4月に入ったばかりの平日、昼食を終えたところ。少し用事があるというテイクと分かれ、次の授業まで何しようかと思いながらカフェテリアの前でボーッとしていたら。
(……イ……アゾ…ネ)
「……?わたし……?」
誰かに自分の名前を呼ばれたような気がして、その声がしたと思う方向へ、何かに導かれるように歩き出す。
(……インデアゾンネ)
「誰……?」
そうして足の向かった先は、前世でも、今世でも馴染み深い場所。
「……三女神像。まさか、ね」
4月前半というタイミングと、この三女神像の前というロケーション。オレが思い浮かぶことは一つしかなかった。
「……!来たっ……!」
一瞬まばたきした瞬間、周囲が黒一色の空間へと変わり……オレの両横を誰かが走り去っていった。一瞬だったし、片方はよく分からなかったが……もう片方は、暗赤色と黄色の縦縞のフレアスカートに水色のベストという見覚えのある勝負服だった。
「あれ、母さん……?あっ……」
二人のウマ娘が走っていった先には光があって、オレもまたそこへ走っていきたいという衝動に駆られる。
「……!やっぱり、今の……」
光の中へたどり着いた瞬間、オレは元いた三女神像前に戻ってきており、不思議と力が漲ってくる感覚があった。
「なるほどね、こういう感じか」
何度も画面越しに見ていた光景は実際に体験するとこんな感じなのか、と思いつつ。まずは目の前のことに集中しようと授業の準備をするため教室に向かった。
◇ ◇ ◇
桜花賞本番を迎える直前、気がかりに思っていたことはレース自体ではなかった。既に阪神JFで同じ条件での実績を出しているわけだし、何度もシミュレートを重ねて、トレーナーにも繰り返し大丈夫だと言われてきたのだから、伝統あるGⅠにして一度きりの晴れ舞台とあっても不思議と不安はなくて。
それよりも先の……ウイニングライブでの歌唱に今一つ自信が持てずにいた。桜花賞で歌うことになる楽曲は、当然『彩 Phantasia』。しかし、メイクデビューの少し前、トレーナーと一緒に聴いた時からずっと、歌詞にあまり共感できていなかった。
『離さない、譲れない、逃がさない、渡さない』
そんな風に想えるものに心当たりがなくて、没入できなかった。本番数日前のダンスレッスンでも、阪神JFでの『ENDLESS DREAM!!』ほど自分のモノにはできておらず、ただ心がかりで。
……何とも贅沢な悩みだ。ウイニングライブで歌唱するのは3着までのウマ娘だけ。裏を返せば、歌で悩むということはレースで3着には入ると確信しているということなのだから。
「まあ、悩んでても……見つからないものはしょうがないんだけどさ」
そう独り言を残して、阪神レース場へ行く電車に乗るため、トレーナー室へトレーナーを迎えに行った。
◇
新幹線と在来線に何時間も揺られて、何度目かの仁川。桜は満開を少し過ぎた頃。桜は昔、4月の初旬……ちょうど今頃に満開になり、入学式のシンボルだったのだが、色々な要因もあって開花時期は年々早くなり、今では場所によっては3月中旬の卒業式の頃に満開になることも珍しくないとか。
「ついに、来たね……桜花賞」
「ああ、そうだな」
そんなどうでも良いことを考えながらレース場へ入り、勝負服に着替えて控室でレースが始まるまで待っていると、トレーナーが不敵な笑みを浮かべていた。また何か企んでるのかこいつは。
「……そろそろかな」
「……?発走はまだじゃないの」
そう聞き返してしばらく、ドアがノックされて見知った人たちがそこにはいた。
「ゾンネ、来たぞ!」
「父さん、母さん。今日も来てくれたんだ」
またこのパターンか……両親が見に来るなら言え、って隣でニヤついてる奴に釘を刺しとかないとな。
「それはもちろんよ!だって桜花賞はクラシック級の今しか出られない、一生に一度の舞台……そしてトリプルティアラの初戦だもの」
「12月の時みたいに、頑張ってくれ……!」
「……うん、良いところ見せられるように頑張るね」
だが、それについてはレース後にでも言うとして、忙しくて中々会えない二人としばし言葉を交わそう。そうして少し会話した後、予約していた席へ向かうという両親を送り出す。
◇
レース前最後の作戦会議を済ませたら、パドックへ向かうことになる。
「……レース相手には関してはそんなところだ。さてと、そろそろ発走時刻も近づいてきたようだし行こうか」
「うん、わかった……トレーナー」
「どうした?」
ライブはともかく、レースには不安はない。そう思っていたけれど、いざ本当に直前となると……やっぱりあと1歩背中を押して欲しいと、少しばかり心細くなる。
