奴隷迎合 - The Servant above Slaves 作:紙谷米英
【9】
にわか作りの攻撃隊は煙幕の中を駆け、マラクの舷門まで十メートル地点に停車していたターミナルトラクター(港湾施設内で輸送コンテナを移動する特殊車輌)を遮蔽に、突入前の最後の休息を享受した。アドレナリンの分泌が限界値を越えており、ふくらはぎが痺れに似た痛みを訴えている。齢三十一を迎えた身は既に兵士としてピークを迎えており、火事場の奮進を拒んでいた。冗談じゃない。これから地獄に踏み込むというのに。
「やるぞ、兄貴」
肩で息をする俺を尻目に、先頭に立つジェロームは特殊閃光音響弾《フラッシュバン》のピンを抜くと、誰の返事も待たずにマラクへ放った。くそ、兄弟でお前だけまだ二十代だからって。こっちは膝の笑うおじんなのに。
ジェロームが放った円筒は真っ直ぐにマラクへ放物線を描き、その舷門から一メートル内部へ入ったところで遅延信管が作動し、百万カンデラ超の閃光をほとばしらせた。閃光は一度ならず、極めて短い間隔で九度炸裂し、舷門の内側で白光と轟音を撒き散らす。俗に"ナイン・バンガー"と呼ばれるやつだ。従来の閃光弾では見当識を手放さない敵の網膜と鼓膜を、短時間に執拗に殴りつけて戦意を喪失させる。
〈ブラヴォー・ワンより全部署、これよりマラクへ踏み込む〉
フラッシュ・バンの反響が収まらぬうちに、ジェロームがベネリを構えて舷門へ駆けた。エプロンに掛かるタラップにブーツが掛かる間際、目鼻を手で覆った男が舷門に現れた。おぼつかない足取りで道板に一歩を踏み出した男は、暴力的な破裂音と同時に、ワッチキャップを被る頭の左半分が弾けた。ジェロームのベネリから樹脂製の薬莢が飛び出し、千切れた脳の塊が黒い海へ落ちていった。生死を検める必要さえない。くそ野郎が、またひとり死んだ。
ダニーがフラッシュ・バンを舷門の奥へ投げ込むと、我々はその炸裂を待たずにタラップを渡りきり、マラク内部へなだれ込んだ。船内への到達と同時に、足下から九つの炸裂が襲ってくる。ヘッドセットが鼓膜を爆音から保護してくれたが、眩い光が視細胞を痛めつけた。隘路で一網打尽にされないためにはこうするしかないし、そうしたために次の遮蔽に身を隠すことができた。
〈アルファより全部署へ。ブラヴォー・ワン以下三名がマラクの内部へ進入した〉
全員が銃に装着したライトを点灯しつつ、フラッシュ・バンの爆風で照明の落ちた通路を、船倉へ下る階段を目指して突き進む。我々が進んでいるのは居住区画らしく、通路の左右に幾つもの船室があり、どの部屋にも荒れた生活感があった。居住区画全体に、上甲板から垂れ込めてきた催涙ガスが充満しており、袖口の皮膚を侵す。
区画は曲がり角が多く、見通しは劣悪だったが、事前に化学物質をしこたま放り込んだおかげで、激しい咳と嗚咽が敵の位置を晒してくれた。存在が露見した敵は片っ端からジェロームに補足され、冷酷無比に顔面を砕かれた。我々が通り過ぎた後の床には頭蓋の骨片が散らばり、ピンクの脳組織が壁にへばり付いた。敵を殺す度、ジェロームは新たな散弾をベネリに詰め込み、決して縦列の先頭から外れようとはしなかった。
各自がテロリストの兆候を探ってライトの光芒を巡らせていると、上甲板に出る階段の傍に、人間大の黒い影がうずくまっているのが認められた。上甲板からの攻撃を警戒しながら近づくと、それが海水に濡れたドライスーツだと分かった。
「……ボス、オクトパスだ」
オクトパスのひとり、SAS舟艇小隊のラルフ・ハイアットは、その瞳から光を失い澱ませていた。顔は温かみのない土気色に変じており、唇はとうに色を失っている。頚部に小口径弾の射入口があり、傍らにサプレッサー付きのMP7が転がっていた。付近の床に七・六二ミリ弾の薬莢が幾つか転がっていたが、MP7のものはなかった。海水に冷えきって暗渠に横たわる亡骸、これが精鋭の最期か。数メートル離れた場所で、相方のモージズ・マッカローも自分の血だまりに沈んでいた。顔と胴に数発を食らっており、面影のほとんどが失われていた。スタンが目印として黄色のケミカル・ライトを床に落とし、送話した。
「アルファ、オクトパスの二名を発見した。両名ともKIAだ」
