奴隷迎合 - The Servant above Slaves 作:紙谷米英
【10】
暗い船倉への階段を下りる途中で、方々に火の手が上がっているのが見えた。恐らく、我々が撒いたフラッシュ・バンが発したマグネシウムの残渣が、床の油に引火させたのだろう。元より船倉に長く留まるつもりもなかったが、早々に仕事を済ませる必要に迫られた。我々が着ているのは難燃性繊維の戦闘服とはいえ、全く燃えない訳ではないし、被服の内側では英国紳士が確実にローストへ近づいている。汗もかいているから、味付けは十分だろう。
「敵はまだかなり残っている!」
階段の真下から、スタンの声が聞こえてくる。その発言通り、明かりのない船倉のそこかしこで発砲炎《マズルフラッシュ》が生じ、発砲音と同時に自分の周囲で火花が散った。
「ライトを消してNVGを使え!」
俺の号令など待たず、男三人は銃身脇に装備したフラッシュライトを消していた。暗闇が再び船倉を包んだが、敵はかなり精確にこちらを狙って攻撃してきた。つまり、この船の構造に年単位で慣れ親しんでいるか、暗視装置の類を用いている。俺は胸のポーチからフラッシュ・バンを取り出し、即座にピンを抜いて船倉の中頃へ向けて投擲しつつ叫んだ。
「敵に手練れがいる! さっさと済ませるぞ!」
事実、敵はこの催涙ガスの充満した空間で、我々を徹底抗戦の姿勢を以て迎えていた。そうまでして見られたくないブツがあるらしい。階段を下りきって、最も船尾側にあるコンテナに身を隠してNVGを装備すると、敵の熱源反応がそこらじゅうに見られた。高性能な装置が提供した視覚情報が、より深いどつぼをもたらしてくれた。
「ボス、目標は左端の列だ」
船倉のコンテナはセルガイドと呼ばれる枠に従って、隙間なく敷き詰められている。お上が目標とするコンテナは、左端の列ど真ん中の最下段にあると知らされている。例のコンテナが、荷を下ろさなければ接触できない位置に積まれていれば、こんな作戦は元より立案されなかったのに。
ジェロームとスタンは船倉右端の通路を、我々ふたりより先んじて進んでいた。ショットガンの咆哮が聞こえる間は、少なくともジェロームは健在だという証左だ。
「あのふたりが暴れられるうちに、目標を確保するぞ」
スタンは別に暴走している訳ではなかったが、今は些末なことである。遮蔽から顔を覗かせて目標の方を窺うと、艦首へ向けて一直線に伸びる通路が、船の内壁とコンテナの間を走っていた。目標のコンテナがある辺りに複数人の敵が重なり、大きな熱源となって蠢いていた。我々のお上が欲しい物を、敵は知っている。俺たちはやつらが何者かさえ知らされていない。
今いる艦尾と目標との距離は、百メートル近く離れていた。通路の右手はコンテナが隙間なく敷き詰められ、途中で遮蔽に身を隠す場所はなく、階上からの攻撃にも脆弱だ。おまけに、目標近くの敵集団は簡易なバリケードを構築しているらしかった。どういう訳か、その辺りから物をしきりに激しく叩く音が聞こえてくる。
「他のふたりが船倉を一周して、やつらの背後をつくのを待ちますか?」
ダニエルの打診に、かぶりを振る。
「うちの弟とて不死身じゃない。むしろ、向こうがこっちの掩護を欲しているはずだ。俺たちだけでやるしかない」
ダニーが頷き、最後のひとつであるフラッシュ・バンのピンを抜いた。
「いいぞ、やれ」
ダニーは半身をコンテナに隠したまま、出来るだけ遠くに届く様にフラッシュ・バンを通路へ投げ、二十メートルほど先の床で閃光が瞬く前に、駆け出した。カービンのセレクターを連射に合わせ、前方で待ち構える敵へ怒濤の暴力を浴びせ掛ける。その背中を追い掛けつつ、自分も赤外線レーザーの照準をバリケードへ向けた時に、すぐ後ろで金属の擦れる音が聞こえた。ヘッドセットで増幅されていなければ、先の殴打音に紛れて気づかなかったそれへ振り返ると、背後で濃紺のコンテナの扉が今まさに開かれようとしていた。反射的に銃口を不審なコンテナへ向け直したのと同時に、不潔な毛の繁茂した指が扉の縁に掛けられ、続けて自動小銃の銃身がぬるりと現れた。咄嗟に伸びた左腕が、その脅威を掴んで天井へ向けて引き上げた。
