5月の後半、東京レース場。いよいよオークス本番が始まろうとしていた。トレーナーとトレセン学園から徒歩で現場入りする。
控室に入って準備の最中、先に聞いておきたいことがあってトレーナーに尋ねる。
「今日は親来るの?」
「ああ、ただ外せない用事があるってことでお母様は来られないそうだ」
仕事で忙しい父なら都合がつかないのは分かるが、専業主婦の母の方が来れないとは。一体何があったんだろうか。
「父さんじゃなくて母さんが来れないの?珍しいね」
「まあ、そういうこともあるんじゃないか」
父さんは席の確保のため、レースが終わってから会いに来るらしい。その時は是非いい報せを持ってこれればいいなと思いつつ、レース前最後の作戦確認をトレーナーとする。そうして発走時刻が迫り、パドックへ向かわないといけない時間。
「それじゃ、そろそろパドックに行く時間かな」
オレが席を立って控室の外に出ると、トレーナーも一緒に隣を行き、地下バ道の途中でふと立ち止まる。するとあいつはオレの手を掴んで、目を見てただ言葉を紡ぐ。
「君なら絶対に、オークスを勝てる。だから心配はいらない、存分に力を見せつけてきてくれ」
「うん、行ってくるね」
その言葉が心強くて、ダブルティアラの重圧は少なくないはずなのに、何の根拠もないけど……勝てる気がする。
〈──さあ、本日の1番人気です。5番インデアゾンネ〉
〈調子は良好ですね、大舞台でも物怖じしない精神力で勝利を掴みとってほしいところです〉
オレがパドックへと出ると、心なしか歓声が強くなった気がする。思い上がりだろうか、それとも……ダブルティアラへの期待か。
〈8番プリュームクローレ、4番人気です〉
〈勝ちを狙える素質は充分にありますよ〉
春クラシックという時期に半マイルの延長ということで、桜花賞から継続参戦しているウマ娘はそれほど多くはない。だがそんな中でも見知った顔もいる。
〈続いては本日の3番人気です、10番クルーシャルテイク〉
〈調子は上々です、気合いも乗っていていい走りをしてくれそうです〉
そう紹介が済むと、やはりというか彼女はこちらへと駆け寄ってきた。
「ゾンネちゃん、よろしくお願いします!」
「うん、よろしく。いつも通り全力で行くよ」
遠慮なんていらない、全てを出し尽くした後に待つ勝利じゃなきゃ、意味なんてないだろうから。
「桜花賞では届きませんでしたが、今日こそはゾンネちゃんに勝って、隣に並べるウマ娘になるのです……!」
「……?別に、テイクのことを隣に並んでない相手とか思ってはないけど……」
トレセン学園に入ってからずっと一緒にいた大事な相手だし、レースで競うことになってもそれは同じだから。そう言っても、彼女は首を横に降る。
「いえ、これはあたしの気の持ちようの問題なのです」
「あら、二人だけで話し込むなんてずるいですわね」
二人で話していると、いつの間にかパドック入りしていたカルドロンディーニが話しかけてきた。テイクはそれを見て頬を膨らませ、不服そうな表情を見せる。
「ふふ、歓迎されていないようですわね。嫉妬されているのかしら?」
「で、どうかしたの?」
ただ水を差しに来ただけではないだろうし、続きを促すと彼女は胸を張って答える。
「改めて宣言しに来ましたの。貴女方を破ってワタクシがオークスを戴冠するつもりである、と」
「それは、どうも……」
こんなに熱烈なアピールを受けるとは、今のオレはかなりモテモテらしい。あまり嬉しくはないが。
「……さてと、そろそろ本バ場入りかな」
18番まで紹介も終わったみたいだし、パドックから地下バ道を通ってターフ上へと出る。もうだいぶ暖かい……というか、暑くなり始める季節だが、体をほぐすためにウォームアップは欠かさない。
やがてファンファーレが吹奏され、ゲート入りとなる。オレはいつも通りスッと入り、テイクもスムーズだったみたいだが、他のウマ娘が少しごねているらしい。少し待たされてカルドロンディーニが最後に収まり、スタートの瞬間がまもなく。