〈了解、死体の回収は後にしろ。オクトパスが上甲板から下るのに使った階段は、船倉に繋がる階段とも近い。捜索を急げ〉
くそ、口惜しいがニーナは正しい。このふたりを国へ帰すには、まずこの船の積荷を探らなければならない。スタンが目的の階段を発見し、フラッシュ・バンのピンを抜いたところに、新たな通信が入った。
〈シエラ・ワンが報告する。船首側のタラップから、十数人が埠頭に下りてきた。どうやら、ここがばれたらしい〉
ショーンの位置が敵に知られた。あの遮蔽のない屋上では、ろくに耐えられない。
「アルファ、現地部隊の増援はまだ来ないのか。シエラがやられる」
〈もう数分で到着する〉
「待てるものか。ヘルファイアをもう一発やれ」
〈空軍《RAF》は兵装の使用をロックした。さっきの様にはいかない〉
「だったら、ぐずのアラブ野郎を急かせ! ロメオ・スリー、俺たちは既に貨物船の中だ。マラク方面の監視を切り上げて、ショーンを掩護しろ」
〈
〈ロメオ、ショーンを支援しろ。俺は車輌の装備でどうにかする〉
〈回り込もうとしてる敵がいるんだぞ、あんた独りでどうする気だ!〉
UAEの現地部隊は機を逸した。ケベック・チームを後送する唯一のタイミングを逃したために、ヴェストは今も負傷者を抱えて、敵の目と鼻の先で動きを封じられている。俺たち四人は、いつ艦首側から敵が徒党を組んでやってくるかも分からぬ敵拠点を、さらに奥深くまで進まなければならない。ショーンは自身のみならず、ブリジットを守って孤軍で戦っている。全て、現地部隊が数台の車輌を寄越していれば緩和できた事態なのに。
「……シエラ・ワン、通訳を連れて後方へ逃げろ」
〈その船内からは見えないだろうな。今しがた、マラクから照明弾が上がった。逃げも隠れも出来ない。ここから迎撃する〉
反論に送話スイッチを押し込もうとした手を、脇から掴み止められた。レスピレーターの奥で、ダニーが瞳を震わせていた。
「この船での仕事を終えてから、とんぼ返りして敵の背中を撃ちましょう、ヒルバートさん」
この舎弟は、どだい無理な案を発していることを自覚している。女にかまけて判断に迷いが生じた指揮官に発破を掛けようと、必死に説得を試みようとしている。死にそうな家族の元へ戻ろうとする、俺の手綱を引き戻すために。
「敵だ!」
スタンの叫びより早く、階段下の船倉から立て続けにライフルの連射が耳朶を叩き、居住区画の天井に火花が散る。ちくしょう、身内を案じる暇もない。階段の縁から、めくら撃ちで弾丸を送りつつ叫んだ。
「スタン、持っているフラッシュ・バン全部を階下へ投げろ! ジェロームを前にして突っ込む!」
「ふたつ投げる!」
スタンが黒塗りの円筒をコンテナに満ちた階下へ投げ落とす傍らで、ダニーが擲弾筒を同じ方向へ撃ち込んだ。
「追加の催涙弾です。外で撃ったやつは、船倉までは達していない」
ダニーが閃光の最中へ催涙弾の二発目を装填して撃ったのと同時に、その手中で火花が散り、擲弾筒が弾き飛ばされた。尻餅をついたダニーの襟首を掴み、敵の火線の外へ引きずる。
「何処を撃たれた!」
「くそ、指……俺の指……! うわっ、ちゃんとある!」
この野郎、びびらせやがって。
「よくやった、船倉じゅうガスで真っ白だ。ジェローム、行けるか?」
声を掛けた先に、末弟はいなかった。ジェロームは階段の板をほとんど踏まずに山猫の如く船倉へと駆け下り、階段下からこちらへ銃口を向けようとしていた男に突進した。体当たりで敵の銃口を逸らし、左肘で側頭部を殴りつけ、がら空きになった胸にベネリの銃口を突き立てる。甲高い銃声三つに続き、気持ちの悪くなる水音を伴って、ぐちゃみそになった肉塊が男の背中から飛び出して床に撒かれた。
「あんたらも早く来い!」
スタンが階下へ発砲しつつ、短い足で階段を駆け下りる。だいぶ軽くなっていた弾倉を交換しつつ、ニーナから受信した通信文を思い返した。「船倉左舷側の丁度真ん中、最下段に積まれた黄色のコンテナ」その調査こそが本作戦の要旨であり、我々をこんな状況に呼び寄せた諸悪だ。
幸運な被弾から気を持ち直したダニーが、フラッシュ・バンを船倉の中腹へ投げ込む。九連発の閃光がひとつ瞬くのと一緒に、俺たちふたりはガスの充満する暗闇へ身を投じた。