5月の半ば、東京レース場。今日のメインレースであるヴィクトリアマイルもラストスパートというところになっています。そしてあたしの目には、スタートからずっと先頭を走り続ける1人のウマ娘しか映っていませんでした。
〈逃げ切る!逃げ切る!コレオプシスカラー!差を保ったままゴール、この府中で花開き悲願のGⅠ初勝利を勝ち取った!〉
鮮やかなオレンジ色の髪を棚引かせて、その人は1番にゴールへ飛び込んできました。その姿は泥臭いのに、とてもキラキラしていて。
「やっぱり、GⅠはすごいのですね」
この前のキヨミズ先輩も、得意な京都で堂々と勝利を飾って春の盾を手にしていて、ウイナーズ・サークルですごく魅力的な笑顔を見せていました。
「あたしも……あたしだって、先輩たちに負けないくらい、輝きたいのです……!」
「うん、アタシはダービー頑張るけん、テイクちゃんもオークスで勝つとこ見せてほしかね!」
一緒に観戦していたムーメちゃんからそう言われて、頷きます。あたしは来週またこの府中に、出走者として来ることになります。そのさらに翌週には、ムーメちゃんが日本ダービーに出るというわけです。
「オークスでは、当然ゾンネちゃんが……」
あたしの同室で、友達で、目標で──ライバル。念願の初対戦だった桜花賞では1バ身及びませんでしたが、今度こそはあの子より先を行って、隣に立つに相応しい相手になりたい。改めてそう、決意を固めました。
◇ ◇ ◇
ついにやって来た、オークスの本番当日。担当のインデアゾンネと共に東京レース場へと歩いていき、控室へ。彼女が勝負服に着替えるなどの準備をしているところで、着替え用のスペースから声が聞こえてくる。
「今日は親来るの?」
「ああ、ただ外せない用事があるってことでお母様は来られないそうだ」
観戦に行くという連絡を受けた時に、もう少し詳しく聞こうと思ったが結局用事が何なのかは教えてもらえなかった。
「父さんじゃなくて母さんが来れないの?珍しいね」
「まあ、そういうこともあるんじゃないか」
ゾンネの競争生活に支障が出ないのであれば、彼女の家庭の事情に首を突っ込むつもりはない。なのでその話は終わりにして、オークスに向けての最終確認に移る。
「当然、1番人気はダブルティアラの達成が期待されているインデアゾンネだな」
「それはまあ、そうだろうね。2番人気はテイク?」
確かにクルーシャルテイクは桜花賞でゾンネに迫り、その実力は確かだ。それに昨年の菊花賞に加えて今年天皇賞・春を勝ったばかりのキヨミズノマイに、先週のヴィクトリアマイルで見事に逃げ切って勝利してみせたコレオプシスカラー。彼女の所属するチームハチサは最近すこぶる調子が良いと言えるし、クルーシャルテイクにもオークスの戴冠が期待されているようだ。
「いや、あまり差はないがクルーシャルテイクは3番だ。2番人気は──カルドロンディーニ」
そう、先の記者会見で堂々とインデアゾンネに宣戦布告してみせた、イタリアにルーツを持つウマ娘だ。
「2400mというこの時期としては未知数な距離を見て、東京2000mという近い距離での実績がある彼女が推されたということだろう」
もちろん、オークスには他にもメイクデビューや未勝利戦などで2000m以上を経験しているウマ娘はいるが、前哨戦であるGⅡ競争で勝ち上がったことは大きいようだ。
「人気評価を見ても、インデアゾンネ、クルーシャルテイク、カルドロンディーニの3強対決になるだろうな」
尤も、ゴール板を1番に駆け抜けるのは我が担当だろうが。ただ、実は言うと少し懸念点もある。
「そういえば、なんかわたしも含めて後方脚質多い気がするね」
「ああ、今日は逃げらしい逃げがいないな」
先行を取ると見られるのが6人、ゾンネを含めた差しが8人、追込は4人。しかも5番人気まで後ろに固まっているというスローペースが予想される構成だ。桜花賞で逃げていたウマ娘たちはオークスには不参加か先行策に切り替えており、例えばハナを切っていたテンダートゥチーフはオークスではなくNHKマイルカップの方へ向かっており、2着の結果を残している。
「もちろん、ラストスパートに余力を残すのは前提だが……あまりにもペースが遅ければ、ゾンネが少し前に出て圧を掛け焦らせるというのも手だ」
焦った先行のウマ娘たちはスタミナを浪費してしまいやすくなり、差しウマが終盤で差しを決めやすくなる。当然垂れてきて進路を思うように取れなくなる可能性もあるだろうが、ゾンネなら何とかしてくれるだろう。
「ふむふむ、まあ頭の片隅に置いとくね」
「それじゃ、そろそろパドックに行く時間かな」
ゾンネと共に立ち上がり、控室から地下バ道へ出て彼女の見送りをする。
「君なら絶対に、オークスを勝てる。だから心配はいらない、存分に力を見せつけてきてくれ」
「うん、行ってくるね」
踵を返してパドックへ向かうその背中は、女王の風格が確かに感じられる。桜に続いて、樫の女王の座も射止めてほしいと、そう思ってこちらもパドックを見に移動した。