その男は、貨物船への侵入者が無防備な背を晒しているとばかり考えていたのだろう。まして、コンテナを出たと同時に鳩尾をサプレッサー着きの銃身で突かれるとは、想像だにしていなかったらしい。全体的にオレンジ色の熱線映像でも、その顔に張り付いた驚愕が見て取れた。ざまあない。銃口から音速を超える弾頭が射出され、不安定なジャイロ運動を帯びた飛翔体が胸郭を貫いた。皮下組織は勿論、砕けた肋骨さえもが対象の筋細胞と臓器を抉る。物体との衝突で著しく破砕した弾頭は、その欠片ひとつずつがガラス片の様に体組織を切り刻む。心臓や肺が損傷すれば、酸素を含む血液が脳まで到達しなくなる。諸説あるものの、人間は体内の三十パーセントの血液を失うと、俗に言うショック死の危機に陥る。大量失血は即時に恒常性へ深刻に影響し、見当識障害で夢現の境も知れぬまま脳死する。吸血鬼殺しの手法は、現代の人間にも通用するのだ。男の手が自動小銃から離れ、何か言おうとしながら、背中からどうと崩れ落ちた。男の鼻っ面にもう一発を撃ち込みながら、まだこちらの状況に気づいていないダニーへ叫ぶ。
「戻れ! 船内のコンテナにも敵がいる!」
ダニーが前進運動を止めるのと同時に、そのすぐ後ろのコンテナの扉が勢い開かれた。ダニーの反応より敵の奇襲の手の方が早かったが、事態を知るこちらが先手を打てた。コンテナ内から飛び出そうとする男の左半身に、立て続けに五発を撃った。その全てを食らった男は、自分が開いたコンテナの扉に身を預けながら死んだ。その死体を跳び越えつつ、ダニーは男が潜んでいたコンテナに身を滑り入れた。
奇襲の失敗を視認した通路の敵が、こちらへ熾烈な弾幕を展開し始めたが、開いたままのコンテナの扉が通路の半分を塞いで遮蔽をこしらえてくれたので、ダニーのいるコンテナへ飛び込む時間を稼げた。コンテナの内部はコーヒー豆と、ブーツの爪先で死んでいる男の体臭で満ちていた。
「目標まで残り三十メートル、踏ん張りどころですよ」
「軽く言うなよ、老体にスプリントはこたえる」
敵の落とした短銃身のAKを恐る恐るたぐり寄せ、コンテナの扉から銃身だけを突き出し、弾倉内の弾全てを敵陣へ送り込む。利き手でない左手ひとつで三一発も七・六二ミリ弾を撃ったせいで、痛みを伴う痺れが肩にまで及んだが、敵の攻撃の手が熄《や》んだように思われた。敵の銃を捨て、自分の銃の弾倉を交換しつつ、今の内に最後の三十メートルを詰めるべきかと顔を覗かせ、すぐに思いとどまった。
敵のひとりが、クリケットの投手の如く、大仰な上手投げの姿勢を取っていた。戦闘中にあんな動きをする理由は、手榴弾を投げる他にない。照準器を覗き込むより先に連射で引き鉄を絞りつつ、男の正中線を狙った。初弾が男の股間に命中し、その後は下腹部、鳩尾、右胸、下顎を順に破壊したところまでを見届け、コンテナの奥へ舎弟を巻き込んで転がり戻った。
「爆発するぞ!」
ダニーの理解を待たず、破片手榴弾の乾いた必殺の破裂音が、コンテナの壁を震わせた。炸裂は、投擲しようとした敵の近くで起きたらしい。
「今の爆発は?」
「軍艦でもない船で、破片手榴弾を使ったんだよ。何をそこまで必死になるんだか」
爆発から数秒おいて、コンテナからそろりと這い出て耳を澄ませた。何も聞こえない。ためしに捨てた敵の銃から空の弾倉を抜き、"手榴弾"と英語で叫んで投げ込んでみたが、それでも反応はなかった。投げようとしていた手榴弾が足下に落ちて、そのまま全滅したのか。それでもなお、相変わらず件の殴打は続いていた。例の音には、何か叫びめいた音までもが加わっていた。
「バリケード付近に、動くものは見えません」
扉から顔を覗かせるダニーが、あえて目標からの殴打音に触れない情報だけを声に発した。
「油断するなよ」
「敵の生き残りにですか? それとも、あの妙な音の出所に?」
