9月も後半に入り、いよいよ秋華賞まで1ヶ月を切った。トレーニングでも強めに負荷を掛けていく中で、息抜きのために以前トレーナーに提案されていたお出かけへ行くことになった。
「行き先決めたの?前はまだ決めてないとか言ってたけど」
「もちろん。じゃなきゃ誘わないさ」
まずはトレセン近くの河原を軽く散策してから、お出かけ先へと向かう。途中で乗り換えがありつつ1時間ほど電車に乗って辿り着いた場所はというと。
「都会だ……」
駅の出入り口がある建物から出ると、重賞前のレース場くらい……は言い過ぎかもしれないが、そのくらい多くの人が歩道を行き交う大都会のど真ん中。車の走行音と音響式信号機、どこからともなく聞こえるエスカレーター等の案内音声、そして無数の人々が発する足音と話し声が混じり合ったザ・都会と言った感じの環境音に囲まれている。
「寮は府中なのに都心まで出たことなかったのか?」
「まあ、普段の生活はトレセン近くで事足りるし……」
一応飛行機や新幹線に乗る時に都心部を経由してはいるが、目的地としてこの辺りに来たのは恐らく初めてだ。
「それで、目的地は?」
「ああ、こっちだ」
トレーナーはスマホを確認して、それから歩き出した。オレもそれについていき、果たしてどんな場所なのか期待を抱きながら歩を進めた。
◇
徒歩で数分ほど。トレーナーが入っていったのは大都市の中心街でよく見るような、デパートを中心とした大型複合商業施設。
「着いたぞ、ゾンネ」
「ふうん……?」
エレベーターで上層階まで上がった先は、暗い部屋の中に色とりどりのガラスでできたオブジェと照明に照らされた、幻想的な空間だった。
「色彩と光華をテーマにしたアートギャラリーなんだ」
壁面は水槽を模したガラス張りになっていて、中には今にも動き出しそうなガラス細工の金魚がライトに照らされて泳いでいる*1。
「へぇ、綺麗だね」
順路を巡りながら進んでいくと、ワキンから始まり、リュウキンやデメキンにコメットと様々な種類のガラス金魚が時の止まった水槽の中で煌めいている。
「ん……?うわ、でかい」
金魚ばっかりなのかと思いきや、恐らく実寸大のガラスのニシキゴイが出てきて驚く。淡く照らされている、紅葉を模したインテリアと赤白黒の体はよく調和しており、和の趣を感じる。
◇
そうしてガラス細工の水族館を見て回って1時間ほど、順路の終着点らしい。
「ここは……」
ここまでもガラスと照明の色彩を引き立たせるためか、足元のライトは弱く薄暗かったが、ここはそれさえもなく、よく目を凝らさないと床も壁も見えないような広い暗闇の空間。そしてライトが組み込まれた無数の小さなミラーボールが吊り下げられており、部屋の中心に立って周りを見ると、まるで星が散りばめられたような様相だった。
「すごい、綺麗……」
数え切れない程の煌めきに包まれ、肩の力を抜いて目を細めてただ光だけを見つめると、左も右も……上も下もなくなり、周囲の音も消えて宇宙を漂っているような感覚を覚える。
(なるほど、確かにこれは心地いいかも)
自分も光の一つ……すなわち、恒星になったかのような体験にしばらく浸っていると。
「……ネ、ゾンネ。そろそろ行こうか」
「んぇ?あ、ああうん……」
もうちょっとこの大都市の真ん中で自分以外誰もいない感触に浸っていたかったのだが……まあ、仕方ないか。少し未練を覚えつつも、順路の出口へ出ると、1時間ぶりのガラスのオブジェと美しい光。
「楽しめたか?」
「うん、まあね。結構良かったよ」
商業施設のワンフロアだけなのでボリュームはそこまでだったが、こういうのもたまにはいいかと思った。
◇
お誂え向きに同じ階にあったガラス細工の店でいくらか安いもの*2を買い、自分とテイクへのお土産としたら、施設を出る。
「今日はもうこれで終わり?」
まだ正午を少し過ぎたくらいで、折角東京都心まで来たのに帰るのには早い気もするが。
「いや、昼はこっちで食べるぞ。それに……」
トレーナーがそう言って向けた視線の先には、なんとも不思議な光景が広がっていた。
「車道の上に、あんなに人がいる……」
そう、いわゆる歩行者天国*3というやつだ。一応テレビなどで存在自体は知っていたが、こうして実際に見るのは初めてになるだろう。
「昼を食べ終えたら、腹ごなしも兼ねて少しあそこで歩こうか」
「うん、そうだね」
そういうわけで、昼ご飯は銀座だし老舗の高級料亭とかに行くのだろうか、作法とか大丈夫かなと緊張していたが……トレーナーの口から飛び出したのはインド料理とつけ麺の二択だった。