「……ゾンネなら、大丈夫。必ず勝てる」
「……うん、ありがとう」
その一押しをトレーナーにもらって、オレは地下バ道を進みパドックへと出た。
〈さあ、本日の1番人気が堂々登場です。9番インデアゾンネ〉
〈ジュニア女王が仁川へと帰還しました、堅実な先行策で再びの勝利を飾りたいところです〉
そう、オレは阪神JFを勝ったウマ娘なんだ。万全で挑めば、恐れることはないはず。そうやって自分を激励していると、ついに彼女が姿を見せた。
〈2番人気を紹介しましょう、12番クルーシャルテイク〉
〈前哨戦の勝ちウマです、逆転も狙える素晴らしい仕上がりですよ〉
同室で、友達で、同世代のライバルになる存在……クルーシャルテイク。今日、ようやくレース本番で競うことになるのだ。
「ゾンネちゃん!やっと、やっと同じ舞台に立てたのです!」
「うん、勝負服……やっぱり似合ってるよ」
以前も原案や試作衣装は見ているが、レース本番ではまた違った雰囲気を感じる。テイクらしい明るくてガーリーなデザインだが、ピンクが目立つその衣装は桜咲き誇る桜花賞という舞台に相応しいオーラを纏っていた。
「今日はあたしの本気の本気でゾンネちゃんに挑むのです、だから……」
「もちろん分かってるよ、わたしも手を抜くつもりなんて微塵もない」
そう二人で頷いて、パドックでの紹介も終わったところで地下バ道を通って本バ場へと抜けていく。軽く肩慣らしでもして、ファンファーレが鳴ったらゲートに入っていく。
「んむぅ……!!」
「マーシェリーチャンさん、落ち着いて……」
どうやら一人、ゲート入りを嫌がっていたみたいだが何とか係員が押し込んだようだ。一度深呼吸をしてから、鉄の扉が開くのを待ち……今。
〈今年もクラシック戦線が始まります。まずはここから、阪神芝1マイルの桜花賞が……今スタートしました!〉
飛び出して行ったらまずは集団の中程につく。既に阪神JFで経験済み、長めのバックストレッチで好位置を保つ。
〈おっと早くも抜け出していきました、2番テンダートゥチーフ。さらに上がって4,5バ身ほど差をつけました。阪神JF、チューリップ賞と同舞台で繰り出した大逃げを三度目の正直、逃げ切るのでしょうか?〉
金髪でギャルっぽい雰囲気のウマ娘、テンダートゥチーフ。面白いもん見せてやるよ、と事前に宣言していたが、また大逃げするだけが面白いもの……なのだろうか。他の逃げウマ娘は大逃げに付き合う気はないということだろうか、彼女から距離を保っていた。
〈先頭から大きく離れて、2番手は15番カンゼンヨンド。そのすぐ後ろに1番サイマルテーニアス、そして1バ身開いて本日の1番人気です、9番インデアゾンネ〉
前を見据えて、コーナーが少しずつ迫ってきたところでほんの僅かに違和感を覚える。
(なんか、キツくないな……)
〈後方集団を見ていきましょう、2番人気に支持されている12番クルーシャルテイク、ここにいます。並んで5番マーシェリーチャン、そして後ろから4番プリュームクローレ〉
コーナーに入って、先頭のテンダートゥチーフの様子を観察し……違和感の正体が直感的に分かった。ペースが遅いのだ。
〈前半800mのペースは48.4、例年に比べてもかなりのスローペースです!息を入れたテンダートゥチーフ、これが見せたかったものなのでしょうか、後ろ17人はまだその思惑に気づいていないのか!?〉
なるほど、幻惑逃げ……そう来たか。トレーナーが事前にペースに気を配れ、と伝えてくれていたから気づくことができたのだろう。
(なら、本来のペースに合わせて動くとするか)
〈いやしかし、1人動きました!インデアゾンネが上がって行きます、このウマ娘にまやかしは通用しないのか!〉
テンダートゥチーフの後方にいる先団を追い越して、並のペースで先行であるオレが取るべき位置に付ける。
〈さあ、4コーナーからホームストレッチに入っていきます。テンダートゥチーフはまだ先頭をキープしているが、インデアゾンネが迫ってきた!さらに後ろから、仕掛けてきましたクルーシャルテイク!〉
スタンドに近づき、坂を下ると共に歓声がより大きく耳に届く。先頭を征くテンダートゥチーフに並びかけ、追い越した。
〈残り300mを切って、インデアゾンネが先頭に代わりました!このままゴールまで行ってしまうのか!いや、そうはさせまいとクルーシャルテイクが差しに掛かります!〉
「たああああっっっ!!!」
「くっ……テイク……!」
例えテイクであっても、勝ちは譲りたくない。負けたくない。
勝ちたい、勝ちたい──勝ちたい!!