〈今年の樫の女王の座は誰の手に渡るのでしょうか、東京芝2400mオークス、今スタートを切りました!まずハナを切るのは3番ハッシュハッシュ、先行ウマ娘が横一列に並びます〉
鉄扉が開くカンッと小気味良い音が響き、同時に前へ出る。が、すぐに後ろ目に控える。今日の作戦は先行じゃなくて差しで行くのだから。
〈早くも競りかけていきます、11番カンゼンヨンド。内々には7番サイマルテーニアス、前に出ようとしている〉
そうして、最初のスタンド前の直線400mの間に差し追込ウマ娘の中で前の方を位置取り、カーブへ入っていく。
〈ここまでが先行です。続いて本日1番人気の5番インデアゾンネ、今日は後ろからのレースとなるようです。その後ろに8番プリュームクローレ〉
コーナーの下り坂で加速しすぎないように抑えて、余力を残しながら追走。うん、ここまでは順調だ。
〈ここにいました、10番クルーシャルテイク。半バ身開いて2番人気です、14番カルドロンディーニ。並んで大外からのレースとなりました18番キラランラン〉
だが、良くないこととは突然起こるものだ。いつの間にか先行ウマ娘たちが前で団子状態になっており、身動きが取りづらい。他の差しウマ娘も上がってきて、見事に囲まれた形になってしまった。
〈さあ、ここで前半1000mです。通過タイムは1分2秒3、これは明らかなスローペース。後方のウマ娘には少々苦しい展開になりそうですね〉
ペースも積極的に前へ行くウマ娘がいないせいか、遅めに感じる。体力を残せるからオレにとって好都合かも知れないが、それは先行集団も同じ。前残りになると今回差しであるオレとしては差し切れない可能性が出てくる。
〈バックストレッチの坂を乗り越えて後半戦。中段で囲まれているインデアゾンネ、これは厳しい戦いになりそうです。それを追うのがプリュームクローレ〉
まもなく3コーナーへ入り、左には大ケヤキが見えたが、すぐに視線を戻す。するとカーブで膨らんだのか、先行ウマ娘の隙間が少し空いていた。
(余力は充分、ならここで……仕掛ける!)
〈1番人気インデアゾンネ、ここから早めに仕掛ける構えです!バ群の間をすり抜けて、進出していきます!釣られて後方のウマ娘たちも上がっていきます〉
先頭集団を追い越して前に出たら、位置を保って脚をためる。大丈夫、スローペースの影響もあってゴールまでは余裕で持つはず。後は仕掛けどころを待つだけ。
〈さあ、4コーナーからスタンド前へ入っていきます!先頭はまだ見合ったまま、最初に立ち上がったのはインデアゾンネ。ハナを進みますが、後ろからすーっとクルーシャルテイク、上がってきました!〉
足音が近づいてくる。桜花賞の時と同じピッチで、あの子のものだと咄嗟のことでも感じ取れた。
「やああぁぁぁっっ!!」
「抜かせ、ないっ──!!」
負けるわけにはいかない。自分のために、そしてこの勝利を待ち望む人たちのために。坂でもスピードを落とさず、ここまで保持してきたスタミナを全部使いきる勢いでラストスパートをかける。
〈最後の坂を登って残り200mを切りました、やはりこの二人なのか!インデアゾンネとクルーシャルテイクです、しかし後ろから猛然と追い上げるはカルドロンディーニ!並びかけます!〉
さらに別の足音が追い付こうとしてくる。でも誰にだって、この場所を譲るわけにはいかない。
勝つのは──
〈3人が並ぶ、並ぶ!わずかに先頭はインデアゾンネ、譲りません!このまま行くのか、そして今、ゴールイン!〉
あんなに沸き上がる大歓声すら遅れて聞こえてくるほどに、ただ走ることしか頭になかった。それでも、1番にゴールした。ただその手応えだけは確かに感じる。
〈ダブルティアラだ!これが桜花賞ウマ娘の意地だ、インデアゾンネ1着!勝ち時計は2:24.1、今度は府中でその輝きを魅せてくれました!次いでカルドロンディーニとクルーシャルテイクが並びます〉
呼吸を整えながら、掲示板を見上げると、そこには自分の番号である5番が1着に表示されていた。オレが、オークスを勝ったんだ。
