奴隷迎合 - The Servant above Slaves   作:紙谷米英

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奴隷迎合【7】(改訂版)

【7】

 

 展開した煙幕が晴れぬ内に、ブリジットの手を引いてレンジローバーから降ろす。すぐ近くを弾丸が飛び去る衝撃波の音が生じる度に、ブリジットはその方向へ首を向けていた。

「"ぴしっ"とか"ひゅっ"が聞こえる内は大丈夫だ。本当に撃たれた時は、そいつも聞こえない」

 何の慰めにもならない戯れ言に、ブリジットはこくこくと頷く。大人しいものだ。港に来る前も、そうであってくれたらよかったのに。

 煙の中で彼女の全身に触れてみて、先の狙撃で負傷していないかを確かめる。その間にダニーは車輌後部へ回り、正体も規模も不明の敵対勢力への反撃に要する装備を手探りで集め始めた。

「ああくそ、全部必要に思える」

「擲弾は全部持っていく。重い医療品は残せ」

 ダニーが取り分けてくれた装備品をバックパックと戦闘ベストへ押し込みつつ、コンテナの陰からマラクが停泊する西方を覗き見る。敵の姿は窺えなかったが、海風が強まりつつあり、煙幕が想定より早く薄まっていた。

「ダニー、一分後にはここを離れるぞ」

「移動先のあては?」

 作業から顔を上げずに問うてきた舎弟への返答に、通信機の送話スイッチを押し込む。

「ブラヴォー・ワンよりシエラ・ワンへ。そちらが向かっている建物に、俺たちも向かう。通訳を隠れさせる場所くらいはあるだろう」

〈シエラ・ワン、了解。俺もそちらへ合流させてくれ。もう発煙弾の手持ちがない。十秒後に、北側から接触する〉

 きっかり十秒後、指定された方角のコンテナ裏から、息を切らせたショーンが現れた。腕にC8カービンを抱え、長大なL115狙撃銃を背負っていたが、バックパックは何処かへ捨ててきたらしく、左のこめかみから出血が認められた。

「負傷したのか?」

「下手くその狙撃がかすめて、|暗視装置を吹っ飛ばされただけだ。……まあ、運が良かった」

 言いながら、ショーンは我々のレンジローバーの全部座席へ視線を投げた。それから、借りてきた猫の様に大人しいブリジットへ目線を移し、すぐにこちらへ向き直った。

「発煙弾を分けてくれ。ここに来るまでに使い切ったんだ。そのせいで、俺が来た道は濛々になってる」

 恨み言のひとつでも受ける覚悟だったが、弟は目下の状況に集中していた。ショーンに発煙弾を渡しつつ、再度、マラクの方を窺い見る。

「コンテナ内から撃ってきてるやつは、どれくらいいるんだ?」

「ふたりは俺がやったが、まだ二、三人は残っていると思う。そんなに高い位置じゃない。今から向かう建物屋上からなら、確実に敵より高所を取れる」

「正面からやり合うことになるぞ」

「さっき既にやった。それに、今度はこっちが先手を取る。おい、ブリジット。ボスの背中だけ見て着いていけ。たかだか五十メートルちょっとを全力で走れば、すぐに安全な場所に行ける」

 ショーンの激励に頷きながら、ブリジットは自分の戦闘ベストから弾倉を二本抜き取り、ショーンへ渡した。ここへ来る間に、ショーンは発煙弾の他にC8の弾倉数本を撃ち尽くして捨ててきたらしく、戦闘ベストのポーチがいくつか萎んでいた。

 ブリジットはダニーと俺にも弾倉二本ずつを配り、装備の増強と自身の軽量化を行った。ついでにSR-16カービンそのものも取り上げようか逡巡したが、そのまま持たせておくことにした。こんな状況にあっては、お守りのひとつもなければ、このブリジットといえパニックに陥るやもしれない。

「走れるか?」

 先程から首を縦にしか振らないブリジットは、ここ数十秒で最も深い頷きを返した。

「先頭はダニー、ケツはショーンが固めてくれる。何も考えずに着いてくればいい」

 男三人が発煙弾のピンを抜き、東の三階建ての建物へ向けて各々が異なる角度を付けて、少し離れた地面を放る。手を離れた発煙弾本体からバネの力で安全レバーが弾け飛び、間もなくコンクリートを滑る円筒の缶から濃密な煙幕が生し始めた。煙が背後のコンテナを超える高さまで伸びるのと同時に、ダニーの右足が地面を蹴った。数メートルの距離を空けてその背中を追いかけると、小さな足音がぴったり着いてくるのが聞こえた。

 ショーンの言う五十メートルが、途方もなく遠く感じる。マラクと建物の間に生じた濃密な煙幕に身を投じた途端に、先の仲間の死や付近に着弾する弾丸が、自分とは無関係の、ひどく現実離れしたものに感ぜられる。一歩ごとにバックパックのストラップが肩に食い込む痛みさえ、自分の身に起こっている事象ではない気がしていた。

「やはり施錠されています」

 思考の全てが煙に呑まれる間際、ダニーの一言で現実に引き戻される。いつ尻に敵弾が突き刺さるかも知れぬ状況で見当識を失っていた体たらくを引き締めつつ、建物の正面玄関に張りついたダニーの指差す先を見た。玄関ドアはガラス製の観音開きで、すぐ横にLEDがぼんやりと光るカードリーダーが備えつけられており、ずっと上の方には警備を担う会社のロゴが貼られていた。