「邪推はよせ」
コンテナから身を乗り出しつつ、先の駆け込みと打って変わって慎重に足を運ぶ。いつからか、ジェロームとスタンの発砲音も聞こえない。増幅されたダニーの足音が聞こえるし、離れたところで何者かの足音が拾われていることから、ヘッドセットがいかれた訳ではないらしい。
「ジェローム、無事か?」
やや間を置いて、返答があった。
〈何だよ、コールサインも使わずに呼びやがって。寂しくなったのか?〉
良かった、生きてる。
「そうだよ」
〈きっもちわるいなあ、親父みたいだぞ。こっちは船首側から、目標のコンテナへ向かっている。そっちは片付いたのか? まだ変な音が聞こえるが〉
「残存勢力の捜索をしています」
俺に代わって、ダニーが応答した。やはり、音には触れようとしない。目標まで十五メートル。破片手榴弾でやられた死体は、まだひとつしか見られない。その中東だかアジア人は爆心地から少し離れていた場所にいたらしく、背中に手榴弾の弾子をしこたま貰って這いずり、息を引き取ったらしい。もっとコンテナに近づけば別の死体が見つかるだろうかと、現実逃避する欲が沸き上がる。もうずっと前から手遅れなのに。
ここまで近づけば、いやがおうにも分かる。あれはコンテナの中から肉が扉を打ちつける音だ。それも、ひとりふたりではない。もっと大勢の人間が、出口と生を求める音だ。熱線映像で敵の規模が大きく見えたのは、分厚いコンテナの壁を隔ててなお、中にいるやつらの体温が検知されたからだ。
「なあ、ヒルバートさん……」
目標まで十メートル。不安とは違う面持ちで、前を行くダニーが戸惑いを示す。
「敵を探す以外は考えるな。作戦本部との通信は俺がやる」
ダニーのバックパックにくくられたボルトカッターを外しながら、送話スイッチを押し込む。
〈ブラヴォー・ワンより全部署へ。マラク船倉内の目標コンテナに到達した〉
作戦本部から返答が寄越される間に、歩きながらボルトカッターが滑らかに動くか確認していたが、いっかな返事はなかった。一歩進むごとに、肉が金属にぶつかる音が強まる。
「おい、アルファ。コンテナが目の前にあるんだ。どうすりゃいいんだ」
返事はない。通路の八十メートル先のコンテナの陰から、ジェロームが現れた。本当に船倉内の他の敵を、ほぼひとりで無力化したらしい。
「ジェローム、まだコンテナの中に潜んでいる敵がいる」
〈知ってる、殺した。それで、この変な音は何なんだ?〉
恐ろしいやつ。味方としては心強いが、今からやろうとしている行いは任せられない。あいつは純粋すぎる。
目標まで五メートル。土嚢を積んだバリケードに半身を預けたまま息絶えた、手榴弾を投げようとしていたやつの死体を見つけた。右腕の肘から先がもぎ取られ、付近の壁に肉と骨の残骸が散っている。俺に撃たれた後も手榴弾を握り続け、倒れずにいたらしい。おかげで、お仲間の背中はずたずただ。さっさと自分だけ土嚢裏でくたばればよかっただろうに、変な根性を見せたせいで。
爪先が、目標のコンテナに触れる。「船倉左舷側の丁度真ん中、最下段に積まれた黄色のコンテナ」――全ての情報が、目の前の二十フィートコンテナと合致する。扉を固縛する錠に留められたタグの記号番号も一致した。思考から遠ざけていたが、コンテナの内側から生じるている音は、今も鳴り響いている。ここに来てからは、そこに複数の言語で救助を求める単語が叫ばれているのも聞き取れた。無論、英語の喘ぎも。
「録画は回してるか?」
「……言われた通りに」
ボルトカッターを手にする俺に代わり、全周の警戒を担うダニーからの返事は重々しかった。ダニーのカメラは、ブリジットの存在を一切記録していない。だが、任務上で最も重要勝つ、最悪の現実を撮影する羽目になった。オレンジのコンテナの隙間からは、計六人は下らない男女の怒号と嗚咽が溢れていた。換気システムなどない鉄の箱に何故彼らが詰められているかは知る由もないが、このドライコンテナには間違いなく、人間が詰められている。