◇
ウイナーズ・サークルへ行くと、そこには取材陣と一緒にトレーナーも待っており、勝者インタビューを受ける。
「まずはおめでとうございます、インデアゾンネさん!桜花賞に続いての勝利でダブルティアラですね!」
「はい、ありがとうございます。並み居るライバルたちに競り勝っての1着は、とても価値のあるものだと思います」
適正距離ギリギリ、半バ身差での勝利。途中囲まれて苦しい場面もあったが、それでもオレは確かに勝ったんだ。
「次は当然、秋華賞を大目標にする形でしょうか?」
「はい、その前に前哨戦を挟むことになると思いますが、秋華賞へ出て──トリプルティアラの達成をと考えています」
どう答えようかと迷った一瞬のうちに、トレーナーが代わりに答える。いやまあ、オレも大体同じことを考えていたが、自信満々に宣言されるといたたまれなさがある。
「わたしも、ええ、同じです。ダブルティアラまで勝ち取ったからには、是非ともトリプルティアラに挑戦したいと思います」
そこまで言ったところで、足音が2種類。そちらを振り返ると、テイクとカルドロンディーニがやって来ていた。カルドロンディーニは飄々とした普段通りの感じだが、テイクは顔が赤くて少し怒っているように見えた。
「おお、3強勢揃いですね!よろしければ、お二人にも一言頂けますと!」
「次はぜっったい負けないのです!この人に、もちろんゾンネちゃんにも!」
「ワタクシはワタクシのレースをするだけですわ。今日は先を行かれてしまいましたが、次はワタクシが先着します」
どうやらテイクは、カルドロンディーニにアタマ差届かず3着だったのを気にしているらしい。オレは苦笑しつつも、もう少しだけインタビューに答えてから控室に向かう。
「改めて、おめでとうゾンネ。と言っても、君が必ず勝つと信じていたが」
「ありがとう、トレーナー。次……秋華賞も頑張らないとね」
そうして短く言葉を交わすが、オレたちにはきっとこれだけで充分だ。少なくとも、今はまだ。
「……ゾンネ!!おめでとう、GⅠを勝つだけでもすごいのに今日で3つ目なんて、もう言葉にできないくらい嬉しいよ!!」
「うん、父さん。そういえば母さんはどうしたの?」
控室には父が首を長くして待っており、入ってきたオレを見るなり駆け寄って手を握りながら、いっぱいいっぱいといった様子で言葉を絞り出す。
「ああ、ちょっと体調が悪いみたいでな。無理させるわけにもいかないし、家で安静にしてもらってる」
「そうなんだ……お大事にね」
きっと来るのを楽しみにしてただろうに、残念だな。そうして父は、代わりにしっかりレース映像は撮っておいたから帰ったら見せるつもりだと言う。
「これからあるライブもバッチリ撮るから、晴れ姿を見せてくれ!」
「そうだね、頑張るよ」
ライブ会場に向かう父を見送ったら、オレもダンスの準備をしてステージへと歩き出す。
◇
輝くステージの上で、『彩 Phantasia』を歌い踊った。その時想ったのは、想った相手は。
(……トレーナー)
きっと客席にもいるであろう、その人。今日自分がここ、ウイニングライブのセンターに立てるのは誰のお陰か。そして離したくない、渡したくないと思えるような相手は……そう考えたら、オレにとってはトレーナーかな、と。その答えにたどり着き、気持ちを込めた。
(うん……不思議と、勝利を想った時よりも熱が入るな)
あくまでトレーナーとして、だけど。あいつでいい……あいつがいい。そんな風に思うのがトレーナーだ。
「お帰り、ゾンネ。今日のライブ、すごく良かったな」
「……ありがと」
ライブを終えて戻ってくると、トレーナーがいつもの様子で出迎える。オレは、こいつを……。
「……どうかしたのか、ゾンネ?」
「な、何でもないから!帰るよ、トレセンに」
そう、あくまでトレーナーとして!一緒にいてほしいと思ってるだけだ。異性とかそういう目線ではない、断じて。というか、前世ではオレも男だったから異性じゃないし。