「はあああぁぁっっ!!」
仁川の坂、そんなものは些細なことだ。さらに足を伸ばして、大地を蹴って、体の奥に感じる熱のままに駆け抜ける。ただ、勝利に向かって。
〈先頭は二人の一騎討ちだ!ハナに立ったクルーシャルテイク、しかしインデアゾンネが差し返します!残り100m、熾烈なデッドヒート!1歩先に出たのはインデアゾンネ!〉
「ふっ……!!」
「はぁっ……!!」
ゴールへ、ただゴールへ。それしか考えられない。
〈今ゴールインしました、インデアゾンネ!1バ身差で続きます、クルーシャルテイク!阪神JFから4ヶ月、再び仁川の舞台を照らす太陽!1着はインデアゾンネです!!〉
確かな手応えがあった。掲示板には9番が1着に表示されており、この何万人という歓声がオレに向けられているということを感じる。
◇
阪神JFの時よりも、確実に昂っているレース直後。一度深呼吸をして、それからウイナーズ・サークルへ向かう。
「さあ新たな桜の女王の登場です、インデアゾンネさん!レースを終えて、どういったお気持ちですか?」
「はい、まずは同じ条件の阪神JFを勝ったウマ娘として恥のない結果を残せて良かったです。家族も見に来ていると思いますので、あとで嬉しい気持ちを分け合えたらな、と」
そうしてインタビューに答えていると、ぱたぱたと駆け寄る足音がして振り返る。すると、そこにはなんとなく予想していた相手がいた。
「ゾンネちゃんっ……!!」
「……テイク」
桜花賞で最初のオレとの直接対決を終えた彼女がどんな言葉を絞り出すのか、待ってみる。
「ラストスパートでゾンネちゃんと競り合った時、すごく体がぽかぽかって暖かくて、このままレースが終わってほしくないって、そう思ったのです……!!」
ゾンネちゃんはどうでしたかと聞かれて、つい数分前のことを思い出しながら答える。
「わたしは……熱を感じたのは同じだけど、ただ勝ちたいってことしか頭になかったかな」
楽しいか楽しくないか、で言えば楽しい時間だったとは思うが……そんなことを考える隙もないほど、ただ勝ちたいという念に頭を埋め尽くされていた。
「今日は負けてしまいましたが……次のオークスは、あたしが勝つつもりなのです!ゾンネちゃんも、もちろん出ますよね?」
「うん、二冠目が掛かってるからね。譲る気はないよ」
そう自然と口に出して、『彩 Phantasia』の歌詞と似ていることに気づく。
──ああ、なるほど。離したくない、譲りたくない、逃がしたくない、渡したくないものとは。
(勝利、なのかな)
そう答えを得た気がして、インタビューを終え控室に向かう地下バ道でトレーナーに迎えられる。
「まずはおめでとう、ゾンネ。これでクラシックウマ娘だ」
「ありがと、トレーナー。あんたが信じるわたしのこと、少し掴めたかもしれない」
自分には、GⅠを二つ……しかもそのうち片方は、八大競争に数えられる伝統と格のある大レース。それを勝つだけの能力があるんだ。
「そうか、二人を控室に待たせているし行こうか」
その声に頷いて控室へ行くと、そこには当然、今日の勝利をぜひ伝えたい相手がいた。
「すごいわゾンネちゃん、桜花賞も勝っちゃうなんて!」
「うまく言葉にできないが、とにかくおめでとう、ゾンネ……!」
「母さん、父さん、ありがとう」
やっぱりこうして喜んでくれるのは、うれしいものだ。ライブの時間まで両親やトレーナーと話をして、それからステージへと上がった。
◇
ライブの本番。後ろ手に組んだ状態でテイク、そして3着に残っていたテンダートゥチーフと並んだ状態から始まって、音楽が流れてポーズを取り、ダンスがスタートする。
「day by day 憧れて step by step 積み重ね 君とつむぐ未来」
君……普通に考えれば、トレーナーのことになるのだろうか。あいつと紡ぐ未来か……デビュー戦の頃だったらこいつとかないわ、って思っていただろうけど。今ならそんなに悪くないかも、と考えていたりする。
「舞い散る花びらを従えて いま羽ばたこう」
今日はまさに、桜の花弁が舞う桜花賞のレースだった。その中でオレは、勝ち上がったんだ。
「このまま」
「離さない」
「譲れない」
「渡さない」
サビに入り、盛り上がりの部分。このまま渡したくない、そう思ったのは勝利だった。離さない、譲れない……誰にだって、今隣にいる同室のテイクにだって。
そうして勝利のことを想って『彩 Phantasia』を歌い、踊り……ライブを終えた。気持ちは込められていたと思う。あとは、受け取る相手がどう思うかだ。
「お疲れ様、ゾンネ」
「トレーナー……ライブ、どうだった?」
控室に戻ってきたら、一家言あるらしいトレーナーにオレのウイニングライブについて尋ねる。
「そうだな、ほんの少しだけ迷いがあったかもしれない」
「そう、だね……譲れないもの、レースでの勝利のことかな、と思って歌ったんだけど……」
そう意識したことを正直に言うと、トレーナーはしばし考え込み、言葉を続けた。
「俺としては別に間違いではないと思うが……ゾンネの心中と噛み合っていないところがあるのかもしれない」
「わたしの心の中……」
「この曲を歌う機会はオークス、秋華賞とあと2回ある。それまでに君が納得する答えを見つければいい」
譲れないもの……勝利以外でないとすれば、一体何なのだろうか。そしてその答えは、見つかるのだろうか。