「口コミで探したんだが、安めで評判良いのは大体そんな感じで……」
「全くしょうがないな……とりあえずちょっと他の探すから待ってて」
ここまで来てラーメンはさすがにないわと思いつつ、銀座の名物みたいなモノがあればと見ていると。
「……あ、これどう?和牛カツサンド」
「おお、美味しそうだな」
テイクアウトが基本だが、ランチタイムには店内で食べることもできるらしい。ここからだと若干遠いようだが……まあ、お腹を空かせてからの方がより美味しく感じるだろう。というわけで早速歩き出した。
◇
高級和牛を使用したボリューミーでジューシーなカツサンドは、他はドリンクとサラダだけにも関わらずそれだけでもう満足してしまうほどの逸品だった。歩行者天国になっているエリアを縦断していく途中、オレにしては珍しく先ほどの昼食を思い返していたところ、トレーナーが声を掛けてくる。
「そういえば、ゾンネはどんなウマ娘になりたいかって見つけられたか?」
「ええ?いきなりだね……」
トレセンに入学できるほど優れた資質を持つウマ娘たちでも、大半が指先を触れることすらできずに終わるGⅠという大舞台……そこで三度も1位の座を掴み取っていながら、恥ずかしいことにオレはまだ自分がどんなウマ娘になりたいのかを完全にはつかめていない。
「うーん、具体的な形は全然……でも」
「でも?」
自分の勝利を喜んでくれる人がいる。称えてくれる人がいる。そんな人たちのために、オレは走り続けたいと思う。
「わたしの走る姿を見たいファンがいるなら、その気持ちに応えたいな」
オレがそう答えると、トレーナーはそうかとだけ呟き、それから一拍おいて言葉を続ける。
「なら、俺はゾンネを隣で支えないとな」
「ふっ、何それ。でもまあ……頼りにしてるよ」
なんだかんだ言いつつも、オレはこいつがトレーナーで良かったと思ってる。いや、もはやこいつ以外考えられないかも。出会った当初から今までもずっっと変なやつだとは思っているが……レースやトレーニング以外のところでも、トレーナーのことを信じてる。
「さてと、そろそろ歩行者天国の端っこかな?」
「そうだな、ゾンネに特に行きたいところがないなら今日はもう戻ろうかと思ってるが」
「うん、それでいいよ。今日はありがとね」
そうお礼を言うと、トレーナーは鳩が豆鉄砲を食らったように目を丸くする。なんか失礼だなこいつ。
「……なにその反応」
「いや、ゾンネが素直にお礼を言うなんて珍しいとおうっ……!?」
「余計なこと言わなくていいんだよ」
やっぱりこいつムカつく。バーカ。脛蹴ってやるから反省しろ。
◇
都心からトレセン学園まで戻ってきて、美浦寮の自室前。扉を開けると、そこには虹色のキラキラした四角いグミみたいな物を食べているテイクが待っていた。
「ごくっ……お帰りなさいなのです、ゾンネちゃん!」
「それもお菓子?秋華賞もあるんだしあんま食べすぎないようにね」
えへへ……とばつが悪そうににへらっと笑みを浮かべた後、そのお菓子を差し出してきた。
「キヨミズ先輩にもらった琥珀糖なのです。砂糖と寒天でできてるからヘルシーなのですよ」
「全く……ちょっとだけだよ」
赤色のものを口にすると、外側は砂糖の粒でシャリシャリしているが、中は寒天ゼリーのようなひんやりした柔らかな食感。こういうお菓子は初めてだ。
「あ、そうだ……今日はトレーナーとお出かけだったんだけど、テイクにもお土産買ってきたからあげる」
「わー、いいのですか?ありがとうなのです!」
紙袋から水槽に見立てた透明なケースに入った、ガラス細工の金魚たちを差し出す。
「銀座でガラスの展示見に行ったから、そこで買ったの。ガラスだから割れないよう気を付けてね」
「ふふ、すごく綺麗なのです。大事にしますね」
「うん。んで、こっちはわたしの分っと……」
袋からもう一つ、箱を取り出して開ける。中には梱包材に包まれた球形に近いガラス細工の金魚。特殊な構造で水に浮くらしい。さすがに常に水に浮かべたりはしないが、暇な時に鉢に水を入れて浮かべたら良さげだと思って買った。
「それにしてもゾンネちゃん、楽しそうなのです」
「そ、そう?まあ実際楽しかったけど」
もう何度かトレーナーとの外出はしているが、その度に新しい体験があって、飽きることはない。それについては認めることにする。余計なこと言う悪癖はあるけど。
今回の更新分はここまでです。次回は……なるべく早くと思いますが、ちょっと確証が持てないかもしれませんね。何しろ半年更新できてませんでしたので……。