「錠はドアの下部にひとつずつ。爆破しますか?」

「いや、煙幕があるとはいえ、閃光で敵の注意を引きたくない。侵入するならこっちからだ」

 正面玄関から左手に数メートル離れた窓を示しつつ、カービンの銃口を錠がある付近に寄せて、三発を放った。曇りガラスに拳大の穴が開くと同時に、侵入者の存在を報せる警報が建物の内外に響き渡った。今さら何の役にも立たないのに。ガラスの穴に手を差し入れて解錠し、引き違いの窓を開いて内部を窺う。貨物コンテナにさえ敵が潜んでいるのだから、快適な建物内部を警戒するのは当然の成り行きだ。見える範囲の安全を確認してから、ダニーは全員のバックパックを室内へ投げ落とし、それから上半身を窓枠に乗り上げた。ダニーが壁の向こうへ降りるのを見届けてから、ショーンが後方を警戒してくれる間に、俺も窓枠を越えた。

 警報のベルがけたたましく鳴り響く屋内に降り立つと、ブーツの底に、先に割ったガラスの破片を踏み砕く感触があった。降り立った部屋は何らかの共有スペースに使われているらしく、数脚の長机が雑然と並べられ、奥に小さな厨房らしい空間が設けられていた。ダニーが厨房を手早く調べて安全を確保するのを見届けてから、俺は外のブリジットへ、手を伸ばす様に促した。窓枠の直下ではショーンが膝を折り、ブリジットに窓枠を越えさせる介助の手筈を済ませていた。幸い、ブリジットは主人の弟の手を踏みつける行為を躊躇わず、俺がその腕を掴んで軽く引き上げると、たった一度の踏ん張りで、すんなりと窓枠を越えてくれた。もし運動音痴だったら、こいつかショーンの尻が撃たれていたかもしれない。

 最後にショーンの腕を掴んで屋内へ引き入れ、改めて建物内部の警戒に銃口を巡らせる。四人が侵入した後も、建物内部で聞こえるのは、やかましい警報の音だけであった。その警報も、ダニーがブレーカーを見つけて主電源を切ると収まった。室内の喧噪は遠ざかった。今頃は、警報を知った警備会社がこの港湾に向かっているかは分からないが、現地部隊の敷いた規制線で止められるはずだ。

 建物に入る前と同じ並びで部屋を出ると、玄関口に繋がる廊下に通じていた。廊下の突き当たりにトイレと階段があり、ブリジットを隠すのに使おうか考えたが、もっと上の階層にすべきだと思い直した。

 三階へ上がっても、敵の存在は見受けられなかったので、一階と同じ場所にあったトイレを調べ、脅威がないのを確認してから、ブリジットに個室のひとつへ隠れさせた。

「味方が来るまで、このドアを開けるんじゃないぞ。差し迫った状況なら、話は別」

 個室のドアを閉める間際に、ブリジットは両手でこちらの左手を包んだ。

「どうかご無事で」

「そのつもりだ」

 ドアを静かに閉め、トイレの入口で警戒に立っていた仲間ふたりの元へ戻り、屋上へ出る階段に足を掛ける。上方に注意を向けつつ数段を上がったところで、アルファからの通信が入った。

〈全部署へ告ぐ。オメガ・ワン、ツーが当該空域に進入した。増援は南方から接近する部隊は友軍だ。誤射に留意せよ〉

「ようやくか」

 NVGの接眼レンズから発せられるおぼろげな光の下で、ダニエルの眉根が寄るのが見えた。

「あまりいやな顔をするな。弟の未来の嫁さんが悪い訳じゃない」

「そうなればいいがな」

 ショーンは痛み出したらしい額の傷をかばいながら、屋上へ繋がるドアをそっと押した。

 戸外へ出ると、建物正面に撒いた発煙弾の煙がまだ残っていた。マラクからこちらを視認されない内に、ショーンはフェンスのない屋上の縁に位置取り、新たな狙撃地点の設営に腹這いになった。

「……トランスファー・クレーンほど高度は取れないが、マラク全体を狙える」

「遮蔽物が一切ない。別の場所にしたらどうだ」

「空より近い目が必要だろう。俺がここでやるしかない。心配せずとも、敵をブリジットまでは近付けさせんよ」

 弟はスコープに目をこらしたまま苦笑し、足先を振って、この場をさる様に促してきた。

 ショーンの腰を叩いて礼を言い、通信機の送話スイッチを押し込む。

「ブラヴォー・ワンよりアルファ。こちらは通訳を退避させた。こちらの位置は確認しているか?」

〈ブラヴォー・ワン、確認している〉

「シエラ・ワンを狙撃手としてこの場に残し、これからブラヴォー・ツーと共に地上部隊の支援に向かう」

〈大丈夫なのか?〉

 少々感情の揺れが窺えるシェスカの声に、背後と耳元で返事があった。

〈まあ、独りでも何とかなるだろう。通訳ひとりと自分のケツを守って、見たものを伝えるくらい〉

「……シエラから聞いての通りだ。ここから最も近いやつらで、身動きが取れない部隊の位置を――」

「ああ、くそ!」

 ショーンの声に振り返ると、マラクの直上にふたつの白光が浮かんでいた。ミサイル。赤い尾を曳いた飛翔体が、マラク船尾から急上昇し、緩いカーブを描いて南方へと進路を取る。二発のミサイルはこの屋上からそう離れていない空を駆け、二キロほど離れた広大な駐車場の辺りで炸裂した。爆轟を伴って空中に生じた火球の中央に、見慣れたヘリコプターの影が浮かび上がる。友軍のピューマだった。舵を失ったと思しきピューマは錐もみ運動を始め、見る間に高度を下げて地面へ衝突し、二つ目の爆発を生んだ。カービンに搭載した三・五倍率の照準器を覗き込むと、揺らめく炎の中でヘリのテイルローターがねじくれ、化学燃料の引火で機内が溶鉱炉と化したのが見えた。無線では、アルファがピューマの片割れ、オメガ・ワンの墜落を繰り返していた。

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