「ブラヴォー・ワンよりアルファへ。目標のコンテナに到達した。中身の確認にコンテナの扉を開けるんだが、その後はどうすればいい? 映像を確認してくれ。」
作戦本部からの返答は、またもなかった。
「アルファ? 船倉に火の手が回り始めてる。半ば俺たちのせいだけど……開封後の指示を頼む。映像は見えているよな?」
送話しているうちに気づいた。上段にあるコンテナは、扉の対角線上を細い金属棒――ラッシング――が交差しているのに対し、最下段のコンテナは、重厚なセルガイドにヒンジごと保護されている。手元のボルトカッターを見下ろし、その刃が切断可能な径を思い返す。すぐに、上段のラッシングを切るのも難しいという現実が弾き出された。目標のコンテナを開くには、扉にでかい穴を開けるしかない。
「ダニー、アセチレン・トーチを寄越せ」
「今から扉を焼き切るんですか? 上から足音が接近してますよ! 撤退するべきです」
「なら、手っ取り早く爆破する」
「中身ごと殺す気ですか!」
「俺は爆弾魔だぞ。それに、中身が生きてさえいりゃいい」
「まだ作戦本部の返事は来ていないんでしょう? それに、現地部隊の増援だってある。そいつらにやらせりゃ――」
轟音と共に、船体が激しく揺さ振られる。我々のいる場所の丁度真反対で、でかい爆発が起きた。そうとしか言い様がなかった。床が大きく傾き、ブーツが地を離れる。目標コンテナが顔に近づき、唇が冷たい金属の感触を覚え、背中と右半身にひどい痛みが走った。手中のボルトカッターが、いつのまにか消えていた。
〈アルファより全部署、マラク右舷中腹で爆発を確認した。船体が右に傾きつつある〉
ニーナの言葉通り、船倉内でもセルガイドの鉄筋が軋みを上げ、金属が断裂するおぞましい雄叫びが反響し、幾つかのコンテナが床を滑っていった。右舷側では、生き残りとみられる敵の残党が、戒めを解かれたコンテナと内壁に潰される瞬間を垣間見た。元から花火の類は好きじゃないが、どうせならもっと落ち着いた風情のあるやつがいい。
「おい立てってば!」
臓器への物理的外傷に咳き込み倒れた俺を、ダニーが引き起こす。
「目標の確保を……」
「知るか馬鹿! 海水が入ってきてるんだよ!」
ヘッドセットの左耳に、多量の水が流入する音が聞こえる。随分前、兄弟がまだ皆無で、親父とふたりきりだった頃、渓流に釣りへ連れ出された時に、こんな音を聞いた。あの野郎、天気も確認しないもんだから、大雨の河川に流されそうになったっけ。……そうか。船殻がぶち抜かれたのか。現代の貨物船は、二重構造なのに。
左頬に、やけに強い衝撃が走る。ああくそ、いてえなあ。鉄の味がするぞ。
「しっかりしろ。このままあんたが死んだら、俺が分隊長ですよ? おたくの弟さんの世話もごめんだけど、嫁さんにどう詫びろって? おい!」
二発目らしい張り手が、今度は右の頬を張る。くそう、責任逃れには良い口実だが、罪悪感の一抹くらいは俺にもあるらしい。三発目を振りかぶる舎弟に待ったを掛け、傾き始めた床に手を突いて起き上がる。寄りかかっていたコンテナから、ずっと聞こえていた喚きが響いてくる。ロシア語訛りの英語、やたら甲高いフランス語……ラテン語辺りも混じっているらしい。口の端を垂れる鮮血を拭いつつ、送話スイッチを押し込む。大事な舎弟の張り手で正気を取り戻してしまった手前、自分が取る行動は決まっていた。
「……マラク付近にいる全隊員は全ての指令を棄却し、戦域を離脱せよ! 生き残れ!」
後始末なんか知ったことか。ダニーの手を借りて立ち上がり、既に変な方向に傾き始めた階段へ向かって進む。すぐ後ろに浸水が迫っているのが聞こえる。逆らおうとしたが、振り返らずにはいられなかった。数十秒前まで決死の覚悟で追い求めていた黄色のコンテナに、水飛沫が掛かっていた。
「まだあのコンテナを諦めませんか」
苛立ちを露わに、ダニーが俺の左腕を掴む。
「いや、死人に引きずられるつもりはない」
振り払おうとした腕をダニーは放そうとせず、階段へと強く曳いた。