〈──さあ、本日の1番人気です。5番インデアゾンネ〉
〈調子は良好ですね、大舞台でも物怖じしない精神力で勝利を掴みとってほしいところです〉
こちらから見える彼女は落ち着いた様子で、今日もまた素晴らしい走りを見せてくれるだろうという期待が近くの観客からも感じられる。
〈8番プリュームクローレ、4番人気です〉
〈勝ちを狙える素質は充分にありますよ〉
そしてクルーシャルテイクが姿を現し、パドックも盛り上がる。
〈続いては本日の3番人気です、10番クルーシャルテイク〉
〈調子は上々です、気合いも乗っていていい走りをしてくれそうです〉
さらにすぐ後、漆黒のロングヘアにドレス姿のウマ娘が登場し、3強が出揃う。
〈2番人気を紹介しましょう、14番カルドロンディーニ〉
〈前哨戦を勝った勢いのまま、本番でも1着をもぎ取りにかかります〉
やがて出走者18人のパドック紹介が終わり、本バ場入場へと移る。
〈府中には初夏の爽やかな風が吹いて、新たなる樫の女王の誕生を祝福しています。絶好の快晴良バ場、東京レース場芝2400m・GⅠオークスがまもなく発走です〉
〈──5戦4勝、前走桜花賞では着外でしたが今日こそは末脚を爆裂させたい。2番ドロッピングマイン〉
〈2戦2勝無敗、忘れな草賞の勝ちウマがオークスに名乗りを上げました。3番ハッシュハッシュ〉
そして、ツインテールと尻尾で金色の毛束3本、風に靡かせて担当ウマ娘が登場する。同時に観客席も歓声が大きくなり、彼女の勝利が待ち望まれていることを実感する。
〈さあ、お待たせしました。ここまで5戦4勝の1番人気、桜花賞ウマ娘は5番インデアゾンネ。太陽に照らされ晴れ渡る府中でオークスを制し、ダブルティアラとなるでしょうか?〉
彼女の後も粛々と入場が進んでいく。ゾンネはいつもと変わらず軽く体を動かし、レースに備えている。
〈ここまで6戦3勝。阪神JF以来惜しいレースが続いていますが、今度こそ大舞台で勝利という名の大空へと翔んでいけるか。8番プリュームクローレ〉
〈4戦3勝、桜花賞は惜しくも2着でしたがここ府中での逆襲を虎視眈々と狙っていることでしょう。今日も差し脚を魅せてくれるでしょうか、3番人気は10番クルーシャルテイク〉
クルーシャルテイクが紹介され、次いでインデアゾンネに迫る風格を見せるウマ娘がバ場に踏み込む。
〈3戦3勝の戦績を引っ提げて、あっという間に有力候補に躍り出たウマ娘です。本日の2番人気を背負い、豪快な追込でダブルティアラに待ったをかけるか。14番カルドロンディーニ〉
全員の入場が終わり、関東GⅠファンファーレの荘厳な音色がレース場内に響き渡り、ゲート入りが進められていく。
多少まごつくウマ娘がいたものの、最後にカルドロンディーニが収まって、ゲートインが完了する。そして張り詰めた空気が場を支配した一瞬の後、その時が来た。
〈今年の樫の女王の座は誰の手に渡るのでしょうか、東京芝2400mオークス、今スタートを切りました!まずハナを切るのは3番ハッシュハッシュ、先行ウマ娘が横一列に並びます〉
まずは1周目スタンド前、傾斜もなく直線が続く400m。ここで好位置をキープして有利に進めたいところだが……インデアゾンネは後方集団の中で最前。理想的な立ち位置に付け、先行集団から少し開いて追走していく。
〈早くも競りかけていきます、11番カンゼンヨンド。内々には7番サイマルテーニアス、前に出ようとしている〉
先頭争いを見守り、初夏の青芝の上を駆けていく我が担当。今のところは懸念すべき点はない。このまま順調に行けばいいのだが。
〈ここまでが先行です。続いて本日1番人気の5番インデアゾンネ、今日は後ろからのレースとなるようです。その後ろに8番プリュームクローレ〉
直線を抜けて1コーナーへと入っていく。ここからはゆっくりと下り坂があり、スピードが乗ってつい持久力を消費しすぎてしまうこともあり得るが、ゾンネは先行に釣られずペースを保っている。
〈ここにいました、10番クルーシャルテイク。半バ身開いて2番人気です、14番カルドロンディーニ。並んで大外からのレースとなりました18番キラランラン〉
コーナーから向こう正面へとレースが展開していくが、バ群を見るとゾンネにとって芳しくない状況となっていた。先行が固まっているせいで前を塞がれてしまっている。
〈さあ、ここで前半1000mです。通過タイムは1分2秒3、これは明らかなスローペース。後方のウマ娘には少々苦しい展開になりそうですね〉
スローペースだと当然、前方のウマ娘がスタミナを残すこととなり、差しが決まりにくくなる。府中なら最終直線が長いのでまだマシだが、さらにマークされて囲まれてしまっている。確実と思えた勝利が僅かに揺らいだ。
(だけど、ここからではなにもしてやれない)
不利な状況からでもゾンネが自分で道を切り開くのを、自分はただ信じて待つしかなかった。