニエルに、ヒルバートは天を仰いだ。

「爆弾作りで食ってた時期の長い身として、ここでゴーサインは出せんよ。ひょっとしたら俺らふたりどころか、盆地全体を吹っ飛ばす量の爆薬が地下にあるかもしれないんだ。急ごしらえの作戦としては、よくやった方だと思ってくれ。それより、ここを離れるぞ。いつどんな爆弾が起爆されるかも分からん」

「でも……!」

 感情の行き場を求めるダニエルの両肩にヒルバートが手を伸ばしかけると同時に、入電があった。

〈アルファより全部署へ。盆地から北へ一キロの地点で動きがある。これは……地中から何者かふたりが現れた。どうやら二輪に乗っているらしい。片方が自動火器……いや、杖を脇に抱えている〉

「北――」

〈北に一キロだな!〉

 ダニエルが語を継ぐ前に、無線規則の一切を踏み倒して送話する者がいた。その男は送話スイッチを押したまま、手元で高出力のエンジンを掛け、他の隊員の耳を虐めた。

「……ブラヴォー・ワンより全部署へ。誰かジェロームを止めてくれ」

 各員から、不可能の応答がなされる。ヒルバートはうな垂れつつ、いつ爆破されてもおかしくないテントを舎弟と共に去った。「あの野郎に任せていたら、ジャラールを殺しちまうぞ」

 "イタリアのブロンド野郎は、脳味噌がチーズで出来ている"という我流ジンクスを否定しきれず、ヒルバートは送話スイッチに手を掛けた。

「ブラヴォー・ワンより全部署へ。あの馬鹿が貴重な情報源を台無しにする前に、衛生要員を派遣してくれ」

〈デルタ・ワン、了解〉

 美貌の少尉・ヴェストの応答が早いか、盆地の上り坂近くで、一輌のSUVが砂煙を巻き上げた。クラプトン兄弟の長兄は、巧みな運転で敵のSUVを駆って盆地を抜け、末弟を追って北へ針路を取った。ヒルバートとダニエルもその後を追い、盆地の坂を上がって検問所へ到達し、周囲を警戒していたシエラのひとりに問うた。

「うちの愚弟は?」

 クラプトン家の次男たるヒルバートの下には弟がふたりいるが、シエラのボスたる三男ショーンを、ヒルバートがそう呼んだためしはなかった。

「まだ視認は……いや、あれだ!」

 シエラ・フォーの指差した南方向から、轟然とエンジンを吹かして北を目指す四輪ATVが、彼らの眼前を瞬く間に走り去った。ジェローム・クラプトンの蛮行に対して、ダニエルは見たままの評価をヒルバートに伝えた。

「ボス、エコー・ワンは〈ベネリ〉を携行していました」

「ああ、あいつのお気に入りだからな……」

 程なくして、彼らが恐れていた事態が作戦本部から通達された。

〈アルファより全部署へ。エコー・ワンがHVTに接触……いや、攻撃を開始した〉

 北の彼方から暴力的なショットガンの発砲音が連続して轟き、金属質の重低音がそれに続いた。

 盆地にいる全員が息を呑み、そして絶望し、次の誰かの通信を待った。

〈エコー・ワン、HVTのじじいを確保した〉

 寒空の下の葬式めいた空気が一挙に晴れ、盆地は歓喜に溢れかえった。

「いや、まだだ。ちゃんと物が言える状態かは分からん」

 クラプトン家次男の発言に部隊は平静を取り戻し、エコー・ワンこと、ジェローム・クラプトンの帰投を固唾を呑んで待った。

 ATVを駆って戻ってきたジェロームは、その後部座席に誰も乗せていなかった。代わりに、その後ろを着いてきたヴェストのSUVの助手席に、右腕を三角巾で吊った老爺がいた。SUVの停車後、ヒルバートがすぐに助手席に駆け寄り、心ここにあらずという老爺の顔を照らした。それから老爺の右袖をまくり上げ、コショウ粒が散らばった具合の、大きな斑紋を確認して頷いた。

「アルファ。やつの右前腕に、爆弾製作をしくじったやつ特有の擦過傷を確認した。間違いなくジャラールだ。歯も何本か折れているが、口は動かせるだろう」

 自らの報告に再び湧き上がる部下を尻目に、ヒルバートは綿棒をを二回り大きくした具合の器具をジャラールの口内へ突っ込み、その先端で頬の細胞を採取した。口腔上皮細胞のみならず、ねばついた血液が糸を引いた。ヒルバートは樹脂製の試験管に検体を収めて蓋を閉じると、ジャラールの法衣のポケットに放り込んだ。

「アルファ。HVTの遺伝子情報だが、当人の服に仕舞ったよ」

〈ブラヴォー・ワン、ふざけるな。帰投後に直接提出しろ〉

「じじいの唾液を? 冗談じゃないよ、こんな"えんがちょ"」

 ヒルバートは、通信機を操作して、作戦本部との通信を一時的に遮断した。

 ヒルバートがSUVの助手席から離れると、ダニエルが居心地の悪い顔持ちで近づいてきた。

「ボス、さっきの――」

 ダニエルの弁明を、ヒルバートは一本指で制した。

「何事にもトラブルは付きものだ。それがにわか作りの突撃なら尚更だ。今回の件で引き鉄が少し軽くなったのなら、説教はそれで十分だ。

 今は少し脳を休ませろ。基地へ戻るのに、お前がハンドルを握れないと困る」

 そう言うと、ヒルバートはシリアルバーと未開封の水のボトルをダニエルに押しつけ、その背をばしと叩いて歩き去った。ジャラールが現れたトンネルの出口へ歩みを進めながら、ヒルバートは盆地へ向けて叫んだ。

「まだアドレナリンが残ってるやつはいるか? HVTの回収部隊が来るまでに、やつの地下トンネルから情報を漁らにゃならん。爆弾魔のやり口を知りたいやつは着いてこい。ヴェストとジェロームはこの場に残れ。ヴェス、時限爆弾の有無をHVTから訊きだしてくれ。基地でビールをおごるよ」

「部下の分も忘れてくれるなよ」

「俺にはくれないの?」

「馬鹿を言え。兄貴には、お前の監視も頼んでるんだよ」

 末弟の不平を尻目に、三十路を超えても肉体の衰えを感じさせない動きで、ヒルバートはトンネルの出口へ小走りに駆けていった。その顔は数分前まで殺人に携わっていた人間に似つかわしからず柔和で、舎弟への叱責は欠片ほども残っていなかった。

 ダニエル・パーソンズは受け取った水のボトルにひと口つけ、シリアルバーを尻ポケットに押し込むと、自他に甘いボスの背を追って駆け出した。

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